平成アーカイブス 【仏教Q&A】
以前 他サイトでお答えしていた内容をここに再掲載します
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大行について教えてください。
「五劫の間思惟」と「兆載永劫にわたる修業」により「大願を成就」して阿弥陀仏となられた。これをもって「名号はただちに大行」と言われるというのは飛躍しすぎていないか。もしそうだとすれば三部経のどこに記されているか。
飛躍と言うのはたとえば「東大の総長の名前を称えておれば勉強などしなくても東大に合格するのか」、そんなことはありえないですよね。
二人の編集委員より返答をいただきました。
法然上人は、南無阿弥陀仏の名号を称えることが大行であることを示され、さかんに称名念仏を勧められました。
親鸞聖人はその導きを受け、称名念仏に勤しみながらも、さかんに本願成就のいわれを聞き開かれていかれました。ですから、「飛躍しすぎていないか」というご質問は、聖人も求められた大切な着眼だと思います。
もし念仏を、観念上の修行ととらえたり、善を鼓舞する修行ととらえたり、恍惚を呼ぶ修行ととらえたり、来迎の約束を呼ぶ修行ととらえたり、免罪の秘儀ととらえてしまったら、それは仮偽にとどまってしまいます。
浄土真宗では、<南無阿弥陀仏とは?>という問いを胸に抱きながら、仏法を学び、自らと南無阿弥陀仏の関係を学ぶことが重要になってきます。実はその学びは果てしなく続くのですが、その果てしなさの中で、私たちは、本願成就を私の人生の成就と重ねて味わうことになるのです。
ただ、ここで問題になってきますのは、「名号とは何か」ということでしょう。
人間にも名前がありますが、それは単に他人との見分けのためにあるのではありません。親の願いが込められているのです。同様に、名号には果てしなく深い願いが込められています。「南無阿弥陀仏」は、一切衆生のいのちの奥底に流れる真実心が、願いを込めた名となって顕現し、叫びとなって現実に展開した呼び声なのです。
具体的に申しますと、名号とは、第十二願「光明無量の願」と第十三願「寿命無量の願」の成就した名なのです。一切衆生の存在の尊さを無量の光明によって照らし、真実が一切衆生の上に顕現するはたらき・菩提心を途切れさせない、という願いのこもった名のりであり叫びなのです。
親鸞聖人は『正信偈』でこれを「帰命無量寿如来 南無不可思議光」と歎じられました。
そして、私たちが名号を称えるというのは、この無限の徳を身をもって讃め称えることであり、ここに、仏の徳が現実社会に展開する場が確保され、私の人生の成就が果されてゆきます。
咨嗟とは讃めることですが、今までの学者は皆、「わが名」を称え讃えるようにと読んで、「わが名」を称えよということであると解釈しているようですが、第十七願の成就文を見ると、この願いに応えて、「十方の諸仏は無量寿仏の功徳を讃嘆する」と説かれています。そうすると仏の「名」を讃めるのではなく、仏の「徳」を讃める気持ちで、仏の名を称えることでしょう。親鸞聖人は「仏の六字を称えるは、即ち仏を讃めることになるなり」といっておられます。<中略>お母ちゃんは幼児言葉で、親を呼ぶのですが、お母さんはおとな言葉で、親を呼ぶのでなく、親の徳を讃めるのです。
<中略>
法然上人の『一枚起請文』を見ても、「念の心をさとって申す念仏でもなく、南無阿弥陀仏と申せば、疑いなく往生するぞと思いとって念仏せよ」とあります。これでは称名ではなく唱名でしょう。親鸞聖人は唯だ称えるだけではなく、いわれを聞き開けといっておられます。「わが名を称えよ」が仏の本願だから、すなおに本願に順って、念仏します。これでは幼児ですよ。わが名を称えよといわずにおられない、仏の胸の中に何があるのか、そこに眼がつかねばおとなではありませんよ。
<中略>
