平成アーカイブス  【仏教Q&A】

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【仏教QandA】

仏陀自身への帰依は否定しながら、三宝に帰依する訳

― 自灯明・法灯明と仏法僧の関係 ―

質問:

はじめまして。私は学生で原始仏教について学んでいます。疑問に思ったことがあるのでお願いします。

釈尊は「仏法僧」と三法に帰依をすることを唱えていますが、一方で仏陀自身に帰依することを否定し自分の説いた「法」に帰依をせよ、というようなことを度々説かれていますよね。私も仏陀自身に帰依をするということは偶像崇拝のようなものにもつながり、釈尊がそれを否定したということはなんとなく理解できます。
では「仏」に帰依をするということ、釈尊が一番望んだ「仏」に帰依をするということの信仰の形、とはいったい具体的にはどのようなものだったのでしょうか。わかりずらいかもしれませんがよろしくお願いします。

返答

 仰る通り、仏教徒の基本姿勢に、仏・法・僧の三宝帰依があります。また同時に、「自灯明・法灯明」の教えもあります。教師の握拳[にぎりこぶし]は存在せず、釈尊みずから教団を導く意志はなく、「それ故に、アーナンダよ、この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島(灯明)とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」 (ブッダ最後の旅 2(#旅に病む――ベールヴァ村にて) 参照)と。ですから、ご質問にある<仏陀自身に帰依することを否定し自分の説いた「法」に帰依をせよ>ということは、確かに度々説かれることになります。
 では仏法僧の三宝に帰依することと、自灯明・法灯明の教えは矛盾するのでしょうか。

 一体の三宝

 まず結論から申しますと、「法灯明」の「法」とは仏法僧の三宝の法をいいます。「法灯明」の内容が「三宝帰依」なのです。また、仏法僧の関係についてですが、「住持の三宝」・「別体の三宝」・「一体の三宝」の三種の説がありますが、最終的には「一体の三宝」、つまり「仏法僧の三宝は必要に応じてその別が説かれるが、本質は一体である」ということを信じる(領解する)必要があります。
{※資料1▼ 参照}

 釈尊など特定の善知識や個人に帰依しようと思っている人に対しては、「この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず」と説きます。どれほど相手が偉大でも(たとえ仏であっても)他人の意見は参考であり、運命は自らを頼りにし自ら責任をもって切り開く他に道はないことを示し「自灯明」と釈尊は教えます。
 私たちは自分が頼りなく思える時には、何か自分以外のものや人を頼りにしたいと思うものですが、釈尊はそれを厳しく批判されているのです。最終的に頼りになるのは自分だけ。「天上天下唯我独尊」。私の人生は私が主役。主役の座から降りることができないのが私の人生なのです。だから決断は自らが下す。これを誤魔化せば、人生は主軸を失って倒れ、奴隷的人生に堕してしまいます。

 そうは言っても、「今このままの自分など、とても頼りにならない」と顧みることも大切です。また「自灯明」と起ち上がったその自分が、どの方向へ歩めばいいのか解らねば自灯明も意味がありません。ですから「法を島(灯明)とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」と「法灯明」を説きます。この「法灯明」の内容が「仏・法・僧」の三宝の法です。
 ここでいう「仏」は、「本質は一体」と見抜かれた仏法僧の一つで、三宝を別に見た時の仏、つまり釈尊などの個人ではありません。法・僧と一体と見た仏です。個人を頼みとすれば「善知識だのみ」という、いわばカリスマ性に寄りかかることになってしまい、自灯明の原則に反し、外道と変らぬ教えになってしまいます。
 またここでいう「法」も同様で、仏・僧を離れて実体化・固定化した法ではありません。実体化・固定化した法は法執・教条主義を生みますので、自他や世を照らす光とはならないのです。
 さらに「僧(サンガ)」も、仏・法を離れた教団組織をいうのではありません。和合の教団は、互いに同朋として敬いあうことを身上とします。組織に隷属する信徒をつくって喜ぶような教団は、もはや仏教の集いではありません。師弟の関係も弟子を隷属させるようなら外道と同様でしょう。

 これを裏から言えば、仏に帰依する中に仏法僧を帰依することが本質として具わっているのであり、法に帰依する中に三宝帰依があり、僧に帰依する中にも三宝帰依があるのです。全体で一つであり、またそれぞれが全体を含んでいます。
 研究によりますと、教団が成立した後でも「仏・法」のみに帰依する時代がしばらく続いたらしいのですが、古い方が正解というわけではありません。「仏・法」のみに帰依するだけでは不十分であると気づき、ある時点で僧(サンガ)帰依が追加されたわけです。

