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七高僧の教えを味わう

往生論註を味わう 2

【浄土真宗の教え】

優婆提舎[ウバダイシャ]」と言う訳

『往生論註』巻上

浄土真宗聖典 七祖篇(注釈版)
【二】
 「無量寿」はこれ安楽浄土の如来の別号なり。釈迦牟尼仏、王舎城および舎衛国にましまして、大衆のなかにおいて無量寿仏の荘厳功徳を説きたまへり。すなはち仏(阿弥陀仏)の名号をもつて経の体となす。後の聖者婆藪槃頭菩薩(天親)、如来大悲の教を服膺して経に傍へて願生の偈を作れり。また長行を造りてかさねて釈す。梵に「優婆提舎」といふは、この間(中国)に正名あひ訳せるなし。もしは一隅を挙げて名づけて論となすべし。正名訳せることなき所以は、この間に本仏ましまさざるをもつてのゆゑなり。この間の書のごときは、孔子につきて「経」と称す。余人の制作みな名づけて「子」となす。国史・国紀の徒各別の体例なり。しかるに仏の所説の十二部経のなかに論議経あり、「優婆提舎」と名づく。もしまた仏のもろもろの弟子、仏の経教を解して仏義と相応すれば、仏また許して「優婆提舎」と名づく。仏法の相に入るをもつてのゆゑなり。この間に論といふは、ただこれ論議のみ。あにまさしくかの名を訳することを得んや。また女人を、子において母と称し、兄において妹といふがごとし。かくのごとき等の事、みな義に随ひて名別なり。もしただ女の名をもつて汎く母妹を談ずるに、すなはち女の大体を失せざれども、あに尊卑の義を含まんや。ここにいふところの論もまたかくのごとし。ここをもつて仍 因なり りて梵音を存じて優婆提舎といふ。


聖典意訳
 「無量寿」とは、安楽浄土の如来の別名である。釈迦牟尼仏が王舎城(大経・観経を説かれた場所)や、舎衛国(阿弥陀経を説かれた場所)において、大衆の中で、無量寿仏の荘厳功徳を説かれた。そこでその荘厳功徳をおさめる一つの名号をもって三経にあらわす法の体とする。後の代の聖者天親菩薩が、釈迦如来の大悲の教にしたがって、経に依って願生の偈を作り、また論述の文を作って重ねてその義を解釈せられた。
梵語の「優婆提舎」ということばは、この国では正しくそれに相当する訳がない。その一部分の意味をもっていうならば、論と名づくべきである。それに相当する訳のないわけは、この国には元来仏が出られなかったからである。この国の書においては、孔子が述べたものを「経」といい、その外の人の作をみな「子」というのである。国史・国紀のたぐいが、みなそのように区別している。
ところで、仏の説かれた十二部経の中に論議経がある。それを「優婆提舎」という。もしまた、仏の弟子たちが仏のお経を解釈して、経のいわれによくかなうものは、仏はまた「優婆提舎」と名ずけることを許される。仏の説かれた内容にかなうからである。
この国において「論」というのは、ただ論議というだけであるから、どうして「優婆提舎」の名前を正しく翻訳することができようか。また、たとえば女を、子に対して母といい、兄に対しては妹と呼ぶようなものである。このようなことは、みなその意義に従って呼び名が変わってくる。もし、ただ女という言葉をもって漠然と母や妹のいうことをいうならば、大体女ということはあらわすけれども、どうして母・妹という尊卑の区別をあらわすことができようか。
今、ここでいう「論」もまたこのとおりである。こういうわけであるから、今も梵語を残して「優婆提舎」というのである。

 一般的に『往生論註』と呼ばれるこの註釈本ですが、正式名は『無量寿経優婆提舎願生偈註[むりょうじゅきょううばだいしゃがんしょうげちゅう]』といいます。ここでは、「論」と「優婆提舎」の共通点と相違点をはっきりさせています。

 ところで本題に入る前に一つ指摘しなくてはいけません。この文の初めに、<「無量寿」はこれ安楽浄土の如来の別号なり>とあります。島田幸昭師も問題視されてみえるように、ここはそのまま受けとる訳にはいきません。「真実の経」であり、全人類の依りどころとなる経典こそが『仏説無量寿経』。その「無量寿」がなぜ別名なのでしょうか。確かに梵語「阿弥陀如来」を本名とすれば別名になりますが、漢文であれば「無量寿」を本名とすべきではないでしょうか。ここは一考を要するところでしょう。

釈迦牟尼仏、王舎城および舎衛国にましまして、大衆のなかにおいて無量寿仏の荘厳功徳を説きたまへり。すなはち仏(阿弥陀仏)の名号をもつて経の体となす。

 ここで言う「釈迦牟尼仏」は、俗名ゴータマ・シッダルタ個人ではありません。重要な初期大乗仏教経典は西暦1世紀から3世紀にかけて成立し、これらを総合的にまとめ社会進化的な立場に立って編纂されたのが『仏説無量寿経』です。ゴータマの直説が文字化されたわけではありません。大経編纂仏が理想仏として見出した釈迦牟尼仏です。仏教はゴータマひとりの教えではありません。諸仏の教えです。常に真実を求め続ける人類全ての道であり、智慧と功徳に成果を現す教えです。親鸞聖人も経典編纂者を「経家」と複数形で述べてみえます。しかし経典編纂においては先師を尊み、釈迦牟尼仏の名を用いて教えが説かれます。大乗仏教経典は全てこういう形式で説かれているのです。({経典結集の歴史} 参照)

