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ご本願を味わう
四十八願総括
【浄土真宗の教え】
◆ 四十八願の総点検
四十八願全体を総点検してみます。列挙する内容は、四十八願の漢文および解釈を強く押し出した意訳と、島田幸昭師の【四十八願組織体系図】の引用です。なお、{ }内の言葉は隠れた意味を付け加えた箇所、( )内の言葉はすぐ前の言葉や文の意味を詳説し味わい直した箇所、< >内の漢字は意訳の箇所が解るように示した直前の文章の原文(漢文)です。
- 1・無三悪趣の願 「設我得仏国有地獄餓鬼畜生者不取正覚」
-
たとえ我(法蔵菩薩となった阿弥陀仏)が{未来完了として}仏を得たといっても、国土(創造した環境)に地獄(様々な社会苦や社会悪)、餓鬼(我欲に執われ、特定の思想や領解に固執した頑迷者)、畜生(奴隷根性が抜けず問題意識の無い愚か者)があれば、私は正覚を取ることができない(正覚を取ったことが成就しない)。
【弥陀自覚/弥陀理念/即時的…国土理念(国土と衆生の関係)/社会理念・現実自覚/社会発見・現実悲傷・国無悪趣】
- 2・不更悪趣の願 「設我得仏国中人天寿終之後復更三悪道者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が、覚りの世界から現実の五濁悪世に戻った後、ふたたび地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちるようであるなら、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即時的…国土理念/社会理念・現実自覚/個人発見・自己不失・不更悪趣】
- 3・悉皆金色の願 「設我得仏国中人天不悉真金色者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々がすべて金色に輝く身となる(全身が「不断の智的快活」で喜びに輝いている)ことがなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即時的…国土理念/個人理念/外相/人格平等・人格光輝・身悉金色】
- 4・無有好醜の願 「設我得仏国中人天形色不同有好醜者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が、{青色青光・黄色黄光の}個性が輝かず、美醜の差別に覆われるようなら、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即時的…国土理念/個人理念/外相/個性特色・存在自覚・形無好醜】
- 5・令識宿命の願 「設我得仏国中人天不識宿命下至不知百千億那由他諸劫事者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が、{自分や世界全体の}宿命が識られる(現在只今の歴史的事実を覚る)ことがなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即時的…国土理念/個人理念/内徳/史的自覚・遠識宿命・得宿命智】
- 6・令得天眼の願 「設我得仏国中人天不得天眼下至不見百千億那由他諸仏国者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が、天眼通(相手の尊さを観る眼)を得ず、一切衆生の仏性世界を拝み見て自利利他円満の菩薩道を歩むことができないようなら、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即時的…国土理念/個人理念/内徳/客観知見・見諸仏国・得天眼智】
- 7・天耳遙聞の願 「設我得仏国中人天不得天耳下至聞百千億那由他諸仏所説不悉受持者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が、天耳通(相手の本心の訴えを聞く耳)を持たず、一切衆生の本心の叫び声を聞いて心身深く刻んで憶えているようでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即時的…国土理念/個人理念/内徳/客観受行・聞諸仏説・得天耳智】
- 8・他心悉知の願 「設我得仏国中人天不得見他心智下至不知百千億那由他諸仏国中衆生心念者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が、他心通(相手の悩みや本心を理解する真心)を得ず、誰しも心の奥底に背負いきれない悲しみや悩みを宿して生きていることを知り尽くせるようでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即時的…国土理念/個人理念/内徳/自他同感・知衆生心・見他心智】
- 9・神足如意の願 「設我得仏国中人天不得神足於一念頃下至不能超過百千億那由他諸仏国者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が、神足通(相手の身になり立場に立って自他を超えてゆく心の足)を得ず、一切衆生と語り合い真心を通わせて自利利他の菩薩行を行じていくようでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即時的…国土理念/個人理念/内徳/自他超越・超諸仏国・得神足智】