それでは何ぜここに、わが徳を讃めたたえてくれと願わなかったのか。それは第一に、徳はいくら尊いとか賢いといっても、一部分でしょう。名の中には、その人の全人格、すべての徳が、皆含まれています。名をいえば、その人のすべてが現われるからでしょう。ここで大事なことは、南無阿弥陀仏という名の中には、すべての徳がこもっているといっても、どんな徳がこもっているのか、その徳の内容を私たち衆生に、具体的に教えておかなかったら、衆生は自分勝手に、自分の都合のよいように受けとるでしょう。しかしそれは予め南無阿弥陀仏について、何らかの知識を有っていた人ですが、もし南無阿弥陀仏について、何らの知識も有たない人ならどうでしょうか。たとい南無阿弥陀仏という名を聞いても、何の感激も起こらないでしょう。
<中略>
予め南無阿弥陀仏について、正しい知識を有ち、知識だけでなく、南無阿弥陀仏と私とが血につながる、ぢぢと私とが、血につながり命につながっているような関係がなかったら、いくら南無阿弥陀仏という名を聞いても、空吹く風でしょう。
それどころか今日では、念仏に悪い垢がついて、念仏を聞けば胸くそ悪いとか、念仏を聞けば気が滅入るとかいう声を聞き、病院や結婚式場では念仏を忌み嫌うという社会現象は、念仏そのものが悪いのではなく、念仏者そのものが、永い歴史を通して、こんな泣いても泣ききれぬ、仏祖に対して申しわけない、まことに悲しいことにしてしまったのです。
<中略>
たとえば私は親ですが、名は親ですが、私自身は、お粗末で、親という値打がない。まことにお恥ずかしい、名ばかりの親です。村の人たちが、先生になったばかりの若い娘さんに対して、「先生、お早ようございます」と挨拶をする。村の人は、娘さんに対して頭を下げているのでしょうが、先生自身は、私はまだ先生になったばかりで、先生といわれる資格はない。村の人たちは、先生という名に対して頭を下げて下さるのである。先生という名に対して恥かしゅうない、りっぱな先生になりたいと願わずにおれぬ、それがまごころというものでしょう。
こういう時の名は、たんなる名前ではないでしょう。名前であると同時に、その人をして、名にふさわしい人になりたいという道心を発こさせるものです。
<中略>
『大無量寿経』には、法蔵菩薩は世自在王仏のような仏になりたい。自分の国を立派にしたいといっています。それがさっきの第十二の光明無量、第十三の寿命無量の願として現わされているのです。そこで親鸞聖人も「超世無上に摂取し、選択五劫思惟して、光明無量の誓願を、大悲の本としたまえり」といわれ、さっきも申しましたように、『正信偈』には、弥陀の徳を「帰命無量寿如来、南無不可思議光」と二つに分けて、帰命無量寿如来とはどういうことか、その内容を「法蔵菩薩の因位の時」から「重誓名声聞十方」までに説き、南無不可思議光の内容を「普く無量無辺光」と、十二の光を放って「塵刹を照らす。一切の群生は光照を蒙る」と現わし、その寿命無量、光明無量の徳を受けて、「本願の名号は正定の業なり」といっておられるのですが、これは第十二、第十三の願を本願といっておられるに違いありません。
・・・第十七願の「わが名」とは、第十二、第十三の願の成就した名であることを言いたかったのでしょう。これが解れば、親鸞聖人が「名はなのる、号はさけぶ」とか、「因位の時のなを名という、果位の時のなを号という」といわれるお意も頷けるでしょう。「なのる、さけぶ」とは、弥陀が自己を現わす働きのことです。弥陀の名号は、名詞であると同時に動詞である。動詞と名詞が一つになっているのが、南無阿弥陀仏であるということでしょう。
<中略>
弥陀の名号は、十方の世界の諸仏が、弥陀を称め讃えて、その名を称える時、初めて成就するのですが、弥陀を讃めるとは、どういう事実をいうのでしょうか。
<中略>
仏を讃めるのは、身を以て讃めるのです。口先で念仏するのはまだ本真ものではない。本当の念仏は、ものの見方、考え方、することなすこと、生活全体が念仏になっていることです。口の称名は、生活の一つの現われです。親鸞聖人も、「仏の六字を称えるは、仏を讃めるになるなり。一切の善根あって、浄土を荘厳するになるなり」といっておられましょう。光明無量、寿命無量の仏の徳は、唯だ、念仏の衆生の上に現われるのです。裏からいえば、念仏の衆生を通してだけ、仏の徳は知られるのです。この第十二、第十三の光明無量、寿命無量の願から、第十七の名号成就の願までの流れで、弥陀の徳がどうして名号として成就するか、また名号の中に弥陀の徳が宿っているとは、どういうことかが、解るでしょう。
