平成アーカイブス  【仏教Q&A】

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【仏教QandA】

正定聚・不退転の菩薩について

― 菩薩の内容と実践方法 ―

質問:

不退転の菩薩

世の中には、「いのちはかけがえのない尊いもの」と身心で思う人もありますが、
「生命はなんの意味も無く、また生きるだけの値打ちもない」と思う人も大勢います。
先日の読売新聞1面トップの年間35000人もの自殺者は後者です。

彼らの「なぜいのちはかけがえのない尊いものなのか(=人生の意味)」の問いかけに対して、
「(仏性を有する一切の衆生が)"不退転の菩薩"になることである」との初回答が得られましたことは、
まことに喜ぶべきことであります。

そこで、もう少し詳しくお聞きしたいのは、
(1)「不退転の菩薩になる」とはどういうことなのでしょうか。
 不退転の菩薩になった人となっていない人とは、どこがどう変わるのでしょうか。
(2)「不退転の菩薩になる」にはどうすればいいのでしょうか。
 再度お尋ねします。

返答

「正定聚・不退転の菩薩になる」ということがいかに重要か、大乗仏教者であれば誰もがまず目標とする位ですから、ここを明かにしなければ大乗仏教は理解できないといえるでしょう。簡単に言えば、「道心が定まる」とか「菩提心の長き継続」という意味で、もちろん浄土真宗もここを一番の要めとしているのです。
 聖人は、「信心の定まらぬ人は正定聚に住したまはずして、うかれたまひたる人なり」(『親鸞聖人御消息』16)と、あれこれ自分勝手に理屈をこねて経典の真意を受けとる気持ちの無い人のことを歎いておられました。
 しかし、時々「浄土真宗は平等の救いだから“位”なんて無いんだ」などという暴論を聞くことがあります。どこでどう間違ってそういう単純な救済論になったのか分かりませんが(智と慧の混同でしょうか)、正定聚・不退転の「位」の内容を明らかにして、念仏者のみならず一切衆生の一生を有意義ならしめ、歴史を背負って歩まれる仏の真意をたずねてみたいと思います。

 なお、「自殺者は後者です」ということは、簡単に断言することはできないのではないでしょうか。「生命はなんの意味も無く、また生きるだけの値打ちもない」ということと「いのちはかけがえのない尊いもの」との間には大きな隔たりがあって、ほとんどの人たちはこの狭間において苦しんでいるのでしょう。自殺者の中にも、生きる意味を求めて歩みつつ、もう一歩のところまで来ていながら、どうしても生きる苦しみに耐えられなかった、という方々は大勢みえるはずです。
 特に人命が無視されるような戦時においては、拷問に耐え切れず自殺した人も大勢みえますし、戦時でなくても、人間性を破壊するような環境では、多くの人たちが自殺に追い込まれてしまいます。人生というのは、道心が定まらない限り、苦しみの絶えない中で耐え忍んで生きることも多く、特に他人との関係が上手くいかない時は絶望感に襲われたりします。
 こうしたことは個人だけの責任ではなく、個人を取り巻く環境すべてが問われる問題であり、そうした全てが転じられてはじめて仏意は成就するのでありましょう。特に浄土三部経に共通するテーマは、個人の生きざまと社会や家庭環境の問題、そして新たな歴史を創造していくことですから、<彼らが自殺した原因は私にもあるのではないか>と問うてこそ、<「いのちはかけがえのない尊いもの」と身心で思う人>と成れるのだと思います。

 不退転とは

「不退転」とは、浄土の仏地に足がついて迷いの世界に退転しないことをいい、覚りの側から言えば、必ず仏に成る位ということで「正定聚」ともいいます。これは道心が定まって退転しない位、という意味です。(参照:{五十二位と、親鸞聖人・蓮如上人の教学の違い})。
 理由は色々ありますが、菩提心が喜び(歓喜地)として信受することができるということ、また仏の智慧が開けて浄土の内容を直接領解できるからです。不退転の菩薩は、仏としての功徳は足らなくとも、仏としての自覚ができ、智慧が開けているので、仏としての真の歩みが解ってくるのです。つまり往生即成仏で、即得往生すればすでに成仏を果たしているからこそ、仏本来の道が足元から開かれ、真の仏としての真の行が始まっていくのです。このことを親鸞聖人は、「如来とひとし」と言われました。

信心よろこぶそのひとを
如来とひとしとときたまふ
大信心は仏性なり
仏性すなはち如来なり

『浄土和讃』 94 諸経讃

 さらに、経典に書かれてある様々な内容と、自身の生活内容や人生観が、念珠の珠のように一つにつながっているのを確認できますので、仏と我、浄土と穢土の境目が、きちんと見えつつも関係が無碍になってくる(入出無碍)のです。この境目が見えないのは邪しまな悟りです。
 ただし「不退転」は「無退転」ではないので、不退転の菩薩であっても迷って退転することはあります。しかし退転するとすぐに浄土の呼び覚ましがあり、仏性がはたらきますので、地位から転落することはありません。それどころか、退転するたびに不退転の内容が深く領解できるようになるです。

 日本や中国では「言行一致」といって、「解って言葉に表すことができても、その通りに行動できなければ語る意味がない」というような共通した観念がありますが、経典にはそうは書かれていません。もっと丁寧に人生を語ります。まず解ること、そして解った内容に基いて行がともなうこと。この二つをまずは分けて考察し、段階を踏んで一致させるのです。解ることが「智慧」で、これは「往生することを願う」ことで浄土の智慧が回向されるのです。これを往相回向といいます。そして、願生の菩薩が浄土の還相回向のはたらきを得て行ずることで「徳」を積むことができます。

「煩悩具足の身は徳を積むことが出来ない」と勝手に断じている人もいますが、そんなことは経論のどこにも書いてありません。信心を獲得し如来の本願に乗じれば、速やかに41段位の菩薩から48段位の菩薩に入る功徳を積むことができるのです。仏とはこの智慧と徳が成就した52段位の至高の人のことをいいます。智慧によって「不退転」に住し、試行錯誤の「業」が転じられて、そこから成仏への真の「行業」が始まるのです。
 このことを親鸞聖人は「信は道の元とす、功徳の母なり。一切のもろもろの善法を長養す」と、智慧が信心の徳であることを『華厳経』を引いて明かにしてみえます。つまり、往相も還相も如来回向の功徳であるということです。自分の実力で48段位の菩薩になることは難しくとも、如来回向の菩提心によってこれが適うのです

 一般的に「○○菩薩」と言いますのはこの正定聚・不退転の菩薩のことをいいます。たとえば「龍樹菩薩」や「天親菩薩」は名にある通り不退転の菩薩であることが分かります。
 では曇鸞大師は菩薩なのでしょうか。ご自身では、「われすでに凡夫にして、智慧浅短なり」と、まだ地位に入っていないようなことを仰っていますが、これは当然、慢心を嫌っての発言で、往還回向の門が見つかってその内容を書かれてみえるわけですから、当然不退転の菩薩なのです。このことは親鸞聖人も見抜かれ、また梁国の天子蕭王の信にもあやかって、著書の中で何度も「曇鸞菩薩」とあがめられてみえます。

 ならば親鸞聖人は大師でしょうか菩薩でしょうか。本願寺では「見真大師」の名が掲げられていますが、これは実に不名誉な名称です。親鸞聖人は大師ではなく、当然「菩薩」です。教団内でなぜ「親鸞菩薩と呼ばせていただこう」という声が上がらないのか、私は実に不思議に思っています。
 このことは、「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」という一言だけでもはっきりしておりますが、著述全てにわたって菩薩としての論を展開されてみえることも見逃してはならないでしょう。諸仏や高僧の著を参考にしてみえますが、浄土の実体験があるからこそ、新たな教学を打ち建てることができたのです。
 ところが中にはひどい誤解があり、聖人ご自身が懺悔として仰る言葉に依りかかり、「親鸞聖人は凡夫のままで救われたのだ」などと、実に情けない理屈を言う人までいます。「凡夫」というのは、生まれたまま何の学びも成長もない、生きている価値を見出せない、見出そうともしない人のことを言います。浄土の深い内容まで見えている親鸞聖人が、どうして凡夫でありましょう。正定聚不退転の位に入ってみえたからこそ、自らのことを「煩悩具足の凡夫」と懺悔され、同時に悪性や凡夫性を見出した浄土の内容が解るのです。

 正定聚に住していない人は、道を求めながらもまだ暗中模索状態で、迷いの中にいて、きっかけがあると一気に底に沈む可能性があるので「退転の菩薩」といい、覚りの側から言えばまだ「不定聚・邪定聚」で、成仏が定まっていない段階なのです。これは浄土の教えでいえば、たとえば曇鸞大師が「楽のためのゆゑに生ずることを願ずるは、またまさに往生を得ざるべし」(『往生論注』巻下)と仰るような状態で、大経には「かの辺地の七宝の宮殿に生れて、五百歳のうちにもろもろの厄を受くる」とあります。不定聚・邪定聚の菩薩は「胎生」ともいいますが、様々な噂を聞き、往生したいと願って阿弥陀仏の浄土に関心を示したことで既に功徳はふり向けられていますが、浄土の内容を知ったり仏の真意を聞き開こうと真に願うことがありませんから、念仏を蔑ろにする人の意見に惑わされたり、言葉に依りかかって言葉の指さす方向に心が向いていません。心を浄土の地につけることができない試行錯誤の段階です。

