[index]    [top]

七高僧の教えを味わう

往生論註を味わう 6

【浄土真宗の教え】

礼拝門・讃嘆門・作願門

 ここでは『浄土論』総説分の頭の偈「世尊我一心 帰命尽十方 無礙光如来 願生安楽国」の解釈をします。前回の{偈頌を五念門に配当}に、<第一行の四句にあひ含みて三念門あり>とありますように、この第一行四句に五念門(礼拝門、讃嘆門、作願門、観察門、回向門)の中の上三門(礼拝門、讃嘆門、作願門)までが配当されますので、一字一句をおろそかにせず味わいたいと思います。

『往生論註』巻上

浄土真宗聖典 七祖篇(注釈版)
【六】
  世尊我一心 帰命尽十方 無礙光如来 願生安楽国
「世尊」とは諸仏の通号なり。智を論ずればすなはち義として達せざるはなし。断を語ればすなはち習気余りなし。智断具足してよく世間を利し、世のために尊重せらるるゆゑに世尊といふ。ここにいふ意は、釈迦如来に帰したてまつるなり。なにをもつてか知ることを得となれば、下の句に「我依修多羅」といへばなり。天親菩薩、釈迦如来の像法のなかにありて釈迦如来の経教に順ず。ゆゑに生ぜんと願ず。生ぜんと願ずるに宗あり。ゆゑにこの言は釈迦に帰したてまつると知るなり。もしこの意を謂ふに、あまねく諸仏に告ぐることまた嫌ふことなし。それ菩薩の仏に帰することは、孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静おのれにあらず、出没かならず由あるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理よろしく先づ啓すべし。また所願軽からず。もし如来威神を加したまはずは、まさになにをもつてか達せんとする。神力を加することを乞ふ。ゆゑに仰ぎて告ぐるなり。「我一心」とは天親菩薩の自督の詞なり。いふこころは、無礙光如来を念じて安楽に生ぜんと願ず。心々相続して他の想間雑することなしとなり。
 問ひていはく、仏法のなかには我なし。このなかになにをもつてか我と称する。答へていはく、「我」といふに三の根本あり。一にはこれ邪見語、二にはこれ自大語、三にはこれ流布語なり。いま「我」といふは、天親菩薩の自指の言にして、流布語を用ゐる。邪見と自大とにはあらず。

 「帰命尽十方無礙光如来」とは、「帰命」はすなはちこれ礼拝門なり。「尽十方無礙光如来」はすなはちこれ讃嘆門なり。なにをもつてか「帰命」はこれ礼拝なりと知るとなれば、龍樹菩薩の、阿弥陀如来の讃(易行品)を造れるなかに、あるいは「稽首礼」といひ、あるいは「我帰命」といひ、あるいは「帰命礼」といへり。この『論』(浄土論)の長行のなかにまた「五念門を修す」といへり。五念門のなかに礼拝はこれ一なり。天親菩薩すでに往生を願ず。あに礼せざるべけんや。ゆゑに知りぬ、帰命はすなはちこれ礼拝なり。しかるに礼拝はただこれ恭敬にして、かならずしも帰命にあらず。帰命はかならずこれ礼拝なり。もしこれをもつて推せば、帰命を重しとなす。偈は己心を申ぶ。よろしく帰命といふべし。論は偈の義を解す。汎く礼拝を談ず。彼此あひ成じて義においていよいよ顕れたり。
 なにをもつてか「尽十方無礙光如来」はこれ讃嘆門なりと知るとならば、下の長行のなかに、「いかんが讃嘆門。いはく、かの如来の名を称するに、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲するがゆゑなり」といへり。舎衛国所説の『無量寿経』(小経)によらば、仏、阿弥陀如来の名号を解したまはく、「なんがゆゑぞ阿弥陀と号する。かの仏の光明無量にして、十方国を照らしたまふに障礙するところなし。このゆゑに阿弥陀と号す。またかの仏の寿命およびその人民も、無量無辺阿僧祇なり。ゆゑに阿弥陀と名づく」と。
 問ひていはく、もし無礙光如来の光明無量にして、十方国土を照らしたまふに障礙するところなしといはば、この間の衆生、なにをもつてか光照を蒙らざる。光の照らさざるところあらば、あに礙あるにあらずや。答へていはく、礙は衆生に属す。光の礙にはあらず。たとへば日光は四天下にあまねけれども、盲者は見ざるがごとし。日光のあまねからざるにはあらず。また密雲の洪きにソソ{灌なり}げども、頑石の潤はざるがごとし。雨の洽{シュなり}さざるにはあらず。
 もし一仏、三千大千世界を主領すといはば、これ声聞論のなかの説なり。もし諸仏あまねく十方無量無辺世界を領すといはば、これ大乗論のなかの説なり。天親菩薩、いま、「尽十方無礙光如来」といふは、すなはちこれかの如来の名により、かの如来の光明智相のごとく讃嘆するなり。ゆゑに知りぬ、この句はこれ讃嘆門なり。

 「願生安楽国」とは、この一句はこれ作願門なり。天親菩薩の帰命の意なり。それ「安楽」の義はつぶさに下の観察門のなかにあり。
 問ひていはく、大乗経論のなかに、処々に「衆生は畢竟無生にして虚空のごとし」と説けり。いかんが天親菩薩「願生」といふや。答へていはく、「衆生は無生にして虚空のごとし」と説くに二種あり。一には、凡夫の謂ふところのごとき実の衆生、凡夫の見るところのごとき実の生死は、この所見の事、畢竟じて所有なきこと、亀毛のごとく、虚空のごとし。二には、いはく、諸法は因縁生のゆゑにすなはちこれ不生なり。所有なきこと虚空のごとし。天親菩薩の願ずるところの生は、これ因縁の義なり。因縁の義のゆゑに仮に生と名づく。凡夫の、実の衆生、実の生死ありと謂ふがごときにはあらず。
 問ひていはく、なんの義によりてか往生と説く。答へていはく、この間の仮名人のなかにおいて五念門を修するに、前念は後念のために因となる。穢土の仮名人と浄土の仮名人と、決定して一なるを得ず、決定して異なるを得ず。前心後心またかくのごとし。なにをもつてのゆゑに。もし一ならばすなはち因果なく、もし異ならばすなはち相続にあらざればなり。この義は一異の門を観ずる論のなかに委曲なり。第一行の三念門を釈しをはりぬ。

