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ブッダ最後の旅 2

『大パリニッバーナ経』等より

【アジアの仏教】


第二章

  コーティ村にて

 釈尊は河を渡った後、比丘たちを連れてコーティ村におもむきます。ここでは流転輪廻の原因が、四聖諦(=苦諦・集諦・滅諦・道諦)の意味をよく理解せず、その深義に達していないためである、ということを、順次修行僧たちに説いていきます。
その後、その要旨をつぎのような詩句にまとめられます。

四つの尊い真実を
如実に知らずにいた故に
長き流転の歳重ね
幾多の生を受けにしを

深き道理をさとりえて
妄執すでに断ち切れば
もはや苦悩の根は断たれ
迷いの生はさらになし

 その後ここでも「法に関する講話」つまり、戒律・精神統一・智慧、そしてそれらの果報について述べられます。

  ナーディカ村にて

 続いて釈尊は、ナーディカ村(サンスクリット本によるとヴァッジ族の地方)の煉瓦堂に留まります。ここでアーナンダが近づき、様々な人の死後の運命をたずねます。
質問を受けて釈尊は以下のように答えます

 アーナンダよ。修行僧サールハは諸々の汚れが消滅したが故に、すでに現世において汚れの無い『心の解脱』『智慧による解脱』をみずから知り、体得し、具現していた。したがって、この比丘は今さとりの世界におり、再び迷いの生存を受けることはない。
 アーナンダよ。尼僧ナンダーは、ひとを下界(=欲界)に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。この比丘尼はその天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。
 アーナンダよ。在俗信者のスダッタは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、欲情と怒りと迷い(貪り・怒り・愚かさ)という三つの心の毒がしだいに弱くなっているので、『一度だけ戻ってくる者(=一来)』となった。この信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残りなく滅ぼし尽くしてさとりの世界に入るであろう。
 アーナンダよ。在俗信女のスジャータは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、『聖者の流れに踏み入った人(=預流)』となった。この女信者は、もはや悪しき世界に堕ちることはなく、必ず正しいさとりを得ることが確定している。
 アーナンダよ。在俗信者のカクダは、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。この在俗信者はその天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。同じように、アーナンダよ。カーリンガ、ニカタ、カティッサバ、トゥッタ、サントゥッタ、バッダ、スバッダなどの在俗信者も、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。これらの在俗信者たちはその天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。
 アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五十人以上の在俗信者たちは、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。これらの在俗信者たちはその天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。
 アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ九十人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、欲情と怒りと迷い(貪り・怒り・愚かさ)という三つの心の毒がしだいに弱くなっているので、『一度だけ戻ってくる者』となった。これらの信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残りなく滅ぼし尽くしてさとりの世界に入るであろう。
  アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五百人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、『聖者の流れに踏み入った人(=預流)』となった。これらの信者たちは、もはや悪しき世界に堕ちることはなく、必ず正しいさとりを得ることが確定している。

 ここで注目すべきは、多くの修行者、在俗信者の死亡が具体的に出ていることです。特に 「ナーディカ村で死んだ五十人以上の在俗信者たち」、「このナーディカ村で死んだ九十人以上の在俗信者たち」、「このナーディカ村で死んだ五百人以上の在俗信者たち」とあり、これは一時期に死亡者が重なったことを意味しています。
 このあたりの事情は、サンスクリット本には以下のように出ています。

 世尊はナーディカ村に到着し、クンジカ休息所に逗留した。ナーディカ村の多くの人たちがマーリという疫病に罹って死んだ。

 問題は、この後釈尊がベールヴァ村で「死ぬ程の激痛」に襲われていますが、ここナーディカ村に滞在した際にこの伝染病に罹った可能性が高い、ということです。

 さて、死後の行く末について知ることは、釈尊にとっては「別に不思議なことではない」のですが、人が亡くなるたびに聞きに来るのでは煩雑であるため、ここで『法の鏡』という法門を説かれます。この法門は「これを具現したなら、みずから自分の運命をはっきり見究めることができる」というもので、仏・法・僧へ絶対の信仰をすすめます。

 アーナンダよ。ここに、立派な弟子がいて、仏に対して清らかな信仰を起こしている――『かの尊師は、このように、真人(阿羅漢)・正しくさとりを開いた人(正等覚者)・明知と実行を完成している人(明行足)・幸いな人(善逝)・世間を知っている人(世間解)・無上の人(無上士)・頑なな男を統御する御者(調御丈夫)・神々と人間との師(天人師)・覚った人(仏)、尊師(世尊)である』と。
 またかれは、法にに対して清らかな信仰を起こしている――『尊師がみごとに説かれた法は、現にありありと見られるものであり、直ちにききめのあるものであり、実際に確かめられるものであり、理想の境地にみちびくものであり、諸々の知者が各自みずから証するものである』と。
 またかれは、僧(サンガ・集い)にに対して清らかな信仰を起こしている――『尊師の弟子のつどいはよく実践している。尊師の弟子のつどいは真っ直ぐに実践している。尊師の弟子のつどいは正しい道理にしたがって実践している。尊師の弟子のつどいは和敬して実践している。尊師の弟子のつどいは、すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)とであるが、かれらを敬うべく、尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の副田である』と。
 かれは聖者の愛する、切れ切れではなくて、瑕のない、斑点(まじり)のない、よごれていないで、自在であって、知者の称讃する、執れのなく、精神統一に導く戒律を身に具現している。

