還浄された御門徒様の学び跡 |
かつて、総理大臣の「日本は神の国」なる発言で国中がゆれたことがあった。
それぞれに思惑があり、それなりの発言、意見がつづいた。まさに百花争乱である。仏教会は当然抗議した。東西本願寺ももちろんの事である。この問題について、日本人はどこまで真剣に、あるいは深刻に考えたことであろうか。
たまたま、所属寺の聞法の集いがあり、少数のあつまりでしかなかったが、話題に出してみた。
大体の意見は
「神信心は信仰心のあらわれ。ほとけさまも神様も同じように昔からおがまさせてもらってきた」に集約されるようである。
「今も同じ気持ち。仏を大切にすることも、先祖を大切にすることも氏神様を大切にすることもみな同じ信仰心の問題」
わたしたちは、真宗門徒である。阿弥陀一仏のすくいに信順するものの集まりである。であるならば、上記の意見はどう受け止めればよいのか。
「神と仏はどう違うのでしょうか」、このテーマは常に連続研修のテーマにあがってくるものである。五年ほど前にこのテーマについて考えるためのヒントとしてまとめた自分用のレジメがある。再掲してみた。
@ 「神」以前の表記法ではカミは「迦微」「加未」などがある。
A 「カミ」としてあらわした対象
* 見えない存在―――幽界
* 人間界――――顕界
*つなぐ存在―――シャーマン・呪術者など
*大君―――天皇
部族の長:征服者の長
国津神を 天津神が統一
* 顕界の支配者「天皇」を「カミ」と表記
大君はカミにしませば天雲のかみなりの上に廬らせるかも
→→カミであった上のカミナリより上の威力を持った支配者としてのカミ
大君 →→天皇の神格化
もともと「カミ」は普通の次元を超越した大いなる力を持ち、人の吉凶・禍福を左右するものと恐怖・畏怖,畏敬された存在。そこには人との人間性のある相互交流はない。
「自然現象」
「山川草木」
「怪しきもの」
これらを含むあらゆる「怪しきもの」が「カミ」とされ、神を呼び、寄りつかせるための「依りしろ」が森の中にしつらえられ、カミの依代として「大木」「岩」「巫女」「シャーマン」などがえらばれ、注連縄を張り巡らして、幽界と顕界を区分し、アヤシキモノの侵入をふせいだ。その「カミ」が「神」である。
このようにカミは、古代の人々にとって、荒々らしい「悪しき・聖なるもの」であると恐れ、崇め奉った神は、やがて人々の近くに鎮まり、人格神・救済神・守護神などの「善き聖なる神」「八百万の神々」に変化していった。
そして、この変化には、日本に新しきカミとしてのホトケの伝来が色濃く投影している。
中国の長江下流域に近年になってまったく黄河文明とは異なる新しい文明の遺跡が発掘された。この遺跡は中国南部の稲作文明起源につらなるものであるようだ。弥生人はこの末裔が海流に乗ってか、朝鮮南部を経てか日本列島に移り、縄文人と交流し、征服し、縄文後期から弥生の文明を形成していったのではないかと推測される。
中国南部・タイ・ビルマなど東南アジアに散在するいわゆる倭族は、鳥居・注連縄・神社建築の千木など今に残る習俗・風習に日本列島各地の習俗への投影が色濃く見られるそうである。鳥越憲三郎先生はその著書で多くの知見を示されている。
文献:中公新書「古代中国と倭族」「古代朝鮮と倭族」など
【九四】またのたまはく(華厳経・十地品・晋訳)、「占相を離れて正見を修習せしめ、決定して深く罪福の因縁を信ずべし」と。抄出
【九五】『首楞厳経』にのたまはく、「かれらの諸魔、かのもろもろの鬼神、かれらの群邪、また徒衆ありて、おのおのみづからいはん。無上道をなりて、わが滅度ののち、末法のなかに、この魔民多からん、この鬼神多からん、この妖邪多からん。世間に熾盛にして、善知識となつてもろもろの衆生をして愛見の坑に落さしめん。菩提の路を失し、汚f無識にして、おそらくは心を失せしめん。所過のところに、その家耗散して、愛見の魔となりて如来の種を失せん」と。以上