聖典意訳
 世尊 我一心に 尽十方無碍光如来に
   帰命したてまつって 安楽国に生ぜんと願ず

 「世尊」というのは、すべての仏に通ずる徳号である。智徳をいえば、すべての義理に達しないことはなく、迷いを断じた徳をいえば、煩悩の余宗もあますところはない。智徳と断徳とがそなわってよく世間を利益し、世の人から尊敬され重んぜられるから「世尊」という。この言葉の意味は釈迦如来を指す。どうして知られるかといえば、下の句に「我 修多羅[しゅたら]に依る」といわれてあるからである。天親菩薩は、釈迦如来の滅後、像法の間に出られて、釈迦如来の残された経の教に順うのであるから往生を願われる。その往生を願うにはもとづくところがある。ゆえに、この言葉は釈迦如来を指すことが知られる。もしまた、この意味をいえば、一切の諸仏に告げるといってもさしつかえない。およそ菩薩が如来に帰依せられることは、ちょうど孝子が父母をたよりとし、忠臣が君后に仕える場合、動静を身勝手にせず、出処進退が、かならず父母、・君后の意にもとづくようなものである。仏の御恩を知ってその徳に報いるのであるから、道理として、まず先に仏に申しあげるべきである。また衆生化益の願いは軽軽しいものではない。もし如来が尊い力を加えてくださらなかったならば、どうしてこれを達成することができよう。いま仏力の加被を乞うのである、こういうわけで、仰いで世尊に告げられるのである。「我 一心に」とは天親菩薩みずからの安心を述べる言葉である。その意味は、無碍光如来を信じ、安楽国の往生を願って、その心が変わらずに続き、いささかも自力の心がまじわらないことである。
 問うていう。仏の教法の中には我ということをいわない。今、この文の中にどういうわけで我というのか。
 答えていう。我というのに三つのよりどころがある。一つには、邪見の意味でいう。二つには、みずから尊大の意味でいう。三つには、世間一般に用いることである。今「我」といわれたのは、天神菩薩がみずからを指すことばであり、世間一般の流布語を用いられたのであって、邪見や尊大でいう意味ではない。

 「尽十方無碍光如来に帰命したてまつって」とは、「帰命」は礼拝門であり、「尽十方無碍光如来」は讃嘆門である。どうして「帰命」が礼拝であると知られるかというと、竜樹菩薩が造られた阿弥陀如来をたたえる偈(《易行品》)の中に、あるいは「稽首礼」といい、あるいは「我帰命」といい、あるいは「帰命礼」といわれてある。また、この論の後の論述の文の中にも、「五念門を修める」といわれている。五念門の中で礼拝は、その一つである。天親菩薩は、すでに往生を願っていられるのであるから、礼拝せられぬはずはない。ゆえに帰命は礼拝であることが知られる。ところが、礼拝はただ尊敬することであって、必ずしも帰命とは限らない。しかし帰命には必ず礼拝を伴う。こういう意味から推し量ると、帰命の方がその意義が重い。そこで偈文の方は、まず天親菩薩がご自身の領解を述べられるから帰命というべきであり、後の論述の文は偈文の意味を解釈するのであるから、[ひろ]い意味で礼拝とされたのである。偈文と論述の文とが互いにあらわして、いよいよその意味が明らかとなる。

 どうして「尽十方無碍光如来」というのが讃嘆門になるのかというと、下の論述の文の中に「云何が讃嘆門なる、謂く彼の如来のみ名を称し、彼の如来の光明智相の如く、彼の名義の如く、実の如く修行し相応せんと欲う故なり」といわれてある。舎衛国で説かれた《無量寿経》すなわち《阿弥陀経》によれば、仏が阿弥陀如来の名号のいわれを解釈されて、「どうして阿弥陀仏と申しあげるのか。彼の仏の光明はかぎりなく、十方のあらゆる国国を照らして、何ものにも妨げられるところがない。それゆえ阿弥陀仏と申しあげる」と。また「彼の仏の寿命とその国の人人の寿命も、ともにかぎりなく、実にはかり知られぬ無限の長い時間にわたっている。それゆえ阿弥陀仏と申しあげる」と仰せられてある。
 問うていう。もし無碍光如来の光明がはかりなく、あらゆる国国を照らして妨げられないというならば、この世界の衆生はどうしてお照らしをこうむらないのか。光明の照らさない所があるのは、妨げがあるのではないか。
 答えていう。妨げは衆生の側にあるのであって、光明の側にあるのではない。たとえば、日光はすべての国をあまねく照らすけれども、盲者は見ない。これは日光が行き渡らないようなものである。また深い雲が大きな雨となってそそいでも、固い石をうるおさない。しかし雨がぬらさないのではないようなものである。
 もし一仏が三千大千世界を領有するというならば、これは小乗論で説くところである。もし諸仏があまねく十方無量無辺の世界を領有するというならば、これは大乗論で説くところである。天親菩薩は、いま「尽十方無碍光如来」と申された。すなわちこれは、かの如来の名号の意義にかない、智慧の相たる光明のいわれにかなって称えるのである。ゆえにこの一句は讃嘆門であると知られる。

 「安楽国に生ぜんと願ず」とは、この一句は作願文である。天親菩薩の帰命の信にそなわる意である。くわしく下の観察門の中に述べてある。
 問うていう。大乗の経典や論釈の中には処処に「衆生は畢竟無生で虚空のようである」と説かれている。それなのにどうして天親菩薩は「生まれることを願う」といわれたのであるか。
 答えていう。「衆生は無生で虚空のようである」というについては、二種類がある。一つには、凡夫の思うような固定した衆生があって、凡夫の考えるように、それが実にここに死んでかしこに生まれるというようなこと、そういうことは本来ないので、ちょうど亀に毛のないようにその体がなく、虚空のように空無である。二つには、あらゆるものは因縁によって生ずるのであるから、そのままが本来不生であって、固定した体のないことは、あたかも虚空のようである。いま天親菩薩が「生まれることを願う」といわれるのはこの因縁生の上でいわれる。因縁生の義であるから仮に「生」というのであって、凡夫の考える固定した衆生があって、実に生まれたり死んだりするということではない。
 問うていう。どういう意義によって往生と説くのであるか。
 答えていう。この世にある人が五念門を修める場合、その人の修める前念の心は後念の心のために因となる。この迷いの世界の人と浄土の人とは、きまって一ともいわれず、きまって異ともいわれない。前心と後心との関係もまたこのとおりである。なぜかといえば、もし同一なら因果の別がないことになり、また異なるものとすれば同一のものの相続でないことになる。この義は一異を観ずるところの門(《中論》等)の中にくわしい。
 以上で偈の第一行の三念門を解釈し終わった。


 「世尊」とは(仏の十号)

「世尊」とは諸仏の通号なり。智を論ずればすなはち義として達せざるはなし。断を語ればすなはち習気余りなし。智断具足してよく世間を利し、世のために尊重せらるるゆゑに世尊といふ。ここにいふ意は、釈迦如来に帰したてまつるなり。なにをもつてか知ることを得となれば、下の句に「我依修多羅」といへばなり。天親菩薩、釈迦如来の像法のなかにありて釈迦如来の経教に順ず。ゆゑに生ぜんと願ず。生ぜんと願ずるに宗あり。ゆゑにこの言は釈迦に帰したてまつると知るなり。もしこの意を謂ふに、あまねく諸仏に告ぐることまた嫌ふことなし。それ菩薩の仏に帰することは、孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静おのれにあらず、出没かならず由あるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理よろしく先づ啓すべし。また所願軽からず。もし如来威神を加したまはずは、まさになにをもつてか達せんとする。神力を加することを乞ふ。ゆゑに仰ぎて告ぐるなり。もしこの意を謂ふに、あまねく諸仏に告ぐることまた嫌ふことなし。

「世尊」とは釈尊一人に与えられた尊称(通号・徳号)ではありません。<諸仏の通号>であり、一切諸仏の称号です。ちなみに仏の十号は、「如来[にょらい]」「応供[おうぐ]」「正遍知[しょうへんち]」「明行足[みょうぎょうそく]」「善逝[ぜんぜい]」「世間解[せけんげ]」「無上士[むじょうし]」「調御丈夫[じょうごじょうぶ]」「天人師[てんにんし]」「[ぶつ]」「世尊[せそん]」をいいます。

