平成アーカイブス 【仏教Q&A】
以前 他サイトでお答えしていた内容をここに再掲載します
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掲示板 書き込みより――
はじめまして。
一切の自己のはからいを捨て去ること(絶対他力)は、まさに佛教の本質では無いかと思っている者です。
ところで本尊について一連のお答えを読ませていただき、一つ気になる点がありましたので、お教え頂ければ幸いです。
〉親鸞聖人の示された本尊は、聖道門的な浄土教の究極『真身観』でさえ仮の姿としてとらえられ、また「九品の浄土におわす」とされる阿弥陀仏も姿に差別があり方便化身で真実ではなく、ただ「善悪・賢愚のへだてなく救う」と誓われた本願力を信じせしめるはたらきのみを真実とみられました。そのため名号、特に十字名号を重視されていましたが、浄土真宗も歴史を重ねる中、信徒や寺院が増え、絵像や木像が必要となってきました。
上の考え方は非常に納得できます。つまり「本質は自己のはからいを捨てさせ絶対他力の境地(無我)へと導く<働き>であるけれど、なかなか理解が及ばぬ庶民のための方便として名号(文字)や絵、像を仮に用いる」ということだと理解しました。
〉一般家庭では名号や絵像が中心になりますが、これは本山より下付されたものを用います
しかし、その方便であるはずの文字や絵をなぜ本山から下付されたものを用いねばならないのでしょうか?
(自分で書いたり、何も無しでただ念仏する(他力に任せた生活を行う)のでは何か問題があるのでしょうか?)
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〉 しかし、その方便であるはずの文字や絵をなぜ本山から下付されたものを用いねばならないのでしょうか? 〉 (自分で書いたり、何も無しでただ念仏する(他力に任せた生活を行う)のでは何か問題があるのでしょうか?)
わたしも,やはり疑問に思っております。下付を本山が「独占」するのか。
ぜひ,教えてください。
また,「御真影様」が教義上,どういう位置付けにあるのか,これも教えていただきたいのですが。
浄土真宗では,親鸞上人の真影,いわゆる「御真影様」をまるで生きているかのように扱っていると感じられます。
親鸞上人の教えからいうと,違和感を感じるのですが。
これは,教義上,本尊との関係からいってどういう位置付けになるのでしょうか。二尊形式というのでしょうか。
本願寺が廟所から発生したことを考えると,親鸞上人への思慕の拠り所と考えるのか,それとも,教義上それ以外の意味もあるのか。
ぜひ,取り上げてください。
137 本尊について
138 Re:本尊について
139 御真影様について
の3つの書き込みは、同じ根をもつ問題と思いますので、まとめてお応えさせさせていただきます。
まず、「本尊について」の問題――
> しかし、その方便であるはずの文字や絵をなぜ本山から下付されたものを用いねばならないのでしょうか?
> (自分で書いたり、何も無しでただ念仏する(他力に任せた生活を行う)のでは何か問題があるのでしょうか?)