 ご質問者は、「原始仏教について学んでいます」ということですから、大乗仏教的な解答では答えになっていないかも知れませんが、さとりの本質を追求し、人生の謎を解き、生活の現場において展開する法をいただくと、心の依り処には必ず「一体の三宝」に帰依せねばならぬ、ということが肯けてくると思います。
『雑阿含経』には「善き友をもち、善き仲間にあるということは、聖なる修行のすべてであると知るべきである」と説かれていますが、「一体の三宝」という領解でなければ、こうした教えにはならないでしょう。

 「仏」に帰依をする信仰(信心)の形

〉 釈尊が一番望んだ「仏」に帰依をするということの信仰の形、とはいったい具体的にはどのようなものだったのでしょうか

 というご質問ですが、これについても「三法一体」という理解が必要でしょう。そういう言葉が述べられていない時代であっても、真意はここにあります。なお「信仰」という言葉は本来仏教では用いず、仏教徒は「信心」・「信楽」という態度を貫くべきでしょう。「信仰」は、自分を価値無き者と見、偉大な相手を仰ぎ見て従うことで、「自灯明」の原則から外れる可能性を秘めてしまっているからです。しかし一時的な方便として用いることはあります。

 形としての「帰依」は、「帰命これ礼拝なり」といいまして「礼拝」がこれに当りますが、意味としては「帰命」の方が重い、ということは申し添えねばなりません。

禮拝[らいはい]
@ 合掌しておがむこと。恭敬・信順の心をもって敬礼すること。『西域記』(二巻)には、礼拝の種類として、発言慰問・俯首示敬・挙手高揖・合掌平拱・屈膝・長跪・手膝踞地・五輪倶屈・五体投地の九種類があげられている。そのうち、五体投地とは、身体を地に伏せ、両手両足を地にのべ、頭を地につけて敬礼する最高の敬礼法である。
A 浄土教などで、身業により恭敬を示すこと。上品の礼拝は五体投地、中品の礼拝は長跪合掌、下品の礼拝は坐して合掌低頭する。

『佛教語大辞典』東京書籍 より


 そのとき世界の王、梵天は上衣を一つの肩にかけて、右の膝を地に着け、世尊のおられるところに合掌・敬礼して、世尊にこのように言った

『仏伝』 より


「さあ、バラモンよ、尊師のいますところへ行け。そこへ行って、尊師の両足に頭をつけて礼せよ」

『大パリニッバーナ経』 より


 そのとき釈尊は喜びに満ちあふれ、お姿も清らかで、輝かしいお顔がひときわ気高く見受けられた。そこで阿難は釈尊のお心を受けて座から立ち、衣の右肩を脱いで地にひざまずき、うやうやしく合掌して釈尊にお尋ねした。

『大無量寿経』 より

 こうした様々な礼拝の形が残る中で、実際の釈尊が当時どのような礼拝を受け入れていたのかは、写真やビデオが無い時代ですから、経典や後世のインドにおける礼法を参考にするしかありません。しかし、どのような形であっても「自灯明」を破るような精神で礼拝した(させた)訳でないことは確かでしょう。釈尊は法を説く時、常に「於汝意云何[おにょいうんが](汝はどう思うか)」と呼びかけてみえます。自らの考えを押し付けることなく、「私はこのように見るが、あなたはどう思うか」と、常に判断は相手に任すのです。
 さらに――

『如来に呼びかけるのに名を言い、また「卿よ』という呼びかけを以て如来に話かけれはならぬ。』と釈尊が言ったとされているが、古い詩を見ると、仏弟子たちは釈尊に向かって「ゴータマよ」と呼びかけているし、また釈尊に道を尋ねる人々が「きみよ」(marisa)と呼びかけている。またゴータマ個人がインドのこのような通習を排斥するほど傲慢であったとは考えられない。これも後世になってから、信徒がゴータマを神化したために右のような伝説がつくられたのである。

