還浄された御門徒様の学び跡 |
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
建立無上殊勝願 超発希有大弘誓
五劫思惟之攝受 重誓名声聞十方
現代語訳・ 法蔵菩薩の因位のときに、世自在王仏のみもとで、
・ 仏がたの浄土の成り立ちや、善し悪しをご覧になって、
・ この上なくすぐれた願をおたてになり、世にもまれな大いなる誓をおこされた。
・ 五劫もの長い間思惟してこの誓願を選び取り、名号をすべての世界に聞こえさせようと重ねて誓われたのである。
無量寿経には「その時、次に仏あり、世自在王と名づけ、如来、応供、等正覚、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊たり。時に国王あり、仏の説法を聞いて心に悦予を懐き、すなはち無上正真道の意を発し、国を棄て、王を捐てて、行きて沙門となり、号して法蔵といえり。高才・勇哲にして、世と超異せり。世自在王如来の所に詣りて、仏の足を稽首し、右に繞ること三匝して、長跪合掌して、頌をもって称えていいたもう。」と、法蔵菩薩が志を立て、世自在王如来のところに詣でて如来を讃めたたえ、今まさに大慈大悲の願を建立せんとするお姿をこのように説きいだしている。
世自在王如来の尊号「如来、応供、等正覚、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊」は後には釈尊に固有の称号とされたが初期には仏の一般的な尊称(仏十号)とされた。なお、上述の尊号は十一になるが、十号とするに、無上士と調御丈夫を一つとして仏十号としたり、世尊を除いて十号とした数え方があるとのことである。
世自在王如来は梵文では《ローケーシヴァラ・ラージャ》とあり、表音文字としては《樓夷亘羅》(大阿弥陀経・平等覚経などの表記)が当てられ、また《世間において自在である王=世自在王》と漢訳されている。意訳してせにょうおう世饒王ともいう。
またこのローケーシヴァラ・ラージャという名は、ヒンズー教ではシヴァ神の別名であるともいわれ、インドにおける古代宗教の陰影がみられるとのことである。
法蔵(菩薩)は、原語では「Dhrmakara」《ダルマカーラ》、「法の鉱床・法の堆積」の意味であり、「仏法を蔵して失わぬ」との意訳で法蔵とされている。因みに呉訳=曇摩迦、漢訳=曇摩迦留、唐訳=法処、宋訳=作法となっている。
世自在王如来を法蔵菩薩が「讃仏偈」をもって讃えようとするところは、梵文には、「アーナンダよ。そのとき、また、かの敬われるべき人・正しく目覚めた人・ローケーシヴァラ・ラージャ如来が教えを説かれたときに、きわめて記憶力のある、理解力のある、叡智のある、きわめて努力精進する、高大な理解力のあるダルマカーラという名の修行者がいたのだ。アーナンダよ。そのときかの修行僧ダルマカーラは座より立ちあがり、一方の肩に上衣をつけ、右の膝頭を地につけ、この世尊ローケーシヴァラ・ラージャ如来にむかって合掌し、世尊に敬礼し、実にそのときに面前においてこのような詩句によって讃えて言った……」とある。
世尊ローケーシヴァラ・ラージャ如来を讃め称えられた偈頌が「讃仏偈」である。
- 前頁傍線部 註
- * 偏袒右肩[へんだんうけん] 長跪合掌[じょうきがっしょう](仏説無量寿経原典版九頁)
* 稽首仏足 右繞三匝[うにょうさんぞう] 長跪合掌(仏説無量寿経原典版十四頁)
インドの礼法で、右の片肌をぬぐことを「偏袒右肩」といい、両方の膝を地 面につけて合掌する様を「長跪合掌」という。また両膝を地につけて仏足を 押し頂き頭を触れる最上の敬礼が「稽首仏足」である。それを終わって仏を 右回りに三回まわり、長跪合掌するのが「右繞三匝 長跪合掌」である。
浄土和讃大経讃(五六)
(編集註: 法蔵菩薩の詳細については、{法身と報身の違い} を参照ください)
[←back] | [next→] |