還浄された御門徒様の学び跡


聞法ノート 第三集 25

二河白道の教え

【浄土真宗の教え】

 二河白道の教え

 二河白道の譬えは、布教師の先生方が多くとりあげられ、説法されてきたものの一つである。それは善導大師の著わされた「観経疏」に譬喩として、説かれているが、極めて絵画的でドラマチックに表現されていて、原文の読み下し文でも現代語訳のいずれでもそのままに教えが分りやすく示されている。さきに学んできた二種深信には、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなし」と示されている。加えて衆生は貪愛瞋憎の心猛々しく救いようのない存在である。その衆生にわずかながら芽生えた求法の心に、釈迦は「迷わずこの道を行け」と励まし、阿弥陀如来は「畏[おそ]れず来たれ。」と招喚[まね]かれる。その譬喩の説話が二河白道の教えである。そこには機の深信・法の深信が更に深めて説かれているように思うことである。

教行信証 信文類三大信釈 引文《散善義》(註釈版二二三頁〜二二七頁)
「また一切往生人等にまうさく、いまさらに行者のために一つの譬喩[たとえ](喩の字、さとす)を説きて、信心を守護して、もって外邪異見の難を防がん。なにものかこれや。
*たとへば人ありて、西に向かひて行かんとするに、百千の里ならん。忽然として中路に見れば二つの河あり。
一つにはこれ火の河、南にあり。
二つにはこれ水の河、北にあり。
二河おのおの濶さ百歩、おのおの深くして底なし、南北辺なし。まさしく水火の中間に一つの白道あり、ひろ濶さ四五寸ばかりなるべし。
この道、東の岸より西の岸に至るに、また長さ百歩、その水の波浪交はり過ぎて道を湿す。
その火焔(「焔」・けむりあるなり、「炎」・けむりなきほのほなり)また来たりて道を焼く。水火あひ交はりて、つねにして休息することなけん。この人すでに空曠のはるかなるところに至るに、さらに人物なし。多く群賊・悪獣ありて、この人の単独なるを見て、競ひ来たりてこの人を殺さんとす。死を怖れてただちに走りて西に向かふに、忽然としてこの大河を見て、すなはちみづから念言すらく、 『この河、南北に辺畔を見ず、中間に一つの白道を見る、きはめてこれ狭少なり。二つの岸あひ去ること近しといへども、なにによりてか行くべき。今日さだめて死せんこと疑はず。まさしく到り回らんと欲へば、群賊・悪獣、漸漸に来たり逼[はば]む。
まさしく南北に避り走らんとすれば、悪獣・毒虫、競ひ来たりてわれに向かふ。まさしく西に向かひて道を尋ねて去かんとすれば、またこの水火の二河に堕せんことを』と。
時にあたりて惶怖[こうふ]することまたいふべからず。すなはちみづから思念すらく、『われいま回らばまた死せん、去かばまた死せん。一種として死を勉[まぬが]れざれば、われ寧[やす]くこの道を尋ねて前に向かひて去かん。
すでにこの道あり、かならず可度すべし』と。
この念をなすとき、東の岸にたちまち人の勧むる声を聞く、《きみただ決定してこの道を尋ねて行け。かならず死の難なけん。もし住まらばすなはち死せん》と。
また西の岸の上に、人ありて喚ばひていはく、《なんぢ一心に正念してただちに来たれ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ》とこの人、すでにここに遣はし、かしこに喚ばふを聞きて、すなはちみづから心身に当たりて、決定してただちに進んで、疑怯退心を生ぜずして、あるいは行くこと一分二分するに、東の岸の群賊等喚ばひていはく、《きみ回り来たれ。この道険悪なり。過ぐることを得じ、かならず死せんこと疑はず。われらすべて悪心あってあひ向かふことなし》と。
この人喚ばふ声を聞くといへども、またかへりみず、一心にただちに進んで道を念じて行けば、須臾にすなはち西の岸に到りて、永くもろもろの難を離る。善友あひみて慶楽すること已むことなからんがごとし。これはこれ喩(喩の字、 をしへなり)なり。
*次に喩へを合せば、〈東の岸〉といふは、すなはちこの火宅に喩ふ。
〈西の岸〉といふは、すなはち極楽宝国に喩ふ。
〈群賊・悪獣詐り親しむ〉といふは、すなはち衆生の六根・六識・六塵・五陰・四大に喩ふ。
