巻上 正宗分 弥陀果徳 眷属荘厳2
仏説無量寿経 巻上
仏、阿難に告げたまはく、「たとへば世間の貧窮・乞人の、帝王の辺にあらんがごとし。形貌・容状、むしろ類すべけんや」と。阿難、仏にまうさく、「たとひこの人、帝王の辺にあらんに、羸陋醜悪にして、もつて喩へとすることなきこと、百千万億不可計倍なり。しかるゆゑは、貧窮・乞人は底極廝下にして、衣形を蔽さず。食趣かに命を支ふ。飢寒困苦して人理ほとほと尽きなんとす。みな前世に徳本を植ゑず、財を積みて施さず、富有にしてますます慳しみ、ただいたづらに得んと欲ひて、貪求して厭ふことなく、あへて善を修せず、悪を犯すこと山のごとくに積るによりてなり。かくのごとくして、寿終りて、財宝消散す。身を苦しめ、聚積してこれがために憂悩すれども、おのれにおいて益なし。いたづらに他の有となる。善として怙むべきなし、徳として恃むべきなし。このゆゑに、死して悪趣に堕してこの長苦を受く。罪畢り出づることを得て、生れて下賤となり、愚鄙廝極にして人類に示同す。世間の帝王、人中に独尊なるゆゑは、みな宿世に徳を積めるによりて致すところなり。慈恵博く施し、仁愛兼ねて済ふ。信を履み善を修して、違諍するところなし。ここをもつて寿終れば、福応じて善道に昇ることを得、天上に上生してこの福楽を享く。積善の余慶に、いま人となることを得て、たまたま王家に生れて、自然に尊貴なり。儀容端正にして衆の敬事するところなり。妙衣・珍膳、心に随ひて服御す。宿福の追ふところなるがゆゑに、よくこれを致す」と。 |
仏説無量寿経 巻上釈尊が阿難に仰せになる。
「さて、たとえば世の中の貧しい乞人 を王のそばに並べるとしたら、その姿かたちがはたしてくらべものになるだろうか」
阿難が申しあげる。
「いいえ、そのものを王のそばに並べたときには、その弱々しく醜 いことはまったく話にならないほどであります。そのわけは、貧しい乞人は最低の暮しをしているものであり、服は身を包むのに十分でなく、食べものは何とか命をささえる程度しかなく、飢えと寒さに苦しんでおり、ほとんど人間らしい生活をしていないからであリます。すべては、過去の世に功徳を積まなかったからです。財をたくわえて人に施さず、裕福になるほどますます惜しみ、ただ欲深いばかりで、むさぼり求めて満足することを知らず、少しも善い行いをしようとしないで、山のように悪い行いを積み重ねていたのです。こうしてたくわえた財産も、命が終わればはかなく消え失せ、生前にせっかく苦労して集め、あれこれと思い悩んだにもかかわらず、自分のためには何の役にも立たないで、むなしく他人のものとなります。たのみとなる善い行いはしておらず、たよりとなる功徳もありません。そのため、死んだ後には地獄や餓鬼や畜生などの悪い世界に生れて長い間苦しみ、それが終ってやっと人間の世界に生れても、身分が低く、最低の生活を営み、どうにか人間として暮らしているようなことです。[
それに対して世の中の王が人々の中でもっとも尊ばれるわけは、すべて過去の世に功徳を積んだからであります。慈悲の心でひろく施し、哀れみの心で人々を救い、まごころをこめて善い行いに努め、人と逆らい争うようなことがなかったのです。そこで、命が終ればその徳によって善い世界にのぼることができ、天人の中に生れて安らぎや楽しみを受けるのであります。さらに、過去の世に積んだ善い行いの徳は尽きないので、こんどは人間となって王家に生れ、そのためおのずから尊ばれる身となるのです。その行いは正しく、姿かたちは美しくととのい、多くの人々に敬 い[ 仕 えられ、美しい衣服やすばらしい食事が思いのままに得られるのであり、それはまったく過去の世に積んだ功徳によるのであります」[
この章は仏の真意を探って読まねば実に差別的な内容となってしまいますので注意してください。
前章までは主に釈尊が、弥陀成仏のいわれや真実浄土の内容を明らかにされてきましたが、この章だけは阿難が語る内容となっています。これは何を意味するのでしょう。
阿難は長く釈尊の侍者をしておりましたので説法を聞く機会は誰よりも多く、また記憶力が抜群に良いので「多聞第一」と称えられています。しかし彼は肝心の覚りを得ておりません。少なくとも釈尊在世中は覚っておりませんので、阿難の語る内容は当時のインド文化の常識の
