還浄された御門徒様の学び跡


聞法ノート 第一集 7

いのち

【浄土真宗の教え】

 いのち

 ナチスドイツのころ、ユダヤの人々を抹殺する目的で、アウシュビッツの収容所がつくられ、数百万人のユダヤの人々が殺されました。  この時の生き残った人にフランクルという人が書いた「識られざる神」という本があるそうです。その中で囚われる苦しみと生きることについての、自問自答があります。

自分は生き延びることができるだろうか。もし生き延びられないのなら、こんなひどい苦しみはなんの意味もないのではないか。

 こうした問いがある一方、別の問いを発する人々もいました。
 彼らはこう問うたのです。

この苦しみ、いや、この死にははたして意味があるのだろうか。もしないとしたならば、生き延びることにもなんの意味もあるまい。というのは、もし、生命が、ある偶然の、つまり生命を保って、『助かるかどうか』という偶然の恩恵に依存しているものだとするならば、たとえ実際に生命を保って助かった場合にすら、そんな生命はなんの意味も無く、また生きるだけの値打ちもないものでしかあるまい。

 フランクルは、こうした絶望的な環境の中でも、いのちはかけがえのない尊いもの、そして偶然性に支配されず、未来はあるという考えをもって生きた一人であった。
 彼は、死の淵で《われわれが人生の意味を問うのでなく、人生がわれわれに意味を問うている》といい切ります。
振り返ってみて、私たちの生活は如何なものでしょうか。
《明日はある》という、これほど不確かなものはないのに、今を偶々生きていることで、明日もあるという偶然性に身も心も委ね、問題を先送りしている私たちではないか。再び繰り返すことのない《いま》の連続、人生は私たちに決断を迫っているのではないか。

 お釈迦さまの三人のお弟子さまのおはなしです。

釈尊
「人のいのちは幾許ぞ」
弟子A
「何十年と生きる人もいますが、確かないのち、保証されるいのちということになると皆、不確かなところに生きており、いのちの保証となるとせいぜい三日位でしょう」
釈尊
「汝はいまだ道を得ず」
弟子B
「いのちのあるところは、三日という余裕のあるものではなく、今日一日です」
釈尊
「汝はいまだ道を得ず」
弟子C
「いのちのあるところは今日一日という猶予のあるものではなく、呼吸の間にある」

 この答えを聞き、お釈迦さまははじめて、「汝は道を得たり」といわれました。
 そのような不確かないのちのいとなみを繰り返す私たちに、「目覚めよ、すでに法(真理)はひらかれている」と、示されていることでありましょう。
 そして、正信偈の、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」 とのご開山聖人の帰敬偈こそ、いま、私たちに真実求められている決意でありましょう。
《いのち》には、《いのち》そのものに、またその文字にも、そのことばにも、不思議なひびきがある。《いのち》は、人間だけが専横して持っているものでもなく、動物に固有しているものでもない。
 一切衆生に授かっている不可思議な《いのち》である。

 発生動物学的に人のいのちの誕生は、精子と卵子の合体に始まる。
 ミクロにみると、細胞核の融合・染色体に坦体されている遺伝子の次世代への伝承にほかならない。しかし、その遺伝子の歴史は、正に宇宙の創造の歴史に遡及する悠久のかなたにあり、そして、五劫、十劫の履歴が写されているいのちなのである。
 試みに、私が存在するための先祖(親)は一体何人いるのか? 計算してみる。

1人
父母2人
祖父母4人
曽祖父母8人
 *16人
 *32人
 *64人
 *128人
 *256人

 このように計算すると、30代前の親の数約10億7374万人となる。30代前はおよそ千年前です。40代前になれば1兆1千億人にものぼる。
 このように、わずか40代、1300年さかのぼるだけでも、私には1兆1千億人という想像もつかない数のそれぞれの親、親のまた親がなければ今の私は存在しえないのである(※編集註)。いま、いのちを頂いてここにいる私は、まことに不可思議なえにし(縁)、無量億劫のいのちを背負っているわたしなのである。そして《いのち》はみなひとしく「今あることの不可思議ないのち」なのである。

※編集註: 1兆1千億もの人間は地上に同時存在しえず、現実は「一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり」と『歎異抄』5にあるとおりで、多くの命の重なりが実感されることです。

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[釈勝榮/門徒推進委員]


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