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ご信心を味わう

『仏説無量寿経』45

【浄土真宗の教え】

仏説無量寿経 巻下 正宗分 釈迦指勧 胎化得失4

 『浄土真宗聖典(註釈版)』本願寺出版社 より

仏説無量寿経 45

 仏、弥勒に告げたまはく、「たとへば転輪聖王のごとき、別に七宝の宮室ありて、種々に荘厳し床帳を張設し、もろもろのゾウ幡を懸く。もしもろもろの小王子ありて罪を王に得れば、すなはちかの宮中に内れて、繋ぐに金鎖をもつてす。飲食・衣服・床褥・華香・妓楽を供給せんこと、転輪王のごとくして乏少するところなけん。意においていかん。このもろもろの王子、むしろかの処を楽ふやいなや」と。対へてまうさく、「いななり。ただ種々に方便して、もろもろの大力〔ある人〕を求めてみづから免れ出でんことを欲ふ」と。仏、弥勒に告げたまはく、「このもろもろの衆生も、またまたかくのごとし。仏智を疑惑せしをもつてのゆゑに、かの〔胎生の〕宮殿に生じて、刑罰乃至一念の悪事もあることなし。ただ五百歳のうちにおいて三宝を見たてまつらず、〔諸仏を〕供養してもろもろの善本を修することを得ず。これをもつて苦とす。余の楽ありといへども、なほかの処を楽はず。もしこの衆生、その本の罪を識りて、深くみづから悔責して、かの処を離れんことを求めば、すなはち意のごとく、無量寿仏の所に往詣して恭敬し供養したてまつることを得、またあまねく無量無数の諸余の仏の所に至りて、もろもろの功徳を修することを得ん。弥勒まさに知るべし、それ菩薩ありて疑惑を生ずるものは、大利を失すとす。このゆゑに、まさにあきらかに諸仏無上の智慧を信ずべし」と。


 『浄土三部経(現代語版)』本願寺出版社 より

仏説無量寿経 45

 釈尊が弥勒菩薩に仰せになった。
「たとえば転輪聖王が王の宮殿とは別に七つの宝でできた宮殿を持っているとしよう。そこにはさまざまな装飾が施されており、立派な座が設けられ、美しい幕が張られ、いろいろな旗などがかけられている。その国の王子たちが罪を犯して父の王から罰せられると、その宮殿の中に入れられて黄金の鎖でつながれるのであるが、食べものや飲みもの、衣服や寝具、香り高い花や音楽など、すべて父の王と同じように何一つ不自由することがない。さてその場合、王子たちはそこにいたいと願うだろうか」
 弥勒菩薩がお答えする。
「いいえ、そのようなことはないでしょう。いろいろな手だてを考え、力のある人を頼ってそこから逃れ出たいと思うでしょう」
 そこで釈尊が弥勒菩薩に仰せになる。
「胎生のものもまたその通りである。仏の智慧を疑ったためにその宮殿の中に生れたのであって、何のとがめもなく、少しもいやな思いをしないのであるが、ただ五百年の間、仏にも教えにも菩薩や声聞たちにも会うことができず、仏がたを供養してさまざまな功徳を積むこともできない。このことがまさに苦なのであり、他の楽しみはすべてあるけれども、その宮殿にいたいとは思わないのである。
 しかしこれらのものが、その苦は仏の智慧を疑った罪によると知り、深く自分のあやまちを悔い、その宮殿を出たいと願うなら、すぐさま思い通り無量寿仏のおそばへ行き、うやうやしく供養することができる。また、ひろく数限りない仏がたのもとへ行ってさまざまな功徳を積むこともできる。
 弥勒よ、よく知るがよい。仏の智慧を疑うものはこれほどに大きな利益を失うのである。そうであるから、無量寿仏のこの上ない智慧を疑いなく信じるがよい」


 いよいよ真実信心と不真実信心の違い(胎化得失)を説く最後の章となりました。ここでは特に凝り固まった信心を批判しているのですが、全ての宗教や思想に通じる問題点ですから、よくよくわが身を省みて味わいたいところです。