> 下付を本山が「独占」するのか。
> ぜひ,教えてください。
これには二つ理由があります。
「方便であるはずの文字や絵」だからこそ、我流の絵像や名号は避けるべきでしょう。
人は姿形を通して思索しますので、そうした私たちに姿形を見せて、姿形を超えるはたらきを顕すのが尊号(名号)や尊像(絵像)です。「弥陀仏は自然のようをしらせんりょうなり」(自然法爾章)とありますように、巧みな言葉や表現を持つ形だからこそ、本尊として相応しいのです。
偏見かも知れませんが、一般に販売されている本尊の中には、とても阿弥陀如来として拝めない絵像や、粗末な文字で書かれた名号があることはご承知ください。
(画竜点睛に込められた心 参照)
本山から下付される名号や絵像は、教えに適った形(摂取不捨の相)をもとに、手間をかけ、きちんとした作業で作られていますので、まずは安心してお勧めできるのです。
もうひとつは、当然、経済的な理由です。
「経済的な理由」と言うと、低劣な問題のように思われますが、「法施」と「布施」の関係は重要です。
『十住毘婆沙論』には「在家の人は、まさに財施を行ずべし。出家の人は、まさに法施を行ずべし」とあります。
法を施する組織として教団があり、その中心に本山があります。歴史的に実に多くの法施と布施の営みがあり、その流れの中で私たちが法を味わうことができているのです。そして今、名号や絵像の問題を語り合うことができるのです。こうした流れを自分のところで断ち切らないようにすることも、念仏者の勤めではないでしょうか。
名号は「自分だけが法を味わえばいい」という小さな世界にとどまることなく「他の人にも、大衆とともに、後世の人々にも」という大乗精神が極みに達した名のりです。如来のはたらきは人を通してこそ伝わります。「自分で書いたり、何も無しでただ念仏する」というのでは広がりがもてません。「形を超えたはたらきが形になっていただいた」という自然法爾の姿は、常に相手や社会との関係で成立させていく必要があり、そこに浄土の真骨頂があると言えましょう。<多少なりとも法を伝える一助に>という心で、ぜひ本山から受けていただきたいと思います。
もちろん本山は、尊い布施を無駄にしないように、法施に励む義務があることは言うまでもありません。
次に、『御真影』の問題――
> 「御真影様」をまるで
> 生きているかのように扱っていると感じられます。
もし上記のように感じていただけるなら、それは素晴らしいことでしょう。
勿論、木像自体が生きているのでないことは誰でも知っています。まして「霊魂が宿っている」などとは誰も考えていません。しかし、その上で「生きているかのように扱っている」ことが大切なのです。
例えば、釈尊入滅後、弟子の一人が「釈尊入滅によって我々は解放されたのだ。これからは欲望のおもむくままにしよう」という暴言を吐き、それを聞いたマハーカッサパは正しい教法と戒律を定める必要を感じ、後に経典結集の中心人物になっていきました。(ブッダ最後の旅 6 #遺体の火葬 参照)
私たちは、心のどこかで<自分勝手に振舞いたい>という思いがうずまき、それを諭してくれる師の存在を、得てして重荷に感じたりしています。すると、師亡き後には、自説を師の説と偽って語る者も出て来るでしょう。そうした勝手を避ける意味で、師亡き後も常に師と語らい問うことによって、自らを省み、道を踏み外さないように勤めることができます。
現実には、私たちは日々新たな問題に直面します。先人たちの言葉では直接答えの出ない問題も沢山あるはずです。例えば、核の問題や遺伝子操作や脳死の問題、宗教戦争やテロの問題などがあり、また家庭の問題でも一軒ごとに悩みは異なります。しかし、聖人はじめ先人たちの求道心に学び、お姿を仰いで問いかけ、語らうことで、如来のはたらきが、多くの善知識の導きを得て、この新たな現実に展開されていきます。
(言い訳をするようですが、当コーナーは、引用文が多く、読みにくかったり難解な印象を与えてしまっているようですが、これも、自説に偏ることを避け、常に多くの師との語らいの中で質問にお応えさせていただく為です)
親鸞聖人は、名号や絵像の他に七高僧の像も礼拝されてみえたことは『尊号真像銘文』で推察されます。如来に自らの生き方を問うのが畢竟ですが、現実に生きて導いていただいた方への尊崇の念の強さがここに表れているといえるでしょう。現在のように本尊の形が統一されたのは、覚如上人や蓮如上人の導きを経て後で、これは教団組織の成り立ちや発展と密接な関係があるということはよく考えなければなりません。
