還浄された御門徒様の学び跡 |
仏教が起こる以前、インドではヨーロッパ大陸から長い時間の果てにアーリア民族がインド大陸に進出し、ガンジス河上流域を中心として牧畜や農業を主体にして村落社会が成立していた。その社会は次第に東方に拡大し、アーリア民族とインド土着の種族(ドラヴィダ人)との混在を生み、混血が行われた。白色系と黒色系との混和である。(アーリア・ドラヴィダ族の出現) この民族の肌の色はさまざまな歴史を生むことになることは想像に難くない。
たとえばバラモンについて「父方についても、母方についても七代にわたって血統が純血である」などの原始仏典の記述は、逆に純血の疑わしいことの方が多いことを示すものである。 また土着分化とウェーダ聖典との融和により次第に新しいヒンズー文化が渾然一体として形成されたようである。これらは紀元前十五世紀から紀元前四世紀頃までに形成されたとの見方がある。そのような背景の中でヒンズー教の世界、征服者としてのアーリア族の階級と被服者としての土着民を組み入れた結果の四姓制度、自然神としてのさまざまな神神などが色濃く影を落としている仏の教えが成立してきた。【※編集註】
この四姓制度は、今日のカーストとはやや趣をことにするらしい。アーリア人のなかのゆるやかな制度をうけたバラモン司祭・王族・庶民と非アーリアの原住民系のシュードラの四つが四姓である。今日のカーストは部族内婚姻・食事をともにすることができる権利・世襲の職業制度を根底とする閉鎖社会であり、浄・不定・の価値観をもったきびしいものである。 全インドのカーストは二千五百もあるという。
また鉄器の出現、交易の発達と武力による権益の保護などいろいろな社会背景は部族国家の相互侵略あるいは統合を生み君主国家が成立してくる。これらの君主国は一方において釈尊の外護者的存在にもなっている。国王のみならず外護者には商業での成功者、王族、ギルドの組合長などがそれである。
このような釈尊の時代は、結果的には経済活動の発達が著しく、流通経済、貨幣経済のより浸透があり、結果的には物質優先社会が起こり、宗教的な制約、道徳的な規制が弱まり、宗教的にはバラモンの至上性が崩れ始め、新しい価値観の思想が生まれてきた。異端の思想家、六師外道の六師もまたその時代の生んだ思想家なのである。これらは都市を離れ東方インドにゆくにしたがってその傾向は強く、非バラモン、反バラモン思想が百花繚乱と咲き乱れ出した。正に百家争鳴の時代であったといえる。こうした動きを担ったのは出家遊行者(シュラマナ=沙門)で、釈尊もまた沙門として出家し、修行し、悟りを開き人々を導いた新しい宗教運動の思想家ということもできる。
釈尊の教えが、当時の多くの人々を教化し、その信奉者としての多くの国王、王族や有力者を魅了したのは、お釈迦様の教えが時代の要請に応えたものであったからこそである。
歴史上の釈尊は、その教え(法=ダルマ)の普遍性、尊厳性の故に遂に歴史の枠を超越し、この世にほとけの教えを説き、苦悩の衆生を救わんがため、すがたをあらわされた応身仏として今日、世界中の仏教徒から礼拝され、讃嘆され、崇敬されているのである。
参考文献 中村元「原始仏教」奈良康明「釈尊との対話」
そのような背景の中でヒンズー教の世界、征服者としてのアーリア族の階級と被服者としての土着民を組み入れた結果の四姓制度、自然神としてのさまざまな神神などが色濃く影を落としている仏の教えが成立してきた。
と書かれてありますが、誤解を受けやすいので少し補足説明しますと、釈尊はインドの地で悟りインドの地で伝道されましたので、自らの境地をバラモン教やウパニシャドなどの用語や世界観を使って説き述べたのです。もし日本で悟る人がいたら、日本語や日本の世界観で述べたでしょう。釈尊はインドの文化の中で、それまでの土着性を打ち破った境地を得られましたが、それを言葉で述べるには、インド文化を用いるしか方法がなかったのです。
このことで一例をあげますと、例えば「バラモン(聖者)」という用語も、バラモン教では氏素性によって決まる、つまり親がバラモンであるかどうかによって決定するとされていたのですが、釈尊は「真実と理法をまもる人」であると述べられ、様々な正しき修行を行っている人をバラモンと呼んだのです。
また神々についても、仏教以前の信仰を頭から否定するのではなく、それらの神によって表されている内容が何を意味するかを知り、仏教の世界観に天部や六道世界として取り入れたのです。
さらに六道輪廻という思想も、仏教では私たちの生きている現実の迷いを六種に開いて表すものとして理解し、迷い世界を巡る生き方(輪廻)を批判し、そこから離れる因縁を説き、菩薩から仏世界に至る道を勧めたのでした。つまり輪廻を実体として見ることは仏教ではありません。
仏教は、インドの地に育つ蓮華のように、インド土着の文化を養分としながら、土着に塗れない仏性の華を咲かせることに専念してきましたが、残念ながら土着性に汚れた経論釈も存在します。特に「五姓格別」の差別思想は、自らの罪悪性を告白するのならまだしも、他者の劣等性を弄ぶことに用いてはなりません。よくよく厳しい批判眼をもって真仮偽を見分けることが必要でしょう。親鸞聖人が「それ真実の経を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」と言われた意味はここにあります。
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