【九六】『潅頂経』にのたまはく、「三十六部の神王、万億恒沙の鬼神を眷属として、相を陰し番に代りて、三帰を受くるひとを護る」と。以上
【九七】『地蔵十輪経』にのたまはく、「つぶさにまさしく帰依して、一切の妄執吉凶を遠離せんものは、つひに邪神・外道に帰依せざれ」と。以上
【九八】またのたまはく(同)、「あるいは種々に、もしは少もしは多、吉凶の相を執して、鬼神を祭りて、乃至 極重の大罪悪業を生じ、無間罪に近づく。かくのごときの人、もしいまだかくのごときの大罪悪業を懺悔し除滅せずは、出家しておよび具戒を受けしめざらんも、もしは出家してあるいは具戒を受けしめんも、すなはち罪を得ん」と。以上
【九九】『集一切福徳三昧経』の中にのたまはく、「余乗に向かはざれ、余天を礼せざれ」と。以上
【一〇〇】 『本願薬師経』にのたまはく、「もし浄信の善男子・善女人等ありて、乃至尽形までに余天に事へざれ」と。
【一〇四】『起信論』にいはく、「あるいは衆生ありて善根力なければ、すなはち諸魔・外道・鬼神のために誑惑せらる。もしは座中にして形を現じて恐怖せしむ、あるいは端正の男女等の相を現ず。まさに唯心の境界を念ずべし、すなはち滅してつひに悩をなさず。あるいは天像・菩薩像を現じ、また如来像の相好具足せるをなして、もしは陀羅尼を説き、もしは布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧を説き、あるいは平等、空・無相・無願、無怨無親、無因無果、畢竟空寂、これ真の涅槃なりと説かん。あるいは人をして宿命過去のことを知らしめ、また未来のことを知る。他心智を得、弁才無碍ならしむ。よく衆生をして世間の名利のことに貪着せしむ。また人をしてしばしば瞋り、しばしば喜ばしめ、性無常の准ひならしむ。あるいは多く慈愛し、多く睡り、宿ること多く、多く病す、その心懈怠なり。あるいはにはかに精進を起して、後にはすなはち休廃す。不信を生じて疑多く、慮り多し。あるいはもとの勝行を捨てて、さらに雑業を修せしめ、もしは世事に着せしめ、種々に牽纏せらる。またよく人をしてもろもろの三昧の少分相似せるを得しむ。みなこれ外道の所得なり、真の三昧にあらず。あるいはまた人をして、もしは一日、もしは二日、もしは三日、乃至七日、定中に住して自然の香味飲食を得しむ。身心適悦して、飢ゑず渇かず。人をして愛着せしむ。あるいはまた人をして食に分斉なからしむ。たちまち多く、たちまち少なくして、顔色変異す。この義をもつてのゆゑに、行者つねに智慧をして観察して、この心をして邪網に堕せしむることなかるべし。まさにつとめて正念にして、取らず着せずして、すなはちよくこのもろもろの業障を遠離すべし。知るべし、外道の所有の三昧は、みな見愛我慢の心を離れず、世間の名利恭敬に貪着するがゆゑなり」と。以上
【一〇六】 またいはく(弁正論)、「『大経』のなかに説かく、〈道に九十六種あり、ただ仏の一道これ正道なり、その余の九十五種においてはみなこれ外道なり〉と。朕、外道を捨ててもつて如来に事ふ。もし公卿ありて、よくこの誓に入らんものは、おのおの菩提の心を発すべし。老子・周公・孔子等、これ如来の弟子として化をなすといへども、すでに邪なり。ただこれ世間の善なり、凡を隔てて聖となすことあたはず。公卿・百官、侯王・宗室、よろしく偽を反し真に就き、邪を捨て正に入るべし。
『顕浄土真実教行証文類』 化身土文類六(末) 外教釈 引文 より
意訳▼(現代語版 より)
【九四】『華厳経』に説かれている。