 ただし、試行錯誤であればいずれ正定聚・不退転に自然に入ることができるのですが、退転のまま悪悟りし「凡夫のままでいいんだ」と腰を落ち着けてしまう人も大勢います。浄土に生れたいと願う中で懺悔された煩悩具足のわが身と、どのみち往生できるんだから煩悩具足で何が悪いと開き直ったわが身では、意味合いが全く違ってきます。これは宗教的動機が天人や声聞・縁覚に留まっているからです。安逸を求めたり、法を聞くだけで満足したり、自分だけの悟りに満足することは「菩薩の死」であり「大畏怖」であり、地獄に堕ちるよりなお悪い、と龍樹菩薩は述べてみえます。

 これが正定聚・不退転の菩薩に成ると浄土の内容がわかるのです。不定聚・邪定聚の人の座は同じ安楽の場でも華びらが閉じていますが、不退転の菩薩の座は華びらが開いて、直接浄土の内容を見ることができるのです。このことを大経には「願生彼国 即得往生 住不退転」(かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん)と顕わしていますが、これは浄土を見る智慧が回向されて開いているのです。心の眼が開けば、眼前に浄土が見え、同時に穢土も同居していることも見えるのです。

 具体的に申しますと―― 如来・浄土の徳分は聞けば聞くほど、回向された信心の尊さに頭が下がります。本願に仕上がった内容の素晴らしさに感激すればするほど、わが心身は開かれ力づけられます。しかし同時に、自分の心の狭さや醜さも暴かれてしまいますし、身に沁み込んだ煩悩性の深さに驚愕させられます。それゆえ「自分は信心を獲得した正定聚の菩薩だ」と自分で誇ることはできません。自分を誇れないからこそ、常に如来を念じ浄土を請い求めることができる。請い求める中に本当の誇りが生れるのです。

『歎異抄』の「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」ということも、無自覚であれば「いかなるふるまひもすべし」そのままですが、無明・煩悩が見えて懺悔する仏性が正定聚に育っていれば、振る舞いの内容が見え、一時の迷いはあっても無明・煩悩に食い尽くされることはありません。

 なお、不退転の菩薩と退転の菩薩の第一の違いは、一切衆生を恭敬供養(尊敬)できるかどうかです(参照: {供養諸仏の願})。「一切衆生悉有仏性」といわれる仏性が聞見できていない退転の菩薩は、自他の尊さに目覚めていませんから諸仏を供養できないのです。例えば、「私は信心を得たから価値のある人間だが、あなたは得ていないから価値のない人間である」・「早く私と同じような信心を得なさい」などと言う人がいたらそれは慢心であり、相手を尊敬できていませんので、退転の菩薩に留まったまま菩薩の死を迎えているのです。
 逆に 親鸞聖人のように「御同朋・御同行」と皆を尊敬し、皆とともに学び、「ともに念仏を尊びましょう」、「私は愚かな凡夫です」というような方こそ本当は凡夫ではなく、不退転の菩薩なのです。(参照: {信仰に熱心なのは良いことですか? })。まだ眠っている仏性が育つためには、ともに五逆や謗法を厳しく慎むと同時に、五逆や謗法のご縁をによってもお育てにあずかる場を見つけることが必要でしょう。

 もう一つ重要なことは、不退転の菩薩は、阿弥陀仏の浄土に往生したいと願うだけではなく、自らの国を発見し、「自分の国も阿弥陀仏の浄土のような素晴らしい国土にしたい」と願いを起こしていることです。つまり、いつまでも阿弥陀仏の慈悲に依りかかっているばかりではなく、阿弥陀仏から自立して、自らの国土を見出し、その国土を清浄・荘厳ならしめる願いを起こし、行動するのです。これは大経の「往覲偈」に書かれていますので参考にして下さい。
 たとえば、有名大学に入りたい一心で受験勉強しても、入学してからどうするのか解らない人は、大学に入ってもその甲斐がありません。大学で学んだことを活かして社会に出て自立しなければ大学に入った意味がないでしょう。
 阿弥陀仏の浄土は、いわば一生学べる人生勉強の一流有名大学のようなもので、門は広く開いていて誰でも入ることができますが、浄土で学んだことを活かして、自らの浄土を建立する意志があるのかないのかが問われるのです。この問いが還相でありましょう。

 また、他人から観ると、不退転の菩薩は「三千大千世界の王者の風格が漂う」といいます。このことを『大経』では、王よりも、転輪聖王よりも、帝釈天よりも、他化自在天の王よりも百千億倍も輝かしい容姿を持つ、と述べています。実際、真の念仏者はそうした風格が漂っているのです。

 菩薩の具体的内容を五十二位で明かす

「不退転の菩薩」について内容を明かにするためには、菩薩の五十二位(段)について理解を深める必要があります。なぜなら「不退転の菩薩」とは、四十一段から五十一段の「十地」の菩薩のことをいうからです。そして四十段まで「信位・住位・行位・回向位」の人を「退転の菩薩」といいます。ですから、「不退転の菩薩」は少なくとも四十段までの内容を一定段階まで満たした人、ということができるでしょう。

 本願の第十八願で言えば、至心は「真実誠種」ですから一段から四十段までの退転の菩薩の内容で、信楽は「真実誠満」ですから四十一段以上の正定聚・不退転の内容です。ゆえに、即得往生は信楽が要めであることが解るでしょう。
 そして先にも申しましたが、聖人は『華厳経』を引かれて「信は道の元とす、功徳の母なり。一切のもろもろの善法を長養す」と、この信楽が欲生の体となって仏道の方向をはっきりと示し、様々な功徳を生み、善法を長く養う元であることを示されました。この欲生が回向されれば四十八段以上の菩薩と成ることができるのであり、念仏の行者は皆等しく五十一段の菩薩(等正覚)に成れると称えられました。

 つまり、至心は仏性の種であり、信楽は仏性の華、欲生は仏性の実であるということができるでしょう。これら全てが本願の報いによって私たちの身心に宿っていて、仏教に出会い本願成就のいわれを聞き開くことによって、宿っていた内容が一気に華開き、やがて一生をかけて実を熟してゆくのです。法蔵菩薩の修行というのは、こうした仏性の歴史を明らかにした物語であり、人類全体を背負った如来の歩み、一切衆生の胸においての修行を象徴的に顕わしているのです。

 それでは具体的に五十二位の内容を見てみましょう。まずは「信位」で、これは「発心位」ともいいます。

 大乗仏教は、その理想的人間像を五十二段の仏としている。そしてそこに到達するまでの修行の段階を、信・住・行・廻向・地の五位に分け、その各々に十段階を開き、さらに第十地の最後位をまた一つ開いて等正覚とし、五十一位を設けている。その中、初めの十信、十住、十行、十廻向を退転の菩薩といい、十地を不退転の菩薩と呼んでいる。
 しかし、これらの五十二段は下位から次第に上位に昇ってゆく段階でもあるが、同時にまた各々の位は、互いに他の全てを内にはらみ有っているものでもある。たとえば種は芽を出し、大地に根付いて茎を伸ばし、やがて幹となって枝葉を広げ、莟をつけ、花となり、実を結んでゆくように、種の内にはすでにそれらになるものを含蓄的に有っており、逆に実は、種や莟や花の内にはらんでいた徳が形をとって現れたものである。このように信位において、すでに住・行・向・地・仏の、これらの上位の徳を含蓄的に内にはらんでおり、また仏位は、信・住・行・向・地の各々の段階において、それぞれに有っていた徳が、具体的に形をとって現れたものである。経にはそれを「信位のままで住位に入り、住位を動かずして行位に入り、行位を立たずして廻向位に入る」とも、「一に一切を入れ、一切に一を入れる」とも説かれている。したがって、十信が終わって住、十住が終わって行ということではなく、信はもちろん住も行も廻向も地も、その時その時に応分の成就はあっても、完全に成就するのはただ仏になった時だけであり、しかもまた、信等の各々の行は、そのまま仏の徳が現実にはたらく相でもある。これを「信心すなわち仏性なり、仏性すなわち如来なり」といい、また「信満成仏」(信が満つれば仏となる)とも、「初発心時便成正覚」(初めて発心する時すなわち正覚を成ずる)とも説かれている。裏からいえば、これらの六位はそのまま、信心とはどういうものか、仏とはどういうものかという、その徳の内容を現したものでもある。

島田幸昭著『仏教の人間像 五十二段の仏(下)』信位の菩薩 より

 島田幸昭師は多くの著で深い領解を示されてみえますが、特にこの五十二段の仏の領解は素晴らしく、私が知る範囲では最も深い内容です。仏教全体を体験を通して理路整然と網羅し、なおその足りない点まで見つけられ、『仏説無量寿経』こそが他の経典の欠点を補いつつ新たな地平を示している、という歴史的意義を明かにしてみえるのです。本当は本全体を紹介すれば済むのであり、私の蛇足のような説明は不要かも知れませんが、誤解されやすい点もありますので、留意点だけでも指摘させていただきます。
 ここでは、「これらの五十二段は下位から次第に上位に昇ってゆく段階でもあるが、同時にまた各々の位は、互いに他の全てを内にはらみ有っているものでもある」というところが要めでしょう。「信心が全て」という浄土真宗の教学の正当性が、ここにおいて見事に明らかにされているのです。