『釈尊伝 ゴータマ・ブッダ』(中村元 著/法蔵館)133頁 より

とありますように、道を示すことで尊敬されながらも、釈尊みずから帰依や尊称を強要することは無かったのではないかと思われます。ただし、釈尊が強要しなかったというだけで、「私も仏を恭しく帰依する必要はない」などと思ってしまっては、さとりへの道が閉ざされてしまいます。
 後世において神格化されたといっても、それは、経典編纂の過程で自ずと生じた尊崇の念なのでしょう。釈尊の説がインド全域より集められると、当初弟子たちが思っていたよりはるかに偉大で、最大に帰依すべき内容であった、と気づいたからです。気づいたからには、釈尊を「きみよ」とか「ゴータマよ」と呼ぶわけにはまいりません。

 これは蛇足になるかも知れませんが――近代において日本に西洋の思想が入ってくると、「釈尊個人は実際にはどのような法を説かれたのか?」という追求が行われてきました。この中で「原始仏教」という考え方が生まれ、学者たちは「これこそ真説」と思われるものを選り分けようとしたのですが、結局のところ努力は、完全には実るということはありませんでした。上座部や部派の経典が大乗経典より古いという証拠さえありません。むしろ、仏教のもっている広範な内容と複雑にからみあった各派の実体が明らかになり、それがそのまま仏教の本質であることも分かってきました。(経典結集の歴史 参照)

 仏教は、さとりを求める心が中心にあり、その中心を自らに見出し身に満たすことと、その中心軸に支えられて各時代・各地域・各人様々な機会に縁って展開された三宝の法が本質なのです。そこには真実あり方便あり、時として偽の教えも絡んで展開しています。ですから、経典に添いながらも言葉に依ることなく、如来の真実義を解していかねば、さとりの功徳を受け入れ損ねてしまいます。
 親鸞聖人は、諸仏の王であり究極の仏である阿弥陀仏について語る中で、正定聚と滅度や涅槃や一如の関係を明らかにしてみえますので、まずは参考にして下さい。{※資料2▼ 参照}
 また、仏法僧の三宝を、仏教史を踏まえて全体として語られた資料もありますので、少し長いですが参考にして下さい。{※資料3▼ 参照}

 聖典等資料

※資料1

【58】『涅槃経』(迦葉品)にのたまはく、「経のなかに説くがごとし。〈一切の梵行の因は善知識なり。一切梵行の因無量なりといへども、善知識を説けば、すなはちすでに摂尽しぬ〉。わが所説のごとし、〈一切の悪行は邪見なり。一切悪行の因無量なりといへども、もし邪見を説けば、すなはちすでに摂尽しぬ〉。あるいは説かく、〈阿耨多羅三藐三菩提は信心を因とす。これ菩提の因また無量なりといへども、もし信心を説けばすなはちすでに摂尽しぬ〉」と。

【59】またのたまはく(同・迦葉品)、「善男子、信に二種あり。一つには信、二つには求なり。かくのごときの人、また信ありといへども、推求にあたはざる、このゆゑに名づけて信不具足とす。信にまた二種あり。一つには聞より生ず、二つには思より生ず。この人の信心、聞よりして生じて思より生ぜざる、このゆゑに名づけて信不具足とす。また二種あり。一つには道あることを信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道あることを信じて、すべて得道の人あることを信ぜず、これを名づけて信不具足とす。また二種あり。一つには信正、二つには信邪なり。因果あり、仏法僧ありといはん、これを信正と名づく。因果なく、三宝の性異なりと言ひて、もろもろの邪語、富蘭那等を信ずる、これを信邪と名づく。この人、仏法僧宝を信ずといへども、三宝同一の性相を信ぜず。因果を信ずといへども得者を信ぜず。このゆゑに名づけて信不具足とす。この人、不具足信を成就すと。

『顕浄土真実教行証文類』 化身土文類六(本) 真門釈 引文 より

意訳▼(現代語版 より)
 『涅槃経』に説かれている。
「すでにこの経に説いたように、すべての清らかな行いの因は善知識[ぜんぢしき]すなわち如来である。すべての清らかな行いの因は数限りなくあるけれども、如来について説くだけですべてその中に収まってしまうのである。わたしがこれまで説いたように、すべての悪い行いは誤った考えによる。すべての悪い行いの因は数限りなくあるけれども、誤った考えについて説くだけですべてその中に収まってしまうのである。あるいはこの上ないさとりについて説くなら、それは信心を因とする。さとりに至る因も数限りなくあるけれども、信心について説くだけですべてその中に収まってしまうのである」

