『往生論註』巻上
ここでは「浄土論」名目の解釈が行われています。名目とは<無量寿経優婆提舎願生偈 婆藪般豆菩薩造>です。なお<無量寿経優婆提舎願生偈>までの解釈は{往生論註を味わう 2}と重なる部分がありますのでそちらも参考にしてください。
「無量寿」とは無量寿如来をいふ。寿命長遠にして思量すべからず。「経」とは常なり。いふこころは安楽国土の仏および菩薩の清浄荘厳功徳と国土の清浄荘厳功徳とは、よく衆生のために大饒益をなす。つねに世に行はるべきがゆゑに名づけて経といふ。
まず<「無量寿」とは無量寿如来をいふ。寿命長遠にして思量すべからず>とあります。2でも述べましたが、「無量寿」は<安楽浄土の如来の別号>ではなく「安楽浄土の如来の本号」であるという点は注意が必要でしょう。
<寿命長遠にして思量すべからず>は、例えば『仏説無量寿経』 第十三願・寿命無量の願には、<たとひわれ仏を得たらんに、寿命よく限量ありて、下、百千億那由他劫に至らば、正覚を取らじ>とあり、また同経典に<無量寿仏は寿命長久にして称計すべからず(中略)声聞・菩薩・天・人の衆の寿命の長短も、またまたかくのごとし>(巻上 正宗分 弥陀果徳 寿命無量)とあります。さらに『仏説阿弥陀経』には、<彼仏寿命及其人民無量無辺阿僧祇劫故名阿弥陀>(正宗分 因果段 光寿二無量)とあります。
この<寿命長遠>ということは具体的にはどういう事実を言うのでしょうか。単に寿命が長く遠くおよぶというだけでは何のことか解りません。
先に結論から申しますと、無量寿如来は一切衆生悉有仏性の現実を生んだ歴史的経緯そのものであり、正定聚不退転の菩薩の身と安楽国の土徳に報いた基軸であり、不断に清浄のはたらきと創造力を発揮し無限の道程を示す主体でありましょう。仏性が衆生の身に報い社会に展開する中心ともいえます。
なおここは、無量寿如来(阿弥陀如来)の本質に関わる箇所ですから、<不可思量也>を<思量すべからず>と読み下すのではなく「思量することは難しいが、それでもあえて伺えば…」と読むべきでしょう。これは聖人が<仏意測りがたし。しかりといへども、ひそかにこの心を推するに>(顕浄土真実教行証文類 信文類三(本) 三一問答 法義釈 至心釈)と述べられことと同じです。
仏の寿命とは、心臓が動き呼吸があることを言うのではありません。仏の寿命は仏心とも菩提心(無上菩提心)ともいいますが、<入真を正要とす、真心を根本とす>と聖人が言われるように、真実に入ることを正しいこととし、またかなめとし、まごころを根本とする心です。また<この無上菩提心とは、すなはちこれ願作仏心なり。願作仏心とは、すなはちこれ度衆生心なり>と後に曇鸞大師自身仰られるように、どこまでも真実まごころを貫き通してゆこうと自らに願い、同時にこの心を一切衆生にもふり向けて、真心の報いた環境に添うように願わせる心です。
この菩提心が限りなく長く遠くまで及んでいる事実を<寿命長遠>と言い、この事実が見えるということが無量寿仏のはたらきが見えるということなのです。そしてこのはたらきが見えれば、同時にはたらく主体・本体である無量寿如来と出遇うことも適います。
ではどのようにして見ることが可能となるのでしょう。たとえば注釈版の『仏説阿弥陀経』では、<彼仏寿命及其人民無量無辺阿僧祇劫故名阿弥陀>を<かの仏の寿命およびその人民〔の寿命〕も、無量無辺阿僧祇劫なり。ゆゑに阿弥陀と名づく>と読み下していますが、これでは無量寿仏と人民の関係がはっきりしません。本当は島田師の言われるように、「かの仏の寿命、その人民におよび、無量無辺阿僧祇劫なり。ゆゑに阿弥陀と名づく」と読むべきでしょう。こうすれば無量寿仏の菩提心と私に至り届いた菩提心の関係がはっきりします。
「自分が菩提心を発揮した」とか「私にはまごころがある」と思っていたら、実は気も遠くなるほどの過去から、尊い願いが先祖の胸を通り、血と汗と涙に報い、無限の仏性の相続と展開があって、ようやく私の身に至って発揮されたのだと覚り、その無限の重みに頭が下がるのです。
