還浄された御門徒様の学び跡 |
*悲華経 大施品
願我成阿耨多羅三藐三菩提 巳無量無辺阿僧祇余仏世界所有衆生 聞我名者修諸善本欲生我界 願其捨命之復必定得生 唯除五逆誹謗聖人廃壊正法
読み下し文: (願はくは、われ阿耨多羅三藐三菩提を成りをはらんに、無量無辺阿僧祇の余仏の世界の所有の衆生、わが名を聞かんもの、もろもろの善本を修してわが界に生ぜんと欲はん。願はくは、それ命を捨ててのち、必定して生を得しめん。ただ五逆と聖人を誹謗せんと、正法を廃壊せんとを除かん)
現代語訳: (私がこの上ないさとりを開いたとき、数限りない国々のあらゆる人々が、わたしの名号を聞いて念仏し、わたしの浄土に生まれたいと思うなら、彼らがいのち終わって後、かならず往生させよう。ただし五逆罪を犯し、聖者を謗り、正しい法を破るものは除かれる。)
註*傍線部
「修諸善本」…・意訳 念仏し
第十九願「修諸功徳」の場合…・・意訳… さまざまな功徳を積んで
この項の現代語訳では、修諸善本は《念仏し》とされている。この場合、意味は第十八願に近い。しかし十九願のように善本を積んでとすると第十九願の意味に近くなる。引用された悲華経のこの経文は前後の関係から和訳のようになったものであろうか。
親鸞聖人はこのように無量寿経の異本(五存七欠といわれ五本現存する)を引かれて名号の不可思議の徳を説かれ、
しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしととお示しになった。
平等覚経 支婁迦讖訳 後漢 二世紀後半
大阿弥陀経 支謙訳 呉 三世紀前半
無量寿経 康僧鎧訳 曹魏 三世紀中期
大般涅槃経 曇無識訳 五胡十六国 五世紀
悲華経 曇無識訳 五胡十六国 五世紀
無量寿如来会 菩提流支訳 唐 八世紀初頭
荘厳経 法賢訳 宋 十世紀末
大阿弥陀経も平等覚経も衆生の救済の願は二十四願たてられ、古訳が四十八願ではなく二十四願であったことを伝えている。また無量寿経の梵文は四七願になっている。
岩波文庫梵文和訳の註釈に《重誓偈》の「斯願不満足」に相当する「このようにすぐれたこの最上の誓願が願った通りにかなえられないならば」とある誓願は梵文では、単数形であり、最初は法蔵菩薩の誓願というのは漠然として一つのものにまとめて考えられていたのが、後に散文(長行)が書かれるときに細かく四十七願に分けられたのであろう」と註釈されている。
それぞれの願を漢訳に正確に対比するのは難しい。
なお、無量寿経の成立は阿弥陀経よりやや古いとされるが、西暦一世紀初め頃といわれているし、現存しないが古い漢訳は西暦140年代後漢の安世高訳と推定されている。また漢訳平等覚経がもっとも古い時代のものではあるが呉訳の大阿弥陀経が原始的な姿をつたえているとのことである。この二つの経はともに二十四願経であり、初期無量寿経などとも呼ばれる。これに対し他の現存無量寿経(魏訳・唐訳・宋訳)は後期無量寿経と呼称される。
参考文献等 ワイド版岩波文庫「浄土三部経」(上・下巻)
[←back] | [next→] |