 アーナンダよ。これこそ『法の鏡』という名の法門であって、それを具現したならば、立派な弟子は、もしも望むならば、みずから自分の運命をはっきり見究めることができるであろう、「わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も消滅した。悪いところ・苦しいところに堕することもない。わたしは聖者の流れに踏み入った者である。わたしはもはや堕することの無い者である。わたしは必ずさとりを究める者である」と。

 その後釈尊は、ここでも「法に関する講話」をされます。

  商業都市ヴェーサーリー

 続いて一行は、商業都市ヴェーサーリーへおもむき、町はずれのアンバパーリーの園に滞在されます。ここで釈尊は修行僧たちに、「正しく思念し、正しく意識を保って過ごすべきである」と戒めます。つまり、身体について、感受に関して、心について「よく観察し、熱心に、よく気をつけて、この世における貪欲や憂いを除去していなさい」と説かれ、行住坐臥に気をつけることを教えます。

  遊女アンバパーリー

 さて、アンバパーリー園の所有者は、遊女アンバパーリーですが、釈尊が自分のマンゴー林に滞在されていると聞いて、さっそく麗しい乗物をともなって出かけます。車から降りて法話を聞いた彼女は喜び、食事の供養を申し出ます。釈尊は沈黙を持って同意されました。

 アンバパーリーはこうして供養の権利を獲得しましたが、遅れてやってきたリッチャヴィ族の人たちは「その権利を十万金で譲って欲しい」と懇願します。しかし彼女は「ヴェーサーリー市とその領土とをくださっても、このようなすばらしい食事のもてなしをゆずりは致しません」と断わります。また釈尊に直接「先約を覆してほしい」と、リッチャヴィ族の人たちがたのみますが、これも断わられます。相手の身分や職業や性別に関わらず、先約を優先する原則がここに見られます。

 その後釈尊は、ここでも「法に関する講話」をされます。

  旅に病む――ベールヴァ村にて

 アンバパーリー園にしばらく留まった後、釈尊はベールバ村という竹林のある小さな村落(もしくは大きな林)におもむかれます。ここで修行僧達には「ヴェーサーリーのあたりで友人を頼り」雨安吾に入るよう指示し、自らは竹林村にとどまります。
 雨安吾とは、雨期の定住のことで、インド歴第4月の満月の翌日から90日間、家屋もしくは僧院の中に閉じこもり坐禅、修養につとめることです。これはインドでは諸宗教に共通する習慣であったらしく、今日でも南方の仏教教団はこの実践法を守っています。この時釈尊につき随ったのはアーナンダくらいですが、他の弟子たちを分散させたのは、当時ここには大きな僧院が無かったことによると思われます。

 さて、釈尊は雨安吾に入られた時『恐ろしい病が生じ、死ぬほどの激痛が起った』のですが、これはおそらくナーディカ村での感染が発病したものと思われます。普通の人ならすぐにでも亡くなってしまうところですが、「修行者たちに別れを告げないで、ニルバーナに入ることは、わたしにはふさわしくない」と、禅定に入って苦痛を堪え忍び、病を癒します。
 ここでアーナンダは釈尊に最後の説法を懇請しますが、それに応えて説かれたのが、有名な「自灯明 法灯明」の教えです。

 アーナンダよ、修行僧らはわたしに何を待望するのであるか? わたくしは内外の区別なしに(ことごとく)法を説いた。完き人の教法には、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳[にぎりこぶし]は、存在しない。『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。しかし向上につとめた人は『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。
 アーナンダよ、わたしはもう朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達して、わが齢は八十となった。アーナンダよ。譬えば古ぼけた車が皮紐の助けによってやっと動いて行くように、わたしの車体も皮紐のたすけによってもっているのだ。しかし、アーナンダよ、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく一々の感受を滅したことによって、相のない心の統一に入ってとどまるとき、そのとき、かれの身体は健全なのである。
 それ故に、アーナンダよ、この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島(灯明)とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」

 ここで重要なのは、釈尊みずからが一般で考えられているような師弟の関係を否定したことです。仏教教団のあり方は、他の宗教と違い、師に絶対服従するような関係ではなく、あくまで個々が独立した歩みをする中で育まれるもので、これは基本的には現在の仏教教団にも当てはまるものです。
 このことを訳者の中村元氏は――

 ゴータマ・ブッダは、以下の文から見て明らかなように、自分が教団の指導者であるということをみずから否定している。たよるべきものは、めいめいの自己であり、それはまた普遍的な法に合致すべきものである。「親鸞は弟子一人ももたず」という告白が、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダの右の教え何ら直接の連絡はないにもかかわらず、論理的には何かしらつながるものがある
と、訳注しています。

 また「完き人の教法には、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳は、存在しない」とありますが、これは仏教以外の、特にバラモンの宗教者の多くは、死ぬ間際に選ばれた弟子にのみ秘密のうちに弟子に伝授することを物語っています。
 これも基本的には現在の仏教教団にも当てはまるものです。この原則を破り、「私は秘密のうちに師匠から学んだ」とうそぶき、教団を混乱させる者も出現しますが、上記の『師弟の関係』や『教師の握拳は存在しない』の原則を破る偽仏教者が、教団のみならず社会に多くの害悪を撒き散らした例は、枚挙にいとまがありません。

 続いて釈尊は、身体・感受・心・諸々の事象について「観じ、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである」とさとし、また「自灯明 法灯明」の教えをくり返されます。


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