還浄された御門徒様の学び跡 |
早島鏡正先生は、その著書の中で次のように言っておられる。
わたしがかねがね仏教を学んでまいりまして気づいたことは、仏道を会得するためには『道あり』、つまり『悟りの世界あり』と信ずると同時に、悟りという道に向かって『歩んでいく人』、あるいは『すでに歩み終わった人』の存在することを信ずること、すなはち『道ありと信ずると同時に.得道の人ありと信ずる』、この二つがなければ、完全な信心ではないということです。
『道』を『念仏』と置き換えてみると、『念仏あり』ということは、『念仏者』を同時に信じていくことになる。私どものように、念仏そのもののいわれが、つまり真実の世界の具体的なあり方がなかなかわからない者にも、念仏に生きる念仏者の姿を通じて、念仏そのものを把握していくことができます。
『念仏あり』と同時に『念仏者あり』で、この二つを信じていくことを親鸞は《教行信証》明らかにしています。
それが実は『道を求めて道を歩んでいく、念仏を求めて念仏に生きる』のあり方だと私は思います。
思い立ってこの聴聞の記録を小冊子にまとめたのは、聴聞の感動を一つひとつ記しながら、また読みかえし読みかえしするためでもある。ひとつひとつの聴聞は、早島先生の言われるように念仏者の跡を慕い、信順し、念仏に生きる道でもある。また、ほれぼれと仰ぎ見て、憶念するこころである。
まことに仏縁なく、善知識なくば、今のない自分である。これから幾冊のシリーズになるかわからぬが父と母の導きを得て生涯聴聞し続けて行くつもりである。
平成十三年七月 第一集発行
著者:水谷榮三
平成十四年二月〜平成十五年五月 当HPに転載
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