平成アーカイブス 【仏教Q&A】
以前 他サイトでお答えしていた内容をここに再掲載します
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釈迦は死に際して、弟子達に「私の姿を具現化し、それを崇めることをしてはならない」と言い残しています。(らしい・・・)
実際にその後数百年間は守られていた様ですが、ギリシャとの交流により、神々を具現化し信仰の象徴する様になり、元来インドには存在しない神(ギリシャの神々)をも取り入れ、釈迦の像も造られてしまったとのこと。
とするとごく単純な意見として、現在の日本仏教も含め、釈迦の意志に反した事を行っていると言えますね。
ましてや、その像を崇める為に必要以上の建物を建て、その建造費用を信仰者から集める行為を釈迦が許すとは思えません。
その他にはキリスト教も基本的には同じくですが、宗徒の階級(位)が有るに疑問を感じます。
釈迦もキリストもをその様な階級(位)を望んでいたのでしょうか?
私の知る限りでは、まったくその逆だと解釈しています。
日本仏教では、位牌に書き込む名前にもお布施の金額によってランク付けがされてしまっています。(まったくもってバカらしい)
私は、自然宗教にこそ真理があるような気がしますがどうでしょうか?
土、草木、水、海、空、宇宙そのものもそうでしょう、それぞれにこの地球上に住むものを育む元となっています。
その意味ではすべてでは無いにしろ、アイヌやネイティブアメリカン達の思想(生き方)は実に素晴らしいモノと感じました。
宇宙にはなんらかの意志があるような気はしますが、もし、この地上に人がいなくなれば「人間の作り出した神」の存在はどうなるのでしょうか?
どこかの宗教の様に「偶像崇拝は許さない」という考えではありませんが、人間が作り出した神を神とするのは何か滑稽な事だと考えています。
とにかく、お坊さん達の「紫は高貴なお坊様が着る色」だとかその他もろもろの階級意識がある時点で、本来の釈迦の考えを愚弄した姿であると言えるのではないのでしょうか?
日本の仏教は本当に釈迦の意志を汲んでいるのでしょうか?
〉 釈迦は死に際して、弟子達に「私の姿を具現化し、それを崇めることを
〉 してはならない」と言い残しています。(らしい・・・)
これは有名な「自灯明 法灯明」の教えについて述べてみえるのでしょうか。
当HPでは、{ブッダ最後の旅2「#旅に病む――ベールヴァ村」} にその経緯が掲載してあります。
ただしこれは、「私の姿を具現化し、それを崇めることをしてはならない」というような具体的な戒めではなく、
「この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島(灯明)とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」という自律と法に順じる姿勢を勧められた言葉です。
釈尊は、弟子たちに自分の教えを押し付けることはしていません。自分で考えて自分の責任で行動するように「自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず」と「自灯明」を説き、この「自灯明」を成就させるために真実の法が語られ、「法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」と「法灯明」を説きました。
仏像は総体的にいえばこの「法灯明」の表現でありましょう。そして仏法を最初に説かれた方が釈尊ですから、仏像は基本的な形としては釈尊を想定して刻まれます。
〉 実際にその後数百年間は守られていた様ですが、ギリシャとの交流により
〉 、神々を具現化し信仰の象徴する様になり、元来インドには存在しない神
〉 (ギリシャの神々)をも取り入れ、釈迦の像も造られてしまったとのこと。
〉 とするとごく単純な意見として、現在の日本仏教も含め、釈迦の意志に
〉 反した事を行っていると言えますね。
釈尊在世当時のインドの習慣として、「宗教的なものは形に現わすものではない」という常識がありましたし、最初期の仏教界では、仏や覚りを表現する手段を持たなかったので、仏を人の形として刻むことを躊躇させたのでしょう。初期のレリーフには、釈尊は菩提樹や法輪・法座・仏足跡などで象徴的に表していました。
しかし、大乗仏教運動が盛んになり、一切衆生が教化の対象となった時、覚りの内容を形として現わす方法を得て仏像が刻まれます。具体的にはインド内部のマトゥラー(現ニューデリーの南東)や、北部のガンダーラ(現パキスタン)地方を中心に造形化の挑戦が始まり、「三十二相」という規則によって定型化されてからは、この基準に添って次々と優れた仏像が刻まれていきました。方法として他文明・他宗教の形を借りて、覚りの内容をより明確かつ具体的に表現するということは、仏教伝播の歴史の中ではよくあることです。
信徒としては、形を尊みながら、形に執着しないということが、仏教受容の要となるでしょう。
なお、自灯明の原則を行じる中では、仏像は偶像にはなりません。また、如来回向のお心を味わう中では、仏像は化身ではありません。
仏像は、法身が法身にとどまらず、その徳が表出した姿であり、覚りの功徳が形を得、永劫の歴史を経て私に至り届いた姿(報身)なのです。こうした経緯は {釈尊と阿弥陀仏の関係(仏像のモデル)}や{具足諸相の願} 等に詳説してありますので参考にして下さい。
〉 ましてや、その像を崇める為に必要以上の建物を建て、その建造費用を信仰
〉 者から集める行為を釈迦が許すとは思えません。
仏像については上記の通りですし、釈尊在世当時から寺院の建造は盛んに行われていました。有名な祇園精舎や竹林精舎建設などもかなりの費用を必要としましたが、これらはもちろん信者の寄進によって建てられたものです。
ただし、{戒律について―波羅提木叉―} にあるように、寄進は教団全体に対するものであり、僧個人を富ませるためのものではありません。「僧の損ずることは、多く富家よりおこれり」という道元の言葉も残っています。
また、『十住毘婆沙論』に「在家の人は、まさに財施を行ずべし。出家の人は、まさに法施を行ずべし」とありますが、「現在の寺院は仏法伝道の場として機能していないのではないか」という批判があれば、僧侶は甘んじて受けなければならないでしょう。
〉 その他にはキリスト教も基本的には同じくですが、宗徒の階級(位)が有る
〉 に疑問を感じます。
〉 釈迦もキリストもをその様な階級(位)を望んでいたのでしょうか?
