仏壇の荘厳(飾り方)

― 仏壇は人生の必須アイテム ―

【特集・コラム】

浄土真宗本願寺派における仏壇の荘厳

 問い合わせの多い仏壇の荘厳(お飾り)の仕方について、詳細を説明します。

 大型仏壇の荘厳例

 本願寺派の仏壇は一般に「金仏壇」とも称されていますが、これは本山の荘厳にならって、全体的に金箔を押して荘厳した仏壇です。余裕があれば「金仏壇」をお勧めしますが、「唐木[からき]仏壇」(木地を生かした仏壇)でもかまいません。大きさや様式は多種ありますが、浄土真宗の基本を守りながら、それぞれの事情に合わせて選んでください。また、将来的に仏壇が重なってしまう懸念がある場合は、本尊(仏像や絵像や名号)のみを安置したり、本尊と左右脇掛が三つ折れになって携帯できるものもあります。

 大型の仏壇を購入されたり、親から引き継がれた方にとって、仏具の多さは煩雑にさえ思われるかも知れませんが、基本が分かればおのずと形は整ってくるものです。

 そこでまず、大型仏壇の荘厳例を示し、後に普及型の小型仏壇の荘厳例をご紹介します。できる限りでよろしいですから、丁寧な荘厳を心がけて下さい。
(図では、宮殿[くうでん]厨子[ずし]や柱は省略してあります)

大型仏壇の荘厳図

▽ 図の説明
(1)御本尊 , (2)左脇掛 , (3)右脇掛 , (4)蝋燭立 , (5)火舎 , (6)華瓶 , (7)仏飯器 , (8)上卓 , (9)打敷 , (10)香炉 , (11)蝋燭立 , (12)花瓶 , (13)前卓 , (14)和讃箱 , (15)経卓 , (16)御文章箱 , (17)過去帳 , (18)鈴 , (19)華鬘 , (20)戸帳 , (21)金灯籠 , (22)瓔珞 , (23)輪灯 , (24)供笥 , (25)高杯
(1)御本尊 [ごほんぞん]
 阿弥陀如来の「絵像[えぞう]」か「木像[もくぞう]」の尊像[そんぞう]、もしくは「六字名号[ろくじみょうごう](南無阿弥陀仏)」の尊号[そんごう]を中央の宮殿[くうでん]にかけたり安置します。
 名号を第一とするお勧めもありますが、これは像観・真身観に基いた解釈で(阿弥陀如来像(仏像・絵像)は偶像か? 参照)、この言葉に執われる必要はありません。機に応じて柔軟に用いて下さい。ただし、必ず阿弥陀如来を御本尊とすべきで、他の如来(印の違いが教えの違いになります)や菩薩・天部などの像を本尊として用いないようにしましょう。なお御本尊と左右の脇掛[わきがけ]は出来る限り本山からお迎えして下さい。(ご縁の寺院や別院にご相談ください)
<以下のページ参照>
釈尊と阿弥陀仏の関係(仏像のモデル)
ご本尊の形態について(名号・絵像・木像の違い)
本尊と御真影について(下付を本山が「独占」する問題と、御真影の扱いについて)
ふたたび本尊について(仏像に刻まれた深い願い)
具足諸相の願

(2)左脇掛 [ひだりわきがけ](向かって右側。本尊から見て左)
「親鸞聖人の御影[ごえい]」、もしくは「十字名号(帰命盡十方無碍光如来)」をかけます。厨子[ずし](扉のある[やかた])に安置する場合は(上記の図は厨子を用いない形です)、戸帳[とちょう](19)糸華鬘[いとけまん](20)を用い、金灯籠[かなどうろう](21)宝鐸[ほうたく](22)それぞれ一対を正面左右に吊ります。
 図にはありませんが、左脇掛の前にも前卓(13)がある場合は、ここにも輪灯(23)一対を吊ります。輪灯の代わりに菊灯[きくとう](台座が菊の花の形の灯明台)を用いることもあります。
 親鸞聖人の御影が奉懸されている場合は、時に応じて仏飯を供えます