- 10・不貪計心の願「設我得仏国中人天若起想念貪計身者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が、{自利利他の菩薩行を行じる際に}妄念・我執をおこし、{お為[ため]ごかしの偽善によって}身に執着があるようなら、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即時的…国土理念/個人理念/内徳/行心不染・不貪計身・得漏尽智】
- 11・必至滅度の願「設我得仏国中人天不住定聚必至滅度者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が、正定聚(浄土の土徳によって生き甲斐を見つけ、清らかに人生を肯定し、歴史を創造してゆく菩薩の位)に入り、滅度・善逝(完全燃焼の人生によって思い残すことなく死ぬこと)ができないようならば、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即時的…国土理念/個人理念/内徳/絶対自証・不二信証・正定滅度】
- 12・光明無量の願 「設我得仏光明有能限量下至不照百千億那由他諸仏国者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が光明(智慧と徳のはたらき)に限りがあって、一切衆生の上に諸仏を見出し理解し働きかけ(智慧の光明)徳に帰依させ感化する(身放の光明)はたらきが全てに至らぬならば、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/対自的…弥陀形成/智徳無量・照諸仏国・光明無量】
- 13・寿命無量の願 「設我得仏寿命有能限量下至百千億那由他劫者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が寿命(無上菩提心の根本主体)に限りがあって、真実の歴史を創造する力や、正定聚不退転の菩薩を生み育てる力が至らないならば、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/対自的…弥陀形成/歴史創造・主体自証・寿命無量】
- 14・声聞無量の願 「設我得仏国中声聞有能計量下至三千大千世界声聞縁覚於百千劫悉共計校知其数者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の声聞(聞法精神を持った人々)の数には限りがなく、世界中のすべての声聞(教えを聞くだけの人)や縁覚(師を持たず独りで悟ろうとする人)がともに百千劫(永遠とも思える時間)かけて計算しても国中声聞の数を知ることができない(阿弥陀仏の眼によって一切衆生が「国中の声聞」として見開かれた)、そうでなければ私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即且対自的…国土形成(弥陀と衆生の関係)/衆生成就…聞…至心発生・徳化無辺・声聞無量】
- 15・眷属長寿の願 「設我得仏国中人天寿命無能限量除其本願修短自在若不爾者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々の寿命(無上菩提心の前衛主体/如来願心により一切衆生に回向された無上菩提心としての命)には限りがなく、しかも願いによっては長短は自在である(苦悩の衆生のため、いつでも宿業の娑婆世界に飛び込む決意がある)、そうでなければ私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即且対自的…国土形成/衆生成就…信…信楽発生・生命創造・眷属長寿】
- 16・離諸不善の願 「設我得仏国中人天乃至聞有不善名者不取正覚 」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が、{国土全体について}悪の名を聞く者がいる(浄土の善徳が念仏者の上に具体化せず国の評判が悪い)ようなら、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即且対自的…国土形成/衆生成就…証…欲生発生・人間成就・世無悪評】
- 17・諸仏称名の願 「設我得仏十方世界無量諸仏不悉咨嗟称我名者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、十方世界の数限りない仏がたが、みな我が名(名に代表される阿弥陀仏の智慧や徳すべてを含んだ全人格/名号の中に弥陀の徳が宿っている)を褒め称える(生活全体が念仏になってくる)ようでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀理念/即且対自的…国土形成/弥陀成就/名号成就・世界創造・諸仏称名】
- 18・至心信楽の願 「設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚唯除五逆誹謗正法」
- たとえ我が仏を得たといっても、すべての人々に心を至す心<至心>≠回向し、自己のめざめを経験させるとともに、深くして底のない無明を見出させ、歴史的・全人間的自覚<信楽>へと深め、人類共通の場と精神と創造の方向性を示してゆく<欲生我国>。この如来回向の一念・信心が一生相続してゆくように<乃至十念>。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。ただ五逆と誹謗正法とをば除く(せっかく信心回向されても、如来と自己を裏切る心が自己の内に見出されてくる。こんな私は逆謗闡提と懺悔するしかない)。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就(衆生と国土の関係)/衆生覚醒/存在的自覚/人生観確立・願心自証・至心信楽】