〈無人くうきょう空迥の沢〉といふは、すなはちつねに悪友に随ひて真の善知識に値はざるに喩ふ。
〈水火の二河〉といふは、すなはち衆生の貪愛は水のごとし、瞋憎は火のごとしと喩ふ。
〈中間の白道四五寸〉 といふは、すなはち衆生の貪瞋煩悩のなかに、よく清浄願往生に心を生ぜしむるに喩ふ。いまし貪瞋強きによるがゆえに、すなはち水火のごとしと喩ふ。善心微なるがゆえに、白道のごとしと喩ふ。
また〈水波つねに道を湿す〉とは、すなはち愛心つねに起こりてよく善心を染汚するに喩ふ。
また〈火焔つねに道を焼く〉とは、すなはち瞋嫌の心よく功徳の法財を焼くに喩ふ。
〈人、道の上を行いて、ただちに西に向かふ〉といふは、すなはちもろもろの行業を回してただちに西方に向かふに喩ふ。
〈東の岸に人の声の勧め遣はすを聞きて、道を尋ねてただちに西に進む〉といふは、すなはち釈迦すでに滅したまひて、後の人見たてまつらず、なほ教法ありて尋ぬべきに喩ふ、すなはちこれを声のごとしと喩ふるなり。
〈あるいは行くこと一分二分するに群賊等喚び回す〉といふは、すなはち別解・別行・悪見の人等、妄りに見解をもってたがひにあひ惑乱し、およびみづから罪をつくりて退失すと説くに喩ふるなり。
〈西の岸の上に人ありて喚ばふ〉といふは、すなはち弥陀の願意に喩ふ。
〈須臾に西の岸に到りて善友あひ見て喜ぶ〉といふは、すなはち衆生久しく生死 に沈みて、曠劫より輪廻し、迷倒してみづから纏ひて、解脱するに由なし。
仰いで釈迦発遣して、指へて西方に向かへたまふことを蒙り、また弥陀の悲心召喚したまふによって、いま二尊の意に信順して、水火の二河を顧みず、念念に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜すること、なんぞ極まらんと喩ふるなり。
*また一切の行者、行住座臥に三業の所修、昼夜時節を問ふことなく、つねにこの解をなし、つねにこの想をなすがゆえに、回向発願心と名づく。
*また回向といふは、かの国に生じをはりて、還りて大悲心を起こして、生死に回入して衆生を教化する、また回向と名づくるなり。
* 三心すでに具すれば、行として成ぜざるなし。願行すでに成じて、もし生ぜずは、この処あることなしとなり。
* またこの三心、また定善の義を通摂すと知るべし」と。以上
現代語訳
また、往生を願うすべての人々に告げる。念仏を行じる人のために、今重ねて一つの譬えを説き、信心を護り、考えの異なる人々の非難を防ごう。その譬えは次のようである。
ここに一人の人がいて、百千里の遠い道のりを西に向かって行こうとしている。その途中に、突然二つの河が現れる。一つは火の河で南にあり、もう一つは水の河で北にある。その二つの河はそれぞれ幅が百歩で、どちらも深くて底がなく、果てしなく南北に続いている。その水の河と火の河の問に一すじの白い道がある。その幅はわずか四、五寸ほどである。
この道の東の岸から西の岸までの長さも、また百歩である。水の河は道に激しく波を打ち寄せ、火の河は炎をあげて道を焼く。水と火とがかわるがわる道に襲いかかり少しも止むことがない。
この人が果てしない広野にさしかかった時、他にはまったく人影はなかった。そこに盗賊や恐ろしい獣がたくさん現れ、この人がただ一人でいるのを見て、われ先にと襲ってきて殺そうとした。
そこで、この人は死をおそれて、すぐに走って西に向かったのであるが、突然現れたこの大河を見て次のように思った。『この河は南北に果てしなく、まん中に一すじの白い道が見えるが、それはきわめて狭い。東西両岸の間は近いけれども、どうして渡ることができよう。わたしは今日死んでしまうに違いない。東に引き返そうとすれば、盗賊や恐ろしい獣が次第にせまってくる。南や北へ逃げ去ろうとすれば、恐ろしい獣や毒虫が先を争ってわたしに向かってくる。西に向かって道をたどって行こうとすれば、また恐らくこの水と火の河に落ちるであろう』と。こう思って、とても言葉にいい表すことができないほど、恐れおののいた。そこで、次のように考えた。『わたしは今、引き返しても死ぬ、とどまっても死ぬ、進んでも死ぬ。どうしても死を免れないのなら、むしろこの道をたどって前に進もう。すでにこの道があるのだから、必ず渡れるに違いない』と。
