平成アーカイブス 【仏教Q&A】
以前 他サイトでお答えしていた内容をここに再掲載します
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質問:真宗の本尊は阿弥陀如来一仏と聞いていますが、
南無阿弥陀仏の名号が本尊であり、
礼拝の対象としての阿弥陀如来像は方便法身で偶像ではないのですか、
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これは【釈尊と阿弥陀仏の関係(仏像のモデル)】を読まれての質問なのでしょうか。
もし読んでみえてないようでしたら、まずご参考になさって下さい。以下はそのことを前提に書かせていただきます。
◆ 仏像は偶像ではない
最初に結論から申しますと、「名号」は、「方便法身」である法蔵比丘が、本願を建て、兆載永劫の修行によって報い成就した名のりであり、 浄土真宗の教義に適った『住立空中尊』の絵像や木像も同様で、 どちらも礼拝時に用いることができます。 こうした名号や尊形は「真実報身」の顕現でありますから、 聖道門の『像観』や『真身観』の「方便化身」とは区別しなければなりませんし、 まして「偶像」という低次元の扱いはするべきではないでしょう。
また、「南無阿弥陀仏と称名念仏して初めて本尊になられるのではないですか」 というご質問ですが、 「人が称名念仏することによって絵象や仏像が本尊に昇格する」 という意味での問いでしたら、それは間違いです。 僧侶を含め人にそんな力はありませんし、 人によって変えられるようなものは本尊とは申せません。
ただ名号でも、教義に適った絵像や仏像でも、
観仏の修行として用いたり、追善供養や願かけの対象として拝めば、
それは結果として化身や偶像と同じ扱いになってしまいますので、
「人が真実信心より称名念仏して初めて本尊としての本来の活動に適う」
という意味では間違いではありません。
ただし、あくまで如来が先手であり、
「阿弥陀如来のおはたらきが人を称名念仏せしめる」、
という義を踏まえた上での話です。
「仏壇屋で売られている像は偶像ですか」
というご質問については、
それが『住立空中尊』であるか、
『像観』や『真身観』を元としているかが問題となります。
つまり浄土真宗では阿弥陀如来の形像は、
第十八願成就の真実報身をあらわす仏像であり、
そのように受け取れない形像は本尊として受け入れることはできませんので、
現在は原則として本山からお迎えする決まりとなっています。
このことにつきましては以下、歴史的な経緯を追って説明します。
◆ 像観・真身観は第二義的本尊
実は「本尊」というのは、『大日経』に顕されたものが用語の始まりで、 本尊には無相と有相があり、 有相の本尊に、字(仏の名前)、印(手の形や持物)、形像(尊形) の三種あることが記されています。
在家である浄土真宗門徒としては、無相は本尊としては縁がありません。
無相の響きを追うのではなく、無相が歴史を経て有相に報いた歴史を尊むのです。
有相の本尊についてみてみますと、これは密教の経典ですから、
「本尊の形を観縁するが故に、即ち本尊の身を以て自身をなさしむ」という、
本尊と一体になることを目指す修行で用いる像ですが、
法然上人においても、臨終来迎像として、
「浄土の仏のゆかしさに、そのかたちをつくりて、真仏の思をなすは功徳をうること」
と、仏像や仏画に念仏の助業としての意義を見出されています。
親鸞聖人は、そうした本尊論を展開されることはありませんでしたし、 臨終来迎を期するのは自力であり、「来迎の義則をまたず」と、 平生・現生においてすでに摂取不捨の利益で正定聚に入る利益を得ている訳ですから、 臨終来迎を期する本尊ではなく、大悲の活動相として、 名号本尊を六幅ご製作されています。
これらは全て「愚禿親鸞敬信尊号」と自記されていて、 そのうちの三幅には「方便法身尊号」と裏書がなされていましたが、 「方便法身」と「真実報身」には歴史の重みという点で違いがありますので、ここには少し疑問が残ります。
また『一念多念証文(一念多念文意)』(親鸞聖人著)において――
宝海と申すは、よろづの衆生をきらはず、さはりなくへだてず、みちびきたまふを、大海の水のへだてなきにたとへたまへるなり。この一如宝海よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無碍のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆゑに、報身如来と申すなり。これを尽十方無碍光仏となづけたてまつれるなり。この如来を南無不可思議光仏とも申すなり。この如来を方便法身とは申すなり。方便と申すは、かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。すなはち阿弥陀仏なり。この如来は光明なり、光明は智慧なり、智慧はひかりのかたちなり、智慧またかたちなければ不可思議光仏と申すなり。この如来、十方微塵世界にみちみちたまへるがゆゑに、無辺光仏と申す。しかれば、世親菩薩(天親)は尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまへり。
――とあり、
確かに名号を第一義とされてみえたことがうかがえます。
しかし仏像・絵像もやはり礼拝されていて、
また七高僧の像も礼拝されてみえたことも『尊号真像銘文』にみることができます。