(3)右脇掛 [みぎわきがけ](向って左側。本尊から見て右)
 左脇掛が「親鸞聖人の御影」であれば「蓮如上人の御影」、「十字名号」であれば「九字名号(南無不可思議光如来)」をかけます。ここには厨子[ずし]は用いません。
 図にはありませんが、右脇掛の前にも前卓(13)がある場合は、この前卓から向かって右横手前に菊灯[きくとう]を置きます。
 蓮如上人等の御影が奉懸されている場合は、時に応じて仏飯を供えます

(4)蝋燭立[ローソクたて]
 ローソク等に火をつけることを点燭[てんしょく]といいますが、点燭していないローソク立には、朱塗りの木製ローソク(木蝋[もくろう])を立てておきます。
 前卓[まえじょく](13)がある場合はもちろん、無い場合でもこちらのローソクにはまず点燭することはありませんので、常に木蝋を立てておいて下さい。点燭の詳細は(11)↓を参照して下さい。

(5)火舎[かしゃ]
 香炉[こうろ]の一種です。ローソク立の前に置き、三本脚の一本を前にして飾ります。こちらの火舎も一般的には飾りで、燃香(香を焚く)には用いません。

(6)華瓶[けびょう]
 水を入れる器で、[しきみ]などの青木を[]しておきます。色花は挿しません。
 華瓶が無いときは水は供えません。湯飲みやコップで水を供えることはしないのです。これはどうしてかというと、浄土の水は「八功徳水」といって清く美味で仏道の助けとなる水が満々とたくわえられている様子が経典にあり、これを表したのが華瓶に入れた水なのです。湯飲みやコップで水を供えると、見る人に<浄土には水が足らないので、こちらから供えて送る>という意識を与えてしまいますので、誤解を避けるために華瓶の無い場合は水は供えないのです(「八功徳水」の源流はどこにあるのですか? 参照)。

 なお、蝋燭立(4)+火舎(5)+華瓶一対の荘厳を「四具足[しぐそく]」といいます

(7)仏飯器[ぶっぱんき]
 朝、ご飯を炊いたら、まず先に仏飯器にお仏飯(お鉢)を盛ってお供え(上供[じょうぐ])します。本願寺派では蓮の実のひとつの形を[]し、お仏飯は丸く盛りつけます。(蓮莟[れんがん]を模すと説明した書もあるが、つぼみの上供は解釈に問題がある/参照:{「蓮莟を模す」の間違い}
 上卓[うわじょく]がある場合は仏飯器一対(二基)を直接置き、無い場合は供飯台[ぐはんだい]にのせて一基供えます。左右の脇掛(2),(3)を親鸞聖人と蓮如上人の御影[ごえい]にした場合も、供飯台にのせて一基つづつ置きますが、十字・九字名号にした場合は脇掛に仏飯は供えません。ご飯を炊かない家庭もありますが、その際は主食(例えばパン)をお供えします。
 お仏飯は昼までにはお下げ(下供[げぐ])して、家族などでいただいて下さい。なお上供・下供する際は一揖[いちゆう](軽くおじぎ)して行ないます。
 昼までにお下げするのは「非時食戒」(戒律について 参照)に触れるからで、かつての修行者は非時(午後)の食事を誡めたことによります。 法事の食事を「お斎(おとき)」というのも、この「時」を意味しています。

(8)上卓[うわじょく]
 御本尊前に置く小さな[しょく](机)で、蝋燭立(4)+火舎(5)+華瓶(6)一対の四具足[しぐそく]と、仏飯器(7)一対を置きます。上卓を置くスペースが無い場合は、供飯台(仏飯台)にのせた仏飯器一つと華瓶一対を置きます(上卓がある場合は供飯台は用いない)。さらにスペースが無ければ、供飯台にのせた仏飯器一つのみを置きます。