<大衆のなかにおいて> と簡単に書いてありますが、実はこれは大変なことなのです。多数の経典には「説き惜しみ」があります。「今日の話はレベルの低い衆生には解らないだろう」とか「真剣さが足らない聴衆がいる」等の理由で、中々説法されないのです。これは、経典を編纂された諸仏が聴衆を完全には信じていないからこういう書き方をするのです。自らの境地に比べて大衆はレベルが低い、というある種のエリート的な立場がそこに存在するのではないでしょうか。
 しかし『仏説無量寿経』はじめ浄土三部経は、一切衆生悉有仏性を本心として、大衆に蔵る仏に向って法を説かれてみえます。聴衆の聞法精神を信じて説いてみえるのが浄土三部経の特徴です。このことについての具体的な願は、{声聞無量の願}にあります。

<無量寿仏の荘厳功徳を説きたまへり>とは、真実報身とは何かを、仏の功徳の展開を具体的に説くことによって明らかにしようとしているのです。
<荘厳>とは、飾ること。人生を創造的に華やかに飾るのです。<功>とは、「工夫をこらした仕事とできばえ」で、難しい仕事を成し遂げること、<徳>とは、真心が行じられたところに展開する内外の力。善い人格が身につき、対外的にも賞賛され、感化の力を持つことです。
 相手がどんな人物かは、その人の持つ品格や、他人からの信頼度を見、さらに彼がどんな世界を創造しつつあるのか、ということで判断できます。仏も同じで、たとえどんなにレベルが高く深遠な理想を説いても、説いている本人が信頼できるかどうかを見る必要があります。そして、説かれている世界に肯き、憧れを持って「かくあるべし」と願いを起こさしめる国を創ることが、仏の仕事の第一なのです。

<仏(阿弥陀仏)の名号をもつて経の体となす>とは、無量寿仏の荘厳功徳を名号一つにおさめることを言います。「名号」とは、仏の側から「南無阿弥陀仏」と名のり叫ぶことです。人民に及んだ仏性の叫びです。ちなみに「念仏」と言った場合は、衆生の側が「南無阿弥陀仏」と褒め称えることです。無量寿仏が私に成り切られて名のり叫びが聞こえてくるのです。名号のはたらきが先で、念仏が出て下さるのです。
 具体的には、衆生に宿り展開する仏性の有様を、総合的に、また微細に渡って褒め称えることを、全て名号の徳としているのです。『教行信証大意』にも、「名号はもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。衆行の根本、万善の総体なり」とある通りです。あらゆる智慧と功徳が名号に集約しているのです。
 これはどういう事実を言うのか、内容を聞く必要があります。
 例えば、「お父さん」とか「お母さん」と言った時、そこには人類全体の父母の徳が込められています。先祖代々、父親が父親としての役割を果してきた徳、母親が母親としての仕事を果たしてきた徳、これが子どもにとっては「お父さん」とか「お母さん」と呼ぶ名となります。一つ一つの呼び名は個人の徳ですが、一代でそうした徳ができるのではありません。先祖代々の親としての徳が「お父さん」「お母さん」の名に成ったのであり、子どもはただ親しみ呼ぶだけですが、成長とともに、親の内容を知り、名を褒め称えるまでに成ります。また、呼ばれた親も、親の名に恥じない親になりたい、と願いが起きます。親に成ったからこそ本物の親に成りたい。人間に生まれたのだからこそ本物の人間に成りたい。教師に成った、社長に成った、政治家に成った、僧侶に成った、親方に成った・・・。成ったからには、名に恥じない本物に成りたい。名前に込められた徳を背景に人間が育てられるのです。名に徳がこもっているとは、こうした事実を言うのです。 ({諸仏称名の願} 参照)

後の聖者婆藪槃頭菩薩(天親)、如来大悲の教を服膺して経に傍へて願生の偈を作れり。また長行を造りてかさねて釈す。梵に「優婆提舎」といふは、この間(中国)に正名あひ訳せるなし。もしは一隅を挙げて名づけて論となすべし。正名訳せることなき所以は、この間に本仏ましまさざるをもつてのゆゑなり。この間の書のごときは、孔子につきて「経」と称す。余人の制作みな名づけて「子」となす。国史・国紀の徒各別の体例なり。しかるに仏の所説の十二部経のなかに論議経あり、「優婆提舎」と名づく。もしまた仏のもろもろの弟子、仏の経教を解して仏義と相応すれば、仏また許して「優婆提舎」と名づく。仏法の相に入るをもつてのゆゑなり。この間に論といふは、ただこれ論議のみ。あにまさしくかの名を訳することを得んや。また女人を、子において母と称し、兄において妹といふがごとし。かくのごとき等の事、みな義に随ひて名別なり。もしただ女の名をもつて汎く母妹を談ずるに、すなはち女の大体を失せざれども、あに尊卑の義を含まんや。ここにいふところの論もまたかくのごとし。ここをもつて仍 因なり りて梵音を存じて優婆提舎といふ。

