浄土には 普段は見えないが
まごころでできた美しい手すりが存在する
手すりは人生の肝心な場面で姿を現し
危険な場所に踏み込まぬよう私を止め
成就に向けた道程を示してくださる
あの時も そうだった
この時も そうだった
いつでも浄土の手すりは私の前に現われて
破滅へ向かう私を引き止め
人間本来の深い願いを示し
歩むべき方向を示してくれていたのだ
ああ それなのに私はいつも
まごころの願いに背き
浄土の手すりを無視してきたのだ
この道が本当に歩むべき道と知っていながら
あえて手すりを無視してばかり
手すりを無視した報いはすぐに表れ
幾度も幾度も谷底に転げ落ち
その度に絶望し 人生を悲観し
他人を責め 自分を責め
社会を恨み続けているのだ
恥づべし 傷むべし
そんな私の目の前に
ふたたび手すりが現われた
まだまだ歩むべき道があるぞと
絶望しかけた私に語りかけてくださる
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
うつむいていた顔を上げ 広く周囲を見回すと
十重二十重に私を護り導く手すりがめぐっているではないか
この目の前の手すりを支えにし
もう一度 この場所で立ち上がろう
この谷底からでも 私の歩むべき道が
手すりのめぐりから見出せるではないか
仏は十重二十重の手すりを七重欄楯と説き
どん底からの復活を願ってみえるのでしょう
生きとし生けるものみな
この目の前の手すりを支えに立ちあがってきたのだ
私もやはり ここから立ち上がろう
たとえここが どんなに闇深く
厳しい場所であろうとも
歩む一歩一歩に 人々の苦難を念じて
数多の苦難を乗り越えてきた人類のはるかな歩みとともに
しあわせって どんなこと?
しあわせは 健康なこと
生きていること
お金に余裕があること
友だちが大勢いること
中でも親友がいること
勉強ができること
仕事が順調なこと
悩みがないこと
悩みがあっても楽観的になれること
大志があること
大志に向かって努力していること
家族仲良く暮らすこと
国が豊かで 世界が平和なこと
腹の底から笑えること
みんな一緒に笑えること
万事無事に暮らすこと
みんな正解
みんなしあわせ
でもそれは 裏になったらふしあわせ
病気になったら ふしあわせ
死んでいくのは ふしあわせ
くよくよしたら ふしあわせ
災難にあえば ふしあわせ
じゃあ ほんとうのしあわせって どんなこと?
しあわせは
しあわせ見つける心の眼
会う人去る人から教えてもらい
順境・逆境で育ててもらうこと
しあわせは 足元にありと導かれ
ここがしあわせとうなづいた
今日ただ今のこと これがしあわせ
これが浄土に入る門
知っても 見る人少なき門
見えても 開けて入る人少なき門
だからみんなふしあわせ
だから私もふしあわせ
嘆く声聞き 浄土の門は
浄土の方から開かれる
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
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