島田幸昭著『仏教開眼四十八願』第17 より
*註:「仏の六字を称えるは、仏を讃めるになるなり。一切の善根あって、浄土を荘厳するになるなり」について、
これは――「即嘆仏」といふは、すなはち南無阿弥陀仏をとなふるは仏をほめたてまつるになるとなり。・・・ 「一切善根荘厳浄土」といふは、阿弥陀の三字に一切善根ををさめたまへるゆゑに、名号をとなふるはすなはち浄土を荘厳するになるとしるべしとなりと。(『尊号真像銘文』本 唐朝光明寺善導和尚真像銘文)・・・であると思われる。
如来は、私の中に法を聞き求める心を発見し、常に無限の寿命[いのち]となって私を呼び覚まされます。このはたらきを受けて、私は信心が決定し、主体性が確立し、実際に私の生き方が変革していくのです。
[Shinsui]
私は、今も学びの真っ最中ですが、門徒として自分自身、親鸞聖人のみ教えに学んできて、親鸞聖人が教行信証に「この行は、あらゆる善をおさめ、あらゆる功徳をそなえ、すみやかに衆生に功徳を円満させる、真実一如の功徳が満ち満ちた海のように広大な法である。だから大行という。」とお示しになられたことが、まことにその通りだと思っています。
とお示しになったこと、ありがたくいただいております。・・・・・「参考―1」の通りしかれば御名を称するに、能く衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまう。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なり。よく知るべし。
そのような意味合いで申し上げれば、ご質問のところは、自分自身の実感としては、やはり教行信証をまず紐解くところから学びがはじまるように思います。その中から疑問に思われるところも解消するのではないでしょうか。
一人の門徒が「なぜ南無阿弥陀仏がありがたいのか?」から始めた学びの実感を申し上げました。
*顕浄土真実教行証文類 行文類二
つつしんで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。
▼現代語訳:
つつしんで往相の回向をうかがうと、大行があり、大信がある。大行とは、無碍光如来の名号を称えることである。
教行信証は更に続けて
この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。しかるにこの行は大悲の願(第十七願)より出でたり。
▼現代語訳:
この行は、あらゆる善をおさめ、あらゆる功徳をそなえ、速やかに衆生に功徳を円満させる、真如一実の功徳が満ちみちた海のように広大な法である。だから、大行というのである。
ところで、この行は大悲の願(第十七願)より出てきたものである。
* 無量寿経第十七願
たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟してわが名を称せずは、正覚を取らじ
▼現代語訳:
わたしが仏になったとき、すべての世界の数限りない仏がたが、ことごとく私の名号をほめたたえないようなら、わたしは決してさとりを開くまい。
岩波文庫版梵文和訳では、《無量諸仏》は《無量・無数の世尊・目ざめた人たち》とあり、《称我名者》は、《私の名を称えたり、ほめ讃えたりせず、称賛もせず、ほめことばを宣揚したり弘めたりもしないようであったら》とされていて、もっと《咨磋称我名者》の意が強く広く訳出されているように思う。無量にしても無数にしても、またいろいろな仏典に漢訳されている数の概念は、私たちの生活体験の中で矮小化して受け止めてしまう危険があるように思う。仏の世界は人間の思惟の限界を超えたところにあるのではないか。
*無量寿経 上 重誓偈
我至成仏道 名声超十方 究竟靡所聞 誓不成正覚
為衆開宝蔵 広施功徳宝 常於大衆中 説法獅子吼
▼現代語訳:
わたしが仏のさとりを得たとき、私の名号を広くすべての世界に響かせよう。もし聞えないところがあるなら誓って仏にはなるまい。人々のためにすべての教えを説き明かし、広く功徳の宝を与えよう。常に人々の中にあって、獅子が吼えるように教えを説こう。