 初めの十信位は、盲目的な本能的在り方から、次第に目ざめてゆく位である。この段階を信位と名づけたのは、信は澄浄や尊信という意味で、まごころが目ざめて来ると、心の眼が澄んで清らかになり、ものみながあるがままの相において見え、どんなものの中にも尊いものを見出して、全てのものを信愛し尊敬することができ、それによって、とかく生きる自信を失いがちな私たちに自信と希望を与え、人生を明るくし社会を浄化するからである。
<中略>
人の言葉を信ずることができるのはその人を信ずるからであって、信という言葉の現そうとしている事柄が、人の言う言葉を疑うことなく信じて受け容れるというように、人の言葉を真受けにすることとは違う。今日ではどんな人でも、人の言葉をそのまま信ずることはできなくなっている。お釈迦様が説かれたことも、親の言うことも、師の教えも全て参考であり、要はそれを手がかりとして、その言葉が現そうとする事実を、自分の眼をもって見、自分の手をもって触れ、自分の足をもって歩いてそれを確かめることである。
<中略>
たとえ親鸞聖人やお釈迦様といえども、説かれた言葉を決してそのまま信じてはならない。肉体を持った人の言葉は全て参考である。それらはみな「月を指す指」であり、言おうとする言葉の内容の事実に直接触れることが大切である。もしそれを忘れて師の言葉だけを信じたり、また信じさせたりするならば、たちまち釈尊といえども群賊悪獣と化けることを、善導大師は『二河の譬』に明らかに示し、深く誡めておられるではないか。
 仏教でいう信は、神の宗教にいうような「解らないから信ずる」という不可知や不可解の上の信のことではない。現前のあるがままが見えることであり、あらゆるものの本当の値打ちが解って、それを尊ぶことができるようになることである。
<中略>
外見はいかにも疑われ、いかにも価値のないもののように見えても、その底に埋蔵され、その内にはらまれている真実を見出す智慧である。
<中略>
 それでは信の対象は何かというと、何よりもまず自分自身を信ずることである。今はいかに愚かで浅ましいものであっても、「私のようなものでもよいお育てにあえば必ずまことの人になれるにちがいない」と自己が信じられれば、おのずから前途に希望の光が輝き、現実に限りなく真の道を求めてゆこうとする決意となって、外に展開するであろう。これによって「信心すなわち一心なり、一心すなわち金剛心、金剛心は菩提心」と詠われている。この信は先にも述べたように、本能の内に種としてあった仏性が、芽生え開発してゆく相であるが、人間にあっては、その初めの相は自我の目ざめである。今まで自分を支え、それによって生かされていたあらゆるものから、独立しようとする心である。
<中略>
 この目ざめゆく心は、当然、現実の矛盾に当面せざるを得ない。今まで自己がそこにおいて生きて来たあらゆるものの価値を疑い、全てのものに反抗せずにはいられなくなり、両親と対立し、兄弟、師友はもとより、あらゆる権威、社会的慣習や規則、はたまた神や仏に対しても反抗し、今まで求めていた学問も事業も、財産も地位も、自分の躰も名も、いな自分自身さえも、人生の一切の価値を根こそぎ疑い否定せずにいられないようになる。しかも反抗することによって、いよいよ自己の弱さを知り、内にある依頼心の根強いことを知らされる。反抗しながら依頼し、依頼しながら反抗し続ける。また人生を懐疑し否定しながら、却ってそれへの執着を深め、執着しながら否定せずはいられない。この限りない反復と自己矛盾に自己はさいなまれつつ、二つの溝はいよいよ深く果てしなく広がってゆく。こうして自己は次第に不安と憂鬱と孤独に沈んでゆくけれども、その苦悩の中から、なお真実を求めずにはいられない。これが人生の第二の反抗期の相であろうか。私はこれをまさに脱皮し成人しようとする産みの陣痛期の、人間における蛹の時代だと思っている。
<中略>
 仏性の目ざめは、こうした存在する全てのものの矛盾を知ることを通して、泥中に蓮花が咲くように、いかなるもの、いかなることの中にも、尊いものがあることを学びとって、より深く自己を信じ、相手を信じ、この世の一切を信じてゆくのである。信の心は懐疑しそして悩む。悩みのないものは心の眼は開かない。悩みはまさに自己誕生の陣痛である。限りなく人生を信じその真実を尋ねてゆく、その信愛の心の前にのみ、ものはその真実の相を現し見せてくれるのである。経には「信は清浄の手であり、まことの功徳を受ける」とも説かれている。尊いかな信の心、「仏法の大海には信を以て能入とする」。「信は道の元、功徳の母」である。
<中略>
 仏とも法とも思わない心から、人から誘われれば法の話も聞き、寺にも参るようになる。それが自己の内心からの催しによって、聞法せずにいられないようになり、ついには火の中水の中をもいとわずに求めずにいられなくなる。

「信位の菩薩」 より

 ここでは<何よりもまず自分自身を信ずることである>という言葉に疑問を持たれる方もみえるでしょう。『浄土論』には、「三には方便門によりて一切衆生を憐愍する心なり。自身を供養し恭敬する心を遠離するがゆゑなり」とあります。しかし人生において、自分自身を信ずることがなければ何も始まりません。仏を信ずると言いましても、自分に絶望したまま信じた仏は彼方に描いた幻であり、自らに宿る仏性のはたらきが主体として立ち上がるところにこそ真の仏道があります。「自身を供養し恭敬する心」は、その過程で生じる煩悩であり、仏性を対象として捕えようとする迷妄から起こる心でしょう。仏性は慢心ではなく、慚愧・懺悔の主体が回復されたところにあるのです。

 信位の次は「住位」ですが、「資糧位」ともいいます。「住」は「解」ですから、ここでは学ぶということが重要な要素になります。これは学校の勉強ということもありますが、主になるのは人生勉強であり、主観世界と客観世界が見えるようになることを言っているようです。

 信が成就すると、そこから新たな道が始まり行が起こる。「信は道の元、功徳の母」である。「信心が成就する」ということには、二つの意味がある。一つは、内に信として充実することで、それは泥中に蓮花が咲くように、存在するものは全て矛盾であって、どんなものの中にも、尊いものを宿していることを見出すことのできる智慧の眼の開けることである。二つには、自らの内に有っている徳を、外に形をとって具体化することである。その第一次の具体化が、菩提心(求道心)を産み出すことである。裏からいえば、菩提心とならない信は真実の信ではない。信は自らの徳を外に具体化するために、必ず菩提心を産み出さねばならない。信は菩提心によって初めて成就されるのである。
<中略>
 それでは信が内に有っている無限の可能性を仏として開花するためには、どんな方向に向かって自己を実現し、どんな行願を産み出せばよいのであろうか。それを現すものが、次の住・行・廻向の三位であり、行の内容は、理解と実践と教化の三つである。
 その第一の住位は、住は安住でそこに落ちつくことであるが、それは発心により、知解によるといわれている。発心とは発菩提心のことで、自己の在るべきまことの在り方を求める心が発こることであるが、それは限りのない道であるから、無上菩提心(無上道心)とも呼ばれている。今まで意識、無意識の中に、人間の幸福は何であろうか、人生の目的はどこにあるのであろうかと、手さぐりにそれを尋ね求めて来たが、財産でもない、名誉でもない、酒でも女でもない、もちろん楽をしたり安気をしたりすることでもない。それらはみな幸福の条件ではあるが、幸福そのものではない。一部の幸福感は満たしても、人間の求めている最後のものではない。「この世は何しに来たところ、自分を探しに来たところ」。二度と生まれて来ない一回限りの自己が見つかったことによって、「人多き人の中にも人ぞなき、人となせ人、人となれ人」といわれているように、まことの人となるとは、自己が自己として完成する、私が私になることであり、その外に人間の幸福もなく、私の生きる道があろう筈はない。ここに自己の生きる方向を見出し生活態度が決定する。これを住と名づけたのであろう。
 また、まことの道を求めようとする本来の自己が誕生すれば、そこに自己が置かれている環境と境遇と身分が見えて来る。一度は自己嫌悪に陥って、自分からも境遇からも環境からも、一切を脱ぎ捨てたい、抜け出したい、はては自殺さえも企てたけれども、自殺することさえできない。かくして、ここを外にして自分の生きる場所はどこにもないと、日常経験の一つ一つの事から、また自分の置かれているこの場所から学び育てられてゆこうと、自己の置かれている宿業の大地を踏まえて立つことができた。これを住というのであろう。また自己の生きる方向が解り生活態度は決まったが、さて「私が私になる」というが私とはどういうものか、まことの人とはどんな人間像か、また人間とは、人生とは、社会とは、そういう自己が生きている場所としての環境とはどんなものか、自分との関係はどうであろうかと、自己を知り、相手を知り、人生を知り、社会を知ることによって、正しい人生観が確立してゆく。それを住と名づけたのであろう。
 信位と、この住位において修習してゆく信と解は、今日の言葉でいえば、信仰と学問、宗教と哲学である。そこで論家は「信仰のない学問は邪見に陥り、哲学の裏付けのない宗教は、盲信であり迷信になる。信と解の二つは、車の両輪の如く、鳥の両翼のようなもので、どちらが欠けても目的地の仏に到ることはできない」と断じている。
 それなのに今日までは、「学問はいらない」、「解ってどうするか、知ってどうするか。解って助かるのではない。知って救われるのではない」と、まるで宗教は学問を必要としないかの如くに、哲学を軽視し、知解を敬遠して来た。
<中略>
 自己が解り、人生が解り、相手が知られ、社会が理解されて来れば、いよいよ人間の尊さ、この世の尊さが解って、生活の大地に足がつき、今日の一日を一歩一歩踏みしめて、生きて甲斐あり死んで悔いのないように生きたいという願いが起こって来る。これによっていよいよ現実の矛盾が知られ、それが解れば解るほど、いよいよ菩提心の内なる徳を、現実に具体化し成就しようとする願いが燃えて来る。その内容を四弘誓願や十大願として明らかにしている。