- 19・至心発願の願 「設我得仏十方衆生発菩提心修諸功徳至心発願欲生我国臨寿終時仮令不与大衆囲繞現其人前者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、すべての人々が{本願力廻向の}菩提心を起こし、{自分の人格を高め信頼を得るために}様々な事柄に積極的に取り組み<修諸功徳>、心を至して人生成就の願いを起こし<至心発願>、場所的自覚が達成され,座に相応しい自分になれるように<欲生我国>。{その願いの成就は難しいが}せめて臨終の時には、{縁ある人々や先祖や}多くの聖者たちは拍手をもって褒め囲み、{阿弥陀仏である我も}その人の前に現れるだろう。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/衆生覚醒/形成的自覚/人格形成・智徳修証・発心修徳】
- 20・至心廻向の願 「設我得仏十方衆生聞我名号係念我国植諸徳本至心回向欲生我国不果遂者不取正覚 」
- たとえ我が仏を得たといっても、すべての人々が我が名号を聞けば(一人ひとりに宿った無言の南无阿弥陀仏の歴史が聞こえてくれば)、無上心を発して わが国もまた{阿弥陀仏の国のように}ならんと念願をかけ<係念我国>、念仏の徳によって皆の人格が高まり幸せになるよう環境を整え<植諸徳本>、心を至して人類普遍の浄土を明らかにし<至心回向>、身に満ちた功徳がこの場この場で花開いて環境が荘厳・創造される<欲生我国>。もし果し遂げることができない者がいれば、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/衆生覚醒/形成的自覚/世界形成・行為廻向・係念植徳】
- 21・具足諸相の願 「設我得仏国中人天不悉成満三十二大人相者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が、ことごとく{覚りの内容が精神だけに留まらず、姿も}三十二大人相を成就しないならば(念仏生活の結果、仏と同じ人相や声を得ることができないならば)、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/生活理念/人格成就/外相/相好成就・身具諸相】
- 22・還相廻向の願 「設我得仏他方仏土諸菩薩衆来生我国究竟必至一生補処除其本願自在所化為衆生故被弘誓鎧積累徳本度脱一切遊諸仏国修菩薩行供養十方諸仏如来開化恒沙無量衆生超出常倫諸地之行現前修習普賢之徳若不爾者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たとして、様々な世界の求道者がわたしの国に来れば、必ず菩薩の最上位である五十一位の一生補処に至る(ここにおいて一生お育てに預かろうと深い願いを保持する)だろう。ただし、その菩薩の願い(還相廻向の願)によってはその限りではなく、一切衆生のために固い決意に身を包んで、念仏の徳によって皆の人格が高まり幸せになるよう環境を整え続け<積累徳本>、一切衆生を{苦悩の三悪道から}度脱し(乗り越えさせ)、諸仏の国に遊んで(無心に相手に成り切り、相手の世界を理解して)、菩薩としての修行をし、十方の諸仏如来を供養し(敬虔な気持ちで相手の真心を敬い続け)、ガンジス河の砂の数ほどの限りない人々を開化して(こちらの尊敬心に感応して)、この上ないさとりを得させようとする(相手が自分の至らなさに気づいて真人間になってゆこうとの願いを発こさせる)ものは別であって、菩薩の通常の各段階の行(四十一位から一段一段階段を登ってゆく通常の菩薩行)を超え出て、その場で限りない慈悲行を実践する(十地の行のすべてが一歩一歩に顕現して、普賢菩薩の徳である八地以上の徳が身につく)こともできる。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。
(参照:{正定聚・不退転の菩薩について})
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/生活理念/人格成就/内徳/総/修習普賢・一生補処】
- 23・供養諸仏の願 「設我得仏国中菩薩承仏神力供養諸仏一食之頃不能遍至無数無量那由他諸仏国者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の求道者が、如来より回向され身に満ちた本願力のはたらきにより<承仏神力>、敬虔な気持ちで人々の尊さを敬い続け、食事するほどの短い時間のうちに、それらの数限りない国々に至る(日常生活が、一切衆生のために、全人類を念じて行われる)ことができないようなら、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/生活理念/人格成就/内徳/別/一般的形成/行心普遍・供養諸仏】
