ポーラ・アンダーウッド 星川淳=訳 / 翔泳社
西洋人からかつて「インディアン」と呼ばれていたネイティヴ・アメリカンは、民族的な共通点から、かつてアジアに住んでいた人々がベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に移動したのではないか、という説が有力なのだが、まさにこの説を裏付ける一資料となるのがこの本。それも、単なる移動の記述だけではなく、その時々の心理的な面まで詳細に伝えている。もしこの内容が真実だとすれば、読者はまさに一万年の時を超え、面前に人類の移動の場面を目の当たりにすることになるだろう。そしてその可能性は案外高いのかも知れない。
著者のポーラ・アンダーウッドは、ネイティヴ・アメリカンのひとつイロコイ族の口承史を親から継承し、先祖の遺言に随ってこれを英訳出版した。その内容たるや、かつてのどの歴史書にも書かれていないような、今では想像するしかない事柄を、まるで舞台の上で再現したかのように鮮明に写し出している。たとえば、壁画を最初に描いた人間の心理、農業が始まったきっかけ、服を着た最初の人物、ネアンデールタール人とおぼしき一族との交流等々、これらが日常的な動機から起こったことが述べられている。大抵、こうした余りにも古い事柄は、他の民族では、たとえば服を着ることなど失楽園の物語のような神話的な記述になってしまっているが、ここにはそうした超越的・教条主義的なものはなく、人間の行動と知恵の結晶として語られている。
彼らの語りは何かに似ている・・・そう思って読んでいると、大乗仏教との共通性が多々あることに気付く。イコールではないが、人生を読み解く姿勢が似ているのだ。以下、そうした点にも注目し、本書を読む機会が無い人のためにも、多くの伝承を紹介したい。
イロコイ族が、長く住んでいた東アジア地域から北方に向かうきっかけとなったのは天災(火山と津波)で、その時に長老たちが死し、先祖からの伝承や文化のほとんどを失ってしまった。
一瞬のうちに、<長びと>たちが消えていた。一瞬のうちに、病人たちが消えていた。一瞬のうちに、学び手たちが消えていた。一瞬のうちに、われらの知恵がすべて洗い流された、一族はこの異変に裸でまみえていたのである。
[一つめの主な語り/石の雨が降った日]
若者だけの集団となった一族は、いわゆる「常ならぬ命」に敏感になり、また自分達の知恵の足りなさを補うことを最重要課題とする。
「目がさめているあらゆる瞬間から学ぼう。眠っているあいださえ学ぼう。学びながら、兄弟が歩くところを見守ろう。彼が石ころだらけの道を選んでも――」
[一つめの主な語り/大いなる乾きと、一族がいかにして新しい道を学んだか]
一族の学び方は独特で、単に他人の真似をすることをよしとせず、能動的な学びと、それを活かす方法を伝える。また、話し合いの重要性と、その場に年少者も加わることを重んじ、さらに他の民族に好印象を与えることも願っている。これは、常に苛酷な環境に耐えつつ移動し生活するという中で身についた姿勢だろう。
つねに人に従う者が学ぶのは、他人の背中の形だけである。
選び方はたくさんあるが、多くの場合すばやく選ぶことが最善で、さもないと選んでも手遅れになりかねない。
「すなわち、われらは幼い民で、じゅうぶん学ぶ前に先生を失い、あれこれを決めるのに言い争ってばかりいる子どものようだ。
ならばこそいま、節度ある話し合いの知恵を求める民への道を学ぼうではないか。指導者をまたたくまに失いかねないことを、記憶にとどめようではないか。一人では不可能なことも、大勢なら可能になるかもしれないことを理解しようではないか。
そしてもし、こうしたことがすべて記憶からすり抜けたとしても、これだけはおぼえておくがいい。節度ある話し合いの知恵を求めること。どんなに大勢でも、どんなに少数でも、どんなに年老いていても、どんなに若くとも、節度ある話し合いの知恵を求めること。一同の中で最年少のものにさえ、座を与えて耳を傾けるがいい。
ただしこれを、私が助言したからといって行なうのも、私を讃えて行なうのもまかりならぬ。みずからその内にある知恵を見抜いて実行せよ。
私がこのように語るのは、自分の一族が記憶にとどめられる一族となることを願えばこそ。ここでおまえたちに言い残す。他の民がわれらと道を交えるとき、他の民がしばし、われらとともに座すとき、彼らにこう語らしむべし。互いに耳を傾け、ともに話し合い、知恵の節度ある道をたどる民を、われらはこの眼で見た、と――。よいな」