次に「経」についてですが、<「経」とは常なり>と明かします。経の語らんとする内容は、<安楽国土の仏および菩薩の清浄荘厳功徳>、つまり無量寿仏とその国に生まれたいと願った菩薩方(真実信心者)の清浄なる荘厳功徳と、その国(環境)自体の清浄なる荘厳功徳が、衆生のために大きな利益を与え、いつまでも世に行われるべきであるから「経」という、とあります。
<清浄>の「清」とは青い水、つまり山頂付近にある水が空を映して青く見えるように、無明・煩悩の穢れが混じらない源流の清らかな淳心を言います。そして「浄」とは、流水や滝を下った水のように、無明・煩悩の穢れを受けながら、そのまま滞って腐るようなことはせず、積極的に人に遇い物事とであう中で、手を合わせて生活の中で法を聞き開き、悪を転じて徳となす作業が行われていくことをいいます。
<荘厳>とは、<清浄>で綺麗に掃き清められた庭に、鮮やかな紅葉を数枚散らせるようなものです。清浄だけでは味気がなく、私が生きる意味も、生命が存在する理由もはっきりしません。荘厳は、味の無い人生に味を加える。彩りの無い人生に彩りをつける。単調な人生に軽妙なリズムを与えることをいいます。いわば創造性を発揮することでしょう。私にしかできない私の人生を創造してゆくのです。これは他の誰にも真似ることはできません。この積み重ねが真心の歴史となるのです。
ただし、ゴミだらけの部屋に花を添えてもゴミが増えるだけです。清浄のはたらきの後にこそ荘厳が生きます。清浄のない荘厳の積み重ねは阿頼耶識にしかなりません。阿頼耶識はそのままでは迷いの根になってしまいます。阿頼耶識ごと清浄・荘厳の菩提心のはたらきで徳に転じることが浄土と仏・菩薩の願いとなります。
こうした真心のつながり、<清浄><荘厳>のつながりは、衆生のために大きな利益を与えることは言うまでもないでしょう。そしてこれは、いつまでも世に行われるべきであるし、実際に行われていて歴史的成果をあげているので、これを「経」というわけです。
ちなみに「経」とは「縦糸」という意味もあります。これは歴史を貫く真実清浄荘厳無上菩提心です。この真心の縦糸に私たちの経験である横糸を沿わせ、極上の布を織り上げることが私たちの生きる意味となるのです。
「優婆提舎」はこれ仏の論議経の名なり。「願」はこれ欲楽の義なり。「生」は天親菩薩、かの安楽浄土の如来の浄華のなかに生ぜんと願ずる生なり。ゆゑに願生といふ。「偈」はこれ句数の義、五言の句をもつて略して仏経を誦するがゆゑに名づけて偈となす。
<「優婆提舎」はこれ仏の論議経の名なり>、この部分は先にもありましたように、<「優婆提舎」といふは、この間(中国)に正名あひ訳せるなし>で、漢字に完全に訳せるものではないが、まずは「論」と訳すわけです。インドの学問は、まず全体的な領解を吐露し、その領解した詩に基いて詳細を述べるのです。これが「優婆提舎」であり<仏の論議経>なのです。
<「願」はこれ欲楽の義なり。「生」は天親菩薩、かの安楽浄土の如来の浄華のなかに生ぜんと願ずる生なり。ゆゑに願生といふ>について、ここでは<願生>とあります。安楽国に生まれたいと願う、ということの内容を問う箇所です。また<「願」はこれ欲楽>とありますが、「願」と「欲」と「楽」の違いも明らかにしたいところです。
『無量寿経』第十八願では有名な<至心・信楽・欲生>の三心が願われています。実はこの<欲生>はまだ不純な心が宿っていて、無上菩提心を発さないまま、極楽の楽しみを受けるために往生を願う者も含まれているのです。阿弥陀仏は国王として親心で一切衆生を済度しようと<欲生>を許すのですが、釈尊は「唯除五逆誹謗正法」と抑止され下巻では厳しい指導を行い、曇鸞大師の勧めでは純粋な菩提心の発露した<願生>に限定します。これは阿弥陀仏と違い、釈尊や曇鸞大師は指導者の立場だから、より厳しい立場をとらざるを得ないのです。
ちなみに「楽」とは音楽の楽と同様の意です。つまり不純な「欲」だけでは足らない、純粋な「願」は凡夫には難しい。そこでこの難しいことを、家族や仲間うちの中で楽しく何度も聞き開いてゆくことでかなえてゆく。そうした環境を整えてくれたのは先人たちの苦労のお陰であり、ここに真心の無限のつながりが感得される、つまり無量寿の一端を見てゆくことができるのです。