- 24・供養如意の願 「設我得仏国中菩薩在諸仏前現其徳本諸所欲求供養之具若不如意者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の求道者が、{供養諸仏の願の徳を現に行うにあたり}供養のための望みの品を思いのままに得られないようなら(本当に相手の気持ちが解り、現場に即した具体的な敬いの行動が取れないようなら)、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/生活理念/人格成就/内徳/別/一般的形成/行為創現】
- 25・説一切智の願 「設我得仏国中菩薩不能演説一切智者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の求道者が、{仏の神力を承けた菩薩行により}人類の苦難の歴史に裏づけされた人生の智慧<一切智>を演説する(体当たりの身を以ての説法する)ことができないならば、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/生活理念/人格成就/内徳/別/一般的形成/人格全現・説一切智】
- 26・得金剛身の願 「設我得仏国中菩薩不得金剛那羅延身者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の求道者が、金剛力士のような強靭な体(求道精神が衰えることなく、裸一貫、どんな苦難にも耐えて生きてゆけるという力強い自信)が得られないようなら、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/生活理念/人格成就/内徳/別/一般的形成/生活自信・得金剛身】
- 27・万物厳浄の願 「設我得仏国中人天一切万物厳浄光麗形色殊特窮微極妙無能称量其諸衆生乃至逮得天眼有能明了弁其名数者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が、使用する全ての物は清らかで美しく、形も色もことに優れて並ぶものがないことは、とうていはかり知れない(どんな物でも、菩提心の眼で見えれば不平不満はなく、みな尊い輝きを発して見える)ほどである。かりに多くの人々が天眼通を得たとしても、そのありさまを明らかに知り尽すことができる(限意を持ってこいつはたったこれだけの価値か≠ニか人生とは大体こういうものだ≠ネどと、自分勝手に決めつける)ようなら、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/生活理念/人格成就/内徳/別/一般的形成/万物徳化・所須厳浄】
- 28・道場樹の願 「設我得仏国中菩薩乃至少功徳者不能知見其道場樹無量光色高四百万里者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の求道者で、たとえ功徳の少ないものでも(と、自分自身のありさまを少功徳者と慚愧する)、わたしの国の菩提樹(修行の場所を象徴)は量り知れない種類の輝きを放ち、四百万里の高さ(浄土の四徳である常・楽・我・浄を象徴)であることを知見する(自己の置かれた場所が、いつでもそこが修行の道場であったとさとる)ことができないようなら、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/生活理念/人格成就/内徳/別/特殊形成/天職自覚・見道場樹】
- 29・得弁才智の願 「設我得仏国中菩薩若受読経法諷誦持説而不得弁才智慧者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の求道者が教えを受け、{心の眼を開いて、新たに人生を見直した上で}口にとなえて心にたもち、人々に説き聞かせて、{どんな苦境に陥ったとしても}心のままに弁舌をふるう智慧を得られないようなら、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/生活理念/人格成就/内徳/別/特殊形成/道理証得・得弁才智】
- 30・弁才無尽の願 「設我得仏国中菩薩智慧弁才若可限量者不取正覚 」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の求道者が、{人生とは何かという卒業なしの求道により「無尽の宝庫」を覚った}智慧を、心のままに弁舌をふるう(相手の気持ちと一つになり、的確に問うていることに的を当てて、相手を開導する)ことに限りがあるようなら、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/生活理念/人格成就/内徳/別/特殊形成/応説無碍・智弁無窮】
- 31・国土清浄の願 「設我得仏国土清浄皆悉照見十方一切無量無数不可思議諸仏世界猶如明鏡覩其面像若不爾者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、国土(安楽国土と正定聚の菩薩の国土)が清浄で、十方一切の無量無数不可思議の諸仏世界を皆ことごとく照らし見る(自分の心の我執を離れ、さらに進んで、絶えず周囲の人から、他の分野の世界からも学んで行く)ことは、なほ明らかな鏡にその面像を観察するようである(仕事や勉学によって創造された自分の世界に、専門分野をはじめあらゆる分野の内容が映っている。それも、門外漢が聞きかじったような借り物として映っているのではなく、自分の顔形を見るように明らかに諸々の尊い世界の真髄が映っている)。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/生活理念/世界成就/普遍性/他国映現・国土清浄】