「吉凶を占うことをやめて正しいものの見方を学び、善いことも悪いこともすべて因果の道理によっておこることを、疑いなく深く信じるべきである。
【九五】『首楞厳経[しゅりょうごんぎょう]』に説かれている。
「禅定を修めても煩悩を離れることができずに悪魔や鬼神や邪鬼となったものたちは、仲間とともに、口々に〈わたしはこの上ないさとりを開いた〉というであろう。わたし(釈尊)が入滅して後、末法の時代になると、このような悪魔や鬼神や邪鬼が多いことであろう。そして世間にはびこり、善知識と称して多くの衆生を煩悩の穴に突き落とし、さとりの道を失わせ、狂い惑わして判断のできないようにし、心までも失わせるであろう。そして、そのものたちが通り過ぎた後は、一家は離散し、人々はみな煩悩にとらわれ、成仏の種を失うことになる」
【九六】『潅頂経[かんじょきょう]』に説かれている。
「三十六の鬼神の王は、数限りない鬼神をしたがえて、姿を現すことなく、かわるがわる、仏・法・僧の三宝に帰依するものを護る」
【九七】『地蔵十輪経[じぞうじゅうりんぎょう]』に説かれている。
「まさしく仏・法・僧の三宝に帰依し、すべてのとらわれを離れ、吉凶を占うことをやめようとするものは、よこしまな鬼神や誤まった教えに帰依することが決してあってはならない」
【九八】また次のように説かれている。(地蔵十輪経)
「あるいはさまざまに、多い少ないの違いはあれ、吉凶の占いばかりに気を取られ、鬼神を祭り、(中略)きわめて重い罪をつくり、無間地獄に堕ちることになる。このような人は、もしそのきわめて重い罪を懺悔して消し去らなければ、出家して具足戒を受けていないものであっても、あるいは出家して具足戒を受けたものであっても、地獄に堕ちてしまうのである」
【九九】『集一切福徳三昧経[しゅういっさいふくとくさんまいきょう]』に説かれている。
「仏道を歩むものは他の教えに心を向けてはならない。他の神を礼拝してはならない」
【一〇〇】 『本願薬師経』に説かれている。
「清らかに信を得た善良なものは、生涯他の神に仕えてはならない」
【一〇四】『大乗起信論』にいっている。
「あるいは善根を積んだことのない衆生であれば、さまざまな悪鬼や仏教以外の教えを信じるものや鬼神にまどわされることになる。たとえばその場にいる人々の中に恐ろしい姿を現したり、あるいは、美しい男や女の姿を現すのである。このようなときには、すべては心のつくり出した世界であると念じるがよい。そうすれば消えてなくなり、もはや心悩ますことはない。
あるときは、神々や菩薩の姿を現したり、如来の円満な姿を現して、陀羅尼[だらに]を説いたり、六波羅蜜[ろっぱらみつ]の行を説いたり、あるいはすべては平等であり、本来空であるからそれぞれの相というものはなく、願い求めるべきものは何もないのであって、敵もなければ味方もなく、因もなければ果もなく、究極のところ空無なのであり、これがまことのさとりの世界であるなどと説いたりするであろう。
あるときは、人に過去のことを教え、また未来のことを教え、他人の心の中を知ることができる力を得て、自由自在に弁舌を振わせ、人々に世俗の名誉や利益について執着させるのである。また、たびたび人を怒らせたり喜ばせたりして、その人の性質を異常なものにしてしまう。その結果、愛に溺れ、眠りをむさぼり、また少ししか眠らなかったりして、病気がちになり、心が怠惰になってしまう。あるいは、突然修行に励みだすかと思えばすぐにやめてしまい、信が欠けて疑いやはからいばかりが多くなる。また、これまで修めてきたすぐれた行を捨てて、他の行をあれこれと修め、世俗のことばかりにとらわれて、さまざまなことに引きずりまわされるようになる。