「住位の菩薩」 より

 私が立っている場、存在している場を、歴史的社会的に明かにする位が住位でしょうか。「十大願」とは、普賢菩薩の十の大願(『華厳経』普賢行願品)を指しているのでしょう。また<自己が置かれている環境と境遇と身分が見えて来る>という身分は、封建時代の身分ではないのですが、社会的立場が身の活動を限定している事実を言ったものでしょう。この限定に反発しつつも、そこにおいて生きようとする私が引き受けられるのです。信心獲得とは人生観の確立である、ということを聞きますが、住位はその学びとなります。
 文中、<菩提心とならない信は真実の信ではない。信は自らの徳を外に具体化するために、必ず菩提心を産み出さねばならない。信は菩提心によって初めて成就されるのである>とありますが、曇鸞大師も「安楽浄土に生ぜんと願ずるものは、かならず無上菩提心を発すなり」(往生論註 105)と仰ってみえます。

 続いて「行位」ですが、これは行ってみることです。学んでも行動がともなわなければ本当の理解になりません。

 信は、自らの内に有っている徳を、一方では道理として私たちの理解によって行を明らかにすると共に、一方では力用として私たちの行為を通して、その徳を現実に具体化しようとする。また真実の知解は、必ず行為となって現れる。行為とならない知解は、観念の遊戯に過ぎない。知解は行為を通して初めて身につき自分のものとなる。「やって見なければものは解らない」、それが人生である。知解はその真実を行為によって現実に成就し証明する。行は解によって産み出され、解は行を通して初めて成就する。ここに信と解と行との関係があり、これによって第三に行位が説かれることになったのであろう。
 行は、願いに導かれて目的に向かい、内なる徳が外に形をとって現れる行為のことであるが、一応、業とは区別されねばならない。業は、身口意の三業といわれて、身に行い、口に言い、意に思うことで、業は目的をもたない運動であり、行は必ず業となって現れるけれども、業を超えていて、業よりも深く広く、より根本的な生活態度のことである。たとえばシッタルタが、身と命と財を捨てても人生の謎を解かずにはいられないと思い立ち、また夫を失った未亡人が、涙の中から自分の全てを挙げてわが子のために生きようと思い立つ、それが行である。思い立つのはただ一度であるが、それからあとの生活は、たとえ身には何をし、口にはどんなことを言い、意にはどんなことを思おうとも、その全体は、自らの目的に向かって進んでいる行の相であり、行の実践である。「念仏申さんと思い立つ」のは、行であり、身に仏を礼拝し、口に仏の名を称え、意に仏の大慈悲を憶い、如来の本願を念うのは、全て業である。行は業の心根であり、生活態度のことである。
<中略>
 また行そのものの内容としては、小乗仏教において「戒定慧の三学」といわれていたものを、大乗仏教では、さらにそれを止揚して、「六度」と規定されている。三学の、戒は身を戒しむこと、定は心を静めること、慧は心の眼が開けて無我の道理を体得することといわれている。六度は、一、布施(施す)・二、持戒(身を戒しむ)・三、忍辱(辱めを忍ぶ)・四、精進(道に励む・五、禅定(心を静め、一つ処に精神を集中する)・六、智慧(心の眼を開く)の六つであるが、これらの六つは、自己を完成して仏になるためには欠くことのできない大切な行であるというので、六度と呼ばれている。しかし、いつの頃にか六度は聖道の行といわれ、釈尊のような選ばれた人のものであって、われわれ凡人には到底できないこととされるようになって来た。そして仏教には聖道自力の道と往生浄土の他力の教えの二つの道があるということが、一般の常識にまでなっているが、ここには改めて見直さなければならない問題が山ほどある。その一つは、真実の学問が解らなかったために、仏教を正しく理解することができず、行と業とを間違えて受けとったことに、その原因があると思われる。
<中略>
 第一の「布施」は、自分の持っている全てのものを他に施すことで、その内容は、財と身と命と法と明示されている。<中略> 私たちは日々に経験する一事一行において、絶えず一切の欲を離れ執着を断ち、自己一身に執われる我執や、特定の団体や特殊な階級のためという党派根性を破って、常に一切衆生のため、世界歴史の創造という広い立場に立って、自己の一切を投げ出して事を行い、「分を尽くして用に立つ」心構えを身につけてゆき、またそれによって、自己を知り相手を知り、人生を知り社会を知ってゆかねばならないことを説かれるのであろう。事実私たちには、ものの尊さはものを失って見なければ解らない。<中略>「ものは施して初めて自分のものとなる」。技能も芸道も、単に自分が師から学ぶだけではなく、弟子を持ち教えてこそ、自信もつき、技も身につくものである。聞法の道もみな同じことである。
 しかし、施しさえすればよいのではない。施す心根が大切である。自分の自慢や虚栄、また交換条件や恩着せがましい心でしたのでは、施しにはならない。また相手を見て相手の要求に応じて施さねばならない。
<中略>
五戒を持つとは、何も五つの悪をしないことではなく、もとは五戒が自己を反省する鏡となることであったようである。昔は殺生することも、盗むことも、人妻を犯すことも、嘘を言うことも悪とは思わず平気であった。まして自分の金で自分が酒を飲むことは、当然のことと考えられていたのである。それが、五戒が鏡となって何とわれわれの日常生活は浅ましいことであろうかと、慚愧の心が起こるようになった。それを、五戒を持つといわれたのではないであろうか。
<中略>
 第三の「忍辱」は、辱しめを忍ぶことである。他からどんな辱しめを受けても、それに耐えてゆくことである。<中略>たとえ人はどう言おうと、私は私の道を行ったらよいではないか。死ぬべき時に死ぬのは意地でもできる。そういう時においてもなお、恥を忍んで生きることは、なかなか容易なことではない。しかし、この覚悟がなかったら、ささいな日常生活も、常に身を削られる思いの中に生きねばならない私たちである。
<中略>
 第四の「精進」は、「不断の智的快活」といった人があるように、常にまごころに導かれて、真実の道を求めてゆくことであるが、私たちの子供の頃には、命日に魚や肉のような生臭いものを食べないことと思っていた。しかし精進とは、せめてこの日一日なりとでも、先祖が喜んでくれるような生活でありたいという願いから、昔インドで行われていた一日一夜の斎戒を持つという風習から伝わって来たものである。<中略> 昔は「一日は世を知れ、一日は身を知れ」、一日は時代に遅れないように、大きく眼を開いて世を見なければならないが、一日は一歩退いて、自己の在り方を反省するために、眼を閉じて来し方行く末を考えて見よと教えられていた。
<中略>
 第五の「禅定」は、禅は散る心を統一し動く心を静めることをいい、定は心が落ちついて三昧に入った境地をいう。それも単に静止することだけではなく、よく廻っている独楽が静止しているように、読書三昧、草取り三昧、遊戯三昧と、一つのことに精神が集中し精力が燃焼している静けさである。<中略> 波が立っていたのでは、影は映らない。手もとが動いていたら、正しくものが見えるはずがない。私の知人の述懐だが、三十才の若さで、ある有名な会社の係長に抜擢された。そのとたんにストが起きた。係長として責任がある。何か手を打たねばならない。けれども人生経験の浅い自分には、どうしてよいか手のつけようがない。責任の重大さに耐えかねて、とうとうノイローゼになってしまった。こんな時には寺になり参ろうと、出かけた。説教は私一人のためであった。「周囲が動く、周囲が動くと、自分が動いているのだ」。この一言に、ぱっと心の眼が開けた。周囲が騒ぐとばかり思っていたが、自分がうろちょろと騒いでいたのだ。問題は自分だ。じっと心を静め落ちついて考えた。そして翌日、部下の三百六十何人を一人ひとり呼んで、不満と要求を聞いて見た。ところが驚いたことに、何にもなかった。たんなる烏合の衆で、ただ群集心理で躍っているに過ぎないことが解った。それでこちらから、この線でと決めて行ったら、簡単に解決が着いた。子供の時から母に連れられてお寺参りしていたことが、有難く思われるということであった。
<中略>
 第六の「智慧」は、心の眼を開くことである。智慧といい、心の眼というのは、何のことであり、何が見える眼であろうか。<中略> この一大飛躍への契機となるものは、「深くして底なく南北にほとりない」我執の発見であり、さらにそれを見ている眼の背後にある「我なし」の悲傷である。人は悪を憎み、善を願ってゆく、けれども悪をしたことだけが悪ではない。悪とも知らない無智、悪に僻む心が悪である。また善いことをすれば、それを誇り、人の世話をすれば、そこに恩着せがましい心が残る。その心が、善が善としての価値を消してしまうのである。<中略>この深くして底のない自己の深淵を見るもの、それは深くして底のない仏の智慧の外にはない。思いがけなくも自己は求めずして、すでにこの仏の智慧は与えられているのである。 <中略>智は、慧に裏づけられた分別心である。慧は我執を照らし、我執を破って生まれて来る自己を超える智慧であり、自他の平等をさとる智慧である。自分と相手は常に、異なった面と共通の面との二面がある。<中略>また存在するものは全て形が違う。しかし滅びてゆくものということは共通している。このように存在する全ての形ある世界と、その差別を知るを智といい、形を超えた世界と共通の世界を知るを慧と呼んで来た。また人生は夢の如し幻の如しと達観するを慧といい、夢ではない永遠にして真実なるものを見出し、この世にそれを創造するを智といっている。

