還浄された御門徒様の学び跡


聞法ノート 第三集 26

大きい数・小さい数

【浄土真宗の教え】
 仏典には数について色々に表現されている。例えば、距離について「由旬」という表現があり、数について、無量大数、無量億劫、無量不可思議無央数劫などの数えきれない涯のない大きい数字があり、また微細な数を「微塵」と表現して「無数」にある数を表現している。
 例えば、無量寿経に「無量寿仏の威神功徳」を表して「無量寿仏は寿命長久にして称計すべからず。なんじむしろ知れりや。たとひ十方世界の無量の声聞・縁覚を成就せしめて、すべてともに集会し、禅思一心にその智力をつくして、百千万劫においてことごとくともに推算してその寿命の長遠を知ることあたはじ。」(註釈版三〇頁) とあるように、私たちの思議を超えたところにある。古典にみる数字の単位には以下のようなものがある。

 大数・大きい数

塵劫記(寛政年間)に示されている大数。
一 ・ 十 ・ 百 ・ 千 ・ 万 ・ 億 ・ 兆 ・ 京[ケイ] ・ 垓[ガイ] ・ [シ] ・ 攘[ジョウ] ・ 溝[コウ] ・ 澗[カン] ・ 正[セイ] ・ 載[サイ] ・ 極[ゴク] ・ 恒河沙[コウガシャ] ・ 阿僧祇[アソウギ] ・ 那由他[ナユタ] ・ 不可思議 ・ 無量大数
 一から万までは十倍づつ進み、万以上恒河沙までは万進し、恒河沙以上無量大数までは万万進する数字であるという。とすれば、恒河沙は十の後ろにゼロが五十六個並ぶし、無量大数はゼロが八十八個も並ぶ数字であるが、仏典の数字は人間の思議を超えたもので、恒河沙も、阿僧祇も、那由他・不可思議も無量大数もゼロが無限大に続く数と理解した方がよいのではないかと思っている。

 小数・小さい数

 昔の貨幣の単位に、「両・文」がある。また「厘」というのがある。これらを含む小数の表現は塵劫記その他に次のように記述されている。

塵劫記
両 ・ 文 ・ 厘[リン] ・ 毫[モウ] ・ 絲[シ] ・ 忽[コツ] ・ 微[ビ] ・ 繊[セン] ・ 沙[シャ] ・ 塵[ジン] ・ 埃[アイ]
 *註 塵劫記で「厘」の表記は他の文献には「釐[り]」とある。
単位の辞典
分[ブ] ・ 釐[リン] ・ 毫[モウ] ・ 絲[シ] ・ 忽[コツ] ・ 微[ビ] ・ 繊[セン] ・ 沙[シャ] ・ 塵[ジン] ・ 埃[アイ] ・ 渺[ビョウ] ・ 漠[バク] ・ 模糊[モコ] ・ 逡巡[シュンジュン] ・ 須臾[シュユ] ・ 瞬息[シュンソク] ・ 弾指[ダンシ] ・ 刹那[セツナ] ・ 六徳[リットク] ・ 虚空[コクウ] ・ 清浄[ショウジョウ] ・ 阿頼耶[アラヤ] ・ 阿摩羅[アマラ] ・ 涅槃寂静[ネハンジャクジョウ]

 これらの単位は、原則的には十進のようである。例えば、「十釐」を「分」とし、「十毫」を「釐」とする。
 微塵世界の「微塵」は「微」と「塵」を合わせたものである。さしずめ、一の一億分の一の更に百万分の一の、微細なものの集まりを指し、転じて数えきれない大きな世界を指し示すことになる。須臾[シュユ]はとても短い時間を示すのに使われ、瞬息[シュンソク]は呼吸の関わりなどでごくわずかな時間を表現する漢字である。
 ぼんやりとして定かでないものの表現に「曖昧模糊」があるが、「模糊」はこの小数に由来する。また、「毫」は細い毛、「絲」は生糸のこと、「忽」は蚕の吐き出す糸であるという。

※ 註「由旬」
 仏典には、距離の単位として、「由旬」が頻出する。
「仏、阿難に告げたまはく、『無量寿仏の威神光明は、最尊第一なり。…・中略…・あるいは仏光ありて七尺を照らし、あるいは一由旬・二・三・四・五由旬を照らす。…・』(註釈版二九頁)
 この「由旬」は梵語の「ヨージャナ」に由来し、インドの伝統的解釈によると二・五マイルに相当するという。(岩波文庫 浄土三部経上巻二五八頁)
 また中国の単位で一里を六町として、四十里とも三〇里とも言い定かではない。
 勿論、経典の数字に現在の尺度を当てはめて数字や距離を出すのは無理があるが、凡そ一由旬は約十五粁[キロメートル]であろうか。
[←back] [next→]
[釈勝榮/門徒推進委員]


[index]    [top]

 当ホームページはリンクフリーであり、他サイトや論文等で引用・利用されることは一向に差し支えありませんが、当方からの転載であることは明記して下さい。
 なおこのページの内容は、以前 [YBA_Tokai](※現在は閉鎖)に掲載していた文章を、自坊の当サイトにアップし直したものです。
浄土の風だより(浄風山吹上寺 広報サイト)