- 32・妙香合成の願 「設我得仏自地以上至于虚空宮殿楼観池流華樹国中所有一切万物皆以無量雑宝百千種香而共合成厳飾奇妙超諸人天其香普熏十方世界菩薩聞者皆修仏行若不如是者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、大地から虚空に至るまで、宮殿・楼閣・池水の流れ・華樹・国中にある物すべてはみな無量の種々雑多な宝と百千種の香りでできていて、厳かに飾られたそのようすは天人や人々の世界に超えすぐれ(求道者が見聞きし、使用し、手垢のついた物はみな評判となり、同朋の徳を慕う人々によって尊い宝物と化し、高価な宝物などよりも超え優れて尊く)、その香りが十方の世界に流れ薫って行く(求道の尊い歴史を宿している物ゆえ、その徳により必ず辺りによい雰囲気が漂ってゆく)と、その香りをかいだ菩薩たちは(求道精神をもってその尊さに触れたものは)、皆仏道を修行するようになる(私も安楽国のようなりっぱな国を造りたいという、自分の願いに奮い起つようになる)。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/国土成就/生活理念/世界成就/真実性/他国感化・万物宝香】
- 33・触光柔軟の願 「設我得仏十方無量不可思議諸仏世界衆生之類蒙我光明触其身者身心柔軟超過人天若不爾者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、すべての数限りない正定聚不退転の菩薩たち<諸仏世界衆生之類>が、我が光明(阿弥陀仏のはたらき十二種)に照らされ、その身に受けたなら(浅ましい自分の生活が暴かれることによって邪見の角[つの]が折れ、自ずと念仏生活に転じられたなら)、{心が静まり、宿業が見え浄土が観察できるので}身心が柔軟(金剛心と一味になった柔軟心)となり、そのようすは天人や人々に超えすぐれるでしょう。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活(衆生と弥陀の関係)/総/所与随順/感情純粋・触光柔軟】
- 34・聞名得忍の願 「設我得仏十方無量不可思議諸仏世界衆生之類聞我名字不得菩薩無生法忍諸深総持者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、すべての数限りない正定聚不退転の菩薩たちが、わたしの名字を聞いて(その人にその人に成り切られた仏が、菩薩でありながら菩薩としての生活が完成しない菩薩に念仏を勧め、安楽国を願うよう呼び覚まして)、菩薩の無生法忍(社会のあらゆる分野における形のない法則や原理や歴史的背景などの真髄を達意的に知る智慧/無数の分別が含まれ重なった無分別智・世間解)を得て、もろもろの深総持者(一つの言葉の中に無数の意味を有っている深い言葉・ダラニのように、一つの事柄から数多くの創造力を発揮し現場現場で智慧を展開する者)とならなければ(そうした「わが名字」が成就しなければ)、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/総/人生体験/行智修証・聞名得忍】
- 35・女人往生の願 「設我得仏十方無量不可思議諸仏世界其有女人聞我名字歓喜信楽発菩提心厭悪女身寿終之後復為女像者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、すべての数限りない諸仏世界(念仏のはたらきが展開した全ての生活現場)の女性が、わたしの名字を聞けば(念仏が勧められ、安楽国を願うよう呼び覚まされれば)、歓喜信楽し(仏徳を信じ喜び)、{人生の覚りを求める卒業なしの}菩提心を発こして、女身を厭悪せん(女身の特徴を露出せず慎みを持つようになる)。{しかし男女とも業が深く短期間では解決がつかないので}せめて寿命が尽きるまでには{女性としての自信と自覚を得て徳を成就し、男女が協力して家庭や社会を創造するようにしたいが}いつまでも感情に流されたり服従を繰り返す女性像から脱皮できないならば、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活態度/私生活/女性自覚・厭悪女身】
- 36・聞名梵行の願 「設我得仏十方無量不可思議諸仏世界諸菩薩衆聞我名字寿終之後常修梵行至成仏道若不爾者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、念仏のはたらきが展開した全ての生活現場において、自覚独立した正定聚不退転の菩薩は、念仏が身につき安楽国を願うよう呼び覚まされ、{性的な業は深く短期間では解決がつかないが}せめて寿命が尽きるまでには、{性行為の遊戯性が自覚され、性欲に狂うことなく慈愛を篤くし、家庭人として人格を円満にし}「愛欲即是道」の行を修めて<常修梵行>仏道を成就してゆく。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活態度/私生活/性欲聖化・常修梵行】
- 37・作礼致敬の願 「設我得仏十方無量不可思議諸仏世界諸天人民聞我名字五体投地稽首作礼歓喜信楽修菩薩行諸天世人莫不致敬若不爾者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、念仏のはたらきが展開した全ての生活現場における天人や人々が、{魂の底深くに}わが名字(光明と本願の成就した相)を聞けば、{わが身の浅ましい相を知らされ}地に伏し{深くして底のない、無始以来の宿業を}懺悔し、{名字の内容に}うやうやしく礼拝し、喜び信じて菩薩の修行に励む(光明と共にある本願力に催され、重い宿業を背負うて人生創造に起ち上がる)ため、天の神々や世の人々は残らずみな{諸天人民を}敬うようになる。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活態度/私生活/世人尊敬・人天致敬】