<智断具足してよく世間を利し、世のために尊重せらるるゆゑに世尊といふ>という文によって、仏とは何かが端的に示されています。仏は「自覚覚他(智慧)、覚行円満(徳)」とも申しまして、「智慧」と「徳」が円かに完成している人、もしくはそうした諸仏の総体をいいます。
<智断具足>の「智」は「智慧」で、真実まごころがよく見えるということです。『涅槃経』師子吼品には、<見に二種あり。一つには眼見、二つには聞見なり。諸仏世尊は眼に仏性を見そなはす、掌のうちにおいて阿摩勒菓を観ずるがごとし。十住の菩薩、仏性を聞見すれども、ことさらに了々ならず>とありますが、如来は仏性を眼見する智慧を得ていますので、手の中の果実を見るように、相手や世の中の尊さをそのまま見抜く(眼見)ことができるます。しかし正定聚の菩薩はまだはっきりと仏性を見ることは適わないけれど、諸仏の言葉を信じて聞見することができます。
 ちなみに、「信心を得たものは、救われていることがはっき解るかどうか?」という質問を受けることがよくありますが、信心を得て地位に至っていても聞見するだけですから、「はっきりと解る」ものではありません。「はっきりと解る」のは五十二位の仏だけですが、あとからほのぼのと我が身を暖めて下さっていることに気付く≠ニいうことが御信心の徳なのです。実際、「はっきり解っている」と断言する人に浄土の内容を尋ねても、聖典等の言葉をまねるだけで、浄土の基礎的な構造も、実際の体験談も、何のために往生を願うのかも聞くことはできません。下手をすれば浄土とは何かさえ解っていない人もいました。またこれらを述べる人もいますが、仏意とは明らかに違っているのに、そのことを恥じようともしない。これでは「邪観である」としか言いようがないでしょう。仏性の何たるかさえ眼見できないのに、どうして往生の確証が得られるでしょう。後述しますが、往生は確証を得てそこに胡坐をかくことが真意なのではなく、往生仕切れないことを知りつつ、往生を願わずにおれない、願いが満ち満ちてくることが全てなのです。
 仏教と相応することがいかに大変か、この往生論註を読めば解ります。増長はさけ、仏意を謙虚に学ぶ姿勢を保ち続けなければなりません。

「断」は煩悩や迷いを断じていることです。ただし「断」といっても欲望を断ち切ることではありません。欲望をコントロールし切っていることです。煩悩があっても智慧によって正体が見抜かれれば、煩悩は働きを失います。相手や世の中の尊さをそのまま見抜く智慧を持つがゆえに、その尊さを損なう煩悩のはたらきを断じてゆけるのです。煩悩を奮闘努力して押さえ込むのではなく、世の道理を知り、大事なものを見抜くゆえに、それを損なうものを働かせない。泥棒も監視されていたら行動を起こせませんし、汗を出して掃除をした後にはごみを捨てる気にはならないことと同じです。

 こうした智断具足が発揮されれば世の評判になり信頼を得られます。これが「仏徳」です。「徳」という漢字の成り立ちを明かせば、「真心によって行動する」という意味になり、長く徳を積むことで世の人々から尊重されるわけで、そのため仏を「世尊」とも申し上げるのです。智慧は一瞬にして開くこともありますが、徳は長年の継続が不可欠です。「往生即成仏」という言葉もありますが、「即得往生」はまだ世の尊さを覚り地位に至っているだけで、「即成仏」は本質として身に満ちている段階です。まだ社会的・歴史的発揮がありません。
 浄土往生を願うことで開けた信心の智慧を、娑婆に還って発揮し、徳を積んではじめて本当の成仏が適うわけです。これを「便得往生」とも「臨終往生」ともいいます。これは、浄土真宗に帰してもなかなか信心が本気になれない、いつも退転の毒の混じった心でおりますが、せめて死ぬまでには一人前の人間となり、皆様や先人たちから一言でも褒めていただけるような一生をおくりたい≠ニいう願いの深さを言うのです。「便得往生は方便の往生」ということが言葉だけ知られ、その内容を問う人が少ないため、便得往生を馬鹿にする風潮さえありますが、一生かけて仏法にお育ていただこう≠ニいう、味わい深い願いだと知らされます。

 このように一般的に「世尊」といえば諸仏のことを指しました。正法の時代のインドには大乗仏教経典を生み出せるほど数多くの仏がおられたのです。仏は釈尊一人ではないということは経典研究の際には注意を要します。仏教は日々新たに道を示し続ける宗教なのです。親鸞聖人も経典引用の際は「経家」と複数形を含んだ表現を用いてみえますから、仏は釈尊一人ではないということを想定されてみえたのでしょう。当時は現在ほど経典成立年代の研究は成されておらず、釈尊一人が全ての経典の内容を説いた≠ニ誤解されていましたが、聖人は既に歴史的事実を見抜かれてみえたのかも知れません。

<ここにいふ意は、釈迦如来に帰したてまつるなり。なにをもつてか知ることを得となれば、下の句に「我依修多羅」といへばなり。天親菩薩、釈迦如来の像法のなかにありて釈迦如来の経教に順ず。ゆゑに生ぜんと願ず。生ぜんと願ずるに宗あり。ゆゑにこの言は釈迦に帰したてまつると知るなり。もしこの意を謂ふに、あまねく諸仏に告ぐることまた嫌ふことなし>について――
 前術のように「世尊」といえば諸仏のことを指しますが、ここ『浄土論』第一句にある「世尊」は釈尊であろう、と曇鸞大師は考えられました。理由は下の句、つまり第二句の最初に「我依修多羅」とあり、「修多羅」は「経典」で、私は経典を依りどころとして往生しようと願う♂]々と天親菩薩が言われたから、というわけです。
 天親菩薩は「千部の論主」と称えられ、小乗大乗全ての経典に通じるほどの高僧でしたが、あくまで像法の時代の菩薩。正法の時代の諸仏のように、経典を自ら説き得るわけではありません。『仏説無量寿経』が説かれた当時はもちろん正法の時代で、諸仏は論を造る必要もなく、経典の素晴らしさはそのまま理解され、称えられ、諸仏の説く経典にも阿弥陀仏とその浄土や菩薩を登場させ、一切衆生に安楽国に往生することを勧められたのでした。

 像法の時代には覚りの証しを示す諸仏は居なくなりますが、正定聚の菩薩は数多く登場し、論を造り往生を願うことで浄土の徳が発揮されるようになりました。「像法の時代」は、単に仏像が沢山造られた時代ということではなく、論釋が充実する時期でもあったのです。時代が下り人々の性質が落ちるということは悲しいことですが、そのおかげで社会悪のはびこるような時代にも通用する教えが必要とされ、とても覚りを得ることができないような凡夫にも覚りの内容を染み渡らせる道が整った、いうことでしょう。経典が説かれても内容が解らないようでは絵に描いた餅に過ぎません。像法の時代の論釋がなければ、少なくとも私には仏意を推することさえ適わなかったでしょう。