「行位の菩薩」 より

 時々、「浄土真宗には六波羅蜜の行は必要ない」という意見を聞くことがあります。確かに六度の行によってのみ往生の功徳を得ようとするのは無理があるでしょう。しかし、世自在王仏や法蔵菩薩が行じられたのが六波羅蜜であり、これは「讃仏偈」において明らかです。六度の行を通さねば、どうして正定聚・不退転の位に住することができるでしょう。わが胸を法蔵菩薩の修行の場とし、諸仏とともに本願成就のいわれを聞き開いて称名念仏すれば、六波羅蜜は成就を願う場において成就されてくるのでしょう。先人たちの為した行を私の人生において繰り返す中に六波羅蜜があるのであり、これは簡単言えば「大人に成るための必須条件」とも「社会人となる基本姿勢」とも言えます。
 最後の「人生は夢の如し幻の如しと達観するを慧といい、夢ではない永遠にして真実なるものを見出し、この世にそれを創造するを智といっている」という智慧の解釈は、『仏説無量寿経』巻下「往覲偈」の、「一切の法は、なほ夢・幻・響きのごとしと覚了すれども、 もろもろの妙なる願を満足して、かならずかくのごときの刹を成ぜん」(すべてのものは夢や幻やこだまのようであるとさとりながらも、さまざまなすばらしい願を満たして、必ずこのような国をつくることができるのである)という阿弥陀仏のお言葉をふまえて述べてみえるのではないでしょうか。

 次は「回向位」ですが、ここで法がどう展開するかが問われます。

魂の救いを求める人には、矛盾は見えていない。しかし、身を問題とするところには常に矛盾がある。心というも身というも、私一人のことである。この廻向位に来たって初めて、人間関係が問題となって来たのである。
 廻向とは、ふりむけるということであるが、それは菩提廻向と衆生廻向と実際廻向との三つが説かれている。菩提廻向とは、自らの全生活を挙げて限りなくまことの道を求めることであり、衆生廻向とは、自分に得た功徳を他に及ぼし他をして自らの道を求めさせることであり、実際廻向とは、その二つのことを行じながらそれに執着しないことである。しかも、自ら道を求める菩提廻向と、他をして求めさせる衆生廻向の関係は、俗にいう自ら持たないものは、他へ与えることはできないというような、自ら道を得てのちに他に働きかけるということではなく、自らの求道と他を教えることは同時でなければならない。相手を育てることによって、却って自らの道を学んでゆこうとすることである。たとえばわが子に勉強させようとすれば、勉強しない原因がどこにあるのかを診察し、またどうしたならば子供が自発的に勉強するようになるかを考える智恵を自ら高め賢くなると共に、自らの徳を高めてゆかねばならない。
 したがって退転位の四位を表面的に見れば、信・住・行の三位は菩提廻向であり、第四位の廻向は衆生廻向のようであるが、その実はそうではない。上位は下位の内にあるものを、次第に明らかにし展開させたに過ぎない。即ち道の出発点の信位において、すでに住と行と共に、廻向の意味を内にはらんでおり、信は住となり行となり廻向となって、初めて成就するのである。裏からいえば、住も行も廻向もみな信の成就した相である。住・行・廻向は信によって導かれ、信・住・行は廻向によって、その徳を現実に成就するのである。『華厳経』の説相もそれを説き、曇鸞大師も「廻向に二種の相あり、一つに往相、二つに還相」と明らかに教えておられるのに、この解りきった平易な真理が、なぜ今日までの多くの宗教者たちに解らなかったのであろうか。神に向かえば、素直な小羊や童児の如くであるものが、ひとたび他に向かえば、忽ち神の使徒となったり、また「神に愛されるが如く、隣人を愛する」という「愛の実践」が、キリスト教的人間像として決議されたり、また日常生活にあっては何一つ力のない愚かな凡夫が、仏に向かえば「御恩報謝」と言っていたものが、衆生に向かえば、忽ち「如来のご代官」として、別人のように早変わりする。こうした矛盾した自己の相に気がつかないのは、宗教の世界への入り口に仕掛けられている法執という落とし穴に落ち込んでいるからに違いない。聖徳太子が「共にこれ凡夫のみ」と説破し、伝教大師が自ら「愚中の極愚、狂中の極狂」と悲しみつつ、その弟子たちに対しては「同学」とよびかけ、親鸞聖人が常に「小慈小悲もなき身」と反省し、「弟子一人ももたず」と、どんな人に対しても、「御同朋、御同行」と、共に手をとって行かれた先哲の行跡の指導原理がここにあるのであろう。

「廻向位の菩薩」 より

<自ら道を得てのちに他に働きかけるということではなく、自らの求道と他を教えることは同時でなければならない。相手を育てることによって、却って自らの道を学んでゆこうとすることである>とは卓見で、教えつつも共に学ぶ姿勢がある先生は、生徒にとっても尊い存在となります。
 反対に、自信満々でいつも威張っているような先生は、常に相手に恐縮していることを強いますので、生徒の長所を伸ばしてあげることもできません。自らの求道が滞っているからです。これはたとえば、権力を得た老人が「老害」とまで言われつつ世にはびこるような有様を指しているのでしょう。「亀の甲より年の功」と言われえるように年を重ねたいですね。

 このことは宗教者であればなおさらで、僧侶が苦虫を噛んだような顔をしていては、仏法は展開する場を失ってしまいます。現在、仏教が社会的影響力を無くしているのも、「教えてやる」というような僧侶の傲慢な態度に問題があるのではないでしょうか。

