還浄された御門徒様の学び跡


聞法ノート 第一集 9

信楽易行水道楽

【浄土真宗の教え】

 信楽易行水道楽

龍樹大士出於世 悉能摧破有無見
宣説大乗無上法 証観喜地生安楽
顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
憶念弥陀仏本願 自然即時入必定
唯能常称如來号 応報大悲弘誓恩

親鸞聖人 著『顕浄土真実教行証文類』 行文類二 正信偈(正信念仏偈) より

▼意訳(「現代語版」より)
釈尊は楞伽山で大衆に、「南インドに龍樹菩薩が現れて、有無の邪見をすべて打ち破り、
尊い大乗の法を説き、歓喜地の位に至って、阿弥陀仏の浄土に往生するだろう」と仰せになった。
龍樹菩薩は、難行道は苦しい陸路のようであると示し、易行道は楽しい船旅のようであるとお勧めになる。
「阿弥陀仏の本願を信じれば、おのずからただちに正定聚に入る。
ただ常に阿弥陀仏の名号を称え、本願の大いなる慈悲の恩に報いるがよい」と述べられた。

 龍樹菩薩は二世紀から三世紀にかけて、大乗仏教思想、特に「空」の思想を確立された方であり、浄土真宗の七祖第一にあげられている。その著『十住毘婆沙論』に不退の位に至る道について、易行道・難行道の二種のあること、そして、弥陀の本願と往生の利益を示し、弥陀の御名を憶念称名することを易行としてしめされた。この事を親鸞聖人は上述のとおり正信偈に讃嘆された。

 仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行をもつて疾く阿惟越致[あゆいおっち]に至るものあり。

龍樹菩薩 著『十住毘婆沙論』 巻第五 易行品 第九 より

▼意訳(「聖典意訳七祖聖教 上」より)
 仏法には量り知れない多くの門戸がある。たとえば世間の道路に難しい道と易しい道とがあって、陸路を歩いて行くのは苦しいが、水路を船に乗って渡るのは楽しいようなものである。菩薩の道もまたそのようである。あるいはいろいろな行を積んで行くものもあり、あるいは信方便の易行をもって速やかに不退転の位に至るものもある。

「かくのごときもろもろの世尊、いま現に十方にまします。もし人疾く不退転地に至らんと欲せば、恭敬心をもつて、執持して名号を称すべし」(意訳:これらの仏たちは いま現に十方におられる。もし人がすみやかに 不退の位に至ろうと思うなら よろしく恭敬の心をもって 仏の名号を信じて称うべきである)

 龍樹菩薩は『宝月童子所問経』を引かれ、十方にまします「十方諸仏名」として次の十仏を挙げられた。

 善徳仏
 栴檀徳仏
西 無量明仏
 相徳仏
東南 無憂徳
西南 宝施仏
西北 華徳仏
東北 三行仏
 明徳仏
 広衆徳

「阿弥陀仏の本願はかくのごとし、『もし人われを念じ名を称してみづから帰すれば、すなはち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得』と。このゆゑにつねに憶念すべし」(意訳:阿弥陀仏の本願はこの通りである。「もし人あってわたしを念じて名を称え帰依すれば、そのとき必定(正定聚)に入って、ついに無上仏果を得る」と。こういうわけであるから常に憶念すべきである)

 龍樹菩薩は、この言葉につづいて、阿弥陀仏をほめたたえる偈を著わされている。
 このおこころは、ご開山聖人のご和讃「弥陀の名号となへつつ 信心まことにうるひとは 憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもひあり」(浄土和讃1 冠頭讃)なのである。
 まことに善知識なくば仏のおしえにも値遇できなかったわたしたちである。身を粉にしても報ずべきご恩でなのある。

なもあみだぶつ なもあみだぶつ

(詳しくは:{『十住毘婆沙論』と『往生論註』}参照)

[←back] [next→]

[釈勝榮/門徒推進委員]


[index]    [top]

 当ホームページはリンクフリーであり、他サイトや論文等で引用・利用されることは一向に差し支えありませんが、当方からの転載であることは明記して下さい。
 なおこのページの内容は、以前 [YBA_Tokai](※現在は閉鎖)に掲載していた文章を、自坊の当サイトにアップし直したものです。
浄土の風だより(浄風山吹上寺 広報サイト)