つまり、わざわざ阿難に代わって語らせるというのは、経典を読む私たちの常識的な価値観を表明しているのであり、決してこの内容は真実ではない≠ニいうことは前提に読まねばなりません。ではなぜわざわざこのような常識を語らせたのかと言うと、浄土と私たちとの縁を取り持つためなのなのです。
釈尊は頭ごなしに「お前は間違っている」とは仰いません。特に浄土経典においては相手を指弾することが一切なく、聴衆の立場に立って、相手が常識的にそう思っているのならばそれを一旦引き受けて、引き受けた内容を元に覚りの世界を語られるのです。
そうすると、これを大抵の人が問題にするの。「ちゃんとこのようにお経にも前の生と書いておるじゃないか」とこういうの。ところが、これが問題で、これは阿難尊者にいわせておるんでしょうが。<中略>阿難尊者は、その当時の常識というものをいうておるのであって、本当はお釈迦さまはそれを逆らわんの。だから、簡単に「あ、そうじゃ、お前がいうとおりじゃ」とこういうたわけ。いいたいことは、ほかのことをいうとんじゃから。
だから、前の生でそういうことがあったいうんじゃないの。いまだにそれが問題になるから……。だから、今、人間の差別問題。「差別問題は前の生の業だ」ということをいまだにいうとるんだから。そうでないの、前の生の業ではない。いいですか、これと別ですから。 『仏説無量寿経講話』(島田幸昭)より
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釈尊はここまで阿弥陀仏や浄土の成り立ちを説いてきて、阿難はじめここに集う弟子たちがどこまで領解できているのかお知りになりたかったのでしょう。というのも、前章の最後で浄土の住民について――<顔貌端正にして超世希有なり。容色微妙にして、天にあらず人にあらず>(顔かたちの端正なことは世に超えすぐれており、その姿は美しく、いわゆる天人や人々のたぐいではない)と説いてはみたものの、もしかしたら聴衆は常識の範囲で「容色」を理解しているかも知れない≠ニ懸念されたのです。
弟子たちが真意を受け取っているかどうかを確認するため、釈尊は阿難に「たとへば世間の
もしこの時点で阿難が正しく領解できていれば、この問いにどう答えたでしょう。たとえば真の容姿は乞人か帝王かなど問題ではありません。信心の有無が問題であります%凾ニ答えれば、釈尊は次章では別の譬えを説いたでしょう。しかし阿難は当時の常識であるヴェーダにとらわれ、カーストを容認するような差別的な返答をします。
阿難はまず乞人の見た目の
こうした指摘が真実でないことは明らかでしょう。現実社会の貧富や差別は多分に歴史的・社会的につくられてきたものであり、個人的な過去世の報いであるはずがありません。これは仏教の基本中の基本です。
さらに阿難はカースト制度を追認するような間違った業論を述べて王を褒めます。王が尊ばれるのは前世で功徳を積み、慈悲を施し、善行を行い、他人と争わなかったので天人となり、今は人間界で王となっている。姿形が美しいのは過去世に積んだ功徳のおかげである≠ニ。これも完全なる道理ではないことは明らかです。
元来仏教の業は、仏教以前に用いられていた宿命論的な因果一貫の業論ではなく、縁起の立場にたつ業論である。それは衆縁によってなりたつ自己を、縁起的存在であるとみ、固定的な実体観を否定する無我の立場であるとともに、主体的な行為によって真実の自己を形成すべきことを強調する立場であった。
『浄土真宗聖典・補註5(業・宿業)』より
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さらに言えば、仏教は物事の因縁果を教えるのが目的ではありません。過去の因縁にとらわれた生き方から解脱し、因縁にとらわれない自由自在な生き方を勧めるのです。
阿難の間違った業論解釈はこれで終わりまして、次章では釈尊自らが「容色微妙」について語ります。
(参照:{魂という概念}、 {六道輪廻と浄土について})
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