『仏説無量寿経』が編纂され、後の時代には天親菩薩が、この経に依って願生の偈を作り 、また論述の文を作って重ねてその義を解釈せられた、というわけですが、「服膺」とは全体をひとかかえにして保つことです。経典全体として言わんとしていることを体得して<願生の偈を作れり>ということです。これは『浄土論』の前半の「総説分」について言っています。そして<長行を造りてかさねて釈す>は、後半の「解義分」についてです。
 ここで面白いことは、<正名あひ訳せるなし>というところです。梵語の「優婆提舎」は、中国語にはそれに相当する言葉がないというのです。また、<この間に本仏ましまさざるをもつてのゆゑなり>、とありますが、この国(中国)には元来仏が出られなかった。わざわざこのようなことを仰るのは、曇鸞大師の胸のうちに何が去来してみえたのでしょう。また、インド仏教と当時の中国の差はどこにあったといわれるのでしょうか。

『浄土論』はじめインドにおける学問の特徴は、「総説分」と「解義分」とがあることです。経典の「論議」、つまり文字一々について「ああでもない、こうでもない」という論議に終始していては、肝心の覚りを得ることができません。また論じている人自身が覚っているのかどうか解りません。インドでは、まずは「総説分」のように、経典全体を腹に入れた自らの領解を吐露する。これによってその人の境地・境涯が白日の下に置かれます。これができる人を、正定聚・不退転の菩薩といいます。浄土真宗では、領解を述べることが肝心、と言われますが、これはこうしたインドの学問に依っているのです。この領解を、天親菩薩は定型詩によって述べてみえます。
 そして「解義分」では、天親菩薩は自らの領解に基いて詳しく浄土の微細を説明します。これができるのは、如来の智慧が生まれていなければなりません。これこそが「南無」・「信心」の展開なのです。自らの領解・信心となってはじめて優婆提舎論(論)を説くことができるのです。
 このように、仏教と相応する内容であるという確かめがあれば「優婆提舎」と名ずけることが許されます。自らの境地を述べていながらも仏教と相応する。蓋[ふた]と函[はこ]がぴったりと一致しているように、仏教と領解が一致するのです。
 ところで、本当に天親菩薩の論は『仏説無量寿経』の内容と相応しているのでしょうか。覚りの真実と相応しているのでしょうか。相応している、ということを前提に話を進めつつも、もし相応していない部分が見つかれば、躊躇なく訂正し、より発展した教学にしていかねばならないでしょう。

 これは現代の教学問題についても言えるのですが、教学のほとんどが経論釈の説明であり、師の受け売りで、自らの領解に基いて教学を展開する気概がありません。仏や高僧や聖人の評判の上にあぐらをかき、先師の言葉に寄りかかって真偽を云々するだけでは、単なる文字解釈に過ぎません。これではいつまでたっても教学は発展せず、現代の諸問題にも対応できません。
 一掴みに「仏教とはこれである」という大領解が無いのなら、本来は教学を云々する立場にはないのです。また、自らの境地を延々と述べていても、それがそのまま経典の内容とぴったり一致する、ということが確かめられなければ、どんなに仏法を称賛しているようでも、結果として仏法をねじ曲げ誹謗することになる、ということも肝に銘じなければならないでしょう。
 おそらく曇鸞大師は、そうした事情や環境をふまえて、このような厳しいことを仰られたのでしょう。そうした上で、中国語では大雑把に「論」というしかない、と述べてみえるのです。譬えとしては、「母」とか「妹」というべきところを、「女」という表記しかできない、と注意を促してみえます。まことに思慮深い文と言わねばなりません。

 資料

『往生論註』巻上

漢文

浄土論大綱

【二】
無量寿是安楽浄土如来別号釈迦牟尼仏在王舎城及舎衛国於大衆之中説無量寿仏荘厳功徳即以仏名号為経体後聖者婆数槃頭菩薩服膺{一升反}如来大悲之教傍経作願生偈復造長行重釈梵言優婆提舎此間無正名相訳若挙一隅可名為論所以無正名訳者以此間本無仏故如此間書就孔子而称経余人制作皆名為子国史国紀之徒各別体例然仏所説十二部経中有論議経名優波提舎若復仏諸弟子解仏経教与仏義相応者仏亦許名優波提舎以入仏法相故此間云論直是論議而已豈得正訳彼名耶又如女人於子称母於兄云妹如是等事皆随義名別若但以女名汎談母妹乃不失女之大体豈含尊卑之義乎此所云論亦復如是是以仍{因而音}存梵音曰優波提舎
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