 教学的納得に閉じこもる愚

註釈版
 仏、弥勒[みろく]に告げたまはく、「たとへば転輪聖王[てんりんじょうおう]のごとき、別に七宝[しっぽう]宮室[くしつ]ありて、種々に荘厳[しょうごん]床帳[じょうちょう]張設[ちょうせつ]し、もろもろのゾウ幡[ぞうばん][]く。もしもろもろの小王子[しょうおうじ]ありて罪を王に[]れば、すなはちかの宮中[くちゅう][]れて、[つな]ぐに金鎖[こんさ]をもつてす。飲食[おんじき]衣服[えぶく]床褥[じょうのく]華香[けこう]妓楽[ぎがく]供給[くきゅう]せんこと、転輪王[てんりんおう]のごとくして乏少[ぼうしょう]するところなけん。[こころ]においていかん。このもろもろの王子、むしろかの[ところ][ねが]ふやいなや」と。対へてまうさく、「いななり。ただ種々[しゅじゅ]方便[ほうべん]して、もろもろの大力[だいりき]〔ある人〕を求めてみづから[まぬか]れ出でんことを[おも]ふ」と。
現代語版
 釈尊が弥勒菩薩に仰せになった。
「たとえば転輪聖王が王の宮殿とは別に七つの宝でできた宮殿を持っているとしよう。そこにはさまざまな装飾が施されており、立派な座が設けられ、美しい幕が張られ、いろいろな旗などがかけられている。その国の王子たちが罪を犯して父の王から罰せられると、その宮殿の中に入れられて黄金の鎖でつながれるのであるが、食べものや飲みもの、衣服や寝具、香り高い花や音楽など、すべて父の王と同じように何一つ不自由することがない。さてその場合、王子たちはそこにいたいと願うだろうか」
 弥勒菩薩がお答えする。
「いいえ、そのようなことはないでしょう。いろいろな手だてを考え、力のある人を頼ってそこから逃れ出たいと思うでしょう」

 他力真実信心と自力不真実信心の別をこれほど端的に顕した文言はありません。親鸞聖人も和讃に――

転輪皇[てんりんおう]王子[おうじ]の [おう]につみをうるゆゑに 金鎖[こんさ]をもちてつなぎつつ 牢獄[ろうごく]にいるがごとくなり
『正像末和讃』64
仏智不思議[ぶっちふしぎ]をうたがひて 罪福[ざいふく]信ずる有情[うじょう]は 宮殿[くでん]にかならずうまるれば 胎生[たいしょう]のものとときたまふ
『正像末和讃』79
と歎じてみえます。

 では、経典の中身を見てみましょう。
 まず「たとへば転輪聖王[てんりんじょうおう]のごとき、別に七宝[しっぽう]宮室[くしつ]ありて」とあります。転輪聖王は七宝を有し、長寿・無患・顔貌端正・宝蔵盈満の四徳をそなえ、正法をもって世を治めると考えられた神話的な王≠ナあり(参照:
{『仏説無量寿経』19})、仏徳の比喩としてよく用いられたり比較されたりするのですが、ここでも真実信心と不真実信心を本邸[ほんてい]別邸[べってい]に喩えて説いています。

 つまり、真実信心は本邸であり、不真実信心は別邸に喩えているのですが、真偽二つの信心には、形や境遇に差は全くないということが明かになります。それが、「種々に荘厳[しょうごん]床帳[じょうちょう]張設[ちょうせつ]し、もろもろのゾウ幡[ぞうばん][]」であり、「飲食[おんじき]衣服[えぶく]床褥[じょうのく]華香[けこう]妓楽[ぎがく]供給[くきゅう]せんこと、転輪王[てんりんおう]のごとくして乏少[ぼうしょう]するところなけん」と顕されています。浄土におけるの様々なアイテムや建物は、『仏説無量寿経』9(法蔵修行)『仏説無量寿経』16(講堂宝池荘厳)『仏説無量寿経』17(眷属荘厳1)『仏説無量寿経』20(眷属荘厳4)に詳説してありますが、今一度解説しますと――
床帳[じょうちょう]」は、坐臥[ざが]する床を設けその上に幕を張りめぐらしたものであり、いわば安んじられる場を得ることを喩えているのでしょう。
「もろもろのゾウ幡[ぞうばん]」は、仏・菩薩の威徳をあらわす荘厳具で、私たちは無量寿仏から回向された[のぼり]として、つねにそうした象徴となるものを創造し続けていることを言います。
飲食[おんじき]」は<『経』のなかに命を説きて食とす>とある通り、仏の命である菩提心を象徴しています(参照:{地獄・極楽の食事風景})。
衣服[えぶく]」は懺悔を象徴しています(参照:{衣服随念の願})。
床褥[じょうのく]」は寝具のことですが、仏徳のおかげで日々安んじて眠ることができることを表しています。
華香[けこう]」は、仏の功徳が心地よく衆生に回施されることを表しています。
妓楽[ぎがく]」は、仏法を行じる喜びを象徴してます。