〉 私の知る限りでは、まったくその逆だと解釈しています。
キリスト教については詳しく知りませんが、仏教では「一切衆生悉有仏性」等の言葉があるように、いのちの存在自体に上下をつけることは悪差別としてこれを廃しています。仏は平等心をもって衆生を観られるのです。しかし平等という概念に固執して千差万別の現実を忘れれば、私たちは悪平等に陥ってしまいます。生れによる差別はありませんが、行いは問題となります。
凡そ差別無きの平等は仏法に順ぜず、悪平等の故なり。また、平等無き差別も仏法に順ぜず、悪差別の故なり。
(最澄)
例えば修行者の間には、得度してからの年月で先輩・後輩の上下がつけられていました。
また修行の達成度によっても上下はあり、特に舎利弗や目連は短期間で修行を達成し、教団を代表する弟子になったため、他の修行僧たちからは不満がささやかれたこともあるということです。しかし舎利弗や目連は教団を代表して伝道に力を発揮し、他宗教からの批判を打破するなどの功績を上げ、誰からも一目置かれる存在になっていきました。
また、大乗仏教では52段位を設け、修行の指針としました。ただし、これをそのまま修行の段位として他者が認可する制度にしてしまえば、悪差別を生む元凶になりかねません。あくまで仏道を歩む自覚であり目安であり、先人たちの道程を辿る一里塚として受容するべきことがらでしょう。
ちなみに、如来の本願を信じ喜ぶ人はすぐに41位の歓喜地を得て、やがて48位以上の不動地・善慧地・法雲地の境地や等正覚の位に至る、とありますが、これらは全て覚りのはたらきが私に成り切って現前するもので、自らの努力でここに至るものではありません。むしろ個人の驕り高ぶりを挫く懺悔となって行者に至ります。回向された信心は如来のはたらきそのものですから、真実信心には個人による差はないのです。これを「他力」とも「本願力回向」ともいいます。
しかし信心を自らの努力や思い込みで為そうとすると、行者によって個人差が出てしまいますし、慚愧したことさえ誇りにしてしまいますので、この信心は、如来の心に順じた真実信心ではないのです。この真実でないものを「自力」といいますが、他力(つまり生命普遍に宿る真心の力)に裏打ちされていない自力は、悪差別を生む縁となります。
私たちは自力を離れては何も行じることはできませんが、自力に執着することを離れることはできます。これは他力による懺悔によって開かれた境地で、この平等の境地より菩薩の行を修してゆくのです。
〉 日本仏教では、位牌に書き込む名前にもお布施の金額によってランク付けが
〉 されてしまっています。(まったくもってバカらしい)
このシステムは、本当に間違っていると思います。どう言い訳しても、これは人の虚栄心を利用した金儲けの手段でしょう。虚栄心を全肯すれば、法は真の姿を隠します。
〉 私は、自然宗教にこそ真理があるような気がしますがどうでしょうか?
