還浄された御門徒様の学び跡 |
- 意訳「しんじんのうた」
- ・ 七高僧は あわれみて
・ われらをおしえ すきます
・ 世のもろびとよ みなともに
・ このみさとしを 信ずべし- 現代語訳
- 浄土の教えを広めてくださった祖師方は、
数限りない五濁の世の衆生をみなお導きになる。
出家のものも在家のものも今の世の人々はみなともに、
ただこの高僧方の教えを仰いで信ずるがよい。(教行信証 現代語版)
このようにインド・中国・日本の三国を通じ大経の本意、すなはち阿弥陀仏のご本願のお心を明らかにされ、弘められ、勧められたことを顕わしている。
親鸞聖人は「唯可信斯高僧説」と結ばれている。このことは私たちに、唯ただ阿弥陀仏のご本願を深く信じいただき、そのお拯済[すく]いのなかに唯お任せするほかはないとお教えいただいているのである。
基幹運動五ヵ年計画(平成十三年から十七年)の重点項目@に、「親鸞聖人のみ教えに学び、力を合わせて同朋教団の再生を」とあります。五ヵ年計画の策定がされるようになって今日まで、常に「親鸞聖人のみ教えに」に「問い」、「聞き」、「学 び」……と示されております。
正信偈は日常勤行としてすべての門信徒が用いているものである。そこには遇い難きみおしえに今遇うことを得て、今聞き難きみ教えを聞くことができた喜びが行間にあふれ、祖師がたのご恩への謝徳の想いが満ち溢れている。そして何よりも阿弥陀さまのご本願をどうか素直にいただいておくれというご開山の願いがわたしたちに響いてくるのである。難しい万巻の経典を紐とかなくても、明瞭簡潔にお念仏のおいわれを示され、釈迦弥陀二尊のお徳と中夏日域の祖師がたのご苦労とそのお徳を讃嘆されたこの百二十句は、わたしたちがもっともっと日常的に親しく読誦することはもちろん、その一句、一句に込められているおいわれ、意味、み教えを深く学ばさせていただかなければならないと思うことである。親鸞聖人のみ教えを通して色々の問題を考え、見なおし、行動していこうというのが基幹運動に示されている重点項目のテーマではなかろうか。
愚禿悲歎述懐(九七)
なもあみだぶつ なもあみだぶつ なもあみだぶつ
なもあみだぶつ なもあみだぶつ
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