(9)打敷[うちしき]
 供物[くもつ]を供える目的で、上卓[うわじょく](8)前卓[まえじょく](13)にかける装飾布です。年忌法要や祥月命日法要・お彼岸・報恩講など特別の法要の際に用い、普段はしまっておきます。季節や行事によって色や図柄を使い分け、一般的に三回忌法要までは白や銀色を用います。白や銀色がない場合は、打敷を裏返しにして使用することもあります。
 正方形または菱形[ひしがた]の布を用いるのが正式ですが、一般的に背面は略した三角形の布を用います。
 打敷は[しょく]水板[みずいた]の間にはさんでかけます。水板にはたいてい筆返し[ふでがえし](左右の止め木)がついています。筆返しは文机[ふみづくえ]を卓に代用した時の名残りといわれています。
 寺院においてはさらに水引[みずひき]を用いる荘厳もあります(一般家庭の仏壇では水引は用いません)。その際は、前卓の四面をでおおい囲み(下掛[したが]けといいます)、この上に打敷をかけ、水板をのせます。なお、水引を用いる際は水板の筆返しをはずすのが正式ですが、水板と筆返しが一体となっているものが一般的ですから、無理にははずさないで下さい。

(10)香炉[こうろ]
 香を[]く器で、金香炉[かなごうろ](金属製)と土香炉[どごうろ](陶磁器製)の二種があります。奥の香炉は香炉台にのせて置き、ともに三本脚の一つを手前に向けて飾ります。
 土香炉には線香を供えます(燃香[ねんこう]といいます)。本願寺派では香炉の口の大きさに合わせて線香を折り、横に寝せて燃やします。寝せて線香が消えてしまう場合は、灰を良質な藁灰[わらばい]などに変えるか、五種香[ごしゅこう](焼香に用いる刻んだ香)などで灰の表面を覆うと燃香しやすくなります。
 金香炉は焼香[しょうこう]に用います。金香炉の中には入子[いれこ]という器があり、その中に炭火を入れ、沈香[じんこう]五種香[ごしゅこう]などを薫じます。金香炉で焼香する際は、金香炉と土香炉を転置[てんち](置きかえ)し、香盒[こうごう](香を入れる蓋つきの容器)を右横に置きます(土香炉を撤去してもよい)。焼香しない時は[ふた]をしておきます。
 ただ一般的には、仏壇内で金香炉を使って焼香する機会はほとんどなく、通常は土香炉に線香を供えるだけです。また年忌法要などの際は、金香炉を香卓[こうじょく](焼香や燃香に用いる机)に置き、香盒から香を一つまみして焼香します。仏壇の外での焼香は土香炉を使うこともありますが、土香炉は炭火の熱で割れる可能性が無いとは言えないので、基本的には焼香は金香炉を用います。なお燃香が行なわれている香炉では焼香はしません。
 香卓を用いない場合は、香炉と香盒を盆などに載せ、参詣者に回して焼香してもらいます。また、香炉と香の入れ物が一体となった焼香専用の香炉(一般的に四角形)も普及しています。葬式では青竹の香炉を用いることもあります。

 焼香の作法は、まず香炉の前で仏に向かい一礼し、前に進み、香を一回つまんで(額にいただかない)香炉にくべ、合掌・称名念仏(5,6度ほど)・礼拝し、最後に少し下がって一礼します。