[一つめの主な語り/大いなる乾きと、一族がいかにして多くの知恵の道を学んだか]
また、日々の生存にのみ執われるのではなく、目的を持つことの重要性が説かれる。彼らの旅は、目的のない「さすらいの旅」ではないというのだ。これはベーリング海峡を渡りきった一族の自負であったのだろう。そして、様々な意味をこめた言葉の誕生により、豊かな文化を獲得したことが読み取れる。
「ほら、ごらん。今日しか見えない民より、目的をもった一族のほうがもっと多くをなしとげられる。石を数えることしかしない者たちより、目的をもった一族のほうがもっと大地を遠くまで進める。目的のない者がけっして見ることのない谷間へ、目的意識をもった一族ならたどりつけ」
そしてそのころ、一族は互いの中で記憶を呼びさます歌のつくり方を学んだ。大きな意味を宿す短い音声をもとに、限りない細部を思い起こすというやり方だ。一族がこのようにしてつくり出した歌や形式こそ、いまに伝わるもの。こうした念入りな知恵がなかったら、あなたや私が互いに語り合う内容もずっと貧しくなっていただろう。ならば、この知恵をありがたく受け取ろうではないか。
[二つめの主な語り/森なす山々]
「大きな意味を宿す短い音声」というのは、宗教を語る上でも重要であろう。大乗仏教の経典などは特にこうした言葉であふれている。
そして、次の子どもの言葉などは、「三世の諸仏が集う場」そのものではないだろうか。
「私は見守ってきました。一族がたくさんの難関を乗り越える、その学びの姿を。私は見守ってきました。一族が新しい土地で新しいやり方を身につけてゆく姿を。語られるすべてにしっかりと耳を傾けるさまを聞き、いろいろな日々の暮らしぶりを目にしてきました。子どもたちの子どもたちの子どもたちに想いを馳せ、彼らが最後に歩く土地を心にかければこそ、一族が楽な生活に別れを告げるのも見てきました。
私はいま、みなさんの一部はけっして顔を見ることがないけれど、私なら見られるかもしれないその子どもたち、さらには私の目でも見ることはできず、私のあとに続く者たちだけが見られるであろう子孫たちを代表して語ります。
このような一族のあとに続く私たちから感謝を捧げます。みなさんの想いのあとに続く、私たち一人ひとりから感謝を捧げます。少なくともこの私は、それをしっかりと守っていくつもりです」
一族から声にならない呻きがもれ、まだ生まれぬ多くの者たちが発したにちがいない言葉に、たくさんの目が潤んだ。
それまでにも決意に不足があったわけではない。しかし、いまはすべての決意が倍になった。そして、すでに揺るがざるものになっていた一族の目的意識が、いっそう強まったのである。
[二つめの主な語り/さらなる旅]
彼らは、新しい大陸に渡り、望みの場を得ても、なお目的を求める心であふれていた。喜びは目的を達成することにあるのではなく、目的を見出すことにあるというのだ。
「長い旅路を超えてきたわれら、長いあいだ追い求めた目的地にたどり着いたわれら、望みの場所に立つわれらだが、われらは満足してはいまい!」
そこで一族は、見つけることより目的のほうがましかもしれないと言い聞かせ合った。目的の達成は、そのむこうにある新しい目的を見せてくれるだけなのかもしれない、と。そして彼らは、それが悲しむべきことであるどころか、どう見ても喜ばしいことであるとさとったのだ。
[二つめの主な語り/西への旅]
一族は、ついに西海岸に到着し、そこで他の民族<水を渡る民>とであう。彼らは海に生き、舟を移動手段としていたので、歩いて移動するイロコイ族に驚き<歩く民>と名をつける。
<水を渡る民>の歴史は以下のようなものだった。
「遠い昔、遠い昔、遠い昔
世界には大地がなく、水だけだった。水の面には、どちらを向いても何ひとつ見えなかった。一族は果てしない大海のただ中に浮かんでいたが、雨が降り続いて空と海はほとんど一つだった。
雨が降りやむと、大海があらゆる方向に広がっていた。どこへ向かうべきか、われらには見当もつかなかった。一族は悲しみに泣き叫び、方角を教えてほしい、一かけらでも足で立つ大地がほしいと助けを求めた。
だが、答えはなかった。すると三日目に一人の使いがやってきた。<黒い鳥>が訪れて、水の中から土地をもってきた。われらがいま立つのがその土地だ。そこでわれらは、これが<黒い鳥>のもたらした土地だと知っている。そしてわれらは、この知識を祝う民である」