 続いて「地位」ですが、ここから先が四十一段以上の正定聚・不退転の菩薩の内容になります。

 これまでの四位は、共に退転位であった。それは仏性がようやく芽を出して、まことの人になりたいと、即自的に向上の一路をたどって来た段階であって、その願いがどこから発こっているのか、まだその根源が自証されていない、いわば莟の段階で、理想を彼方にえがいて、それに到達しようと願い望んでいるのである。それが蓮花の花が開けば、すでに内に実を有っているように、「わが魂の底深く名告り続けるみ仏の久遠の願い」に動かされていることを知り、「不可称不可説不可思議の功徳」が、わが身に満足されていることを自証して、理想を追って背伸びをしていたものが方向転換する。この久遠の本願に遇い、功徳の大地に立った段階を「地」というのである。この「地」は、「さとりの大地」とも、「浄土の大地」とも、「弘誓の仏地」ともいわれ、浄土の大地に生れて、浄土の徳を体現し、世界の創造に立ち上がる新たな願いの発こる位である。
  第一 歓喜地
 地位の十段階の第一地を「歓喜地」と呼んでいる。それは「この地を得れば、歓喜が多い」からである。どんな歓喜であろうか。その多い中の二つ三つを拾って見る。
 第一に「如来の家」に生まれることを挙げている。如来の家に生まれるとは、仏の子としての自覚ができることである。<中略> また、如来の家に生まれるとは、生きる根拠を持つことであり、喜んで死ねる願いが見つかることである。それは同時に真実の自己の誕生であり、自己の世界の発見である。何が喜びといって、真実の自己の誕生と自己の世界の発見によって、生きて甲斐あり死んで悔いのない道が見つかる、これにもまして大きな人間の喜びがどこにあるであろうか。しかもこの「如来の家」は常に限りなき諸仏を産み、諸仏と共に在って、ものみな永遠の相に輝く世界であると同時に、人生を夢の如しと知らせながら、しかも夢でない世界をこの世に現し、いかなる境遇にも素直に随い、いかなる苦難にも堪えてゆくことのできる智慧と力の源泉である。
 第二に、「たとえ眠り怠けていても、決して迷いの世界に沈むことのない境地を得ることができる」からと説かれている。<中略>永い間育てた甲斐があった。もう安心である。少々居眠りしていても大丈夫である。親鸞聖人が歓喜を「仏の歓喜」と言っておられるのは、このことでもあろうか。それが今、漸く仏の歓喜が、そのまま私の歓喜となったのである。私は絶えず「愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して」いても、仏は常に我となって我を喚びさまし、我が魂の根源にあって、我を荷負して起つ法蔵の願心に遇うことを得た。私が力む必要はさらになかった。全てが本願力の廻向であった。私にこの安住の心のできたことをいうのでもあろうか。
 第三に、声聞が初めて聖者の数に入った初果の喜びは、今まで克服して来た苦しみは大海の水の如く、これから越えねばならない苦しみはわずか二、三滴の水の如きものであるという心境であるが・・・<中略>今この初地に立って来し方をふり返って見るに、ここまで来るには容易なことではなかった。まことに「娑婆永劫の苦を捨てる」深い感慨である。けれども前途は遠い。今まで堪えて来た苦しみは二、三滴の水の如く、これから越えてゆかねばならない苦しみは大海の水の如しと知ってもなお喜びが多いと、親鸞聖人は言っている。恐らくその胸の中にあるものは、自分がここまで来るには、目ざめてからでさえ、容易なことではなかった。それにまだ無自覚のまま迷い続けている善鸞のことを思い、家族や民族の行く末を思う時、大海の水の如き苦を感じられたのでもあろうか。「必定の菩薩は、三千大千世界をさし挙げるよりも、なお重い責任を負う」と言われるのも、この境地であろうか。ともすれば世界の平和を夢として絶望をせまられる今日、なお自らを信じこの世を信じて、自己の宿業を負い、民族の宿業を背負うて、法蔵の悲願に生かしめられ、世界歴史の創造に立たしめられる、これが初地の徳であろうか。
  第二 離垢地
 第二地は離垢地と呼ばれる。この地に至れば、煩悩の垢を離れることができるからである。垢とは身と命と財の三つに対する執着であるが、どうすればそれらの欲を離れることができるであろうか。また欲を離れるとは、どういう事実をいうのであろうか。<中略> 一切の欲を離れさせる最勝の価値とは何か。それこそ初地において自証した、真実の自己であり浄土である。経には仏のことを大応供という。大応供とは、いかなる供養にも応ずる資格があるということであるが、それは聞法求道のためには、いかなるものを供しても悔いがないということであろう。地位前にあっては、世のため人のため、国のため家のため、家族のため恋人のためと、あらゆるものを捧げ、骨身を惜しまず尽くしても、ひとたび自分の意に背けば、こうなるのであったらああまでするのではなかったと、常に悔いや未練が残るのであるが、地位に入って初めて、自分の経験した過去の全てが、悉く自己をして今日をあらしめるための尊い縁であったと、順縁であれ逆縁であれ、それに執われない心境に住することができる。「罪障功徳の体となる、氷と水の如くにて、氷多きに水多し、障り多きに徳多し」。
  第三 発光地
 第三は発光地と呼ばれている。それはあらゆるものがみな尊い存在となり、美しい光を放つ境地である。真実の智慧の眼が開け、全ての利害損得の意識を離れ、一切の予定観念を去って、曇りもなく歪みもない我執の色眼鏡のとれた浄らかな眼をもってこの世を見れば、あるがままの相にて、ものみな永遠の光に輝いている。釈尊は「奇なる哉、奇なる哉、我れ心の眼を開いて見れば、山川草木は悉くすでにさとり、一切衆生は悉く仏性を有っていた」といい、『観無量寿経』には、「心眼開けて、地上のあらゆるものが悉く美しい光に輝き、水の流れも鳥の鳴く音も、みな妙法を説くを聞き」、「無量寿仏を見るものは、十方の一切の諸仏を見る」と説かれている。<中略>「青の色には青の光があり、白の色には白の光あり」、そのものそのものが各々みな美しい色に光り輝く「無量光明の世界」であり、「蓮華蔵荘厳世界」が、そこに見出されて来る境地である。
 これまでの初地と第二地と第三地は、信の一念に開けて来る智慧によって見開かれた世界である。
  第四 炎慧地
 信心の智慧は、我執の色眼鏡が破れて、ものみなのあるがままが見える眼であるが、その対象のあるがままの人生とはどんな世界であろうか。存在するものは全て矛盾的である。それを経には一如や不二と言い表し、善導は「二種深心」と言い、西田幾多郎博士は「絶対矛盾の自己同一」と言っている。信心の智慧は、自らの前面に真実に背くものを見出すと共に、自らの内に、そして背後に真実そのものを自証する。親鸞聖人は「虚仮不実のわが身」にして、しかも「無慚無愧のこの身」という悲しみ傷みを通して、「不可称不可説不可思議の功徳は行者の身に満てり」と、念仏において廻向され、「極速に円満された真如一実の功徳の宝海」を自証しておられる。<中略>人は法の徳を身につけようとし、法は人の上にその徳を実現しようとする。人と法の練りあう段階が、この第四地から第七地までである。第三地までを信心の解智の証するところとすれば、この第四地から第七地までは念仏の行智の証するところである。  この第四地が炎慧地と名づけられたのは、現実のあるべからずしてある虚仮不実の世界を照らせば照らすほど、いよいよ内なる功徳が強い願いとなって、炎の如く燃えてゆくからであろう。
 自分は信を得たと思っていても、それが間違ったものであったり、また不徹底なものであったりすることがある。それを真実の信でないと知らせるものが二つある。一つには先哲の教え、二つには自分の置かれている日常生活の場においての、自己の言行そのものである。<中略>日常生活の事実が、自分の信が正しいか誤りであるかをテストする唯一の試験場である。
 自分は仏教を聞いた、信を得たと思っていても、何かの事件につき当たると、聞いたという仏教も、得たと思っていた信も、みな砕けてしまって、ここで役に立つものは一つもない。知っていることは、役に立たないものばかりである。聞いたものも、聞かないものも、少しも変わりがない。今まで自分は何を聞いていたのだろうか。改めて仏教を聞き直さずにはいられなくなる。そこから初めて真実の求道心が発こり、新たな聞法の旅へと立ち上がらせるものが真実である。
  第五 難勝地
 第五地は難勝地である。どんな苦難にも堪えてゆくことのできる真実のものが見えて来たということであろうか。今まではとかく逃避したい心や懈怠な心のために、現在の足もとを踏みしめて立つことができなかった。それが、「ここを外にして私の生きる場所はどこにもなかった。ここで生きられないものは、どこへ行っても生きられない。『この村で鳴らない太鼓は、どこに行っても鳴らない』、受けねばならない業なら受けてゆこう」と、自分の置かれた大地を踏みしめて起ち上がることはできたけれども、その踏みしめた大地は冷たく道は険しい。<中略>自分のわがままは判るけれども、やはり周囲を咎めずにはいられない。この二つの葛藤は、日夜に私の心をさいなんでいった。
 それが動機となって、私は道を求めて僧侶となったのであるが、その後も常にこの問題に当面して苦しんだ。そのあげく私は、「ここで生きられなければ、どこへ行っても生きられない。ここでいつまででも辛抱できるという心の修行ができたら出て行こう。それまではどんなに苦しくとも踏み止まろう」と決心した。今からふり返って見ると、その時には自分では、はっきりとした自覚はなかったが、そこに、境遇の善し悪しよりも、自らの人間完成が大切であることがうすうす知られて、真実の求道心に動かされていたことをしみじみと思うのである。「仏法は畳の上や机の上で解るものではない。宿業の中へ飛び込め」、「辛苦をしなさい。辛苦をしないものは駄目ですよ」と言われた古老の言葉は、そのまま真実の道の言葉であった。法蔵菩薩は「たとえこの身は苦難の中にしずむとも、わが行は精進にして、忍んでついに悔いざらん」と、道のためにはいかなる苦難をも耐え忍んでゆく力を得るというので、この地を極難勝地ともいうのであろうか。「我れ常に無間地獄にあって、無量劫の中に苦悩を受けるとも、以て苦とせざらん」という新たな金剛心を起こさしめるのである。
  第六 現前地
 第六地を現前地という。それは人生のあるがままにして永遠真実の世界が現れるからである。山川草木は悉く浄土の法を現し、真実の法を説く。一切衆生は悉く久遠の仏を宿し、永劫に真実の在り方を求めて止まない菩薩としてその姿を現す。それは第三の発光地において心の眼を開いた時、見出された世界を、さらに人生経験を通して自らの体験として身証体解されたのである。
 真実の世界を求めるためにはどんな苦難にも堪えてゆこうという決意はそのまま、どんな苦難にも堪えて来た親先祖の心に触れ、全人類の誰もが等しくこの道を歩いていることに神通される。そして親先祖の名を呼び、一切の人々の名を呼びたい心は、却って一切の人々から名を呼ばれ、念ぜられていたことを知らされる。それと同時に、あとから来る子孫や一切の人々をも念ぜずにいられない心が起こるが、この心は却ってまた未来世の一切の人々から、拝まれ念ぜられていることを自証する。この境地を「過去、現在、未来の一切の仏と仏相念ずる」念仏三昧ともいい、諸仏現前三昧とも説かれている。かつて先祖の歩いたこの道を、私たちも先祖を念じながら、先祖に念ぜられながら、子孫や後輩に道を開いて行くのである。
  第七 遠行地
 第七地は遠行地という。たとえ道は遠く果てしなくとも、永遠に道を行じ、歩々に真実を現してゆこうとすることであろうか。<中略>三昧に浸っていようとする自己をさらに引き破って、限りない新たな求道の旅に立たしめる。
 今までは何についても、「しなければならない」という絶え間のない無意識の努力があった。それ故、心は常に緊張して、言うことすることに全て堅さがあった。その裏には微かではあるが、したことについては「した」という安堵感と誇りが伴っていた。その最後の我執をとり、肩張りをほぐしてゆかねばならない。人はその長所によって互いに結ばれることもあるが、また一面その長所に伴う緊張感と優越感が、却って人の和を破るようである。全ての人と打ち解けて一緒になれるのは、むしろ互いの欠点や失敗によって人間性に触れ合うことではないであろうか。<中略> ところが、昔から遠行地のことを「七地沈空の難」といって、この地には大きな落とし穴があり、地獄に落ちるよりもまだ悪いといわれているのは、「遠行」を、無始以来の流転から脱して「ここまではるばる遠く来つるものかな」、という心境と受けとったからではないであろうか。
  第八 不動地
 初地より第三地までは、信智によって知られる世界であり、第四地より第七地までは、行智の境界であり、この第八地から第十地までは、証智の世界である。
 第八地は不動地という。智慧は明らかとなり、徳は円かに身につき、自己の世界が確立して、何ものにも心が乱されない境地である。碍り多い人生にあって、今は外からの碍り、また内からの碍りから解き放たれて、「一切の碍りあるものに碍りない」淡々たる心境が開けた。外から来る病気や貧乏、その他いかなる天災人災も、それらによって自己は動揺させられることはない。「わが心深き底あり、喜びも憂いの波も届かじと思う」ということや、「不断煩悩得涅槃」とは、こういう境地であろうか。また内にあっても、今までは何かに追われ心せかされ、あれをしなければならない、これをしなければならない、ああならなければ、こうあらなければと理想を彼方にえがいて、それに向かって背伸びしていた。しかし彼方に求められた理想は真実のものではない。真実のものは常に自己の内にあって、今日一日の生活の上にその徳を現すものである。今は一歩一歩大地を踏みしめて、あせらず止まらず、歩々に道を成じてゆくのみである。自己の立つところ、そこが世界の中心であり、歩々絶対である。 <中略> どんな人の悩みも素直に聞け、どんな人をも尊敬でき、どんな人の意見にも耳を傾けることができる。これによって相手も劣等感を離れ、自分も敬愛されて、今まで心のどこかにあった、人から見放され時代からとり残されはすまいかという内心の不安もとれて、人と共に歩み、時代と共に育てられてゆこうという平安な心が生まれて来た。  自分が法を求めたのではなく、法によってなさしめられたのであるということは、初地において知らされたことではあったが、やはりそれは信智の領域であって、まだ日常の生活の事実となっていなかった。それが今、初めて任運に無作に計らわずして、法にかのうた生活ができるようになった。「因位の時うるを獲といい、果位に至ってうるを得という」という親鸞の心境もこれであろうか。これによっていよいよ自己は、一切の人々を知り、人生を知り、社会を知って、拡大され深められてゆこうと奮い起たしめられるのである。
  第九 善慧地
 第九地は善慧地という。内なる一切の執着を離れて、外なる何ものにも束縛されない解脱の慧を開き、相手を教化するに無碍なる智を得る境地である。<中略> この地の菩薩は、自分の言った言葉が常に相手に通じ、相手を納得させ、どんな相手をも自在に教化できるようになるというのでこの地を説法自在という。相手が自分の言葉を受け入れてくれなかったり、反抗されたりするのには二つの場合がある。会話は常に「鐘と撞木の合いが鳴る」のであるから、問題が相手にあるか自分にあるかを正しく診察しなければならない。世間一般では、ただ相手が悪いと相手を責めるか、または環境を責めて、自己を忘れている場合が多い。けれどもその大半は自分に問題がある。そういう場合、相手がどうあろうが、まず自分の言っている言葉と、その心根を反省し内観して見ることを忘れてはならない。
 自分の言っていることが正しいかどうか。間違っている時には、必ず反抗される。たとえ言っていることは正しくても、それを相手に押しつけている場合も同じ運命に遇う。それは言っている心根に、自分のものさしをもって相手を計り、自己を主張しようとしている自己本位の我執があるからである。たとえ自分は相手のためと思っていても、相手にそれが素直に受け入れられない場合は、ほとんど自分の方が黒星と反省せねばならない。なぜなら、相手を診察することを忘れて、今の相手に適しない、誤った薬を盛っているからである。自分が愚かなやぶ医者であることを忘れて、どこかで覚えたことや、自分が勝手に考え出した公式を、「馬鹿の一つ覚え」で振り回していることに気がつかない。「真理も主張すれば偏見になり邪見になる」。そこには相手のためといいながら、その実は自己本位になっているからである。
 また宗教者の中には、よく「自ら信じたものを、人に教えて信ぜしめよう」という傲慢な態度をとっている人を見受けるが、これも我執の変形した法執に執われているのである。「世の中に何が惨酷といっても、我は正義の中にあり汝は虚偽の中にあり、ということほど惨酷なことはない」とはトルストイの言葉である。
 また自然科学の世界では、「2×2=4」は、いつでもどこでも誰が言っても間違いではない。けれども人間関係の世界では同じ言葉でも、言える人と言えない人がある。「あの人からは言われる道理がない」、「私には言えない義理がある」というように。もし言えない人が無理をして言えば、言葉が死んでしまう。<中略>相手のために、どうしても言わずにいられないという誠意があり、智恵があれば、言っている言葉や事柄は誤っていても、言わずにいられない誠意はおのずから相手に通ずるものである。それが真実に国のため社会のためであるならば、階級制度の強かった封建時代にあっても、たとえ身分の低い人の言ったことでも、通った例は古今に幾つでもある。
  第十 法雲地
 第十地を法雲地という。法が身について、智と徳が成就し、雲の如く一切において碍りなく、自在を得たことである。
 この地は、三業自在の徳を修証するといわれている。三業自在とは、身に行うこと、口に言うこと、意に思うこと、全てが計らいなく自然に法にかなうことであるが、それは信の内に有っていた徳が身について、その全生活において起居動作の悉くが法にかない、周囲を感化するようになったからである。
 それはやがて究竟位の仏になる資格と自信が与えられる。たとえば転輪聖王の王子が皇太子となったようなものである。それ故この地を五十一段として等正覚を設けている。しかし、別に五十一段の等正覚があるわけではない。五十一段とは、学年にも一学期・二学期・三学期とあるように、十地の各々の地にも入位・住位・満位と三学期に分け、この第十地である五十段の満位を一段開いて五十一段とし、この地が如来と等しいというので等正覚というのである。この位はまた一生補処とも呼ばれている。一生補処とは、この一生が終われば、仏処、即ち釈尊の地位を補い、第二の釈迦となることができるということであるが、親鸞聖人が『正像末和讃』に「真実信心うるゆえに、すなわち定聚にいりぬれば、補処の弥勒におなじくて、無上覚をさとるなり」と感動をもって述べておられるように、この地に至れば第二の釈迦になれるという自信が与えられるということである。
 このように「五十二段の仏」というのは、人間の永遠の理想像のことで、後期の大乗仏教徒が、真実の人間の在り方を、人間関係においての自己の成就であるとして、智慧と徳を身につけた、自利利他円満の仏を釈尊の上に見出して名付けたものである。その五十二段の仏も不完全なものとして、さらに発展止揚したものが、社会的自覚に立った、世自在王仏と呼ばれる浄土教の「五十四段の仏」である。