* 無量寿経 下 第十七願成就文
十方恒沙 諸仏如来 皆共讃嘆 無量寿仏 威神功徳 不可思議
▼現代語訳:
すべての世界の数限りない仏がたは、みな同じく無量寿仏のはかり知ることのできないすぐれた功徳をほめたたえておいでになる。
*無量寿経 下 往観偈 (偈前文)
無量寿仏 威神無極 十方世界 無量無辺 不可思議 諸仏如来 莫不称賛 於彼東方 …・爾時世尊 而説頌曰。
▼現代語訳:
無量寿仏の大いなる徳はこの上なくすぐれており、すべての世界の数限りない仏がたは、残らずこの仏をほめたたえておいでになる。
*無量寿経 下 往観偈
其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 自致不退転
▼現代語訳:
その仏の本願のはたらきにより、名号のいわれを聞いて往生を願うものは、残らずみなその国に往生し、おのずから不退転の位に至る。
*註: 梵文和訳では、この偈文にあたるものとして《わたしのこのみごとな誓願は成就した。生けるものどもは多くの世界から私のもとにやって来る。かれらは速やかに私のもとに来て、ここで、一生の間だけ〈ここにつながれているもの〉として、退かない者となる。》と訳されている。
ここで〈退かない者〉とは、〈もとの穢れた劣った状態には戻らない者〉の意味とのことであるし、また、〈一生の間だけここにつながれているもの〉とは〈まだ解脱を得ていない者であって、まだ一つの生涯をここにつながれている〉とのことを意味している。極楽浄土で聖者に導かれて解脱に至る。したがって「浄土往生即涅槃」の意味は日本において発展された解釈といえるようである。
* 無量寿如来会 上
今対如来発弘誓 当証无上菩提因 若不満足諸上願 不取十力无等尊
▼現代語訳:
わたしは今、仏の前で広誓をおこした。これを満たして必ずこの上ないさとりを得よう。もしこれらの願いが満たされなかったなら、十力をそなえたこの上なく尊い仏とはなるまい。****)
*無量寿如来会 下
阿難よ、無量寿仏にはこのようなすぐれたはたらきがあるから、はかり知ることのできないあらゆる世界の数限りない仏がたが、みなともに無量寿仏の功徳をほめたたええておられるのである。
* 大阿弥陀経
第四願使某作仏時令我名字皆聞八方上下無央数仏国皆令諸仏各於比丘僧大坐中設我功徳国土之善諸天人民飛蠕動之類聞輪我名字莫不慈心歓喜踊躍者皆令來生我国得是願乃作仏不得是願終不作仏・・・・
▼現代語訳:
第四に願わくは、わたしが仏になったときには、わたしの名号をすべての世界の数限りない多くの国々に聞こえわたらせ、仏がたに、それぞれの国の比丘たちや大衆の中で、わたしの功徳や浄土の善を説かせよう。それを聞いて神々や人々をはじめとしてさまざまな虫のたぐいに至るまで、わたしの名号を聞いて、喜び敬う心をおこさないものはないであろう。このように喜びにあふれるものをみなわが浄土に往生させたい。わたしは、この願いを成就して仏になろう。もしこの願いが成就しなかったなら、決して仏になるまい。
*註:大阿弥陀経…正式名「仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏壇過度人道経」別に二十四願経ともいう。
*註:八方上下・・・十方に同じ。
*註:第四に願わく・・・二十四願の第四願の意
このような人々は、仏の名号を聞いて心楽しく安らかに大いなる利益を得るであろう。わたしたちもその功徳をいただいて、それぞれこのようなよい国を得よう。無量清浄仏は衆生の成仏を予言して、《わたしは前世に本願をたてた。どのような人も、わたしの法を聞けば、ことごとくわたしの国に生れるであろう。わたしの願うところはみな満たされるであろう。多くの国々から生まれてくるものは、みなことごとくこの国に至ることができるのである。すなわち、来世をまたずに不退転の位を得るのである。
とお説きになった。
*註:涅槃経には阿闍世王が毘婆尸仏との因縁で地獄におちなかったことが説かれている。この平等覚経では阿闍世王の太子や長者の子の前世が語られている。?