また、<本願寺の中心に阿弥陀如来像を立て、宗祖の真影を傍らに移したい>という意向は、本願寺サイドでは昔から要請がありました。しかし全国の門徒の同意が中々得られず、善如上人の晩年から綽如上人の時代(西暦14世紀後半)に、いわば強引に阿弥陀如来像を安置したのです。そして後に、御影堂の横に阿弥陀堂が建立されて、そこに尊像が安置されました。
教学的な問題を持ち出せば、本願寺側の意向の方が正しいように見えますが、全国の御門徒さん方の思いは、そうした学問的な意向とは離れたところにあります。この心を一概に「偶像崇拝」と切り捨てることはできないかも知れませんが、常に尊号と尊形と御影像のあるべき姿は、門徒と僧侶が語り合い、模索し続けなければならない問題だと思います。
以上述べましたように、親鸞聖人の像を生きているかのようにお扱いし、常に「もし今生きてみえたら」ということを想定することは、親鸞聖人の求めた道を私たちも求める勝れた縁となります。ですから、本願寺、特に御影堂は「親鸞聖人への思慕の拠り所」という面が多大にあります。同じ真実信心を如来と拝む中で、わが身を振り返り、祖師とともに法を語り合うということは、実に意義深いことです。
「教義上それ以外の意味もあるのか」という問題は、教義上で断定するより、各人の領解と、実際の学びの中で育んでいただくものでしょう。論理的整合性を求めるだけでは、宗教心は枯渇し、菩提心の発露は望めません。また教義も創造的に語られて欲しいと思います。
例えば、以下のような領解をご紹介いたしましょう。
真宗の信心は、名号のいわれを聞き開くことであると、説かれているのだから、当然、名号に重きがおかれる道理であり、生活の立場では、称えるのは南無阿弥陀仏の名号でなければならぬが、礼拝の対象としては、たとえ外国語の南無阿弥陀仏という名号を、帰命尽十方無碍光如来という十字名号にかきかえてみても、一たん頭で翻訳してみねばならぬから、直接いのちにぴんと触れて来ない。やはりあの美しい智徳円満のお姿を見ると、文句なしに、何かたましいに触れるものがある。
<中略>
一般信者の現実は、僧侶の学問とは違った方向を独り歩いている。たとえば僧侶の決めた規則では、本尊の前以外で経を読んではならぬということであるが、本山の事実は、祖師堂で読経しているではないか。また本尊をまつってある阿弥陀堂よりは、親鸞聖人をまつってある祖師堂の方が建物も大きく、行事もそこが中心となっている。また門信徒のものが本山に参ることを、「ご真影様へお礼をして来る」といって、本尊も「名号よりは絵像、絵像よりは木像」をとり、帰依の対象も名号ではなく、常に「仏さま」「阿弥陀さま」である。形を超えた真実は、常に人の上に形をとって働くものである。仏教は釈迦の徳において伝わり、真宗は親鸞という人を通して弘まっている。この生きた事実を無視して、形を否定し、ものを抽象化する方向をとって来た今日までの真宗学は、出発点からその在り方を改めねばならぬのではないであろうか。歴史的現実に根をおろさぬものや、それを無視するものは、何ものといえども、その存在は永く許されない。これは地上の千古の鉄則であるのだが。
本尊の前に坐って、いつも実際とくいちがって、独走し から廻りをしている真宗学に、何か納得のいかぬものを感ずるのです。
島田幸昭 著『真宗開眼 二十の扉』第四問 より
尊号も尊形も聖人のお像も、その形や物に権威を持たせたり執着することは避けるべきです。しかし、そのお姿を拝することによって、自ずと私たちは仏意を訪ねるように導かれるのであり、宗教的情操が喚起されるのです。このことを深く感じ問うていくことが必要ではないでしょうか。
「ご本尊が法性法身でなく真実報身だからこそありがたい」と、いつか学びの中で肯づいていただけましたら、以上の返答はおのずと分かっていただけると思います。
さて、以上で一応の説明は終わりますが、ご質問の中で気になる言葉があり、またそれがこの問題を思索する鍵でもありますので、もう少し踏み込んで、試論も交えてお話ししたいと思います。
「137 本尊について」のご質問で――