 天親菩薩が「我依修多羅」と言われた「修多羅」は浄土三部経であり、特に『仏説無量寿経』であろうと思われます。曇鸞大師は中国の高僧でしたから、『仏説無量寿経』は釈尊、つまり俗名ゴータマ・シッダルタであった釈尊の直説だと思われたのかも知れません。しかし実際には釈尊滅後数百年経ち、西暦一世紀頃ようやく完成した経典であり、上座部や大乗諸仏の覚りを総合し普遍化した上でなお新たな地平を見据えて編纂された経典でした。天親菩薩はインドの高僧でしたから、そうした経緯は知ってみえたはずです。ですから「我依修多羅」は「釈迦如来に帰したてまつる」だけではなく、『仏説無量寿経』を説かれた仏、もしくは経典で象徴的普遍的な意味を与えられた釈迦如来、ということが天親菩薩の真意だったのかも知れません。
 曇鸞大師も<もしこの意を謂ふに、あまねく諸仏に告ぐることまた嫌ふことなし>とありますから、釈尊に申し上げると言っても、内容から言えば<一切の諸仏に告げるといってもさしつかえない>、つまり釈尊だけではない経家諸仏の説かれた法、ということはご存知だったのかも知れません。

<ゆゑに生ぜんと願ず。生ぜんと願ずるに宗あり>について――
 ここが往生の要めでしょう。浄土往生は、往生し切ってしまうことが目的ではなく、往生しようと願うことこそが要め(宗)なのです。ですから仏の真意は往生ではなく願生。経典にも――

心を正しくし、意を正しくして、斎戒清浄なること一日一夜すれば、無量寿国にありて善をなすこと百歳せんに勝れたり。ゆゑはいかん。かの仏国土は無為自然にして、みな衆善を積んで毛髪の悪もなければなり。
『仏説無量寿経』40 巻下 正宗分 釈迦指勧 五善五悪

とあるように、往生し切ったところには浄土の功徳はありません。現実のこの娑婆で浄土往生を願う、そのことが浄土の働きであり、私の人生の要めとなるのです。
 これは島田幸昭師も仰るように、願いというのは、永遠に適わないことが解っていても願わずにはおれない「場所的自覚」から発せられるものなのです。「場所的自覚」とは、親が親の自覚ができてまことの親に成りたい≠ニ願うこと。先生になって先生という名や座の尊さに気付くと本当の先生になろう≠ニ願いがおきます。僧侶になれば僧侶の名に恥じない僧侶になろうと願う、坊守も同様に願いがあるでしょう。あらゆる職業でも役職でも同じです。こうした願いはどこまでいっても完成はありませんが、未完成のまま完成を願うところに完成がある。願いの中に成就があるのです。
 意訳では<生ぜんと願ずるに宗あり>を<その往生を願うにはもとづくところがある>と訳されていますが、「宗」は本質であり主要な趣旨という意味ですから、これでは表現が弱すぎます。<往生しようと願わせることこそが経典の要めである>と訳してみたらいかがでしょう。

それ菩薩の仏に帰することは、孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静おのれにあらず、出没かならず由あるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理よろしく先づ啓すべし。また所願軽からず。もし如来威神を加したまはずは、まさになにをもつてか達せんとする。神力を加することを乞ふ。ゆゑに仰ぎて告ぐるなり。

 この部分については、そのまま解すれば良いでしょう。
 前述のように、天親菩薩はあくまで菩薩ですから、仏のように自らの境地のみで動くわけにはいきません。未熟な子どもが親をたよるように、偉大な王に仕える忠臣のように、動静を身勝手にせず、仏の真意を尋ねて依りどころとさせていただく。仏恩を知って仏徳に報いるのですから、道理として真っ先に仏に啓す(申しあげる)べきで、これが『浄土論』の第一句が「世尊……」から始まる第一の理由なのでしょう。

 そしてまた<所願軽からず>。私自身も衆生も、阿弥陀仏の願いを引き受けてそれを成就させることは軽々しいことではありません。もし如来二種の回向がなければ、つまり真心の尊い歴史の後押しがなかったならば、全く何によって達成することができるでしょう。皮相的な理性や自分勝手な思い込みで達成することはできないのです。そこで三世一切諸仏の尊い智慧と徳を集めた阿弥陀仏の後押しを求めるのです。このようなわけで「世尊……」と、仏願の生起本末を説かれた世尊を尊敬して名を告げられるのです。

 「我一心」の主体は

「我一心」とは天親菩薩の自督の詞なり。いふこころは、無礙光如来を念じて安楽に生ぜんと願ず。心々相続して他の想間雑することなしとなり。
 問ひていはく、仏法のなかには我なし。このなかになにをもつてか我と称する。答へていはく、「我」といふに三の根本あり。一にはこれ邪見語、二にはこれ自大語、三にはこれ流布語なり。いま「我」といふは、天親菩薩の自指の言にして、流布語を用ゐる。邪見と自大とにはあらず。

「我一心に」というのは天親菩薩ご自身の信心領解を述べてみえる言葉です。
 その真意は、<無礙光如来を念じて安楽に生ぜんと願ず>:迷いを捨てて無碍光如来を一心に念じ、安楽国へ往生することを願って、
<心々相続して他の想間雑することなしとなり>:その一心(至心・信楽・欲生)が私の一生を貫き(十念)、気持ちが萎えることがあっても懺悔の念が湧いて再び立ち上がり、退転しても元の木阿弥にならず、迷っても迷ったことが真実信心の深みに転じられ、我が身に満ちた仏心に添って生き続けることができる、というのです。
 第十八願に<たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん>とありますが、<乃至十念せん>ということが<心々相続して他の想間雑することなし>という領解を生じせしめたのでしょう。
 ここまでは問題ないと思いますが、次は少々疑問が生じます。
「我一心」の「我」について、仏法では「諸法無我」という原則があるではないか、「我一心」はどうした訳で「我」と言うのか?≠ニ問うのです。この問いに答えて、つまり曇鸞大師の自問自答によって得られた答えは、「我」には、「迷いの我」と「威張って言う我=俺など」と「世間一般に用いる我」の三種あって、ここでは「世間一般に用いる我」、流布語であり、邪見や尊大でいう「我」ではない、というものです。
 確かに<邪見語>や<自大語>ではないでしょう。天親菩薩が「我」を固定化・実体化した妄想(遍計所執性)で言われるはずはありません。しかし「我一心」を<流布語>というような軽い意味で解釈して良いものでしょうか。

 大乗仏教の基礎を学んだ方なら、「我」と言えば当然、有為の四顛倒と無為の四顛倒の問題が頭に浮かび、どちらの意味か問うはずです。大乗経典の『涅槃経』では特にその問題がクローズアップされ、「無我とは生死のことであり、我とは如来のことである」、とか「(如来は)大医王としてこの世に出現し、外教の邪医を調伏すべく、無我と教えたが、条件の調ったところで、また我(アートマン)が有ると教えるのだ。それは拇指(おやゆび)の大きさだったり、芥子粒ほどであったりするのではない。そのような我は存在しないから、如来は諸法無我を教えたのだ。しかし、真実には我がないわけではない。では何が真実の我であるのか。それは真実なるもの、常住・不変で衆生たちの主であり、依りどころたるものをさすのである」と詳説し、原始仏教の消極姿勢を批判しています。常楽我浄の四顛倒は消極面では否定しますが、積極面では肯定するのです。『仏説無量寿経』は大乗仏教の最高峰の経典ですから、当然「我」は肯定されるものなのであり、天親菩薩はこのことを踏まえて「我一心」と言われたのではないでしょうか。島田幸昭師も『仏説無量寿経』にある「我」を、<この経の全てはこの「我」の内に開けた光景を説き明かしたものに外なりません>と見定めてみえます。
 このように、求道の主体として万感の思いを込めて「我」と言われたのか、単なる世間的な流布語に過ぎないのか。私は、曇鸞大師といえども上手の手から水が漏ることもあるのだ、と見ています。

