還浄された御門徒様の学び跡 |
設我得仏 十方世界 無量諸仏 不悉咨嗟 称我名者 不取正覚
たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ。
『仏説無量寿経』 巻上 正宗分 法蔵発願 四十八願 17
▼意訳(現代語版)
わたしが仏になるとき、すべての世界の数限りない仏がたが、みなわたしの名をほめたたえないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
十方恒沙 諸仏如来 皆共讃嘆 無量寿仏 威神功徳 不可思議
十方恒沙の諸仏如来は、みなともに無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃歎したまふ。
『仏説無量寿経』 巻下 正宗分 衆生往生因 十七願成就
▼意訳(現代語版)
すべての世界の数限りない仏がたは、みな同じく無量寿仏のはかり知ることのできないすぐれた功徳をほめたたえておいでになる。
其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 威神功徳 自致不退転
その仏の本願力、名を聞きて往生せんと欲へば、
みなことごとくかの国に到りて、おのづから不退転に致る。
『仏説無量寿経』 巻下 正宗分 衆生往生因 往覲偈
▼意訳(現代語版)
この仏の本願力により、仏の名(のいわれ)を聞いて(浄土に)往生を願うものは、
残らずみなその国に往[い]き、おのずから不退転の位に至る。
つつしんで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。しかるにこの行は大悲の願(第十七願)より出でたり。すなはちこれ諸仏称揚の願と名づく、また諸仏称名の願と名づく、また諸仏咨嗟の願と名づく、また往相回向の願と名づくべし、また選択称名の願と名づくべきなり。
『顕浄土真実教行証文類』 行文類二 大行釈 出体出願
▼意訳(現代語版)
つつしんで往相の回向をうかがうと、大行があり、大信がある。大行とは、無碍光如来の名を称えることである。この行は、あらゆる善をおさめ、あらゆる功徳をそなえ、速やかに衆生に功徳を円満させる、真如一実の功徳が満ちみちた海のように広大な法である。だから大行というのである。
ところで、この行は大悲の願(第十七願)より出てきたものである。この願を諸仏称揚の願と名づけ、また諸仏称名の願と名づけ、また諸仏咨嗟の願と名づける。また往相回向の願と名づけることができるし、また選択称名の願と名づけることができる。
仏の御名を称するということは、ほとけさまのまことに無量無辺、不可思議の願力に心から信順することであり、讃めたたえることであり、また念仏するそのこと自体が仏さまのしごとをすることでもある。
曇鸞大師は「往生論注」のなかで、仏国土の荘厳功徳の観察について十七種に分かちその成就を説き、第十一種に「妙声功徳成就」をあげて、このように仰せになっている。
荘厳妙声功徳成就とは、偈に「梵声悟深遠 微妙聞十方」といへるがゆゑなり。
これいかんが不思議なる。経にのたまはく、「もし人、ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生ぜんと願ずれば、また往生を得て、すなはち正定聚に入る」と。これはこれ国土の名字、仏事をなす。いづくんぞ思議すべきや。
『往生論註』 巻下
▼意訳(聖典意訳)
荘厳妙声功徳成就とは、偈に「梵声悟らすこと深遠なり 微妙にして十方に聞こゆ」と言える故[ことがら]なり。
これどうして不思議であるかというと、経(≪平等覚経≫・≪大阿弥陀経≫の意)に、「もし人があって、浄土の浄らかで安楽なることを聞いて、心から往生を願うだけの者も、また往生を得て、正定聚に入る」と説かれている。これは国土の名号が衆生利益のはたらきをするのである。どうして思いはかることができようか。
国土の名字 仏事をなすということは、「阿弥陀仏」、「極楽浄土」などの言葉を口に出すこと自体、それが仏さまの仕事をさせてもらっていることなのです。天親菩薩の浄土論に浄土の姿(荘厳相)を二十九種にわたって讃嘆され、そのなかで「種々の鈴響きを発して、妙法の音を宣べ吐く」、「梵声悟らすこと深遠なり 微妙にして十方に聞こゆ」とあります。
曇鸞大師は、この事を註釈されて、「浄土は妙なる音から成り立っている」、「浄土は音声そのものである」、「ほとけ様の清らかなお声は、はかり知れぬほど奥深くすばらしく、十方世界に響く」 。だから「浄土」とか、「阿弥陀仏」とか、「南無阿弥陀仏」などと口にすることそのことが「安楽浄土」そのものであり、浄土は、仏さまがすべての衆生を哀れんですくいとるために建立された清浄の国土であり、すなはち「称名念仏」・「国土の名字」を口にすることは、「ほとけ様の仕事」をさせてもらっていることなのだと仰せになっているのです。
宝林・宝樹微妙音
自然清和の伎楽にて
哀婉雅亮すぐれたり
清浄楽を帰命せよ
『浄土和讃』 讃弥陀偈讃 (39)
南無阿弥陀仏をとなふれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
よろこびまもりたまふなり
『浄土和讃』 現世利益讃 (110)
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