*註:
@宿世時見仏者 楽聴聞世尊教(宿世のとき仏を見たてまつるもの このみて世尊の教えを聴聞せん)
A会当作世尊将 度一切生老死(かならずまさに世尊となりてまさに一切生老死を度せんとすべし)
*悲華経 大施品
願我成阿耨多羅三藐三菩提 巳無量無辺阿僧祇余仏世界所有衆生 聞我名者修諸善本欲生我界 願其捨命之復必定得生 唯除五逆誹謗聖人廃壊正法
願はくは、われ阿耨多羅三藐三菩提を成りをはらんに、無量無辺阿僧祇の余仏の世界の所有の衆生、わが名を聞かんもの、もろもろの善本を修してわが界に生ぜんと欲はん。願はくは、それ命を捨ててのち、必定して生を得しめん。ただ五逆と聖人を誹謗せんと、正法を廃壊せんとを除かん
▼現代語訳:
私がこの上ないさとりを開いたとき、数限りない国々のあらゆる人々が、わたしの名号を聞いて念仏し、わたしの浄土に往生したいと思うなら、彼らが命終って後、必ず往生させよう。ただし、五逆罪を犯し、聖者を謗り、正しい法を破るものは除かれる。
*註: 「修諸善本」・・・意訳「念仏し」
第十九願「修諸功徳」の場合・・・意訳「さまざまな功徳を積んで」
この項の現代語訳では、修諸善本は《念仏し》とされている。この場合、意味は第十八願に近い。しかし十九願のように善本を積んでとすると第十九願の意味に近くなる。引用された悲華経のこの経文は前後の関係から和訳のようになったものであろうか。
親鸞聖人はこのように無量寿経の異本(五存七欠といわれ五本現存する)を引かれて名号の不可思議の徳を説かれ、
*顕浄土真実教行証文類 行文類二 大行釈 称名破満
しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。
▼現代語訳:
こういうわけで、ただ名号を称えるところに、衆生のすべての無明を破り、衆生のすべての願いを満たしてくださるのである。称名はすなわちもっともすぐれた正しい行業である。正しい行業はすなわち念仏である。念仏はすなわち南無阿弥陀仏の名号である。南無阿弥陀仏の名号はすなわち信心である。よく知るがよい。
これらの経文からの引用につづいて、七祖を主にした経論・註釈を引いてさらに詳述されている。
なお、教行信証 行文類に引用されている無量寿経等の漢訳成立年代は次のようにいわれている。
平等覚経 | 支婁迦讖訳 | 後漢(二世紀後半) |
大阿弥陀経 | 支謙訳 | 呉(三世紀前半) |
無量寿経 | 康僧鎧訳 | 曹魏(三世紀中期) |
大般涅槃経 | 曇無識訳 | 五胡十六国(五世紀) |
悲華経 | 曇無識訳 | 五胡十六国(五世紀) |
無量寿如来会 | 菩提流支訳 | 唐(八世紀初頭) |
荘厳経 | 法賢訳 | 宋(十世紀末) |
大阿弥陀経も平等覚経も衆生の救済の願は二十四願たてられ、古訳が四十八願ではなく二十四願であったことを伝えている。また無量寿経の梵文は四七願になっている。
岩波文庫梵文和訳の註釈に《重誓偈》の「斯願不満足」に相当する「このようにすぐれたこの最上の誓願が願った通りにかなえられないならば」とある。
誓願は梵文では、単数形であり、最初は法蔵菩薩の誓願というのは漠然として一つのものにまとめて考えられていたのが、後に散文(長行)が書かれるときに細かく四十七願に分けられたのであろう」と註釈されている。
それぞれの願を漢訳に正確に対比するのは難しい。