〉 土、草木、水、海、空、宇宙そのものもそうでしょう、それぞれにこの地球
〉 上に住むものを育む元となっています。
「自然崇拝の宗教は劣った宗教である」という決め付けが近代社会にはあり、この点については批判があってしかるべきでしょう。ただし、「自然宗教にこそ真理がある」という考えも短絡的すぎる気がします。
たとえば釈尊は四門出遊によって出家したとされていますが、それ以前にも、鳥が虫をついばむ姿を見て世の地獄の有様を知ったといいます。現実は単なる「無常」ではありません、強欲な者が勝つことが天然自然の摂理です。自然は遠目にみれば美しいのですが、そこで繰り広げられる生命活動は実に残酷です。弱者は強者によって滅ぼされるのが自然の姿です。これは同種族に対しても同様で、その犠牲は力の無い子どもや老齢の弱者に集中しています。自然は決して心安らぐ世界ではないのです。
このような自然の有様を人間がそのまま受け入れたのでは、世には強者のみが栄え、弱者は滅んだり奴隷化していきます。幼き子は犠牲になり、力なき老人は捨て置かれてしまいます。釈尊はこうした弱肉強食の現実を苦の娑婆として見、この摂理に従属するだけの人生を拒んだのです。そして運命は自らが切り開き、自らを主体的に創造していくという「覚りの法」を摂理として体得して、それを説かれたのです。仏教でいう「
ただしこれは、天然自然の摂理に逆らうというものではなく、自然の摂理に生かされながら、そこに巣食う無明性や畜生性・餓鬼性を克服していかれたのです。
世間では「神仏のおかげ」といわれて、神と仏の区別がはっきりしていませんが、神と仏はどうちがうのでしょうか。
神は原始の昔から人類の発生と共に存在していたようですが、仏といわれるものは、今から二千五百年昔、北インドに誕生したシッタルタ・ゴータマが、三十五才の時、ボダイ樹下において「天上天下唯我独尊」の自覚を得て、「我は仏となった」といった。それが初めてであると聞いています。しかもシッタルタ(釈尊)その人が仏であって、自分以外に神も仏も必要としなかったのです。自らをあらゆる権威、あらゆる束縛から解放して、完全な独立者、自由人となることに成功したのです。これによって今までの「神あり」神を信ぜよという救済の宗教をくつがえして、「我あり」自らを信ぜよ、人間よ心の眼を開けという、自覚の宗教をうち立てたのです。この世始まってこのかた、あれだけ暴威をたくましくしていた神や魔も、完全にその王座から転落せねばならなくなったのです。何とすばらしい、何と痛快な大事業ではありませんか。人間にとってこれほど大きな喜びがどこにあるでしょうか。
シッタルタの成し遂げたことは、インドという特殊な地域の民族宗教の革命に止まらず。まさに人間の解放であり、歴史の開眼ではないでしょうか。仏釈尊の誕生はそのまま人間の誕生であり、主権の大革命でしょう。
『真宗開眼 二十の扉』第十二問 神と仏のちがいについて より
〉 その意味ではすべてでは無いにしろ、アイヌやネイティブアメリカン達の
〉 思想(生き方)は実に素晴らしいモノと感じました。
それぞれの文化や歴史には尊い価値が隠されているはずですから、学ぶ点は大いにあるかと思いますが、常に批判眼を持ってのぞむことが仏教の基本姿勢です。学ぶといっても無批判に全肯すれば副作用が生じることは、経験によって皆の知るところでしょう。
〉 宇宙にはなんらかの意志があるような気はしますが、もし、この地上に人が
〉 いなくなれば「人間の作り出した神」の存在はどうなるのでしょうか?
〉 どこかの宗教の様に「偶像崇拝は許さない」という考えではありませんが、
〉 人間が作り出した神を神とするのは何か滑稽な事だと考えています。
「宇宙にはなんらかの意志があるような気はします」という感覚は大切です。ただし、「有る」と言い切ってしまえば、それは偏った思想となって人を襲いますし、「無い」と言い切っても偏見になります。
ですから、神の存在を論じるようなことはせず、ただこの私の奥底に流れる一切衆生を背負う尊いはたらきに心を寄せ、真実の法より回向された求道心を身に満たして日々歩んでいくことが、仏教徒の勤めとして古えより勧められているのです。
〉 とにかく、お坊さん達の「紫は高貴なお坊様が着る色」だとかその他もろもろ
〉 の階級意識がある時点で、本来の釈迦の考えを愚弄した姿であると言えるのでは
〉 ないのでしょうか?
〉 日本の仏教は本当に釈迦の意志を汲んでいるのでしょうか?
高貴な法衣を着ることを目的にしたり誇りにすることは、釈尊に顔向けできない行為でありましょう。仏教徒や僧侶は常に仏法の弘まりと世の安穏を念じて行動すべきで、驕り高ぶりは厳に慎まねばならないと思います。そうした意味では、「釈迦の意志を汲んでいる」と胸を張って言える状態でないことは(残念ですが)確かです。
これは本当に痛ましいことだと思います。
(参照:{自然と社会と仏教の関係} {一万年の旅路})