 「帰命」と「礼拝」

 「帰命尽十方無礙光如来」とは、「帰命」はすなはちこれ礼拝門なり。「尽十方無礙光如来」はすなはちこれ讃嘆門なり。なにをもつてか「帰命」はこれ礼拝なりと知るとなれば、龍樹菩薩の、阿弥陀如来の讃(易行品)を造れるなかに、あるいは「稽首礼」といひ、あるいは「我帰命」といひ、あるいは「帰命礼」といへり。この『論』(浄土論)の長行のなかにまた「五念門を修す」といへり。五念門のなかに礼拝はこれ一なり。天親菩薩すでに往生を願ず。あに礼せざるべけんや。ゆゑに知りぬ、帰命はすなはちこれ礼拝なり。しかるに礼拝はただこれ恭敬にして、かならずしも帰命にあらず。帰命はかならずこれ礼拝なり。もしこれをもつて推せば、帰命を重しとなす。偈は己心を申ぶ。よろしく帰命といふべし。論は偈の義を解す。汎く礼拝を談ず。彼此あひ成じて義においていよいよ顕れたり。

<帰命尽十方 無礙光如来>の<帰命>について――
「帰命」は礼拝門である、ということを明らかにします。理由として、{『十住毘婆沙論』と『往生論註』}にも引きましたように、竜樹菩薩が阿弥陀如来をたたえる偈『十住毘婆沙論』巻第五・易行品11の中に、<われいま身口意をもつて、合掌し稽首し礼したてまつる>、<このゆゑにわれ帰命したてまつる>、<このゆゑに帰命し礼したてまつる>といわれてあります。
 さらに<この『論』(浄土論)の長行のなかにまた「五念門を修す」といへり>というのは、『浄土論』解義分9(参照:{総説分と解義分})に、<いかんが観じ、いかんが信心を生ずる。もし善男子・善女人、五念門を修して行成就しぬれば、畢竟じて安楽国土に生じて、かの阿弥陀仏を見たてまつることを得>をいうのでしょう。
<五念門のなかに礼拝はこれ一なり。天親菩薩すでに往生を願ず。あに礼せざるべけんや。ゆゑに知りぬ、帰命はすなはちこれ礼拝なり>はさして問題はないでしょう。五念門の一つに「礼拝門」があり、天親菩薩はすでに安楽国への往生を願っておられるのですから「礼拝」されないはずはありません。

<しかるに礼拝はただこれ恭敬にして、かならずしも帰命にあらず。帰命はかならずこれ礼拝なり。もしこれをもつて推せば、帰命を重しとなす。偈は己心を申ぶ。よろしく帰命といふべし。論は偈の義を解す。汎く礼拝を談ず。彼此あひ成じて義においていよいよ顕れたり> について――
 <礼拝>といった場合は、単に身をもって恭敬・尊敬すること≠意味しますが、<帰命>は恭敬・尊敬して信心の依りどころとする≠ニいう意を含んでいます。後に親鸞聖人は、<「帰命尽十方無碍光如来」と申すは、「帰命」は南無なり、また帰命と申すは如来の勅命にしたがふこころなり>と『尊号真像銘文』6に顕されてみえます。
 曇鸞大師は<礼拝>と<帰命>を比べ、<帰命を重しとなす>と帰命の意義の重さを述べられます。そしてこの別を、<偈は己心を申ぶ。よろしく帰命といふべし。論は偈の義を解す。汎く礼拝を談ず。彼此あひ成じて義においていよいよ顕れたり>と説きます。
「偈」、つまり『浄土論』総説分では、天親菩薩ご自身の信心領解を述べられるのですから<帰命>と言われるのであり、「論」、つまり『浄土論』解義分では、ご自身の信心領解をもとに[ひろ]く偈文の意味を解釈するのですから、一般論として<礼拝>とされたのです。このように、総説分(偈文)と解義分(論述)が互いに関係しあい整って、いよいよ深い内容が明らかとなる、と言われるのです。

 「尽十方無礙光如来」が讃嘆門の訳

 なにをもつてか「尽十方無礙光如来」はこれ讃嘆門なりと知るとならば、下の長行のなかに、「いかんが讃嘆門。いはく、かの如来の名を称するに、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲するがゆゑなり」といへり。舎衛国所説の『無量寿経』(小経)によらば、仏、阿弥陀如来の名号を解したまはく、「なんがゆゑぞ阿弥陀と号する。かの仏の光明無量にして、十方国を照らしたまふに障礙するところなし。このゆゑに阿弥陀と号す。またかの仏の寿命およびその人民も、無量無辺阿僧祇なり。ゆゑに阿弥陀と名づく」と。

 現代の教学においては、「念仏」といえば「南無阿弥陀仏」と彼の如来のみ名を称すること≠ェ常識となっていますが、結果を鵜呑みにして「何故」と問うことがなければ願力自然の果報は得られません。如来の願力は行者に問いを有むことを前提に自然の働きを展開するのです。したがってもう一度仏意を問い直さなければなりません。問いの無いところに答えはないのです。
 ここではどうして「尽十方無碍光如来」が讃嘆門になるのか≠ニ問いが発せられ、『浄土論』解義分を引き、<かの如来の名を称するに、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲するがゆゑなり>をその証しとします。『浄土論』ではこの文の前に、<いかんが讃歎する。口業をもつて讃歎したてまつる>とありますので、より確実に「尽十方無碍光如来」が讃嘆門であることが証明されると思います。また前回、{偈頌を五念門に配当}#讃嘆門 において――
<「讃嘆」は言葉・声をもって行う浄業、「口業」であり、「大会衆門」の功徳を成就します>
<なぜなら諸仏は自らの徳を名に込めてみえ、私たちは如来の名を称えることで、名に込められた如来の徳を褒めることになるのです。如来の徳を褒める、そのことそのままが、私に報いていた如来の発露なのです>ということを詳説しましたので参考にしてください。

 問題は次の『仏説阿弥陀経』のところです。
 釈尊が、阿弥陀如来の名号を解釈して言われるのは、<彼の仏の光明はかぎりなく、十方のあらゆる国々を照らして、何ものにも妨げられるところがない。それゆえ阿弥陀仏と申しあげる>というところと、<彼の仏の寿命とその国の人人の寿命も、ともにかぎりなく、実にはかり知られぬ無限の長い時間にわたっている。それゆえ阿弥陀仏と申しあげる>という箇所です。
 実は天親菩薩も曇鸞大師も、「光明無量」については盛んに論釋されてみえるのですが、「寿命無量」については重要視されてみえないのか論釋が具体的ではありません。『仏説無量寿経』という経名からも、仏意の主軸は「光明無量」ではなく「寿命無量」にあることは明らかです。これでは論を進める上で重大な欠陥をもたらしてしまうのではないか、つまり「仏教と相応せん」との願いが果たされないのではないか、と懸念されるところです。