また次のように説かれている(涅槃経)
「善良なものよ、信には二種がある。一つには、教えをただ理解する信であり、二つには、教えにしたがって道を求める信である。教えをただ理解しているだけで、教えにしたがって道を求めることがないのは、完全な信ではない。
 また信には二種がある。一つには、ただ言葉を聞いただけでその意味内容を知らずに信じるのであり、二つには、よくその意味内容を知って信じるのである。ただ言葉を聞いただけで、その意味内容を知らずに信じているのは、完全な信ではない。
 また信には二種がある。一つには、たださとりへの道があるとだけ信じるのであり、二つには、その道によってさとりを得た人がいると信じるのである。たださとりへの道があるとだけ信じて、さとりを得た人がいることを信じないのは、完全な信ではない。
 また信には二種がある。一つには、正しい教えを信じるのであり、二つには、よこしまな考えを信じるのである。因果の道理があり、仏・法・僧の三宝があると信じるのを、正しい教えを信じるという。因果の道理がなく、仏・法・僧の三宝の本質が一体ではなくそれぞれ別のものであるといって、さまざまなよこしまな考え、たとえば富蘭那[ふらんな]などの言葉を信じるのを、よこしまな考えを信じるという。仏・法・僧の三宝があると信じても、三宝の本質が一体であるということを信じておらず、また因果の道理を信じても、さとりを得た人がいることを信じていないのは、完全な信ではない。この人は、不完全な信しか得ていないのである」

※資料2

  【1】 つつしんで真実の証を顕さば、すなはちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。すなはちこれ必至滅度の願(第十一願)より出でたり。また証大涅槃の願と名づくるなり。しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば、即のときに大乗正定聚の数に入るなり。正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。かならず滅度に至るはすなはちこれ常楽なり。常楽はすなはちこれ畢竟寂滅なり。寂滅はすなはちこれ無上涅槃なり。無上涅槃はすなはちこれ無為法身なり。無為法身はすなはちこれ実相なり。実相はすなはちこれ法性なり。法性はすなはちこれ真如なり。真如はすなはちこれ一如なり。しかれば弥陀如来は如より来生して、報・応・化、種々の身を示し現じたまふなり。

『顕浄土真実教行証文類』 証文類四 大証釈 果体出願 証果徳相 より

意訳▼(現代語版 より)
 つつしんで、真実の証を顕[あらわ]わさば、それは他力によって与えられる功徳の満ちた仏の位であり、この上ないさとりという果である。この証は必至滅度[ひっしめつど]の願(第十一願)より出てきたものである。この願をまた証大涅槃[しょうだいねはん]の願とも名づけることができる。
 さて、煩悩にまみれ、迷いの罪に汚れた衆生が、仏より回向された信と行とを得ると、たちどころに大乗の正定聚[しょうじょうじゅ]の位に入るのである。正定聚の位にあるから、浄土に生れて必ずさとりに至る。必ずさとりに至るということは、常楽我浄[じょうらくがじょう]という徳をそなえることである。この常楽我浄の徳をそなえるということは煩悩を滅し尽した境地、すなわち畢竟寂滅[ひっきょうじゃくめつ]に住することである。この寂滅はこの上ないさとり、すなわち無上涅槃[むじょうねはん]である。この無上涅槃は生滅変化[しょうめつへんか]を超えた真実そのもの、すなわち無為法身[むいほっしん]である。この無為法身はすべてのものの真実のすがた、すなわち実相[じっそう]である。この実相はすべてのものの変ることのない本性[ほんしょう]、すなわち法性[ほっしょう]である。この法性はすべてのものの絶対究極のあり方、すなわち真如[しんにょ]である。この真如は相を超えた絶対の一、すなわち一如である。そして阿弥陀仏は、この一如よりかたちを現して、報身・応身・化身などのさまざまなすがたを示してくださるのである。