一切の自己のはからいを捨て去ること(絶対他力)は、まさに佛教の本質では無いかと思っている者です。
<中略>
「本質は自己のはからいを捨てさせ絶対他力の境地(無我)へと導く<働き>であるけれど、なかなか理解が及ばぬ庶民のための方便として名号(文字)や絵、像を仮に用いる」ということだと理解しました。
と書かれてありますが、教義というものを少し単純にとらえ過ぎてみえる懸念があります。
以前、はからいを捨てることは求道心も捨てること? に書きましたように、「自己のはからいを捨て去る」ことは、逆に求道心が無限の根を持つことを意味します。「なかなか理解が及ばぬ庶民のため」どころか、あらゆる聖人も俗人も智慧のある者も無い者も、そして私自身にも、無限に理解を深める最高の術として名号や仏像が与えられている、ということを味わって頂きたいと思います。
つまり、最初から「絶対他力の境地」が用意されている、と単純に考えてしまったら、まさに「義なきを義とすということは、なお義のあるになるべし」(自然法爾章)という矛盾に陥ってしまい、巧みな方便が発揮される機会を逃してしまいます。
本当は、自力が無限に促されたり、自力が尽き果てたと思われる境涯を得ても、さらに先があることが喜びとなっていくことが他力なのでしょう。私たちは本願成就のいわれを聞くことで、いわば仏智不思議のプログラムに乗じて真実信心を味わうことになるのです。
「真宗教団連合」の出している「法語カレンダー・8月のことば」には――
すべての自力は
他力に
ささえられてあった
鈴木章子
とありまして、自力と他力の関係は決して対立するものではなく、すべての自力に他力のささえを見出すことが本当の他力。有限の身に無限のいのちの重みを見いだすことが他力なのです。
こうした点を梯實圓師は――
真に人間を超えた不可思議なるものに触れた人は、自己のはからいを打ち砕かれながら、逆に限りなく思索を促され続けるものである。如来とは完全に思慮分別(虚妄分別)を超えた不可称・不可説・不可思議なるものに名づけた名であるが、それは不可称なるがゆえに無限に称讃し続けられるものであり、不可説なるがゆえに、無限に説き続けられるものであり不可思議なるがゆえに、無限の思議を信心の行者に促すのであった。不可思議なるものを思議し続ける勝れた教義書には著者の思いをも超えた真実が宿るものである。それゆえ個人を超えた普遍性と、歴史を超えた永遠性を獲得するのである。
<中略>
しかし教義学は単なる聖典の解説に止まってはならないし、論理的整合性だけを求めるものであってはならないであろう。理性を無視するものであってはならないが、理性を正邪の判定者とするような単なる合理的な体系であってはならない。教義書がそうであったように教義学を律するものも信心の智慧なのである。また教義学は、過去の遺産を学ぶだけの学問ではない。仏祖の教えを学ぶことを通して与えられた智慧に導かれながら、私どもが現実に直面している歴史的・社会的なさまざまな問題と呼応し、実践的に応答していくような学問でなければならない。
梯實圓 著『教行信証の宗教構造』序文 より
と述べてみえます。
特に「不可思議なるがゆえに、無限の思議を信心の行者に促す」とは至言で、真実信心は常に私に思惟を促し、私の人生を創造せしめ、人々との新たな関わりを模索せしめていきます。
さらに「理性を正邪の判定者とするような単なる合理的な体系であってはならない」という視点も大切でしょう。合理的な判断だけでは、現実の小さな問題さえ解決できないことも多く、まして私のいのちを貫く大問題の解決にはなりません。如来の智慧は、合理・非合理を超えて、私の存在そのものを肯定し、人生に意味を見出し、方向を与え、絶望でさえ宝に転じる力を与えてくれます。そして、死を避けたい気持ちを持ちながら、死しても悔いを残さない一生を成就せしめていきます。
本尊の問題も、そうした智慧が形として表出し、如来の慈悲を人々に感じ取っていただくものでなければなりません。ですから、過去において阿弥陀仏は様々な様式で表現されてきました。坐像あり、立像あり、印も様々ですし、法蔵菩薩として修行中のお姿や、独尊・三尊の違いもあります。
親鸞聖人も、一光三尊の阿弥陀仏像(この様式の仏像につきましては、興味深い企画がインドで進行中です)や、木辺の錦織寺にある坐像の阿弥陀仏、さらに聖徳太子像や、七高僧の像も当時は「本尊」とよぶ風習があり、当然聖人も礼拝されてみえたと推察されます。