 さらに言えば、浄土真宗の僧侶たちはともすると、「阿弥陀仏とは何か。どこに存在するのか?」とか「浄土とは何か。どこにあるのか?」と問うことを避ける傾向にあります。理由を聞くと「凡夫である我々には解らん」の一言で済ませられてしまいます。「解らんが、光明のお照らしを信じておればいい」ということでしょうか。本当は、解るか解らないかではない、解ろうとするかしないか、が問題なのです。<仏意測りがたし>で終わってしまい、仏の真意を解ろうとしない人間にはどんな言葉も虚しく過ぎてしまいます。諸仏諸菩薩のご苦労を無にする態度は改めなければならないでしょう。親鸞聖人は<しかりといへども、ひそかにこの心を推するに……>と、仏意を推測され続けてみえます。
 私たちが問いをもって解ろうとする、そのことが即ち願力自然のはたらきなのです。「問いなさい」「解ろうとしなさい」と如来は勧めてみえるのです。そして、必ず解る時は来るのです。私が解らなくとも、いずれ後世の人間が阿弥陀仏の体・相・用と仏意を明らかにするでしょう。この希望は絶対に捨ててはいけません。
 ただし「私は全て解った」と言う人がいたら気をつけなくてはいけません。人間は時代と環境に左右される存在です。時代と環境において覚る(機法一体)のですが、時代と環境が変われば新たな領解を生みます。またそれで良いのです。一時代、一地域に留まってはいけません。日々新たに生み出され、また出会いによって覚り直されてゆくのが如来回向の領解です。覚り切ってしまった覚りは本物の覚りではありません。
 では先人たちはどこまで如来の真実を明らかにされたのか、を見てみましょう。

舎利弗於汝意云何彼仏何故号阿弥陀舎利弗彼仏光明無量照十方国無所障礙是故号為阿弥陀又舎利弗彼仏寿命及其人民無量無辺阿僧祇劫故名阿弥陀

「光明無量」は後に述べます。「寿命無量」については<彼仏寿命及其人民無量無辺阿僧祇劫>が原文(漢訳)です。これをどう日本語に訳すか。
 書き下し文では、<かの仏の寿命およびその人民〔の寿命〕も、無量無辺阿僧祇劫なり>とあり、現代語訳では、<その仏の寿命とその国の人々の寿命もともに限りがなく、実にはかり知れないほど長い>と訳されています。
『仏説阿弥陀経』のこの部分は、<なぜその仏を阿弥陀と申しあげるのだろうか>と問う箇所です。<かの仏の寿命>は必要ですが、なぜ<その人民〔の寿命〕も>が出てくるのでしょうか。「阿弥陀」と名のり叫ぶ理由に<その人民>は関係なく、別の問題であるはずです(参照:{眷属長寿の願}

 阿弥陀仏とは何か、という問いの答えがここにあります。島田幸昭師は<彼仏寿命及其人民無量無辺阿僧祇劫>を<かの仏の寿命、その人民におよび、無量無辺阿僧祇劫なり>と訳し直されました。現代語で訳せば、<その仏の寿命は、その国の人々におよんで、限りなく果てしなく広がり、実にはかり知れないほど長い>となります。さらに<仏の寿命>とは「真心」・「まこと」であり「無上菩提心」であることを明かしてみえます(参照:{寿命無量の願})。私自身、この指摘によって、ようやく阿弥陀仏の体を領解することができました。実に有り難いことです。
 この意を踏まえて訳せば、「無量寿如来の限りない真心が、浄土往生を願う人々に及んで、いつまでも絶えることなく相続され、広く世界中に広がってゆく。だからこそ阿弥陀仏(無量寿仏)と名のられている存在なのです」となるでしょう。
 これを結果から原因に戻す形で考えてみれば――、私たち一人ひとりが発揮できる仏性・真心・無上菩提心は有限のものであるが、本質としては無限の量と広がりを持つものであり、一切衆生や人類全てが可能性として持つものと同等である。これら全ての智慧と徳の総体として名のり叫ばれ続けてみえる存在を阿弥陀仏と申し上げる。これは真心の歴史の主軸として身に報いた姿である。……このように解せるのではないでしょうか。
 どうでしょう。これでしたら、阿弥陀仏とは何か、ということも明確になるではありませんか。それだけではない、阿弥陀仏と念仏者との関係も、一切衆生との関係も明らかになっていきます。「光明無量」は働きだけで、阿弥陀仏の正体までは明らかではありませんでしたが、「寿命無量」が明らかになれば、阿弥陀仏が「光明無量」である理由も解るでしょう。

 「無礙光如来」と言えども現実に「礙」は有るが

 問ひていはく、もし無礙光如来の光明無量にして、十方国土を照らしたまふに障礙するところなしといはば、この間の衆生、なにをもつてか光照を蒙らざる。光の照らさざるところあらば、あに礙あるにあらずや。答へていはく、礙は衆生に属す。光の礙にはあらず。たとへば日光は四天下にあまねけれども、盲者は見ざるがごとし。日光のあまねからざるにはあらず。また密雲の洪きにソソ{灌なり}げども、頑石の潤はざるがごとし。雨の洽{シュなり}さざるにはあらず。

 前述の「光明無量」について明らかにします。
『仏説阿弥陀経』の原文(漢訳)では<彼仏光明無量照十方国無所障礙是故号為阿弥陀>とその理由が説かれます。書き下し文では<かの仏の光明無量にして、十方の国を照らすに障碍するところなし。このゆゑに号して阿弥陀とす>、現代語訳では<舎利弗よ、その仏の光明には限りがなく、すべての国々を照らして何ものにもさまたげられることがない。それで阿弥陀と申しあげるのである>と訳されています。こちらの訳は問題ないようです(参照:{光明無量の願})。
 そこで論註では、「光明無量」であるのに<この世界の衆生はどうしてお照らしをこうむらないのか>と問います。阿弥陀仏が本当に「光明無量」であるならば、どうしてこの世は嘘偽りだらけで、覚りを求める人が少ないのか。現実がそうであるならば、<光明の照らさない所があるのは、妨げがあるのではないか>。つまり「光明無量」は成就していないのではないか。もっとはっきり言えば、阿弥陀仏など本当は存在しないのではないか、と問うのです。
 世間ではよく、理不尽な目にあうと「神も仏もいるものか」と言います。これと<あに礙あるにあらずや>と比べれば、問う姿勢や菩提心の有無に違いはありますが、少しは似たところもあるでしょう。

 曇鸞大師はみずから答えて、<礙は衆生に属す。光の礙にはあらず>といわれます。<妨げは衆生の側にあるのであって、光明の側にあるのではない>と。この譬えとして大師は、――いくら太陽が照っていても目が見えない人には見えないではないか。見えないからといって太陽が照っていないのではない。また、雨が降っても硬い石をうるおさない。石は水を吸うことはないが、雨があまねく降っていないのではない、と。
 この譬えを現実に置き換えてみますと、――阿弥陀仏の光明は無量であり、一切衆生に常に働き(用き)かけているが、受け取る側の衆生の側に用意ができていず、心が[かたく]なで、如来回向の菩提心を受け取ることができない。これは衆生の側の機がまだ熟していないせいである。しかし阿弥陀仏は辛抱強く常にはたらきかけてみえるので、いずれ機が熟せば妨げはなくなり、如来の光明(働き)が至り届くであろう、という訳です。