※資料3

○心の依り処

 人類がもの心がついてこの方、世界中どこの民族も、雨が降るのも日照るのも稲のでき不できも、皆神さまの仕業、自分の病気も貧乏はもちろん、人間の幸不幸の全ては、皆神さまのみ心のままと信じて、一も神さま、二も神さまと、唯だ一つ神さまを心の依り処として、それだけではない、社会の生活慣習も、国の政治さえも、神のお告げによって行われていたのです。
 それが西洋では、十四世紀にイタリアに興り、十六世紀には欧州全体に拡がったルネサンスによって、遂に人間の運命を支配する権利を、神の手から奪い取って、人間が自分の手で、今日の繁栄を築き上げることに成功したのです。そして十九世紀に入ってからは「神の死」が宣告され、二十世紀に入ってからは、遂に無神論に立った実存主義といわれる、無宗教者が現れて来ました。しかし人間自身がわが身を顧みる謙虚さを失って、高上がった報いで、自分自身は「孤独」と「虚しさ」とにさいなまれ、環境は荒れ放題に荒らし、社会環境の家庭崩壊や学校崩壊はおろか、自然環境は地球的規模で汚染され、人間だけではない、全ての生きものの生命さえ怯かされているのです。『西洋文明没落』はすでに今世紀(※二十西紀)の初めにシュペングラーによって予見されていたのですが、その根本原因は西洋の文化は、その思想であれ宗教であれ、全て理性によるものでありますが、理性そのものは内にまだ不純なものを孕[はら]んでいて、人生の真実が見えていないからです。この点でも世界を救うものはまごころの智慧による仏教であると、私は思っています。
 東洋では二千余年の昔釈迦が出て、理性をさらに脱皮して心の眼を開き、天を指さし地を指さして、天上天下に尊いものは人間であると、人間の自覚を促し、自分の運命は自分で開拓するより他に道はないことを示して、「自業自得」の道理を説いているのですが、悲しいかな、釈迦の死後、その弟子たちは、またもとのインド古来の民族宗教であるバラモンの教えに後戻りして、「魂の輪廻」を説き、人間は罪深いものである、この世ははかない苦の世界であると、自分もそう思い、人にもそれを教えたのです。その誤った「迷信」に包まれた教えが、仏教の面を被って今に至るまではびこっているのです。
 しかし仏教徒の中には、早くから近代精神と価値づけられている「批判精神」の持主も多く出て、仏教の歴史の節目節目に、「釈迦の精神に帰れ」と、仏教の改革を果たしています。その中でも、釈迦の死後四百年位の頃と思われる紀元前百年頃か、初めて「一切衆生には悉く仏性がある」と説いた『涅槃経』が、釈迦の遺教えとして「自らを灯とせよ、法を灯とせよ。また自らと法との二つの灯と帰依を説いています。【註:『涅槃経』には大乗・小乗(部派・アビダルマ)各派の編纂になるものがある】
 そして「自灯明」の所には「他の声によって動くことなかれ」と付け加えています。これは今の若い人たちがいう「誰がどう言おうと、わしの勝手で、わしの思うようにする」ということではありません。人生の旅はどの人も皆処女航海です。高村光太郎も言っているそうです、「自分の前には道はない。歩いた跡が道になる」と。人生にはどういう思いがけないことが待っているか解りません。時には落とし穴が仕掛けられていたり、どこから横槍が飛んで来るか計り知ることができません。人生経験豊かな古老に予め人生について聞くことが大切です。しかし幼稚園の幼児ではありませんから、先生の言うこと、親の言うことをそのまま真受けにすることではありません。人の言うことは皆参考で、最後の決断は必ず自分がせよといっているのです。そうでないと、した結果がマイナスになれば、教えてくれた人を恨むことになります。
 「法灯明」の法とは、仏法僧の三宝の法のことですが、詳しいことは後に説くことにして、ここでは唯だ「正しい人生観」のことだと憶えておいて下さい。
 私はこの自灯明と法灯明を解りやすく、人生の旅をするには、提灯(今なら懐中電灯)と灯台の二つの明かりが要ることだといっています。懐中電灯がなければ足元が危ない。灯台がなければ方角を見失うでしょう。
 その「自灯明、法灯明」が『華厳経』では「自ら仏に帰依し奉る、自ら法に帰依し奉る、自ら僧に帰依し奉る」と、仏法僧の三宝を依り処とすることを説いています。この三宝の意味は解ったようで解らないのですが、聖徳太子はこれを「住持の三宝」と「別体の三宝」と「一体の三宝」との三種類あることを示して、心の依り処には必ず「一体の三宝」に帰依せねばならぬと教えています。この三宝の意味は、また日を改めて説くことにします。
 それがさらに浄土教になって「南無阿弥陀仏」一つに帰依することになりました。それは自灯明、法灯明の二つと、仏法僧の「一体の三宝」を徹底させたからです。そのことは浅原才市同行が、「ナムの二文字もナムアミダ仏、アミダの二文字もナムアミダ仏。ナムのナムアミダ仏が私で、アミダのナムアミダ仏が親さまで、これが機法一体のナムアミダ仏」といっていることでも解ります。親鸞聖人も二た通りの法蔵菩薩を説いています。一つは十劫の昔に仏になった、一切衆生を大きく包む仏。もう一つは衆生を救うために、一人ひとりになった仏。才市は「私が仏になるじゃない。アミダの方からわしになる」という。私は前のを「大法蔵菩薩」、後のを「小法蔵菩薩」と呼んでいます。
 『涅槃経』はさとりが色もない形もない大涅槃で、仏と浄土が分かれていません。自灯明も法灯明も人生を超えるためのものですが、『大無量寿経』では、その色も形もない大涅槃が、色と形をとってこの世に現れたさとりですから、仏も尽十方無碍光如来であり、浄土も青色青光白色白光のもの皆光輝く蓮華蔵世界です。そして私となった「ナムの仏」はこの世に浄土の華を咲かす「正定聚不退転の菩薩」です。
 そのこの世の仏とこの世を生きる宗教が、途中で死んで行く未来の宗教に変って「後生助けたまえと弥陀を頼む」ことになって、「ナムの仏」が「アミダの仏」に食われて、信心が信仰になって、力がなくなったのです。それで「命やそれに帰し、生やそれに依る」この世を生きる帰依の信心が、「生やそれに依り、死やそれに帰す」と、死んで仏になる信仰に変身してしまったのです。