こう考えた時、にわかに東の岸に、《そなたは、ためらうことなく、ただこの道をたどって行け。決して死ぬことはないであろう。もし、そのままそこにいるなら必ず死ぬであろう》と人の勧める声が聞えた。
また、西の岸に人がいて、《そなたは一心にためらうことなくまっすぐに来るがよい。わたしがそなたを護ろう。水の河や火の河に落ちるのではないかと恐れるな》と喚ぶ声がする。
この人は、もはや、こちらの岸から《行け》と勧められ、向こうの岸から少しも疑ったり恐れたり、またしりごみしたりもしないで、ためらうことなく、道をたどってまっすぐ西へ進んだ。そして少し行った時、東の岸から、盗賊などが、〈おい、戻ってこい。その道は危険だ。とても向こうの岸までは行けない。間違いなく死んでしまうだろう。俺たちは何もお前を殺そうとしているわけではない〉と呼ぶ。
しかしこの人は、その呼び声を聞いてもふり返らず、わき目もふらずにその道を信じて進み、間もなく西の岸にたどり着いて、永久にさまざまなわざわいを離れ、善き友と会って、喜びも楽しみも尽きることがなかった。以上は譬[たと]えである。
次にこの譬えの意味を法義に合せて示そう。
〈東の岸〉というのは、迷いの娑婆世界をたとえたのである。
〈西の岸〉というのは、極楽世界をたとえたのである。
〈盗賊や恐ろしい獣が親しげに近づく〉というのは、衆生の六根・六識・六塵・五陰・四大をたとえたのである。
〈人影一つない広野〉というのは、いつも悪い友にしたがうばかりで、まことの善知識に遇わないことをたとえたのである。
〈水と火の二河〉というのは、衆生の貧りや執着の心を水にたとえ、怒りや憎しみの心を火にたとえたのである。
〈問にある四、五寸ほどの白い道〉というのは、衆生の貧りや怒りの心の中に、清らかな信心がおこることをたとえたのである。貧りや怒りの心は盛んであるから水や火にたとえ、信心のありさまはかすかであるから四、五寸ほどの白い道にたとえたのである。
また、〈波が常に道に打ち寄せる〉というのは、貧りの心が常におこって、信心を汚そうとすることをたとえ、
また、〈炎が常に道を焼く〉とは、怒りの心が信心という功徳の宝を焼こうとすることをたとえたのである。
〈道の上をまっすぐに西へ向かう〉というのは、白力の行をすべてふり捨てて、ただちに浄土へ向かうことをたとえたのである。
〈東の岸に人の勧める声が聞え、道をたどってまっすぐに西へ進む〉というのは、釈尊はすでに入滅されて、後の世の人は釈尊のお姿を見たてまつることができないけれども、残された教えを聞くことができるのをたとえたのである。すなわち、これを声にたとえたのである。
〈少し行くと盗賊などが呼ぶ〉というのは、本願他力の教えと異なる道を歩む人や、間違った考えの人々が、〈念仏の行者は勝手な考えでお互いに惑わしあい、また自分自身で罪をつくって、さとりの道からはずれ、その利益を失うであろう〉とみだりに説くことをたとえたのである。
〈西の岸に人がいて喚ぶ〉というのは、阿弥陀仏の本願の心をたとえたのである。
〈間もなく西の岸にたどり着き、善き友と会って喜ぶ〉というのは、衆生は長い問迷いの世界に沈んで、はかり知れない遠い昔から生れ変り死に変りして迷い続け、自分の業に縛られてこれを逃れる道がない。そこで、釈尊が西方浄土へ往生せよとお勧めになるのを受け、また阿弥陀仏が大いなる慈悲の心をもって浄土へ来れと招き喚ばれるのによって、今釈尊と阿弥陀仏のお心に信順し、貧りや怒りの水と火の河を気にもかけず、ただひとすじに念仏して阿弥陀仏の本願のはたらきに身をまかせ、この世の命を終えて浄土に往生し、仏とお会いしてよろこびがきわまりない。このことをたとえたのである。
また、すべての行者よ、何をしていてもいついかなる時でも、この他力回向の信心を得て間違いなく往生できるという思いがあるから、これを回向発願心というのである。また、回向というのは、浄土に往生して後、さらに大いなる慈悲の心をおこして、迷いの世界に還って衆生を救う、これも回向というのである。
以上の至誠心と深心と回向発願心の三心が欠けることなくそなわれば、もはやすべての行が成就しないことはない。願と行がすでに成就しているので、往生しないという道理はない。また、この三心は、定善にも通じるのである。よく知るがよい。   
(教行信証 現代語訳 一八二頁〜一八九頁)