なお、無量寿経の成立は阿弥陀経よりやや古いとされるが、西暦一世紀初め頃といわれているし、現存しないが古い漢訳は西暦一四〇年代後漢の安世高訳と推定されている。また漢訳平等覚経がもっとも古い時代のものではあるが呉訳の大阿弥陀経が原始的な姿をつたえているとのことである。この二つの経はともに二十四願経であり、初期無量寿経などとも呼ばれる。これに対し他の現存無量寿経(魏訳・唐訳・宋訳)は後期無量寿経と呼称される。
オーム。十方の、果てもなく、限りもない世界に安住される、過去・未来・現在の、一切の覚った人たち、求道者たち、教えを聞く修行者たち、独り修行する修行者たちに礼したてまつる。無量の光あるものに礼したてまつる。無量の命あるものに礼したてまつる。不可思議な幾多のすぐれた徳性を具えたものに礼したてまつる。
<幸あるところ>には、金色に輝くうるわしの林がある。めでたき人(=仏)の子らに飾られて心たのしい。
名声あまねく、智慧を具えたおんみのましますところ、いろいろの珠宝の積み集められたかの<幸あるところ>に、わたしは往く。
無量寿経梵文には、最初にオーム《om=a・u・m》にはじまるこの帰敬偈が記されている。
まさに「帰命無量寿如来・南無不可思議光」《はかりしれない無量の寿命(=慈悲)の仏。また思い量ることのできない光明(=智慧)の仏にまします阿弥陀如来に帰依したてまつる》そのものをあらわしているように思えてならない。
曇鸞大師は往生論註で「帰命は礼拝門である」とされた。そして「帰命はかならず礼拝をともなう」と示されている。
梵文が示す「去来現の一切の覚ったもの(仏)、無量の光あるもの・無量のいのちあるもの」を礼拝することは、すなはち「そのもの」への帰命・帰依をあらわすものなのである。「そのもの」とは《無量の光ある者、勝てる者、聖者であるおんみ》 すなはち「阿弥陀如来」ではあるまいか。
*因みにオーム(om)は、古来よりインドではa・u・mの三字からなると解釈され聖なる意味と神秘的な力を持つとされて尊ばれてきたもので、三字はそれぞれ発生・維持・終滅をあらわしこの一語で全世界が成立し、滅びる過程を象徴するという。(岩波文庫浄土三部経梵文和訳註より)
仁王像や狛犬の「あうん阿吽」(a-hum)もまたこの梵字に由来し、同じく「万物の始まりと終り」を示すとされている。
この梵文無量寿経冒頭にある帰敬文は現存の漢訳諸本には挿入されていないのはなぜだろうか。釈尊の言葉を梵文に遺し伝えようとした菩薩たちは、無量寿経の説法をはじめる前に、お釈迦さまが過去・未来・現在の仏に帰依帰命されたことをオームにはじまる帰敬文の形で伝えているのであろうか。
正信偈が「帰命無量寿如来・南無不可思議光」とはじまるのは、あらゆる礼拝・讃嘆・尊敬・供養をこの二句にこめ《心から阿弥陀仏に帰依したてまつります》ということなのである。
蓮如上人は「正信偈大意」において、
とお示しになっている。
無量寿経には、お釈迦さまが説法をはじめられる前に、禅定に入られそこから立ちあがって五種の瑞相をはなち説法されたことをつたえている。去来現の三世の諸仏の世界に入り諸仏が仏となられた正法の世界を憶念され、諸仏のこころをわがこころとしてこれより無量寿仏=阿弥陀仏の本願を、南無阿弥陀仏のおいわれを説法されたのである。そしてそのことを問うた阿難尊者に「問うこと自体が如来の威力によるものである」と説かれている。
教行信証行巻にはお念仏のおいわれ・はたらきを説き明かされている。その行巻の最後にこの正信偈がある。そして正信偈のはじまりは
帰命無量寿如来 南無不可思議光なのである。ここに親鸞聖人の深い想念が凝縮されている。
*註:●[建立無上殊勝願]について
@「聖者」・・・(muni) 仏はしばしば「聖者」と呼ばれる。