○心の依り処(2)

 仏教は智慧の宗教といって、他の宗教とは特別扱いされていた。神の宗教はご恩とか感謝という感情が主であり、バラモンのように難行苦行に堪える意志の宗教とは違うからです。今日では、神の宗教と変らぬ救済の宗教や、修験道や回峰行のような意志の宗教に変化したものがたくさんあります。
 問題はそれらが私たち人間を本当に救うか、また正しい人生観に立った真実の宗教であるかです。そのことを厳しく批判精神をもって追及したのは、仏教だけでしょう。その最たる人が親鸞です。その迷信邪教の批判は腸を断つようです。
 今日は仏教や釈迦の名を騙った怪しげな宗教が「雨後の筍」のように横行していますが、それに信教の自由という法律の為か、他の宗教を批判すれば罰が当るとでも思ってか。それとも信者の仕返しを恐れてか、政府も教団も、宗教学者も社会評論家も、「触らぬ神に祟りなし」と決め込んでいる。哀れなものは目隠しされた一般庶民でござる。
 釈迦は「天に我を救う神もなく、傍らに我を助ける仏もおらぬ。まして地に呪うたりたたったりする悪魔がおるはずがない。自業自得は天下の道理である」と教えている。自灯明法灯明の教えは、さらにそれの内容を明らかにしたもの。
 「自らを灯とせよ」とは、頼りになるものは、自分だけだということ。その自分が頼みにならぬ。それは人生図もなく羅針盤も持たぬからです。その生きる指導原理となるものを「法を灯とせよ」というのです。昔は戦さをするには、剣道と兵法が要り、碁打ちは打つ人の棋風(個性)と定石(碁の原則)が条件となります。
 二つの灯を車でいえばハンドルとエンジン、船では舵と帆ですが、それらは道具で、それを操るものは運転者です。車や船の運転には、地図や海図が要るが、人生行路には地図も道もない。「自分の前には道はない。歩いた跡が道になる」。
 一般には目的と方法とか、理想と現実といっていますが、仏教では本来 目的とか理想という考え方を嫌って、願いといっています。それは理性の文化と智慧の文化の違いからです。第一、目的も理想も眼が向こうに着いた考えですが、願いは「道は近きに在り」で、自分自身の内からの止むに止まれぬ、自己実現の足元の第一歩に重きを置いているのです。
 第二に、よく「花は折り度し、梢は高し」とか、「言うは易く行うは難し」ということを聞きますが、その心根には、色んな先入観が禍いしています。その人は、理想と事相を混同し、事実と現実を履き違えています。事相は欲しいものが手に入る可能性のある願い。例、家を建てたいとか、先生になりたいという願い。理想は完成する可能性のない願い。例、親が親らしい本当の親になりたいとか、先生になったら人が先生らしい本当の先生になりたい。これは一生懸けても、卒業はありません。また事実はものの結果ですから、どうにもなりません。現実は事実を背負うて起ち上がる心ですから、成るか成らぬかではない。願うことがその人の命です。「願う、故に我あり」。
 「言うは易く云々」は、行いに執われた古代中国の思想で、それはわが子が早くピアノを叩くことを急いで、大事な音感教育を忘れた「教育ママ」と同じです。

