平成アーカイブス 【仏教Q&A】
以前 他サイトでお答えしていた内容をここに再掲載します
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葬式の時僧侶がお経を読みますが、死んだ人の供養のためですか
それとも違う意味がありますか
これは、正しいとも、間違っているとも言い切れません。
供養の真の意味が分かってみえれば、正しいといえますし、
供養が「死んだ人への追善」という意味であれば、
「違う意味がある」ということです。
供養の真意は尊敬することにあり、それを形に表すことが法要や葬儀などの仏事なのです。仏の心をいただけば、人々を諸仏として尊敬することができます。互いに敬い助け合って生活することが尊いのであり、また生き切られた人の一生を皆で敬うことにより、死によっても断絶しないいのちの在りかを知ることができるのです。
供養の反対は殺生といいまして、これは軽蔑したり無視することをいいます。互いに無関心になり、いのちの叫びを聞かず、呼びかけても応えないような無視しあう関係によって、互いのいのちをすり減らしていくのです。
このように、供養すれば浄土、殺生すれば地獄の業となるのは、普遍の道理といえるでしょう。
ですから、亡くなられた方を含め、全てのいのちを尊敬し、感謝させていただくのが供養で、そうした真髄がお経に書いてありますので、僧侶や信徒が経を読むのです。
ただ、「追善の供養」。つまり――「亡くなられた人の善が少ないので、残った者が善を行い足してあげる」ということであれば、間接的に亡くなられた人を軽蔑することになりますので、本来の供養とは離れ、下手をすると殺生になってしまいます。
亡くなられた方に追善するのではなく、むしろ「亡くなられた方のご縁で大善に出あえた」と、逆に私が追善をいただいていたことを感謝させていただくのが本当の供養でしょう。
なお、供養の最高の行は称名念仏です。なぜなら「南無阿弥陀仏」の名号は万善万行の総体であり、如来の徳がすべて込められているからです。この徳をたたえることが称名念仏であり、如来の願いを具体的に学びたたえる中で、亡くなられた方を含め人々を尊敬する心も本物になるのです。
「供養」について
「父母のために念仏したことはない」の真意
供養諸仏の願
供養如意の願
葬儀についての手引き
以上のページも参考にして下さい。