また、初期の真宗教団は、各地の門徒が様々に独自の本尊を造っていました。
こうした歴史は、単に時代とともに様式が変化したというだけでなく、「不可称・不可説・不可思議」の形を超えた主体をいかに形にするか、という難問に対し、信者と尊像製作者たちによって、無限に称讃し、無限に説かれ、無限の思議がなされた結果である、とみてよいでしょう。
名号はある意味デジタルな表現で、仏像や絵像はアナログな表現です。名号は年月による風化はなく、間違いのない表現ですが、教学を知らない人には全く伝わりません。それに比べて尊形は年とともに風化しますし、見る人によって受け取り方が違うかもしれませんが、アナログの持つ人間味は直接人の心にとどきます。
現在、本願寺教団においては、阿弥陀如来像(仏像・絵像)は偶像か? や、前回 ご本尊の形態について で述べたように、統一した規範が存在します。これは教団が大組織として発展・統一される歴史と深く関わっています。本願・浄土のような社会的にも影響力の大きい問題を語るとき、宗門として基本的な教学や本尊論は統一する必要があるのです。事実、自説を標榜し、異安心によって人々を惑わし、善知識だのみのような個人崇拝によって人の心を支配したがる輩は他の組織では後を絶ちません。大教団で混乱を招くことは避ける必要があり、形の統一は必須だったと思います。
しかし、個人の身勝手な活動とは別に、尊形の規範についてもっと自由で創造的な論議があっても良いと思います。といいますのも、江戸時代に恵空師、法霖師、智暹師らによって論議され、天倪師、義教師によって確立された本尊論は、あくまで尊形の規範を「安阿弥(快慶)様・マムキ(正面向き)・立ち姿・独尊」と固定した上での論議で、造形における創造的な試みはこの時点ではほとんどなされなくなっていたのです。つまり「形における結論ありき」の上での論ですから、形に影響を与えるような論議ではなかったのです。
「無限の思議を信心の行者に促す」のであれば、当然、造形における無限の可能性について論じたり試みることも、必然的に促されてきます。これは前半で述べたことと矛盾する提案かも知れませんが、あくまで歴史的な造形の経過をふまえ、広範な教義の深まりを反映した上での話です。現実の歴史を無視した造形は表現者の独りよがりになりますので避けるべきでしょうが、あらゆる可能性を試みてこそ尊形製作の質は向上します。
これは私自身の味わいですが、本願寺で採用されている安阿弥様[あんあみよう]は、天才仏師快慶のあみ出したおそらく完璧な美しさを持つ様式でしょう。これほど理知的で優しく頼りがいのある様式美を私は知りません。教団としてこの様式に統一した意義は大きかったと思います。
しかし、この様式の完璧性を破綻させても、なお表現すべきものがあるのではないか、と思うのです。それは、如来であるがゆえに、煩悩に苦悩し続ける私たちとともに寄り添い、真の如来としてあるべき姿を模索し続ける菩提心です。それがどういう形で現わせるのかは分かりませんし、安阿弥様の中でも表現可能なのかも知れません。
もしこうした試行錯誤を経た上でも「やはり現在の規範が最も相応しい」となるなら、それこそ「真宗で用いる本尊様式の究極性を証明した」ということになるでしょう。
このようなことを言うのも、尊号を書き、尊形を描き、像を刻む一手一手に、どれほどの真剣さが求められているのか忘れられているのではないか―― これは芸術に情熱を注いできた私の個人的な懸念ですが、仏像彫刻の頂点は鎌倉時代に終っていて、書については踏み込めませんが、仏教絵画にしても、近年において、いにしえの技を超える発揮がないことが残念でならないのです。
尊形尊号の製作において、技は心をもととします。そしてその心は浄土に深く根を張ります。浄土は常に私たちに人生創造の力を与えてくれています。その光明があらゆる場を照らし、影響を及ぼしていることを思うと、自ずと頭が下がるような本尊の表現は、単に形式を模すだけの生半可な気持ちでは充分とは言えません。
不十分ながらも、精一杯の報恩を試みてこそ本尊を現実に製作することができます。そして仏壇製作や、その荘厳、声明でも同じことが言えるでしょう。
こうして限りなく努力を続ける姿こそ、「他力にささえられてある自力」ではないでしょうか。