○心の依り処(3) 涅槃のさとり

 涅槃は釈迦のさとりであり、仏教徒の心の依り処といわれて、迷いとさとり、正しいと不正を分ける、大切な生活の規範であるといわれているにも関わらず、涅槃とは何かということが明らかでない。それに今日では、後期の発展した大乗仏教の真如法性や、浄土教の浄土と混同されている。
 真如や浄土は存在するものであるから、「覚る」という。しかし涅槃は涅槃というものがあるのではない。釈迦のさとりをいうのである。「迷いを転じて悟りを開く」と。悟の字は立心遍に吾の合字で、失われた吾が自分の主体となって立ち上がったことを表す字である。
 道を迷わぬように。私は文字の解釈や仏教の話をしているのではありませんよ。世界中で仏教が一番真剣に人生を探求し人生を解明しているから、今も仏教の言葉を使っているので、それも唯だ人生の謎を解きたいだけです。
 「涅槃」は当て字で、インド語のニル・バーナを中国語に音写したのです。
 『大無量寿経』では泥オンといっています。ニルは消えるとか消すこと。バーナは燃える火のこと。ここでは煩悩のことですから、文字の上では、煩悩のなくなるとか、煩悩を断ち切ることですが、ほとんどの仏教者が、「涅槃は煩悩がなくなったこと」といっています。しかしそこには問題があります。
 釈迦は悟った時、「わしは煩悩に勝った」と言ったと伝えられています。煩悩がなくなれば何が残るのか。煩悩に勝ったものは何者でしょうか。
 釈迦の死後何年か経って、「涅槃は煩悩がなくなったことではない。涅槃とは、火の炎が風に揺れていた、それが風が止んで、火の炎が真っ直ぐに昇るようになったことで、大切なことは煩悩がなくなることではなく、何ものにも動揺しない自分が生まれることである」と、言っていた仏弟子がいます。
 釈迦の悟った時の「降魔成道の図」には、物凄い形相をした魔ものが、手に手に槍や刀や、斧や松明を振りかざし、鉦や太鼓を打ち鳴らして、右から左から後ろから、襲いかかっている。前には美しい妙齢の女が三人、姿態をくねらして釈迦を誘惑している。中の一人は妊娠した大きな腹をあらわにしている。これは硬派による脅迫と軟派による誘惑をもって、釈迦の内なる煩悩を象徴しているのでしょう。肝心な釈迦は樹下石上に端座したまま、泰然自若としてびくともしていない姿が描かれています。この降魔成道の絵が、涅槃とはこういう内容を現す言葉であるといっているのでしょう。恐らくこの絵は釈迦の死後四百年位後に描かれたものでしょうが、以前からこういう心境をさとっていた仏弟子もおったに違いありません。
 この境地を『長阿含経』には「天上天下唯我為尊」といい、それを『華厳経』に「天上天下唯我独尊」といい、さらには『大無量寿経』には「声を挙げて自ら称すらく、我れ無上尊と為らん」といったのでしょう。
 それにしても涅槃のさとりといわれるこの何ものにも動揺することのない自己と、『涅槃経』に説かれている自灯明の自己と、同じでしょうか。問題はここにもあります。