われらは理解した。彼らの世界は、<黒い鳥>が果てしない大海からもって上がったものであったことを。かたはこの場所へいたるわれらの道は、<果てしない山並み>の数々の谷を縫ってきたのであった。
「どうだい」
われらは語りあった。
「<果てしない大海>には結局果てがあるし、<果てしない山並み>も最後には海に出会ったじゃないか!」
[二つめの主な語り/水を渡る民]
交流は一族に大きな学びをもたらした。特に、単なる取引的な関係ではなく、仲間としての意識が芽生えたことが重要だった。
こうした交流を通じ、われらはそれまで考えられなかったようなやり方で自分たち自身を理解しはじめた。そしてわれらは、これら<大いなる泳ぎ手たち>とわれらが互いを生きる糧として求めるのではなく、仲間として、また学びの道連れとして求めていることに気づいた。
われらはこれに大きな意味を見出し、このような学びの大切さを心にとどめようと誓った。
「われらは彼らにどう映るだろう」という問いを、つねに問い続けようと。
[二つめの主な語り/はじまりの歌]
そして、ついに人類共通の場を、そして生命共通の場を見つけ出す。
われらがわれらなりの一族であるように、彼らも彼らなりの一族であって、見かけのちがいはたくさんあるにせよ、われらはそれらのちがいを尊重するとともに、共通性にも目を向けて、その両方から学んでいくべきだろう。
知恵は学ぶことの中にのみある。
<中略>
すべての民が兄弟であり姉妹である。しかしすべての二本足の民は、それ以上に大きな兄弟であり姉妹である。それが生命のありようなのだ。
[二つめの主な語り/人間とは何か]
こうして、交流が大きな成果を生み、様々なグループとしての交流も生れた。そして少しづつ「歴史」という観念も生れてくる。
あちこちに小さな集団が寄りかたまって、心にとどめたすべてを何度となく語り直した。
そしてその日から今日まで、われらは変化から学ぶ民であることを選びとってきたのだ。みずからの由来を心にとどめる一族であうことを――。
[二つめの主な語り/黒い鳥の子どもたち]
ところが一転して、この交流は悲劇に終わる。<水を渡る民>から追放を言い渡されたのだ。旅の準備のできていない一族は、子どもたちを安楽死させるというつらい決定をし、行い、そして大いに後悔する。
そしてその日以来今日まで、わが一族はいつも次のように心がけてきた。 <新しい目の知恵>に耳を傾ける民であること。 われらの中で一番小さく弱い者に耳を傾ける民であること。 多くの可能性を考え抜く粘り強さをもった民であること。 明日の先まで手を伸ばすとともに、今日と明日もたずさえた民であること。 いざ、多すぎるほどの悲しみがもたらしてくれる知恵を祝おうではないか。
[二つめの主な語り/東の旅――悲しい別れ]
取り返しのつかない悲劇から得た知恵を「祝う」という感覚には違和感もあるが、先人たちの失敗から学ぶということは、とても尊いことだろう。
さて、先に「大乗仏教との共通性が多々ある」と書いたが、もちろん相違点も多々ある。たとえば、彼らの中にある<予見に対する信頼>という性質である。ただし、それが大きな悲劇をもたらしたことも述べられている。ある種類の木苺が食べられるかどうかを予見によって判断したため、多くの死者を出したのである。そして当然、この経験からの学びも重要となる。
こうして全員がうなずいたのだ。予見と、それを現実に当てはめることとは別なのであると――。
その日から今日まで、一族は心にとどめてきた。可能性の二重の輪を歩むこと。どんな予見であれ、一人ひとりが自前の解釈を出し合って早まった行動に歯止めをかけ、最初の理解に頼りきらず、なるべく多くの明日を確保することを。
[山の語り三つ/先を見通す男――予見と理解のちがい]
こうしたバランス感覚があるとはいえ、予見に対する一定の信頼までは失っていないことは読み取れる。
その後も多くの学びを重ねる。たとえば移動する民族ゆえ身障者は一族の負担となるため、障害のある赤子は産まれてすぐに安楽死させることが慣しだった。しかし、その習慣を破る男が登場し、歩く生活の中で自ら仕事を見出すのだった。
みなさんも私も知るとおり、このことから一族は二度とふたたび、ただ楽に歩けないからというだけの理由で<大いなる眠り>をもたらすことはすまいと決めたのだから。彼らが、たんなる移動の容易さと引きかえに、そのような大きな知恵の恵みを失おうとしない一族になったからこそ、いまの私たちがある。