「地位の菩薩」 より

 長い引用になりましたが、この十地の菩薩が正定聚・不退転の菩薩の内容です。四十位までの菩薩は試行錯誤の修行で、まだ地に足がついていないところがありますが、四十一位からはいよいよ仏地に足をつけた修行で、「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」というように、既に得られた歓喜(慶)に満ちた如来とともに歩む求道となります。ただしこれは「法悦の境地」ではありません。法悦は、まだ世の矛盾が引き受けられないまま、世の外に安楽の場を見出してしまった迷い道であり、法悦に留まる限り正定聚に至ることはできません。もう一度人生を聞きなおししなければならないでしょう。

 なお引用文中の「善慧地」で、<たとえ自分は相手のためと思っていても、相手にそれが素直に受け入れられない場合は、ほとんど自分の方が黒星と反省せねばならない。なぜなら、相手を診察することを忘れて、今の相手に適しない、誤った薬を盛っているからである>とありますが、全くこの通りで、相手の胸に届かぬ言葉は死んだ言葉でしょう。
 僧侶はいつも、相手の顔を見、身体から発するメッセージを受け取りつつ言葉を選ばなければなりません。自分の思いだけを相手にぶつけても、相手が迷惑してしまいます。しかし現在、例えばこのインターネットの世界では、相手の顔が見えない、態度が分らない。そういう中で言葉を発するというのは、やはり限界があることを痛感します。
 私自身、普段は相手の息づかいを聞きながら喋るようにしておりますので、実はこうしたネット社会は苦手なのです。しかし苦手であってもよきご縁となりますので、ネットはネットならではの診察方法があるはずで、この部分はまだまだ試行錯誤が続きます。

 また、<その五十二段の仏も不完全なものとして、さらに発展止揚したものが、社会的自覚に立った、世自在王仏と呼ばれる浄土教の「五十四段の仏」である>とありますが、「五十二段の仏」というのは『華厳経』までの仏の理解であり、『仏説無量寿経』は、人間関係とともに歴史社会というテーマを背負っていますので、それを法蔵菩薩の修行として五十三段と理解し、法蔵菩薩の目指す理想仏が世自在王仏であり五十四段として理解されてみえるようです。もちろんこの理解は島田幸昭師独特の理解ですが、「なぜ阿弥陀仏なのか」という問いに応えてくれる一つの重要な領解でありましょう。この点につきましては、また時期を見て詳説させていただけたらと思います。

 不退転の菩薩になる方法(大経)