 譬えとして良くできていますので、このように言われれば理屈としては肯定するしかないでしょう。しかし、あまりに譬えが出来すぎているため、逆に本心ではどうも腑に落ちない≠ニ疑問が湧いてくる人も多いのではないでしょうか。私もその一人です。
 出典は忘れましたが、ある教学の研鑽会において、「無礙光如来」と黒板に書くところ、「礙」を忘れて「無光如来」と書いてしまった。「無光如来」では働きが無いことになってしまうではないか。急いで「礙」を入れ、初めて「無礙光如来」になった。その時、皆はっと気付いた。礙りあるがゆえに「無礙光如来」である、と。
 一見これは言葉遊びのようですが、教学的にも興味深い指摘となっています。『往生論註』では、衆生の側に妨げがあるから如来の働きが届かないのである、と答えていますが、実際に衆生の側に妨げがなくなったらどうなるのか。如来の働きそのものが無くなるではないか。衆生に礙りあるがゆえに「無礙光如来」は存在する。「無礙光如来」の存在理由は衆生の礙げである。こう見てみますと、<礙は衆生に属す。光の礙にはあらず>では不十分と言わねばなりません。「煩悩即菩提」という大乗仏教の意を汲むと、衆生の礙の無量を照らす故に光明は無量なり≠ニ答えるべきではないでしょうか。
 この譬えを現実に置き換えてみますと、――私たちの抱えている闇や問題点を、闇であり問題点であると見抜くことができたのは、闇や問題点を示して解決を願う主体の働きがある証拠であり、闇が無量であるゆえに光明も無量。そこでこの光明の主体を働きの面から「無礙光如来」とも申し上げる。私たちは闇や問題点を無くすことを生きる目的とするのではなく、闇や問題点の深さを見抜く智慧を頂き、煩悩を養分としながらも、煩悩の泥の妨げに染まらぬ、白蓮華のように輝く人生を創造してゆく(荘厳)ことを目標としましょう、という意になるでしょうか。

 諸仏あまねく十方無量無辺世界を領す

 もし一仏、三千大千世界を主領すといはば、これ声聞論のなかの説なり。もし諸仏あまねく十方無量無辺世界を領すといはば、これ大乗論のなかの説なり。天親菩薩、いま、「尽十方無礙光如来」といふは、すなはちこれかの如来の名により、かの如来の光明智相のごとく讃嘆するなり。ゆゑに知りぬ、この句はこれ讃嘆門なり。

 ここでは声聞の部派仏教と菩薩の大乗仏教の違いをふまえて、「尽十方無碍光如来」が讃嘆門である理由をさらに明らかにします。
 大乗仏教では、たとえば「無限円の中心は無数に存在する」といいます。あらゆる場が宇宙の中心と成り得るのであり、特定の仏が中心なのではない。<もし一仏、三千大千世界を主領すといはば、これ声聞論のなかの説なり>というのは特定の仏を中心とした世界観であり、これを批判しているのです。世間ではよく釈尊が仏教の中心である≠ニいう説を聞きますが、これは部派仏教の考え方であり、仏を対象として拝んでしまうとこういう誤解が生まれます。
 例えば「天上天下唯我独尊」という言葉を聞いて、この主体を釈尊一人に当てはめてしまう説が部派仏教であり、一切諸仏にあまねく当てはめ、同時にその性質が我が身に及び満ちていることを覚るのが大乗仏教です。
 <諸仏があまねく十方無量無辺の世界を領有する>ということと「尽十方無碍光如来」というのは、もちろん大乗仏教で言うことであり、<かの如来の名号の意義にかない、智慧の相たる光明のいわれにかなって称えるのである>から、<この一句(尽十方無碍光如来)は讃嘆門である>のです。
 ここで一つ注意したいのは、阿弥陀仏は一仏なのか諸仏の総体なのか、ということです。親鸞聖人は――

無碍光仏の御かたちは、智慧のひかりにてましますゆゑに、この仏の智願海にすすめ入れたまふなり。一切諸仏の智慧をあつめたまへる御かたちなり。光明は智慧なりとしるべしとなり。
『唯信鈔文意』2より
無碍光仏をつねにこころにかけ、となへたてまつれば、十方一切諸仏の徳をひとつに具したまふによりて、弥陀を称すれば功徳善根きはまりましまさぬゆゑに、……
『弥陀如来名号徳』11

と言われてみえることからも、一切諸仏の智慧と徳の総合体(固定化・実体化されたものではない)と領解されてみえるようですし、これが勝義なのでしょう。一仏であり総体、総体でありながら一仏であるのが阿弥陀仏です。また聖典を読み解く場合、南無と帰命された阿弥陀仏と、一切諸仏の歴史を背負う阿弥陀仏は、本質は同じでも文意にずれが生じる場合がありますから、丁寧に読み解いていかなければならないでしょう。

 前念は後念のために因となる

 「願生安楽国」とは、この一句はこれ作願門なり。天親菩薩の帰命の意なり。それ「安楽」の義はつぶさに下の観察門のなかにあり。
 問ひていはく、大乗経論のなかに、処々に「衆生は畢竟無生にして虚空のごとし」と説けり。いかんが天親菩薩「願生」といふや。答へていはく、「衆生は無生にして虚空のごとし」と説くに二種あり。一には、凡夫の謂ふところのごとき実の衆生、凡夫の見るところのごとき実の生死は、この所見の事、畢竟じて所有なきこと、亀毛のごとく、虚空のごとし。二には、いはく、諸法は因縁生のゆゑにすなはちこれ不生なり。所有なきこと虚空のごとし。天親菩薩の願ずるところの生は、これ因縁の義なり。因縁の義のゆゑに仮に生と名づく。凡夫の、実の衆生、実の生死ありと謂ふがごときにはあらず。
 問ひていはく、なんの義によりてか往生と説く。答へていはく、この間の仮名人のなかにおいて五念門を修するに、前念は後念のために因となる。穢土の仮名人と浄土の仮名人と、決定して一なるを得ず、決定して異なるを得ず。前心後心またかくのごとし。なにをもつてのゆゑに。もし一ならばすなはち因果なく、もし異ならばすなはち相続にあらざればなり。この義は一異の門を観ずる論のなかに委曲なり。第一行の三念門を釈しをはりぬ。