[山の語り三つ/鷲のように飛ぶ――歩けない男の物語]
ここで、一族の学びはついに以下のような主体を見出すに至る。
いざ、われらは変化の見通しを心にとどめる一族でありたいもの。立ち上がって変わりゆく状況を歩み抜けるときは、命をつなぐ糧のほか、雨風をしのぐものもたずさえて行くことを忘れない一族になろうではないか。
しかし、つねにわれらとともに行くのはただ一つ。立ち上がって歩むとき、新しい道に足を踏み出すとき、われらとともに行くのはただこれだけ。一人ひとりの中に宿るもの、全員の中に宿るもの――そのすべて、そのそれぞれ。
[山の語り三つ/守られた盆地]
「われらとともに行く」・「一人ひとりの中に宿るもの、全員の中に宿るもの――そのすべて、そのそれぞれ」とは何であろうか。もしこれを固定的実体としてとらえていないのであれば、これは大乗仏教でいう仏性の報いであり「報身」なのではないか。つまり浄土経典でいう法蔵比丘もしくは法蔵菩薩につながる何かを一族は見出したのではないだろうか。
もちろんこれには異論もあるだろう。例えば――「これは単なる宿命[シュクミョウ](シュクメイではない)である(参照:{令識宿命の願})。なぜなら一族は本願を見出していないのだから法蔵菩薩も見出せないはずだ」という論である。
ここで自問自答を披露しても仕方がないし、結論はもっと深く探ってから出すべきだろうが、もしかしたらここに、おぼろげながらも、一切衆生に宿る如来蔵・法蔵比丘の一表現が仏教書以外で見出せるのではないか、と私自身は期待している。
オハイオ川にたどり着いた一族は、ここでかなり長い世代を過すことになる。定住することによって健康の向上を得たのだが、同時に精神の向上も目指す。
弾むまなざしと輝く笑顔に表れた健康の増進は、一族一人ひとりの存在を超えて続くものごとの健やかさと釣り合ってこそ本物ではないかと。そこで彼らは、学びの中身にあらためて注意を払うようになった。立ち上がって大地の上を歩く己の向上と、その内に座る己の向上とを釣り合わせるためてである。
[われらが美しいと名づける川/太陽の民]
オハイオ川定住の終焉は、大西洋を船で渡ってきた<太陽の民>と出会うことから始まった。ここで彼らの<大いなる大地の蛇>を作る作業を手伝うのだが、奴隷的立場を嫌って、ある日、いともあっさりとこの場を去ることにする。おそらく<歩く民>としての文化が継承されていた結果だろう。やがて東の大海にたどりつき、<石の丘の民>とであうのだが、以前の<太陽の民>と民族的共通点が多く興味深い。
イロコイ族が最後の定住地として選んだのは<美しい湖>周辺で、おそらくこの湖はオンタリオ湖であろうと推測される地であった。ここは他民族が後の住みかとして確保していた土地なのだが、一族は今までの経験をふまえ、老獪な手法で占拠することに成功する。そのため、幾世代にも渡って他民族と争い、また融和の歴史も繰り広げられることになる。
ここからは、現代の民族紛争にも通じる歴史になるのだが、文化交流や使節団の活躍もあり、また模擬戦(一種のスポーツ)を行なって戦争を回避したりと、平和への試行錯誤は続いた。しかし模擬戦が敵意剥き出しの戦いになることもあり、後世はますます腕力がものを言う時代になってきた。そこで、そうした時代にこそ、かつては人を殺さない一族であった歴史を皆に思い起こさせるため、腕力に長けた若者にもこの歴史を伝えることにする。
「どうだろう。<平和の道>にふさわしい性質の若者を選ぶだけでなく、これからは<戦の道>に向いているけれども、同時に平和の大切さを学ぶ力のある若者も選ぶことにしては。どうだろう。そういう若者にも、いまわれらが<平和の道>を歩むことを選んだ若者たちにしているように、想いや理解について教え、一族の長い旅についての物語を伝えては。そのうえで彼らが戦を学ぶ年になったら、それも学ばせようではないか。彼らが両手にそれぞれの道を乗せて、二つの釣り合いをとることができるように――」
[美しい湖/異なる道]
あまりにも長く遠い一族の歴史が、驚くほど身近に感じられるこの書。紛争の絶えない世界で、そして歴史の教訓を忘れて戦争に向かいつつある日本で、平和への道ゆきを照らす一つの知恵に加えてほしいと思う。そして仏教徒としても、経典との多くの共通点をいくつか見出すことを喜びとしたい。