 以上のことは、信心の真偽に関わらず回施されるのですが、ほんの一つ、大きな違いがあります。それが「かの宮中[くちゅう][]れて、[つな]ぐに金鎖[こんさ]をもつてす」ということです。

「金」は信心を象徴するものです。本来なら信心は一番の宝なのですが、その宝がかえって身心を呪縛することを金の[くさり]に喩えているのです。信心や信仰はどんな宗教者・信者にとっても最も重要な宝であり生きる力となるもので、『御文章』5-10にも「聖人(親鸞)一流の御勧化[ごかんけ]のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ」とある通りです。ところが、これは全ての宗教で見られることですが、自分たちの宗旨・宗派を賛美しているうちに凝り固まってしまい、その教学的思考回路から外れたものを無視したり排除しようとする人が数多くなってしまうのです。問題は、ひとたび得られた信心によって、かえって自分自身や周囲が見えなくなり、教学的正当性ばかり気になり、教えに束縛されて生な現実を見失ってしまうことです。このような自家第一主義の呪縛を金鎖[こんさ]に喩えているのでしょう。

 実は、「得られた信心」というのは全て自力なのです。ですから、「私は信心を得た」・「信心をいただいた」と思った途端にその信心は自力に堕してしまうのです。ですから、得られた信心が本物なのかどうか、常に周囲に試され、自分の本音に試され、現実の客観世界に試され、苦難に試されて、木っ端微塵に砕かれていかねばならないのです。
 また、教学的な納得を信心と誤解している人もいます。このような人は仏法を理性で解釈しているだけですから、理屈を失うことを畏れ、ひたすら理論の範疇に自分や他人や世界を閉じ込めてしまう傾向があります。こうなると、どんなことでも自分の確立した教学理解に押し込め、論争の際の武器として利用するようになります。こうした生き方を経典では「別に七宝[しっぽう]宮室[くしつ]ありて」と喩えているのでしょう。実に言い得て妙な喩えです。

「掲示伝道用語文例五○○集」(浄土真宗僧侶必携)の中には「心得たと 思う心には 油断がある 心得られぬと 思うことは 心得る 前兆である」という法語があります。脱皮しない蛇は滅びるように、信心もつねなる脱皮≠催すはたらきと主体こそが真実なのであり、「これ」とつかむものは真実ではありません。そして『仏説無量寿経』21(華光出仏)には、「華、用ゐることすでに[おわ]れば、地すなはち開き裂け、[]いでをもつて化没[けもつ]す」とありますが、こうした日々新たなる人生創造の営みこそが真実信心の催しなのです。