 「願生安楽国」の「安楽国」については、後の{往生論註を味わう 8}より詳しく見ていきます。
「願生」や「前念・後念」につきましては以前、{往生論註の「願生」について}{往生論註「願生」について 2}{後生の一大事について} に詳説しましたので参考になさって下さい。
 概略を申しますと、「安楽国に往生することを願う」という言葉や内容が、部派仏教や他宗旨の理解に留まると矛盾が出ますので、誤解を解くためかなり込み入った説明をしているのです。真実信心を回向される経験を踏めば、これらの説明は個人的には必要ありません。未信者や外道や部派が抱く誤解を解くための文言です。
 まず「願生」については、「無生にして虚空」と外道思想を批判したはずの仏教なのに、なぜ改めて生まれようと願うのか≠ニ自問し、外道の説く霊魂不滅の輪廻転生(実の衆生・実の生死)は間違い(不生なり)である。しかしここでは、如来の本願が報いた真実報土に生まれたいと願うのだから、外道の「輪廻転生」の「生」とは意味が違うのである(因縁の義のゆゑに仮に生と名づく)≠ニ答えます。
 また「往生」については、「五念門を修する」前(前念)と後(後念)では領解・境地に違いがある=i決定して一なるを得ず)、という点と、全く別人格になるのではない=i決定して異なるを得ず)ということが「往生」という理由として 説かれています。
 違う点(決定して一なるを得ず)は何かと申しますと、死後のことが心配で死後に安逸をむさぼることを目的として往生を念じるのが<前念>の<穢土の仮名人>であり、この心のままでは信心回向は適いませんが、如来浄土を念じているうちに、安楽国の名と土徳が往生を願う人に影響を与え、如来の無上菩提心(願作仏心・度衆生心)が振り向けられ(回向)、無上菩提心が真実信心となってその念仏者の身に満ちてくるのが<後念>の<浄土の仮名人>です。
 同じ点(決定して異なるを得ず)は何かと申しますと、一切衆生は悉く仏性を有しているのであり、無上菩提心が真実信心となってその念仏者の身に満ちてくると言っても、元々衆生に宿されていた仏性が芽吹いて、花を咲かせ実を成すことに他なりません。阿弥陀仏の声を聞けば、それは懐かしい響きに満ちています(参照:{初めて往く極楽浄土がなぜ「魂の故郷」と表現されるのでしょう?})。往生といっても異世界に誘われて生まれ変わるのではありません。これでは洗脳になってしまいます。本当は、今生きている現場そのものが輝くのです。

願作仏心すなはちこれ横の大菩提心なり。これを横超の金剛心と名づくるなり
(この願作仏心は、すなわち他力の大菩提心である。これを横超の金剛心というのである)

『顕浄土真実教行証文類』 信文類三(本) 菩提心釈 より


 王舎城所説の『無量寿経』(下)を案ずるに、三輩生のなかに、行に優劣ありといへども、みな無上菩提の心を発さざるはなし。この無上菩提心とは、すなはちこれ願作仏心なり。願作仏心とは、すなはちこれ度衆生心なり。度衆生心とは、すなはち衆生を摂取して有仏の国土に生ぜしむる心なり。このゆゑにかの安楽浄土に生ぜんと願ずるものは、かならず無上菩提心を発すなり。もし人、無上菩提心を発さずして、ただかの国土の楽を受くること間なきを聞きて、楽のためのゆゑに生ずることを願ずるは、またまさに往生を得ざるべし。
王舎城[おうじゃじょう]において説かれた《無量寿経》のうえを考えてみると、往生を願う上・中・下の三類の人の中で、その修行には優劣があるけれども、いずれもみな、無上菩提心[むじょうぼだいしん]すなわち他力の信心をおこさないものはない。この無上の大信心は自分が仏になろうと願う心であり、この自分が仏になろうと願う心は、そのまま衆生を済度[さいど]しようとする心である。衆生を済度しようとする心とは、衆生を[おさ]めて仏のまします浄土に生まれさせる心である。こういうわけであるから、かの安楽浄土[じょうど]の往生を願う人は、かならず無上菩提心すなわち信心を起こさねばならぬ。もし人が、この信心をおこさずに、ただかの浄土の楽しみを受けることが絶えまのないということを聞いて、楽しみを[むさぼ]るために往生を願うような者は、また往生はできぬのである)

『往生論註』巻下・善功摂化章 105より

 資料

礼拝門・讃嘆門・作願門(漢文)

『往生論註』巻上

漢文
 (総説分)
【六】
 世尊我一心 帰命尽十方
 無礙光如来 願生安楽国

世尊者諸仏通号論智則義無不達語断則習気無余智断具足能利世間為世尊重故曰世尊此言意帰釈迦如来何以得知下句言我依修多羅天親菩薩在釈迦如来像法之中順釈迦如来経教所以願生願生有宗故知此言帰于釈迦若謂此意遍告諸仏亦復無嫌夫菩薩帰仏如孝子之帰父母忠臣之帰君后動静非己出没必由知恩報徳理宜先啓又所願不軽若如来不加威神将何以達乞加神力所以仰告我一心者天親菩薩自督之詞言念無礙光如来願生安楽心心相続無他想間雑
問曰仏法中無我此中何以称我答曰言我有三根本一是邪見語二是自大語三是流布語今言我者天親菩薩自指之言用流布語非邪見自大也

(礼拝門)
帰命尽十方無礙光如来者帰命即是礼拝門尽十方無礙光如来即是讃嘆門何以知帰命是礼拝龍樹菩薩造阿弥陀如来讃中或言稽首礼或言我帰命或言帰命礼此論長行中亦言修五念門五念門中礼拝是一天親菩薩既願往生豈容不礼故知帰命即是礼拝然礼拝但是恭敬不必帰命帰命必是礼拝若以此推帰命為重偈申己心宜言帰命論解偈義汎談礼拝彼此相成於義弥顕

(讃嘆門)
何以知尽十方無礙光如来是讃嘆門下長行中言云何讃嘆門謂称彼如来名如彼如来光明智相如彼名義欲如実修行相応故依舎衛国所説無量寿経仏解阿弥陀如来名号何故号阿弥陀彼仏光明無量照十方国無所障礙是故号阿弥陀又彼仏寿命及其人民無量無辺阿僧祇故名阿弥陀
問曰若言無礙光如来光明無量照十方国土無所障礙者此間衆生何以不蒙光照光有所不照豈非有礙耶答曰礙属衆生非光礙也譬如日光周四天下而盲者不見非日光不周也亦如密雲洪シュ{灌之句反}而頑石不潤非雨不洽{シュ下恰反}也若言一仏主領三千大千世界是声聞論中説若言諸仏遍領十方無量無辺世界是大乗論中説天親菩薩今言尽十方無礙光如来即是依彼如来名如彼如来光明智相讃嘆故知此句是讃嘆門

(作願門)
願生安楽国者此一句是作願門天親菩薩帰命之意也其安楽義具在下観察門中
問曰大乗経論中処処説衆生畢竟無生如虚空云何天親菩薩言願生耶答曰説衆生無生如虚空有二種一者如凡夫所謂実衆生如凡夫所見実生死此所見事畢竟無所有如亀毛如虚空二者謂諸法因縁生故即是不生無所有如虚空天親菩薩所願生者是因縁義因縁義故仮名生非如凡夫謂有実衆生実生死也
問曰依何義説往生答曰於此間仮名人中修五念門前念与後念作因穢土仮名人浄土仮名人不得決定一不得決定異前心後心亦如是何以故若一則無因果若異則非相続是義観一異門論中委曲釈第一行三念門竟

[←back] [next→]

[Shinsui]


[index]    [top]

 当ホームページはリンクフリーであり、他サイトや論文等で引用・利用されることは一向に差し支えありませんが、当方からの転載であることは明記して下さい。
 なおこのページの内容は、以前 [YBA_Tokai](※現在は閉鎖)に掲載していた文章を、自坊の当サイトにアップし直したものです。
浄土の風だより(浄風山吹上寺 広報サイト)