- 38・衣服随念の願 「設我得仏国中人天欲得衣服随念即至如仏所讃応法妙服自然在身若有裁縫擣染浣濯者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が{得る果報として}、衣服(慚愧による敬虔で慎ましい生活)を欲しいと思えば、思いのままにすぐ現れ(謙虚な思いがわき、今現在の生活内容に不平不満を持つことなく)、仏法の内容に適った<応法妙服>を知らず知らずに身につけている。もし{この衣服の内容が}裁縫(取り繕いのある生活)・擣染(人生が色あせ倦怠を感じるため、染め直す必要がある生活)・浣濯(心の垢がつき、疲れて洗濯する必要がある生活)をしなければならないようなら(念仏に呼びさまされて自己に立ち帰れば、いつでもあるがままで生活が満たされる。そうしたことがなければ)、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活態度/私生活/生活満足・衣服随念】
- 39・常受快楽の願 「設我得仏国中人天所受快楽不如漏尽比丘者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の天人や人々が得る果報としての楽しみが、すべての煩悩を断ち切った漏尽比丘と同じように{愛欲の楽しみや内楽ではなく、人間成就という自己の花を咲かす求道の楽しみ}でなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活態度/私生活/享楽純浄・受楽無染】
- 40・見諸仏土の願 「設我得仏国中菩薩随意欲見十方無量厳浄仏土応時如願於宝樹中皆悉照見猶如明鏡覩其面像若不爾者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の求道者が、思いのままにすべの数限りない清らかな仏の国々(歴史的・行為的な真心の世界)を見たいと思うなら、いつでも願い通り、くもりのない鏡に顔を映すように、宝(道心・菩提心)の樹々(念仏生活)の中にそれらをすべて照らし出して(感応して)はっきりと見ることができる(弥陀の浄土に生まれたものは、浄土の土徳によって、自然に自分の小さな殻の中に閉じこもらず、常に自己と自己の世界の成就を志し、絶えず広く知識を世界に求める)。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活態度/社会生活/他国理解・見諸仏土】
- 41・聞名具根の願 「設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字至于得仏諸根闕陋不具足者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、他方国土の諸菩薩衆(阿弥陀仏の浄土を踏まえ、自分の国を成就しようとする不退転の菩薩たち/浄土入出無碍の門を見出して自らと環境創造に踏み出した菩薩たち)が我が名字{に具わる徳の内容}を聞けば、{浄土の土徳を思い出し、浄土の徳が菩薩たちの上に働き出すだろう}。仏になるまでの間、その菩薩の身に不自由なところがある(見識に偏りがあったり、狭い世界に独り閉じこもって、世の中の重々無尽なる尊さに耳を貸さない)ようなら、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活態度/社会生活/感情円満・諸根具足】
- 42・聞名得定の願 「設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字皆悉逮得清浄解脱三昧住是三昧一発意頃供養無量不可思議諸仏世尊而不失定意若不爾者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、浄土入出無碍の門を見出して自らと環境創造に踏み出した菩薩たちが我が名字{に具わる徳の内容}を聞けば、残らずみな清浄解脱三昧を得る(何をするにしても、我執煩悩のけがれのない三昧を得て行動する)だろう。そしてこの三昧に入って、またたく間に無量不可思議の諸仏世尊を供養(出会うどんな人からも、その人の人格を通し、言葉を通し、生活を通して、教えを享受)し、しかも定意を失わない(社会奉仕の精神も大切だが、それがために肝心な自己を失い、自己の立場を忘れて、自己犠牲に走ることがない)。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活態度/社会生活/虚心求教・住定供仏】
- 43・聞名生貴の願 「設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字寿終之後生尊貴家若不爾者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、浄土入出無碍の門を見出して自らと環境創造に踏み出した菩薩たちが我が名字{に具わる徳の内容}を聞けば、寿終って後(深い願いゆえ、念仏生活に報われる果報としてせめて寿命が終わった後にでも、と願うしかないが)、人々に尊ばれる家に生れる(家庭環境がどれほど人生の重大事かが解り、家の文化の高貴性を誓うことが適う)だろう。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。