 仏・菩薩は目の前に

註釈版
仏、弥勒に告げたまはく、「このもろもろの衆生も、またまたかくのごとし。仏智[ぶっち]疑惑[ぎわく]せしをもつてのゆゑに、かの〔胎生[たいしょう]の〕宮殿[くでん]に生じて、刑罰乃至一念[ぎょうばつないしいちねん]の悪事もあることなし。ただ五百歳のうちにおいて三宝[さんぽう]を見たてまつらず、〔諸仏を〕供養[くよう]してもろもろの善本[ぜんぽん][しゅ]することを得ず。これをもつて苦とす。[]の楽ありといへども、なほかの[ところ][ねが]はず。もしこの衆生、その[もと]の罪を[]りて、深くみづから悔責[けしゃく]して、かの[ところ]を離れんことを求めば、すなはち意のごとく、無量寿仏[むりょうじゅぶつ][みもと]往詣[おうげい]して恭敬[くぎょう]し供養したてまつることを[]、またあまねく無量無数[むりょうむしゅ]諸余[しょよ]の仏の所に至りて、もろもろの功徳を[しゅ]することを得ん。弥勒まさに知るべし、それ菩薩[ぼさつ]ありて疑惑[ぎわく]を生ずるものは、大利[だいり][しっ]すとす。このゆゑに、まさにあきらかに諸仏無上の智慧を信ずべし」と。
現代語版
 そこで釈尊が弥勒菩薩に仰せになる。
「胎生のものもまたその通りである。仏の智慧を疑ったためにその宮殿の中に生れたのであって、何のとがめもなく、少しもいやな思いをしないのであるが、ただ五百年の間、仏にも教えにも菩薩や声聞たちにも会うことができず、仏がたを供養してさまざまな功徳を積むこともできない。このことがまさに苦なのであり、他の楽しみはすべてあるけれども、その宮殿にいたいとは思わないのである。
 しかしこれらのものが、その苦は仏の智慧を疑った罪によると知り、深く自分のあやまちを悔い、その宮殿を出たいと願うなら、すぐさま思い通り無量寿仏のおそばへ行き、うやうやしく供養することができる。また、ひろく数限りない仏がたのもとへ行ってさまざまな功徳を積むこともできる。
 弥勒よ、よく知るがよい。仏の智慧を疑うものはこれほどに大きな利益を失うのである。そうであるから、無量寿仏のこの上ない智慧を疑いなく信じるがよい」

 前節にありましたように、「心得た」と慢心でつかんだ信心に縛られ、教学的理解に終始する人々は、「かの〔胎生[たいしょう]の〕宮殿[くでん]に生じて、刑罰乃至一念[ぎょうばつないしいちねん]の悪事もあることなし」で、形としては真実報土と同じで境遇に違いはありませんが、別邸の宮殿に縛られ、「五百歳のうちにおいて三宝[さんぽう]を見たてまつらず、〔諸仏を〕供養[くよう]してもろもろの善本[ぜんぽん][しゅ]することを得ず」。つまり、一生涯五悪道を省みることなく(五百歳)、仏法僧の三宝に直に接することもなく、諸仏の本当の尊さを味わうこともできず、善本(「不可称不可説不可思議の功徳」が、菩薩行を修することによって、それが形をとって、身について、その人の人格となり、人相となり、家庭や環境の上に、後光となって花と開くこと)を修することができないことが最大の苦しみなのです。

 なお、真実信心と不真実信心は形も言葉も同じであるため、理論的に相手の間違いを指摘することはできません。本当は自力と他力は似て非なるものなのですが、本人は不真実であっても気づくことが難しいのです。浅原才市同行も――

ちがうことは言うじゃない
このままとはちがいます
言葉はよいが胸に自力の根がのこる
はやくご縁にあいなさい
と、そのもどかしさを吐露してみえます。

 では、ひとたび七宝の宮室に胎生してしまった人は一生涯化土に留まるのかと言うとそうではなく、「もしこの衆生、その[もと]の罪を[]りて、深くみづから悔責[けしゃく]して、かの[ところ]を離れんことを求めば」、つまり、仏のまごころの智慧≠疑い自分勝手な信心を持ったことを懺悔し、自力の信心を捨て、教学理論の殻を破って真実報土に生まれることを願えば、「無量寿仏[むりょうじゅぶつ][みもと]往詣[おうげい]して恭敬[くぎょう]し供養したてまつることを[]」、そう願わしめた根本主体である無量寿仏に直接遇うことが適い、本当に無量寿仏の智慧と功徳を尊敬することができるのです。

 さらには、「あまねく無量無数[むりょうむしゅ]諸余[しょよ]の仏の所に至りて、もろもろの功徳を[しゅ]することを得ん」とあります。これは、たとえば『仏説無量寿経』27b(往覲偈2)#往相回向と還相回向に「億の如来に奉事[ぶじ]するに、飛化[ひけ]してもろもろの[くに][へん]し、恭敬[くぎょう]歓喜[かんぎ]して去り、[かえ]りて安養国[あんにょうこく]に到る」とあるのと同じです。具体的には、一切諸仏に仕え、相手を尊び、一切衆生を敬い念じて生活する=A自分の身を低くし、相手を尊び、その人でなければ解らない人生観・世界観を教えてもらう=Bすると仏を拝むは衆生を拝む、衆生を拝むは仏を拝む≠ナ、仏仏相念の環境が成立し、仏の智慧と功徳が互いの胸で響きあい歎じられていきます