名号を第一義とされたのは覚如上人も同じで、 『改邪鈔』においては――
いまの真宗においては、もつぱら自力をすてて他力に帰するをもつて宗の極致とするうへに、三業のなかには口業をもつて他力のむねをのぶるとき、意業の憶念帰命の一念おこれば、身業礼拝のために、渇仰のあまり、瞻仰のために絵像・木像の本尊をあるいは彫刻しあるいは画図す。しかのみならず、仏法示誨の恩徳を恋慕し仰崇せんがために、三国伝来の祖師・先徳の尊像を図絵し安置すること、これまたつねのことなり。
<中略>
本尊なほもつて『観経』所説の十三定善の第八の像観より出でたる丈六八尺随機現の形像をば、祖師あながち御庶幾御依用にあらず。天親論主の礼拝門の論文、すなはち「帰命尽十方無碍光如来」をもつて真宗の御本尊とあがめましましき。いはんやその余の人形においてあにかきあがめましますべしや。末学自己の義すみやかにこれを停止すべし。
――とあり
つまり絵像や木像の形像本尊は第二義的ではあるが、
「渇仰のあまり、瞻仰のために」安置して礼拝することを「つねのこと」として許すが、
その他の像は拝むべきでないということが記されています。
また存覚上人は『弁明名体鈔』において――
文字にあらわせるときは、すなわち分量をさゝざるゆへに、これ浄土の真実の仏体をあらわせるなり。しかれども凡夫は、まどひふかく、さとりすくなきがゆえに、あさきによらずば、ふかきをしるべからず。
――と著し、形像は凡夫のための浅い方法であるが、 これはやむを得ない手段であることを示しています。
以上の中で形像が第一義でない理由は、 「本尊なほもつて『観経』所説の十三定善の第八の像観より出でたる丈」 というところにあり、つまり形像本尊は 『仏説観無量寿経 正宗分 定善 像観』もしくは『同・真身観』をよりどころとし、 これは自力修行の三昧の中で観じられる像であるから、 九品の差別があり、真実なる報身報土ではないということなのです。
さらに『蓮如上人御一代記聞書』には――
一、他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像といふなり。当流には、木像 よりは絵像、絵像よりは名号といふなり。――という有名な語が残されています。
これは浄土真宗の独自性と純他力の方向性を明確にされた言葉ですが、
観念の対象として阿弥陀如来を観じるのではなく、
本願召喚の勅命を聞き、摂取不捨の仏意を聞くのが浄土真宗ですから、
仏像・仏画といえども、あくまで名号が形を現われた姿として受け止めるのです。
◆ 住立空中尊は真仏
江戸時代になると、その意に即し 『仏説観無量寿経 正宗分 定善 華座観 住立空中尊』 にある姿が、真宗教学に適った本尊であることが論じられ、 天倪師、義教師らがその本尊論を確立していきます。
これは先の『像観』もしくは『真身観』と違い、 罪悪深重のイダイケ夫人が、凡夫のまま釈尊の導きで 「まのあたりに無量寿仏を見たてまつることができた」のですから、 これこそ「一切衆生を差別なく救う」と誓われた本願の現れである、 と解されたわけです。 (先の【釈尊と阿弥陀仏の関係(仏像のモデル)◆浄土真宗の本尊】参照)
ところで最初に『住立空中尊』を本尊の典拠と述べられたのは、大谷派の恵空師で、 本願寺派では法霖師がその論を支持し詳細な教義を展開するのですが、 法霖師なき後、智暹師がその論を批判し、 『仏説無量寿経 巻下 正宗分 釈迦指勧 霊山現土』 において阿難たちが見たてまつった無量寿仏こそ真宗の本尊である、 と主張します。
仏、阿難に告げたまはく、「なんぢ起ちてさらに衣服を整へ、合掌し恭敬して無量寿仏を礼したてまつれ。十方国土の諸仏如来は、つねにともにかの仏の無着・無碍なるを称揚し讃歎したまへばなり」と。ここにおいて阿難起ちて、衣服を整へ、身を正しくし、面を西にして、恭敬し合掌して、五体を地に投げて、無量寿仏を礼したてまつりてまうさく、「世尊、願はくはかの仏・安楽国土、およびもろもろの菩薩・声聞の大衆を見たてまつらん」と。この語を説きをはるに、即時に無量寿仏は、大光明を放ちてあまねく一切諸仏の世界を照らしたまふ。金剛囲山、須弥山王、大小の諸山、一切のあらゆるものみな同じく一色なり。たとへば劫水の世界に弥満するに、そのなかの万物、沈没して現れず、滉瀁浩汗としてただ大水をのみ見るがごとし。かの仏の光明もまたまたかくのごとし。声聞・菩薩の一切の光明、みなことごとく隠蔽して、ただ仏光の明曜顕赫なるを見たてまつる。そのとき阿難、すなはち無量寿仏を見たてまつるに、威徳巍々として、須弥山王の高くして、一切のもろもろの世界の上に出づるがごとし。相好〔より放つ〕光明の照曜せざることなし。この会の四衆、一時にことごとく見たてまつる。かしこにしてこの土を見ること、またまたかくのごとし。『霊山現土』
智暹師によると、
等々の理由で『大経』典拠説を主張されるのですが、 この説の弱点は如来が立ち姿である必然性が説明できないことにありました。
これに対し天倪師は『霊山現土』に記されたの如来も一応本尊として認めながら、この説の弱点をつき、
また義教師は『本尊義破邪顕正』において学林の公式見解を発表しました。
それによると、
こうした法論を通して形像本尊論は教義的に確立してゆき、 以後はこうした天倪師、義教師の説が踏襲されていきます。
(梯實圓著『浄土真宗の本尊論』を参照しました)
(後の掲載ですが、{行における本尊の位置づけ}も参考にしてみて下さい)