 正定聚・不退転の菩薩の内容が明らかになりましたら、次は菩薩となる方法ですが、浄土の本質を知ることがそのまま実践になる、ということは前述した通りです。つまり、かつては浄土の本質は『仏説無量寿経』(大経)に顕わされ、往生の実践は『観無量寿経』(観経)に顕わされている、という理解でしたが、親鸞聖人はこれを覆されたのです。

しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。「歓喜」といふは、身心の悦予を形すの貌なり。「乃至」といふは、多少を摂するの言なり。「一念」といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ。これを一心と名づく。一心はすなはち清浄報土の真因なり。

『顕浄土真実教行証文類』 信文類三(末) 信一念釈 65 より

意訳▼(現代語版 より)
 ところで『無量寿経』に「聞」と説かれているのは、わたしたち衆生が、仏願の生起本末を聞いて、疑いの心がないのを聞というのである「信心」というのは、如来の本願力より与えられた信心である。「歓喜」というのは、身も心もよろこびに満ちあふれたすがたをいうのである。「乃至」というのは、多いのも少ないのも兼ねおさめる言葉である。「一念」というのは、多いのも少ないのも兼ねおさめる言葉である。「一念」というのは、信心は二心がないから一念という。これを一心というのである。この一心が、すなわち清らかな報土に生れるまことの因である。

「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」とありますように、大経の精神を聞き開くことを即得往生の実践とされたのです。なぜなら「仏願の生起本末」は大経にしか書かれていません。今ある浄土を明かにするだけではなく、浄土の企画段階から建設段階や現状まで詳説されているのです。かつてはこの浄土の歴史は本質を明かにするだけだと理解されていたのですが、本質だけでなく実践も含まれていた、ということなのです。

 このことは、{仏教とキリスト教の違い}#仏教共通の教え にも書かせていただきましたが、経典には「随自意説」「随他意説」「随自他意説」の別があり、「随自意説」は覚りの本質をそのまま述べた教えであり、「随他意説」は衆生の程度に合わせて実践的に覚りを顕わしている教え。そして「随自他意説」は、覚りの本質を明かにしながら、その本質が衆生に対して実践的にはたらく、という教えです。大経は「随自他意説」であることに親鸞聖人は気付かれたのでしょう。だからこそ「本願力回向の信心」と言われたのです。

 そうと解れば、とことん『仏説無量寿経』を読み解いていかねばなりません。読み解くことが本願力回向そのものなのであり、この身に報いていた仏性の歴史が発露されることなのです。
 このような大事業は一人ではできませんから、教団を組織し学びを深めたり、組織に属さない人からも意見を聞きつつ、人類がどう歩んでいったらいいかを、一人ひとりが自分の問題として学び、考え、行動し、互いに領解を交わさなければならないでしょう。{浄土真宗の教え}のコーナーは、その要めとなる四十八願の領解を諸師から聞き、この{仏教青年 Q&A}のコーナーもそうした流れの中で参考にしていただき、皆さまの聞法の過程として利用していただければ幸いかと思います。

 不退転の菩薩になる方法(観経・小経)

 では、『仏説観無量寿経』(観経)は浄土真宗では役割を終えたのでしょうか。実はそうではなく、「本願力回向の信心」によって領解された浄土が、本当に「仏願の生起本末」にかなった浄土であるかどうかが、観経により確認することができるのです。まだ智慧浅きゆえにおぼろげにしか領解できなかった浄土が、観経を読むことにより「ああ、そうか。やはりそうか」と、もっと浄土が広く深く領解でき、肯くことができるのです。

 例えば観経の「定善」に、「西方を想ふべし」とか「日没を見よ」とあります。世界の中心であるはずの浄土が、なぜ衆生にとってはは西であり日没を見ることを勧められるのか、と「ひそかにこの心を推する」と、「浄土は、日の出のような清々しいが未熟な世界ではなく、先祖のあらゆる経験が真心となった世界なのだな」と解ります。
 また浄土の宝樹が「一々の華葉、異なれる宝色をなす。瑠璃色のなかより金色の光を出し・・・」とあるのは、本当の人生では、あらゆるものが固有の色だけではなく他の色も出すことができる。一つの物事を学べば他の物事の理解も深まり、他の道を進む人にも光を与えることができる、と領解できます。これは小経の「青色青光 黄色黄光」よりさらに深い内容になっています。
 また、阿弥陀仏を観るのに、どうしてまず蓮華座から観るのか、と問うと、仏も人も、必ず世において立つ場があり、その場において仏も人も育てられる、ということに気付くでしょう。親は親としての座があり、仏教徒は仏教徒としての座がある。社会における責任が人間を育てるのであり、座が歴史を持ち功徳を有するのです。阿弥陀仏も仏の座において一切衆生を振り返り、座の功徳によって一切衆生を覚りに導く修行をやり直してみえるのです。

 伝統的に「定善」は聖道門の行、と言われてきましたが、これは「定善」をイメージトレーニングのように実践してきたから自力の難行になってしまったのです。観経(定善 華座観)には「かくのごときの妙華は、これもと法蔵比丘の願力の所成なり」とありますように、本来はこの定善も本願力回向のはたらきによって衆生の身に満ちた他力の仏性世界なのであり、経典を読むことによって、回向されていた仏性が顕現され自覚される、その結果、浄土を観ることができるのです。ですから真実信心を得て観経を読めば、ここに書かれている通りを肯くことができるのです。しかし観経の内容と違う世界を想い描いていたら、それは本当の浄土ではない。「この観をなすをば、名づけて正観とす。もし他観するをば、名づけて邪観とす」と書かれている通りでしょう。

 もちろん文字の解釈や学問的な壁がありますので、誰でも経典を読めばすぐに肯けるというものではありませんが、諸師の領解や歩みを参考にすれば、自身の領解と映し鏡のようになって浄土がますます明かになるのです。

 では『仏説阿弥陀経』(小経)はどうなのか。『顕浄土真実教行証文類』総序には「円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智」とありますが、小経にはこの「悪を転じて徳を成す」という浄土の功徳を要めとして説いてあります。観経は浄土の慈悲面の展開が主に説かれていますが、小経は浄土によって世界観が転じられる様子を明らかにしています。

舎利弗、なんぢこの鳥は実にこれ罪報の所生なりと謂ふことなかれ。ゆゑはいかん。かの仏国土には三悪趣なければなり。舎利弗、その仏国土にはなほ三悪道の名すらなし、いかにいはんや実あらんや。このもろもろの鳥は、みなこれ阿弥陀仏、法音を宣流せしめんと欲して、変化してなしたまふところなり。舎利弗、かの仏国土には微風吹いて、もろもろの宝行樹および宝羅網を動かすに、微妙の音を出す。たとへば百千種の楽を同時に倶になすがごとし。この音を聞くもの、みな自然に仏を念じ、法を念じ、僧を念ずるの心を生ず。舎利弗、その仏国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。

『仏説阿弥陀経』 正宗分 依正段 3 より

意訳▼(現代語版 より)
 舎利弗よ、そなたはこれらの鳥が罪の報いとして鳥に生れたのだと思ってはならない。 なぜなら阿弥陀仏の国には地獄や餓鬼や畜生のものがいないからである。 舎利弗よ、その国には地獄や餓鬼や畜生の名さえもないのだから、ましてそのようなものがいるはずがない。 このさまざまな鳥はみな、阿弥陀仏が法を説きひろめるために、いろいろと形を変えて現されたものにほかならないのである。
 舎利弗よ、またその仏の国では宝の並木や宝の網飾りがそよ風に揺れ、美しい音楽が流れている。 それは百千種もの楽器が同時に奏でられているようであり、その音色を聞くものは、だれでもおのずから仏を念じ、法を念じ、僧を念じる心を起すのである。
 舎利弗よ、阿弥陀仏の国はこのようなうるわしいすがたをそなえているのである。

 鳥は鳥に違いはありませんが、鳥の声が阿弥陀仏の説法に転じて聞こえ、並木の音が浄土の音楽に聞こえ、仏法僧を念じる縁に転じられる。これが小経に説かれる浄土の功徳の一面です。

 今までは、「この世にはろくな者がいないし、この社会も全く意味が無い」と思っていた、ところが南無阿弥陀仏の功徳により「何とこの世は尊い人々で満ちていることか、この社会も意味深くかけがえの無いものだ」と目が転じられるのです。
 これは私事になりますが、高校生時代、三重県の大王崎というところで風景画を描いていると、地元の人たちが集まってきて、「あんな古い掘建て小屋でも、絵に描くと美しいもんだなー」と感心されたことがありました。豪華な新築は勿論美しいのでしょうが、目前にあるものを受け入れる気持ちで見れば、どんな古い家でも価値を表してくる。新築にはない輝きも発見できます。
 人も同じで、有名人や偉人と言われる人だけが輝いているのではありません。スポットライトが当っていない無名の人も輝いている。あらゆるものが光っている。生きづらく災難の多い社会が、そのまま輝く世界に転じられるのが小経に顕わされた浄土の功徳でしょう。これによって、吉凶に迷う生活が、吉も凶も「おかげさまで」と拝むことができるように我が心が転じられるのです。

 なお、正定聚・不退転の菩薩になる最も早道なのが、正定聚・不退転の菩薩に直接出会うことです。著書や物を通して出会うことも大切ですが、やはり直接会って、「なるほど、こういう方が不退転の菩薩なのだな」と尊敬心の起こることが一番です。


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