(参照:{家柄に込められた先祖の真心})
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活態度/社会生活/人格高潔・生尊貴家】
- 44・聞名具徳の願 「設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字歓喜踊躍修菩薩行具足徳本若不爾者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、浄土入出無碍の門を見出して自らと環境創造に踏み出した菩薩たちが我が名字{に具わる徳の内容}を聞けば、喜びいさんで菩薩の修行に励み(念仏の心において日々の生活は仏道となり、互いに喜び励んで学びあう道を達成しようとし)、さまざまな功徳を欠けることなく身にそなえる(種として身に満ちている「不可称不可説不可思議の功徳」が、菩薩行を修することによって、それが形をとって、身について、その人の人格となり、人相となり、家庭や環境の上に、後光となって花と開く)だろう。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活態度/社会生活/天職満足・具足徳本】
- 45・聞名見仏の願 「設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字皆悉逮得普等三昧住是三昧至于成仏常見無量不可思議一切諸仏若不爾者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、浄土入出無碍の門を見出して自らと環境創造に踏み出した菩薩たちが我が名字{に具わる徳の内容}を聞けば、残らずみな普等三昧を得る(法執に陥り「自分には信心がある」とか「お前に信心を教えてやる」などと傲慢な悪衆生になることなく、出会う人ごとの手を握り、同朋として共感することができる)。この三昧に入って、仏になるまでの間、常に数限りないすべての仏がたを見たてまつることができる(出遇う人ごとから道を聞く態度が定まり、相手から無限に尊い教えを聞き開いてゆくことができるようになるので、生活の一歩一歩において成仏の自信が得られる)。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活精神/人格尊重・常見諸仏】
- 46・随意聞法の願 「設我得仏国中菩薩随其志願所欲聞法自然得聞若不爾者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、我が国の求道者は、志願(生きる方向を決定したり自分をつき動かしてゆく志しを持った願い)に随っているので、聞きたいと思う教えをおのずから聞くことができる(求道の動機と方向性が普遍的であり定まっているので、出遇う人々や出来事からおのずと法が聞こえ、生活の中から人生が学べ、自己を知り人生創造の道を見出して行くことができる)。そうでなければ、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活精神/生活聞法・随意聞法】
- 47・聞名不退の願 「設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字不即得至不退転者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、浄土入出無碍の門を見出して自らと環境創造に踏み出した菩薩たちが我が名字{に具わる徳の内容}を聞けば、{浄土からの呼び覚ましの声が聞こえるので}ただちに不退転の位にいたる(自暴自棄で衝動的な生活にどこまでも巻きこまれたりせず、必ず仏になれるという自信が生まれる)、そういうことができないようならば、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活精神/人格不退・聞名不退】
- 48・得三法忍の願 「設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字不即得至第一第二第三法忍於諸仏法不能即得不退転者不取正覚」
- たとえ我が仏を得たといっても、浄土入出無碍の門を見出して自らと環境創造に踏み出した菩薩たちが我が名字{に具わる徳の内容}を聞けば、ただちに第一の音響忍(夢の世に夢でない、永遠の世界が働く、そうした矛盾を知る智慧/表面に表れたものを通して、奥にある本心や悲願を汲み取る智慧)、第二の柔順忍(音響忍から出て来る人生随順の智慧/降りかかって来るどんな運命にも順い、どんな苦難にも耐えてゆく金剛心を内に有ち、どこまでも人生の深みを知り、真実の人生を知るための智慧)、第三の{菩薩の}無生法忍(社会のあらゆる分野における形のない法則や原理や歴史的背景などの真髄を達意的に知る智慧/無数の分別が含まれ重なった無分別智・世間解)を、もろもろの仏法(世における様々な尊い文化や職などを基礎とした人生観・世界観)において、ただちに不退転の位にいたる。そういうことができないようならば、私は正覚を取ることができない。
【弥陀自覚/弥陀形成/名号成就…念仏生活/別/生活精神/各道不退・諸法不退】
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