わたしの領解

平和/如来はいつも

【浄土真宗の教え】

 平和

如来本願にもよおされ
生きとし生けるものすべて
平和と安らぎのうちに
大満足の人生を歩まれんことを
私も願わん
私も行じん

ああされど私は 如来の本願を軽く見て
いたずらに争いを好み あやうき道に親しみ
自分の願いさえ裏切ってきたではないか
せっかくの尊き教えや導きも
この胸に この身に
まだ本当に満ち満ちてはいなかったのである

ほんの小さな自力の隙間は
私と仏と人々を裏切るには 充分な広さだった
ああ恥づべし 傷むべし

その時 今一度 本願名号が我が身に至る
「衆生とともに痛みをわかちあおう」
本願念仏が我が身に満ちわたる
「衆生とともに今日の日を歩まん」

仏の願いは 私の願い
姿ははるか遠くとも
如来の本願は 我が身に添うてくれています
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 如来はいつも

如来はいつも朗らかです
如来はいつも恐れません
如来はいつも丁寧です
如来はいつも静かです
如来はいつも軽やかです
如来はいつも活発です
如来はいつもこだわりを捨てます
如来はいつも今を受け入れています
如来はいつも今を生きています
如来はいつもひらすら生きています
如来はいつも素直です
如来はいつも深い道理に生きています
如来はいつも清浄の身を保ちます
如来はいつも大衆とともにいます

私はそんな如来にあこがれ拝みます
しかし 拝む私は如来の真逆
恐れから心は暗くふさがり 言動は粗暴
いつも落ち着かず 身は重苦しく
すぐにこだわり停滞し
過去を悔やんで 今を受け入れられず
明日への不安から 今のこの場を生きてはいない
散乱した心は捻じ曲がり
浅い見せかけに惑わされ
身心は穢れたまま 孤独に生きている

如来を拝めば拝むほど
我が身の浅ましさが露わになる
恥づべし 傷むべし

それでも私は
如来を拝むことを 止めることはできない
私の業を照らし示すのも 如来の尊さゆえだから
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

如来は今日も朗らかです
私は今日も悩みをかかえて
それでも如来を拝みます
如来が私を拝ませます

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

遠い道のり
でも成就は 今ここでのこと

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