(11)蝋燭立[ローソクたて]
 一般的に(4)ではなく、こちらの方のローソクに点燭[てんしょく](火を点じること)します。こちらも三本脚の一つを手前にして置きます。
 灯明は、如来の智慧と徳の「はたらき」をあらわしています(参照:{仏壇にロウソクを立てる意味}{弥陀果徳 光明無量})。
 色は白・朱・金・銀の4種類があり、形も[いかり]型と棒型の2種類があります(参照:{ろうそくの色について})。
 また和ローソクの他に洋ローソクもありますが、洋ローソクは油性の[すす]がこびり付きやすく仏壇を早く汚します。ただ和ローソクは屋外で用いても消えにくい程なので、仏壇で用いる場合は火事を出さないように気をつけて下さい。近年は電灯式のローソクも多くなりました。
 よく「仏壇のローソクに火をつける時はマッチを使わないといけない」と仰る方がみえますが、ライターで点燭すればよく、むしろ安全上ライターでの点燭をお勧めします。ちなみに寺院では、正式にはマッチで直接ローソクに点燭することはありません。
 ローソクを消すときは、口で吹いたり扇などであおいだりせず、芯切箸[しんきりばし]芯切挟[しんきりばさみ]ではさみ消すか、専用の[ふた]を被せます。ローソクを消した後は、木蝋[もくろう](朱塗りの木製ローソク)を立てておきます。

(12)花瓶[かひん]
 生花を供え(供華[くげ]といいます)造花は用いません。仏花は仏のいのちを表わしています(浄土の美しさとして表現)ので、とげや毒や悪臭のある花、もしくは[つる]のある花は用いず、立花[りっか]式の立て方をします。

(13)前卓[まえじょく]
 五具足[ごぐそく]三具足[みつぐそく]を置くための机です。年忌や祥月等の法要の際には、打敷(9)水引[みずひき]で飾ります。
 なお、香炉(10)+蝋燭立(11)一対+花瓶(12)一対の荘厳を「五具足」といい↑大型仏壇の荘厳図 参照)、香炉(10)+蝋燭立(11)+花瓶(12)の荘厳を「三具足」といいます↓小型仏壇の荘厳図 参照)

 本願寺派では、金香炉(10)・蝋燭立(11)・花瓶(12)・火舎(5)・華瓶(6)の具足は、こげ茶色の[うるし]で色づけした宣徳製[せんとくせい]を用います。また五具足の場合は、花瓶(12)の前に蝋燭立(11)を置いてもさしつかえありません。なお宣徳製の仏具は、こすりすぎると色がはげてしまいますので、掃除するときは、柔らかい布で軽く拭くだけにして下さい。

(14)和讃箱[わさんばこ]
 親鸞聖人の著された『正信念仏偈[しょうしんねんぶつげ]』と『三帖和讃[さんじょわさん]』などの聖典を納める箱で、お勤めの際に箱から取り出し、経卓[きょうじょく](15)の上に置きます。

(15)経卓[きょうじょく]
 読経の際に経本や聖典を置く机です。和讃卓[わさんじょく]ともいいます。ここには[りん](18)やお供え物は置きません。お勤めしやすいようにきれいに片付けておきます。なお、経本や聖典は畳や床にじかに置かないようにしましょう。

(16)御文章箱[ごぶんしょうばこ]
 蓮如上人の書かれた『御文章』を納める箱です。お勤めの最後にお読みすることが多く、法話の際にもよく用いられます。

(17)過去帳[かこちょう]
 故人の法名[ほうみょう]俗名[ぞくみょう]命日[めいにち]享年[きょうねん]続柄[ぞくがら]等を過去帳に記入し、過去帳台にのせて仏壇内の適当な位置に置きます。位牌[いはい]を用いる宗旨もありますが、浄土真宗では正式には過去帳を用います(位牌は本来他宗教のもの)。しかし、どうしても入手できない場合は位牌を用いてもかまいません。
 命日には過去帳を開いて読経しますが、普段は閉じておくか、仏壇の引出しなどに納めておきましょう。
 なおご先祖を「先祖代々之霊」「○○家先祖代々之霊位」などと記すのは間違いです(仏教の根本原理である三法印に反する)から、その際は『先祖代々浄華衆』等と記してください。ただし<遠く通ずるにそれ四海のうちみな兄弟たり>(往生論註)でありますから、「○○家先祖代々浄華衆」とはしません。

