わたしの領解

晴れぬ心/娑婆

【浄土真宗の教え】

 晴れぬ心

晴れた心を望んでみても
望みは常にはかなわない
うじうじ悩むが凡夫の癖だ
癖は滅多になおらない
なおらぬ癖に追いつめられて
私は何をすれば良い?

こんな私を目当てとし
兆載永劫の修行をされた
阿弥陀のご苦労しのびつつ
仏徳讃嘆いたしましょう
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

少しは晴れたか 南無阿弥陀仏
いいえ少しも晴れはせぬ
晴れぬ念仏なぜ称えるか
晴れねば晴れぬで良いからと
聞かせてもらって仏徳讃嘆

南無阿弥陀仏は気晴らしじゃないよ
晴れぬ心に寄り添って
私の業に如来の浄業
表裏一体 南無阿弥陀仏
機法一体 南無阿弥陀仏
晴れぬ心の意味を知る
如来と歩む意味を知る

 娑婆

娑婆は苦だらけ
苦を耐え忍ぶところ
いくら享楽の衣をまとってみても
裸の心は苦をため込んで
事あるごとに悲鳴をあげる
おえつを殺して悲鳴をあげる
そんな娑婆なら離れれば良いのに
心残りの大きな荷物
捨てれぬままに娑婆での暮らし
南無阿弥陀仏に見まもられ
南無阿弥陀仏と生きましょう

[←back] [next→]
[釋信水]

[index]    [top]

 当ホームページはリンクフリーであり、他サイトや論文等で引用・利用されることは一向に差し支えありませんが、当方からの転載であることは明記して下さい。
浄土の風だより(浄土真宗寺院 広報サイト)