<安楽浄土の如来の浄華のなかに生ぜんと願ずる>のは「即得往生」の内容で、正定聚不退転の菩薩として如来の家に生まれることをいいます。これは{正定聚・不退転の菩薩について}に書きましたように、人間として本当の大人になること。人類の歴史を受け入れ、諸仏の真心を自らの真心にし、常なる菩提心を自らの価値観の基軸にしてゆくことをいいます。願うことが往生することそのものなのです。願いが本物であれば領解も本物であり、覚りも本物なのです。
<「偈」はこれ句数の義、五言の句をもつて略して仏経を誦するがゆゑに名づけて偈となす>については説明は必要ないでしょう。『浄土論』の総説分は「世尊我一心」から始まる五言の句で、定型詩をもって経典の内容をまとめて領解するのです。
「婆藪」を訳して「天」といふ。「槃頭」を訳して「親」といふ。この人を天親と字く。事は『付法蔵経』にあり。「菩薩」とは、もしつぶさに梵音を存ぜば「菩提薩・タ」といふべし。「菩提」は、これ仏道の名なり。「薩」タ」は、あるいは衆生といひ、あるいは勇健といふ。仏道を求むる衆生、勇猛の健志あるがゆゑに菩提薩」タと名づく。いまただ菩薩といふは訳者(菩提流支)の略せるのみ。「造」はまた作なり。人によりて法を重んずることを庶ふがゆゑに某造といふ。このゆゑに「無量寿経優婆提舎願生偈婆藪槃頭菩薩造」といへり。『論』(浄土論)の名目を解しをはりぬ。
<「婆藪」を訳して「天」といふ。「槃頭」を訳して「親」といふ。この人を天親と字く。事は『付法蔵経』にあり>についてですが、「婆藪」は「天」とも訳せますが「世」とも訳せます。たとえば『尊号真像銘文』には<旧訳には天親、新訳には世親菩薩と申す>とありますように、古くは「天親」、時代が下ると「世親」と訳されました。親鸞聖人自身も『教行信証』には「天親」のみですが後の著述においては積極的に「世親」を採用されました。ただし『高僧和讃』では「天親」のみです。このあたり聖人の胸の内にどのような変化があったのでしょう。
「天親」は天の親、「世親」は世の親という意味になります。すると初めは、菩薩などという聖者は、自分や世の衆生とはかけ離れた存在で、天親菩薩はその中でも指導的な親の立場である≠ニいう認識であったのが、教学研鑽と自らの体験を通して次第に身近に感じられ、一旦は「世親」と申し上げた。しかし『高僧和讃』を詠まれる段階では、再びその徳の高さを崇められ「天親」に戻されたのではないか……もちろんこれは私の推測に過ぎませんが。
「菩薩」については{往生論註 1}でも述べましたが、声聞・縁覚(独覚)に堕ちるくらいなら地獄に堕ちた方がまだ良い、という意の菩薩道の難行についての諭しと、それゆえに阿弥陀仏の願力に乗じる必要がある、という導きが思い起こされます。
つまり――<一つには、仏教にまぎらわしい外道の善が菩薩の修行の法を乱す。二つには、自己のさとりのみを求めるところの声聞の修行の法が、菩薩の大慈悲を行うことをさまたげる。三つには、人のことをかえりみない悪人が他人の修行を破る。四つには、迷いの中の善果である人天の果報に執着して仏道の行をそこなう。五つには、ただ自力のみであって他力の支持がない>ということの無い行者が菩薩である、と先には述べられていましたが、ここでは<仏道を求むる衆生、勇猛の健志あるがゆゑに>と菩薩の名の徳を褒め、勇猛堅固なこころざしを称えます。
<「造」はまた作なり。人によりて法を重んずることを庶ふがゆゑに某造といふ>とは、菩薩が仏教を尊び、仏教の内容と相応してゆくことをいうのでしょう。「相応」というのは<函蓋相称するがごとし>、つまり箱とふたとがぴたりと合うようなものです。曇鸞大師も親鸞聖人もこの「相応」ということに重きを置いて教学を展開してみえます。
『往生論註』巻上
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