善導大師証をこひ  
 定散二心をひるがえし  
貪瞋二河の譬喩をとき  
 弘願の信心守護せしむ

高僧和讃(六九)善導章

観経疏は「玄義分」「序分義」「定善義」「散善義」からなる善導大師の教学上の主著であり、その教えは法然上人を経て親鸞聖人に承けつがれ、深められて、今わたしたちはその恩恵に浴している。「恩恵に浴している」という表現は適切ではないかもしれない.「…・師主知識の恩徳もほねをくだきても謝すべし」ご恩恵なのである。

善導大師は、「散善義 後跋」に次のように述べられている。
「敬ひて一切有縁の知識等にもうす。余はすでにこれ生死の凡夫なり。智慧浅短なり。しかるに仏教幽微なれば、あえてたやすく異解を生ぜず。ついにすなはち心を標し願を結して、霊験を請求す。まさに心を造すべし。尽虚空遍法界の一切の三宝、釈迦牟尼仏・阿弥陀仏・観音・勢至、かの土のもろもろの菩薩大海衆およびいっさいの荘厳等に南無し帰命したてまつる。某、いまこの観経の要義を出して、古今を楷定せんと欲す。…・・」 …・中略……
「つつしみてもって義の後に申べ呈して、聞くことを末代に被らしむ。
願はくは含霊のこれを聞くものをして信を生ぜしめ、有識の観るものをして西に帰せしめん。この功徳をもつて衆生に回施す。ことごとく菩提心を発して、慈心をもつてあひ向かひ、仏眼をもつてあひ看、菩提まで眷属として真の善知識となりて、同じく浄国に帰し、ともに仏道を成ぜん。この義すでに証を請ひて定めをはりぬ。一句一字加減すべからず。写さんと欲するものは、もつぱら経法のごとくすべし、知るべし。」
(七祖篇 観経疏 後跋五〇四頁)

善導大師は、釈迦・弥陀二尊をはじめ諸仏に心から信順され、南無し帰命されて、その上で古今の諸師がたの観無量寿経についての誤った解釈を検め、正しい解釈・基準を定めてこれからの世の手本としようという志願をたててこの観経疏を著されたことである。それゆえ後跋の末尾には「諸仏の願いにかなうものとしてこの書を定めたのであり、一字一句たりともおろそかにせず、この書物を書き写すときは仏のみ教え、すなはち、「経法」とおなじようにしなければならない」と述べられているのである。

 「衆生の六根・六識・六塵・五陰・四大」(七祖篇巻末註より抜粋)
*六根
六識のよりどころとなる対象を認識するための六種の器官
眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根(前刹那の意識)をいう。
* 六識
色・声・香・味・触・法(認識の対象となるすべてのもの)を知覚し認識する眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識をいう。
* 六塵
六識の対象となる六っつの境界。
色・声・香・味・触・法の六境をいう。
* 五陰
五種の要素の集まり。
色(物質)・受(感受作用)・想(知覚表象作用)・行(受、想、識以 外の「思」などに代表される心作用)・識(識別作用)の五種をいう。
仏教では、すべての存在は、この五種の要素が因縁によって仮に和合したものであると説く。
* 四大
一切の物質を構成する四っつの元素。
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[釈勝榮/門徒推進委員]


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