(18)[りん]
 「カネ」・「キン」ともいい、お勤めの際に決められた箇所で使用します。普段は経卓(15)の右横に置き、[ばち](りん棒)は中に入れておきす。
 基本的には鈴の外側を打ちますが、小さい鈴の場合は内側を打つこともあります。沙羅[さわり]を用いる場合は必ず内側を打ちます。
 なお、焼香や合掌やお供えをする前後に鈴を鳴らす、という作法は正式ではありません。しかしせっかくのご縁ですから、鳴らした相手をなじったり気持ちを蔑ろにしないように心を配り、豊かな仏縁につなげて下さい。

(19)華鬘[けまん]
 団扇[うちわ]形の薄い金属板に透かし彫りを施した金華鬘[かなけまん]と、[ひも][にな]結びにした糸華鬘[いとけまん]があります。寺院においては、御本尊の安置してある宮殿[くうでん]には金華鬘、厨子[ずし]には糸華鬘を用います。一般家庭の仏壇の場合は御本尊前でも上図のように糸華鬘を用います。

(20)戸帳[とちょう]
 宮殿[くうでん]厨子[ずし]の前面に垂らした装飾布で、御本尊の前を金襴[きんらん]を用いて飾ります。中央をくりぬいてありますので、布を巻き上げずに礼拝できます。上部に華鬘(19)を飾り、左右両脚部に揚巻[あげまき]という巻き上げのための組み[ひも]を垂らす形式もあります。一般家庭の仏壇では戸帳は正面のみに掛けます。

(21)金灯籠[かなどうろう]
 金属製の装飾された灯籠で、宮殿[くうでん]厨子[ずし]の正面左右に一対で吊ります。灯籠は虫を火から守り、殺生を避けるために作られたと伝えられています。本願寺派では六角形の釣灯籠[つりどうろう]を用います。

(22)瓔珞[ようらく]宝鐸[ほうたく]
 珠玉[しゅぎょく]花形[はながた]の金具を編み合わせて[つづ]った飾りです。厨子[ずし]の荘厳に用いる瓔珞様のもの(青銅製鐘形[かねがた]風鈴[ふうりん])は宝鐸[ほうたく]といいます。

(23)輪灯[りんとう]
 前卓[まえじょく](13)の両側に一対を吊ります。傘蓋[さんがい]と受け皿の間を、馬蹄形[ばていけい]釣輪[つりわ]と金具で連結しているため、輪灯の名があります。

(24)供笥[くげ]
 供物[くもつ]を供える[はこ]のこと。四角・六角・八角形のものがあり、供笥の上部周囲に方立[ほうだて]を立てます。
 供物は「餅」・「菓子」・「果物」を(できたら左右対称に)供えます。本山では主として――鏡餅[かがみもち]小餅[こもち]華束[けそく])・落雁[らくがん]羊羹[ようかん]紅梅糖[こうばいとう](餅米製)・山吹[やまぶき](団子)・銀杏[ぎんなん]紅餅[べにもち]饅頭[まんじゅう]州浜[すはま](大豆の炒粉で作る)・巻煎餅[まきせんべい]昆布[こんぶ]湯葉[ゆば]蜜柑[みかん][くり][かき]などを供えます。
 供笥の他に、鏡台[かがみだい](四角形で脚のない白木地の台)、雲脚台[うんきゃくだい](雲型の脚を付けた四角または丸形の白木地の台)も供物を供える台として用いることがあります。
 なお、供物を供える時は、正式には打敷(9)を掛けます。

(25)高杯[たかつき]
 供笥(24)の代わりに用いられることもありますが、正式な仏具ではありません。

 小型仏壇の荘厳例

 予算や部屋の事情がありますので、必ずしも大型仏壇が良いという訳ではありませんし、また金仏壇でなければならないという決まりはありません。しかし、できる限り如来と浄土のはたらきを念じられるよう、礼拝せしむる荘厳を心がけるべきで、自分勝手な解釈で仏意を蔑ろにしないよう心がけて下さい。