A「幸いあるところ」・・・(skhavati)の訳。漢訳では極楽・安養浄土・安楽・無量寿仏土・無量光明土・無量清浄土・蓮華蔵世界・密厳国・清秦国などという。阿弥陀仏が成道したときに、西方十万億の国土を過ぎたところに構えた世界であって、苦難なく、安楽のみある処という。
B「無量の光ある者」・・・「諸本(MM・Ashik・Kagawa)ともにAmitaprabhasyaとなっている。表現は似ているがAmitaprabhaとAmitabhaとは別なのである。漢代の支婁迦讖訳には「無極光明」、宋代の法賢人訳に「無量光」とあるのは、サンスクリット文と一致するが、チベット訳と魏の康僧鎧訳には「無量音」、唐代の菩提流支訳には『無量声』とありチベット訳と一致するから、その原文はamita―svarasyaとあったのであろう。」(「浄土三部経」上/岩波文庫:梵語訳 註 二七六頁)
C「無量音」・・・無量寿経に「その第三の仏を名づけて無量音仏という」とある。(註釈版七九頁)
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪 建立無上殊勝願 超発希有大弘誓 五劫思惟之攝受 重誓名声聞十方
その時、次に仏あり、世自在王と名づけ、如来、応供、等正覚、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊(と称せられ)たり。時に国王あり、(かの)仏の説法を聞いて、心に悦予を懐き、すなはち無上正真道の意を発し、国を棄て、王(位)を捐[す]てて、行きて沙門となり、号して法蔵といえり。高才・勇哲にして、世(の人)と超異せり。
世自在王如来の所に詣りて、仏の足を稽首し、右に繞ること三ゾウして、長跪し合掌して、頌をもって讃えていいたもう。
世自在王如来の尊号「如来、応供、等正覚、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊」は後には釈尊に固有の称号とされたが初期には仏の一般的な尊称とされた。
世自在王如来は梵文では《ローケーシヴァラ・ラージャ》とあり、表音文字としては《樓夷亘羅》(大阿弥陀経・平等覚経など)が当てられ、また《世間において自在である王=世自在王》と漢訳されている。意訳して世饒王[せにょうおう]ともいう。またこのローケーシヴァラ・ラージャという名は、ヒンズー教ではシヴァ神の別名であるともいわれ、インドにおける古代宗教の陰影がみられるとのことである。
法蔵(菩薩)は、原語では「Dhrmakara」《ダルマカーラ》、「法の鉱床・法の堆積」の意味であり、「仏法を蔵して失わぬ」との意訳で法蔵とされている。因みに呉訳=曇摩迦、漢訳=曇摩迦留、唐訳=法処、宋訳=作法となっている。
世自在王如来を法蔵菩薩が「讃仏偈」をもって讃えようとするところは、梵文には――
アーナンダよ。そのとき、かの修行僧ダルマカーラは座より起ちあがり、一方の肩に上衣をつけ、右の膝頭を地につけ、この世尊ローケーシヴァラ・ラージャ如来にむかって合掌し、世尊に敬礼し、実にそのときに面前において、このような詩句によって讃えて言った――
とある。
世尊ローケーシヴァラ・ラージャ如来を讃め称えられた偈頌が「讃仏偈」である。
*註:
* 偏袒右肩 長跪合掌(仏説無量寿経原典版九頁)
* 稽首仏足 右繞三匝 長跪合掌(仏説無量寿経原典版十四頁)
インドの礼法で、右の片肌をぬぐことを「偏袒右肩」といい、両方の膝を地面につけて合掌する様を「長跪合掌」という。また両膝を地につけて仏足を押し頂き頭を触れる最上の敬礼が「稽首仏足」である。それを終わって仏を右回りに三回まわり、長跪合掌するのが「右繞三匝 長跪合掌」である。
