還浄された御門徒様の学び跡


聞法ノート 第二集 11

難中之難無過此

【浄土真宗の教え】
『仏説無量寿経』 巻下 流通分 弥勒付属【47】/ 『浄土和讃』 大経讃 68.69.70/ 『顕浄土真実教行証文類』 総序/  等より

 難中之難無過此[なんちゅうしなんむかし]

『無量寿経』巻下に釈尊がこの経を説き結ばれるにあたり、弥勒菩薩に

如来興世 難値難見 諸仏経道 難得難聞 菩薩勝法 得聞亦難 遇善知識 聞法能行 此亦為難 若経斯聞 信楽受持 難中之難 無過此難

と示されています。その原文は次の通りです。

仏説無量寿経巻下 佛語弥勒 其有得聞 彼佛名号 歓喜踊躍 乃至一念 当知此人 為得大利 即是具足 無上功徳 是故弥勒 設有大火 充満三千 大千世界 要当過此 聞是経法 歓喜信楽 受持読誦 如説修行 所以者何 多有菩薩 欲聞此経 而不能得 若有衆生 聞此経者 於無上道 終不退転 是故応当 専心信受 持誦説行 佛言吾今 為諸衆生 説此経法令見 無量寿佛 及其国土 一切所有 所当為者 皆可求之 無得以我 滅度之後 復生疑惑 当来之世 経道滅尽 我以哀愍 特留此経 止経百歳 其有衆生 値此経者 随意所願 皆可得度 佛語弥勒 如来興世 特留此経 止経百歳 其有衆生 値此経者 難値難見 諸仏経道 難得難聞 菩薩勝法 諸波羅蜜 得聞亦難 遇善知識 聞法能行 此亦為難 若聞此経 信楽受持 難中之難 無過此難 是故我法 如是作 如是説 如是教 応当信順 如法修行

▼現代語訳
無量寿佛の名を聞いて喜びに満ちあふれ、わずか一回でも念仏すれば、この人は大きな利益を得ると知るがよい。すなはちこのうえない功徳を身にそなえるのである。だから弥勒よ、たとえ三千大千世界が火の海になったとしてもひるまずに進み、この教えを聞いて信じ喜び、心に保ちつづけて、口にとなえ、教えのままに修行するがよい。
 なぜならこの教えは、多くの菩薩たちがどれほど聞きたいと願っても、なかなか聞くことができないものだからである。若しこの教えを聞いたなら、この上ないさとりを開くまで決して後戻りをすることはないであろう。だからそなたたちはひたすらこの教えを信じ、心に保ちつづけて口に称え、教えのままに修行するがよい。
 わたしは今、すべてのもののためにこの教えを説き、さらに無量寿佛とその国土の様子を残らず見せた。この上にまだ尋ねたいことがあるなら、ためらうことなく問うがよい。
 わたしがこの世を去った後に疑いをおこすようなことがあってはならない。
 やがて将来わたしが示したさまざまなさとりへの道はみな失われてしまうであろうが、わたしは慈しみの心をもって哀れみ、特にこの教えだけをその後いつまでもとどめておこう。そしてこの教えに出会うものは、みな願いに応じて迷いの世界をはなれることができるであろう。
 如来がお出ましになった世に生まれることは難しく、その如来に遇うことも難しい。
 また仏がたの教えを聞くことも難しい。菩薩のすぐれた教えや六波羅蜜の行について聞くのは難しく、善知識に遇って教えを聞き、修行することも難しい。
 ましてこの教えを聞き、信じてたもち続けることはもっと難しいことであって、此れより難しいことは他にはない。そうであるから、わたしはこのように佛となり、さまざまなさとりへの道を示し、ついにこの無量寿佛の教えを説くに至ったのである。そなたたちは、ただこの教えを信じて、教えのままに修行するがよい。

 親鸞聖人は経のお心をいただかれご和讃に次のように讃嘆されている。

如来の興世にあひがたく
諸仏の経道ききがたし
菩薩の勝法きくことも
無量劫にもまれらなり

善知識にあふことも
をしふることもまたかたし
よくきくこともかたければ
信ずることもなほかたし

一代諸教の信よりも
弘願の信楽なほかたし
難中之難とときたまひ
無過此難とのべたまふ

(浄土和讃大経讃)

そして親鸞聖人は、『教行信証』総序に

釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。

(註:「西蕃・月支」: 今のインド・パキスタン・アフガニスタン地域を指す。「東夏・日域」: 中国と日本をいう)

と慶びを心から表されます。繰り返し繰り返して、この教えに値遇することはまことに「難中之難無過斯」と仰せ出されています。

 わたしたちは正信偈を拝読するとき必ずこの教言をいただいています。そのとき心から「難中之難」だといただいているでしょうか。呪文の「難中之難無過斯」になってはいないでしょうか。

 早島鏡正先生は
「親鸞聖人が『大経』によって仏教を語られたように、私どもも『大経』の意味を問いつづけることによって、初めて『南無阿弥陀仏』とは何であるかが知らされるのであります」
と言われています。

南無阿弥陀仏のおいわれを大経に聞いていく、それがたとえ「難値難見」・「難得難聞」であっても、一番大切なことだと思います。

誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。

(教行信証 総序)

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[釈勝榮/門徒推進委員]


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