 仏・菩薩は遠方ではなく目の前にいるのですが、このことを本当に識るには、自力の信心を破り、教学の殻を破り、五逆の罪を背負った自分に向き合い、心を真っ裸にして人々と集い、日々物事に当ってゆくことで適うのです。教学はいわば信心の文法であり、決して中身ではありません。中身のない論争が虚しいのと同様、信心の吐露や発揮のない教学は抜け殻ですから、いくら言葉が正しくても生きる力とはならないのです。
 肝心なのは、つねに阿弥陀仏の直説[じきせつ]を聞く心の耳を持つことです。弥陀の直説はいつでもどこでも誰にでも至り届いているのですが、あまりにも近すぎ、当たり前すぎて、ほとんどの人は意識して聞いていません。

垣根の外の水の音 耳には慣れて忘れはするが
忘れた音の聞こえるように 昔の母が憶われる
(若山牧水)
 この聞こえた直説が言葉になると領解となり、領解がまとまると教学となるのです。最初から最後まで教学の中でもがいていては、いつまでたっても無量寿仏に遇うことは適いません。

 そして世尊は弥勒に「それ菩薩[ぼさつ]ありて疑惑[ぎわく]を生ずるものは、大利[だいり][しっ]すとす。このゆゑに、まさにあきらかに諸仏無上の智慧を信ずべし」と結んで「胎化得失」を説き終わります。仏法僧の三宝も教学も、真実信心として我が身に満ちて功徳が顕現しなければ宝の持ち腐れでありましょう。
 なお「諸仏無上の智慧を信ずべし」のところを現代語版は「無量寿仏のこの上ない智慧を疑いなく信じるがよい」とひねって訳してありますが、根本は無量寿仏であってもこの箇所は「諸仏の智慧」ですから、経典は無量寿仏の智慧と寿命が人民に及んで各所で発揮されている現場を讃じているのでしょう。
(参照:{「人民〔の寿命〕も、無量無辺」の疑問}

 資料

 これを世間のことでいうなら、赤ちゃんが産まれて親になった。親になった途端に「私は親になった親になったと思うて有頂天になっておったが、私は親でありながら親の値打ちがなかった」と、親なればこそ親の値打ちがないと、こう頭が下がるの。まことが出てくるから。けれども、なんぼ親になってもまことのない人は、「私は親だぞ。私は親だぞ。私のようないい親がどこにもおるまいが」。これは偽物の親でしょう。
 だから、まごころができてきたら、「私は親でありながら、親の値打ちがない」と、こう二つしかないのです。親になろうというのではない。今度は、親でありながら親の値打ちがないと気が付いたら、初めて今度は「親なればこそ親になりたい」の。親でない者になるのでは違うのだから。今までは、「今、私は迷うて罪の深い者であって、今度はさとっていきたい」という。いきたいとこう思うでしょう。そうではないのです。親なればこそ親になりたい。私が私になる。そういうことをいっておるわけです。
 その信心を「私は信心もらった」とか「私はさとった」とかいうことで、信心をにぎり、さとりをにぎったのを、金の鎖でつながれておると、こう例えておっしゃって、それが広大無辺の世界に、自分で蚕がまゆに埋もうて自分が一人閉じこもっておるように、そういう辺地、偏ったところであり、しかも横着な、そこに懈慢界(けまんがい)、自慢をしておる。「私は信心があるぞ」と、何不自由はないのだが、そこへちゃんと閉じこもっておるの。
 龍樹菩薩はこれをどういうかというと、「地獄に落ちた菩薩の死と名づける」。菩薩が死んだと名付ける。地獄に落ちたよりもっと悪い。なぜかというと、地獄に落ちた分なら、まだ地獄からはい出ようという願いが出てくるけれども、ちゃんと生ぬるい湯の中につかっておるのだから、苦しみがないものだから、そこへそのまま終わってしまう。これを菩薩が死んだと名付けると、こういうふうに龍樹菩薩はいさめておられるわけあります。
『仏説無量寿経講話』(島田幸昭)より

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