浄土和讃大経讃(五六)
●[諸仏浄土因を覩見する]について、無量寿経には――
経典に出てくる数字は現代人の感覚で受け止めると間違いをきたすところがある。不可称・不可説・不可思議の世界である。しかしわたしは、この《二百十億》という数について、「思議を超える数字というより、境界を認識できる数だな・・・」という思いがあった。漢訳した人・時代(たとえば曹魏の康僧鎧)における数字の感覚がわからないからである。しかし梵文和訳を読んだとき、その疑問というか、いまひとつ分りにくかったところが氷解したように思えた。
そのときに、アーナンダよ、かの敬わるべき人・正しく目覚めた人ローケーシヴァラ・ラージャ如来は、かの修行僧の意向を知り、(世の人々の)利益を願い、利益をもとめ、あわれみの心ある[如来]であるから、あわれみの心によって、仏のみちすじが絶えないように生ける者どもに対する大悲の心を生じて、億年に満つる間、百千億・百万の八十一倍もある仏たちの仏国土のみごとな特徴や装飾や配置の完全なすがたについて、はっきり形を示したり、略して説明したり、詳しく説明したりしながら説き明かされたのである。
*註:無量寿経には――
「億・百万」・・・原語では《八十一百千倶胝尼由他》(コーティ倶胝=千万または億または京とされ、ナユタ・ニユタ那由他・尼由他は百万とも千億ともいう)となっており、その時代折々の理解で訳本の表現が異なっている。しかしその真意ははて涯のない全宇宙を網羅し表現するものなのである。今はそのように思っている。
とあり世自在王如来が法蔵菩薩にあらゆる仏国土を目の当たりにお示しになったことを説いている。
そして法蔵菩薩は――
具足五劫 思惟摂取 荘厳仏国 清浄之行」(無量寿経)
「五劫思惟之攝受」(正信偈)
法蔵菩薩は世自在王仏如来の教えをうけて、示された仏国土をさらにグレードアップした仏国土を実現すべく五劫もの永きにわたり思惟を重ね、その国土を荘厳する清浄行を攝取されたのである。それゆえに世自在王仏は「如今可説」(いまこそ説くべし)と比丘法蔵をはげまされ、ここに法蔵菩薩の四十八の誓願が説き出だされたのである。
このように法蔵菩薩は誓願を説かれ、さらに重ねて誓の偈頌を説かれた。
無量寿経には「爾時 法蔵比丘 説此願巳 而説頌曰」とあるが、梵文には「かの修行僧ダルマカーラは、このような特別の誓願を説きおわって、そのときに、仏の威力によって次の詩句を説いた」とある。それが「重誓偈」である。
正信偈では「重誓名声聞十方」とある。《わが名を十方に聞こえしめん》その名とは仏名、すなはち《南無阿弥陀仏》なのである。第十七願諸仏称名の願において「たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ」と誓われ、また、すでにその願は成就している。
このように、法蔵菩薩ははかりしれない長い年月をかけて修行にはげみ菩薩の功徳を積み、またその功徳と智慧のもとに修行をし、多くの人々に功徳を施し、六波羅密を修行し、人々にも修行をさせるなど自利・利他の行を完成された。
ここに法蔵菩薩は四十八の誓願をみごとに完成成就され十万億の国々を過ぎたところに安楽国土を建立し、「無量寿仏という仏となって、現に西方においでになる」、「さとりを開かれてから、およそ十劫の時が経っている」と大経には説かれている。
[釈勝榮]
参考、引用文献:
『浄土真宗聖典注釈版』本願寺出版社、『顕浄土真実教行証文類 現代語版』本願寺出版社、『浄土三部経』岩波文庫