またあるときは、人にさまざまな三昧に少しばかり似たものを修めさせるが、それは仏教以外の教えを信じるものが修めるものであり、まことの三昧ではない。あるいは、人に一日、二日、三日、もしくは七日に至るまでの間、その三昧に似た境地にとどまらせ、ひとりでにあらわれる香りも味もよい食べものや飲みものを得させて、その人は身も心も心地よく、飢えたりのどが渇いたりすることがない。そしてその境地にとらわれてしまうのである。あるいは、人に節度のない食事をとらせ、その人はむやみに食べたり逆に食べなくなったりして、体調を崩して顔色も変わってしまう。
このようなわけであるから、仏道を歩むものは、常に智慧の眼でよく観察し、自分の心がよこしまな教えの網にとらわれないようにしなければならない。すなわち正しい思いをたもつように努め、さまざまな執着を離れ、仏道を歩むにあたってのさまざまなさまたげから遠ざかるがよい。仏教以外の三昧は、どれもみな、よこしまな考えや貪りの心やおごりの高ぶり心を離れるものではなく、世俗の名誉や利益や尊敬されたいという思いにとらわれたものにすぎないからである」
【一〇六】 また次のようにいっている。(弁正論)
「『涅槃経』の中に、〈道には九十六種あるが、ただ、仏教だけが正しい道である。その他の九十五種は、すべてみなよこしまな道である〉と説かれている。わたしは、よこしまな道を捨てて如来に仕える。もし公卿[くぎょう]の中で、わたしと同じく如来に帰依しようと誓うものは、それぞれさとりを求める心をおこすがよい。老子・周公・孔子などは、如来の弟子として人々を導くといっても、すでによこしまな道である。ただ世俗の善を説くにすぎず、凡俗を離れてさとりの世界に入ることはできない。公卿・官吏や諸侯・王家の一族の人々は、いつわりの教えをひるがえしてまことの教えにつき、よこしまな道を捨て正しい道に入るべきである。
西洋では、昔 神の正体を見ようとした男が、神のベールを取ったとたんに即死した。それ以来信者は恐れて、神の正体には触れぬという。
私たちは「神様を見たら目がつぶれる」と教えられて育った。
しかし中世、キリスト教も哲学者も神の存在を問題にしている。
十九世紀になってニィチェは「神は死んだ」といって、全ゆる生命の中に「生きようとする宇宙意志」を感得しており、マルクスは「神は人間が自分に似せて描き出した幻である」といった。
しかし実は神は初めから居られなかったのである。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」で、神に似たものを、人間の精神年齢が幼稚であったため、「神さま」と錯覚したのであろう。
今日ではキリスト教の学者も、神は宇宙の万物を産み出した「宇宙の本体」であるといっている。仏教ではそれを法性とか真如と呼ぶ。
朝永三十郎博士は「自我のめざめと共に神の概念も成長した」と。
キリスト教の神も初めは怒りの神であったが、正義の神となり、今日では愛の神に変わっている。
日本の神も元はたたりの神であった。現に今ここから見える国宝の長門一の宮の住吉神社の神体は荒魂[あらみたま]であるが、大阪の住吉神社は和魂[にぎみたま]である。
たったこの間まで恐ろしいものは「地震、雷、火事、親父」といわれていた。マルクスがいうように、そうした地上の恐怖心が太古の人々に自分たちの生活をおびやかす神を描き出させたに違いない。
人間よ、太古の眠りを醒ませ! 心の眼を開け! 神風も吹かなかった。雨を降らすのも、五穀を実らすのも、神の仕業ではなかった。釈迦は昔、自分の運命は自分で開けと、人間の尊さを説いている。
『八葉通信』第5号(島田幸昭)より
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