還浄された御門徒様の学び跡 |
*無量清浄平等覚経 上
我作仏時令我名聞八方上下無数仏国諸仏各於弟子衆中嘆我功徳国土之善・・・現代語訳:
〈無量清浄仏は〉わたしが仏になったときは、わたしの名号をすべての世界の数限りない国々に聞こえさせ、それぞれの仏がたに、弟子たちの中で、わたしの功徳や浄土の善さをほめ称えさせよう。それを聞いて神々や人々をはじめとしてさまざまな虫のたぐいに至るまで、わたしの名号を聞いて喜びに満ちあふれるものを皆ことごとくわたしの浄土に往生させよう。若しそのようにできなかったなら、わたしは仏にならない。わたしが仏になったときには、他方の国の人々が、前の世で悪を縁としてわたしの名号を聞いたものも、まさしく道を求めてわたしの国に生まれようとおもったものも、寿命が終われば、皆ふたたび地獄や餓鬼や畜生の世界にかえることなく、願いのままにわたしの国に生まれさせよう。もしそのように出来なかったなかったなら、わたしは仏にならない。
阿闍世王の太子や五百人の長者の子たちは、この無量清浄仏の二十四願を聞いて、身も心にも大いに喜び、ともに心の中で《わたしたちも無量清浄仏のような仏になりたい》と願った。
お釈迦さまは、阿闍世王の太子や五百人の長者の子たちの前世における因縁を説かれ、さらにつづけて、
「このような人々は、仏の名号を聞いて心楽しく安らかに大いなる利益を得るであろう。私たちもその功徳をいただいて、それぞれこのようなよい国を得よう。無量清浄仏は衆生の成仏を予言して、《わたしは前世に本願を立てた。どのような人もわたしの法を聞けば、ことごとくわたしの国に生まれるであろう。私の願うところは皆満たされるであろう。多くの国から生まれてくるものは、みなことごとくこの国に至ることが出来るのである。来世を待たずに不退転の位を得るのである。》とお説きになった。」
註*涅槃経には阿闍世王が毘婆尸仏との因縁で地獄におちなかったことが説かれている。この平等覚経では阿闍世王の太子や長者の子の前世が語られている。?
*無量清浄平等覚経 上
現代語訳:
(邪悪なもの、驕りたかぶるもの、誤った考えをもつもの、おこたり怠けるものはこの教えを信ずることが難しい。
過去の世で仏を見たてまつった人は、喜んで仏の教えを聞くであろう。
人として生まれることはまれであり、仏が世におられても、会うことは難しい。
信心の智慧を得ることはさらに困難である。もし仏法に出遇えたなら努め励んで道を求めよ。この法を聞いて忘れず、信を得て大いに喜ぶものは、すなはち私の善き親友である。
だからさとりを求める心を起こすがよい。たとえ世界中に火が満ちみちていても、その中を通り過ぎて法を聞くことが出来るなら、かならず 後に仏となって、すべての迷いをこえるであろう。)
*註*傍線部
1 宿世時見仏者 楽聴聞世尊教
(宿世のとき仏を見たてまつるもの このみて世尊の教えを聴聞せん)
2 会当作世尊将 度一切生老死
(かならずまさに世尊となりてまさに一切生老死を度せんとすべし)
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