小型仏壇の荘厳図

 普及型の小型仏壇は、大型仏壇をシンプルにしたものですから、御本尊(1)、左脇掛(2)、右脇掛(3)のかけ方につきましては大型仏壇と同じです。

 上卓(8)を用いない場合は、右図にある通り、華瓶(6)一対と、仏飯器(7)を仏飯台に乗せて御本尊(1)正面に供えます。左右脇掛(2),(3) にもそれぞれ同様に仏飯を供えます。

 さらにこの図のように前卓(13)が無い仏壇もありますが、その際も年忌法要などでは打敷(9)を敷いて水板[みずいた]を乗せて、その上に三具足(10),(11),(12)を置きます。

 前述したように、中央に香炉(10)、右に蝋燭立(11)>、左に花瓶(12)を置く荘厳を「三具足[みつぐそく]」といいますが、香炉は一つでもかまいません。

 もっと小型の仏壇もありますが、その場合も、御本尊(1)に仏飯(7)をお供えし、三具足(10),(11),(12)、鈴(18)、聖典は用意しましょう。

 さらに言えば、最低限、御本尊(1)と鈴(18)と聖典は必要です。
 本山では、「いちょう」・「きく」と名がついた厨子[ずし]付きの本尊を制定しています。ともに「六字名号」か「絵像」を選ぶことができますので、ご縁の寺院か最寄の別院でお尋ね下さい。

(以上 参考:『浄土真宗本願寺派法式規範』・『龍谷勤行要集』・『浄土真宗必帯』・『仏事作法なんでも大辞典』など)

 荘厳の心得

 仏壇は、普遍的歴史的真実・覚りの世界(浄土)を形にしたものであり、私たちの心の依りどころをいただく場であり、また人間としての育ちを優しく見守って下さるはたらきの場です。
 ですから、たとえ一人暮らしのような場合でも、また結婚して新居を構えた時でも、住まいには必ず仏壇が必要で、「仏壇のない家は単なる小屋に過ぎない」とも聞かせてもらっています。
 衣食住を満たして生きる方法は誰でも問いますが、それだけでは人生は豊かになりません。衣食住の中に、生きる目的や生きる価値を真剣に問うのが人として生きる道でしょう。これを宗教といい、心の奥底にある真実求道の精神が立ち上がって教えとなったものです。
 家族ともに仏壇の荘厳を中心にして、聞法・読経に勤め、「生きて甲斐あり、死んで悔いの残らない人生」を成就していきましょう。

 また現代は、古い家制度の多くが崩れ、宗旨・宗派の違う家族が同居する場合もあります(複数の宗派の仏壇を安置してもよいか?―家族みんなの気持ちを考えて― 参照)。荘厳を指導する立場の僧侶も、「宗派ではこうなっている」という決め付けた言い方ではなく、荘厳の意味を語り、皆ともに仏法を仰いで人生成就に向かう道を示さなければなりません。

 さらに言えば、「浄土真宗の荘厳と違う」という理由で、例えば「先祖の写真を仏壇に入れないように」と強く指導する人がいますが、相手の気持ちを無視して強制したら、途端に<浄土真宗は私の生活と遊離した頑迷な教えだ>という印象を与えてしまうでしょう。ご先祖の遺影を意に反して外された遺族の身になって考えてみれば、「親鸞聖人や蓮如上人の御影はあるのに、どうして親の写真は入れてはいけないのか」という反発も肯けます。仏壇を教団の支配体制の道具にしてはなりません。
 供養諸仏(供養諸仏の願 参照)なくして衆生は決して救われません。先祖供養も、本願力回向のはたらきとして念仏の心で味わえば、法の展開に素晴らしいご縁となります。迷信は打破すべきですし、人情に流されてばかりでは法が立ち上がりませんが、方便を排除すれば仏法は窒息してしまいます。仏壇の基本的な荘厳の上に、先祖を尊んだ飾り方をし、人情を覚りへのご縁に転じるように形を示してほしいと思います。

 なお、読経の仕方は {家族だけでお経を読む方法(お勤めの意義と仏事の実際)}、経本については {浄土真宗の簡単なお経}に掲載してありますので、参考にして下さい。


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