○心の依り処(4) 仏法僧の三宝

 「人生は苦なり」といった釈迦は、人生を問題として、人生の謎を解くために一生を捧げたのであるが、その弟子達は苦に心を奪われて、元のバラモンの教えに後戻りしている。ちょうど人生のための芸術が芸術に溺れ、便利のために造られた金銭に身を滅ぼすように。経はいう「愚かな犬は投げた石を追いかける。賢い獅子は投げた人の手元に飛び込む」と。
 今日世に行われている宗教は数え切れないほどある。仏教だけでもどれが真実の仏教か、取捨に惑うほどである。昔の仏教学者は常に教相判釈といって、多くの宗教を横に並べて、どの教、どの宗が真実かを選んで、自分の心の依り処として来た。親鸞も宗教を真なるものと仮なるものと偽なるものに分け、その中で仏教をさらに自力宗と他力宗に分け、さらに智慧による頓教と行による漸教に分けて、真宗を建てている。金子先生は仏教の発展を縦に二分して、我執に囚われている教と無我に立った教とに選び分けている。私は人間の目ざめ特に自覚に立って、宗教の歴史を前期と後期に分けて、自我の目ざめをしていない、中世以前のいわゆる前近代人の宗教と前史の宗教と呼び、二度と生まれて来ない、一回限りの、二人とおらぬ自分に眼ざめた、近代的自覚に立った宗教を、後史の宗教と呼ぶ。それに当てはまる仏教は人間自覚に立った『華厳経』と、社会的歴史的自覚に立った『大無量寿経』の、唯二つしか知りません。
 『涅槃経』の自灯明法灯明に続いて現れたのは、三宝の帰依ですが、今日わが国の仏教徒が会合した時斉唱されている「三帰依文」は『華厳経』のものです。これが初めて真宗聖典に載ったのは、多分昭和三年に西本願寺発行の島地大等編でしょう。その時「これは真宗の信心ではない」という異議を唱える人がありましたが、深く検討されることもなく、今の政府と同じように、既成事実を造ってそのまま、さもそれが真宗の信心であるかのように門徒に唱和させているのですが、私は真宗教団の意図がどこにあるのか、不審でなりません。
 まず解り切ったような三宝とは何かということから見ていくことにします。もとは釈迦仏と釈迦の説く法と、その法に順って修行する僧のことであったが、後には多くの経が出来、仏は釈迦だけではなく、阿弥陀仏とか薬師如来とか大日如来などと、いろいろの仏が出て来、それぞれ説かれる法が違い、またその法を修行する僧も違って来ました。聖徳太子はそれを「別体の三宝」といって、心の眼を開く段階としては別体の三宝によってもよいが、真実の依り処には必ず「一体の三宝」に依らねばならぬといっています。一体の三宝とは仏法僧の三つが別々のものではなく、仏というも法というも僧というも、唯だ一つの「常住真実」の有っている三面であるといっています。常住真実とは何のことであるかは後に述べるとして、この外に太子は「住持の三宝」を挙げています。それは仏教とはどういうものか知らぬ人のために、仏とは絵像木像をいい、法とは巻物や書物のこと、僧とは仏に奉えることを業とする人のことをいいます。
 『華厳経』の「三帰依文」に説かれている仏法僧とは、果たしてどういうものでしょうか。

○心の依り処(5) 三帰依文

 問題の「三帰依文」の第一は、「自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生と共に、大道と体解して、無上意を発こさん」である。
 まず最初に「自ら」と名告る者はどんな者であろうか。今日までのほとんどの仏教徒は、我というものはないといっている。それは初期の出家仏教が、その説が仏教であるかどうかを測る基準を「三法印」といって、「諸行は無常なり。諸法は無我なり。涅槃は寂静なり」といい、それに「一切は皆苦なり」を加えて、四法印と定めていたからです。
 浄土経系統では「わが身は罪深い愚か者である」とか、「いずれの行もできぬ何の力もない者」といい、禅家では「人は因縁によって造られた仮の者」とか、「小我に死んで大我に生きる」とか、今日では「霊性的自覚」をした自己といっている。真宗でも禅家の真似をしてか、「何かである自分が助かるのではない。何者でもない自己が助かるのである」という人も現われています。
 しかし『華厳経』や『大無量寿経』に名告っている「自ら」とか「我」は、そういう太古から罪を負うて、神様の前に恐れ戦[おのの]いて来た人たちや、中世の殿様に仕えて忠誠を誓った家来根性の前近代人や、肉体を罪する余り、頭で描きだした姿のない「霊」のような自己ではない。現に今そこに肉体を有って生きている、誰の目にも見える、存在としての自分です。
 楠正成が死を覚悟して湊川に赴く時、禅家の老師を訪ねて、何が生まれ変わるのかを尋ねた。老師は黙然として正座していたが、大喝一声、「正成!」「はい」。「そのお前だ」と言ったという。
 第一に帰依する仏とは、釈迦仏のことです。といっても四月八日に生まれたという、歴史上のシッダルタのことではない。『華厳経』の著者に応現した釈迦あって、著者のさとった理想の人間仏である。仏教寺院に祀ってある本尊像は基本的には何宗であれ皆釈迦仏です。
 私が北海道の室蘭に行った時、六十ばかりの男の人が来て、だしぬけに、「先生、アミダ様はハイカラですね。パーマをかけて」と言う。どうしてそういうのか聞いたら、「昨年初めて先生の話を聞いた時、仏様は目を開けて見て拝むものじゃ。目はどうしておいでるか、手はどうしてと、一つ一つよく見て、そのいわれを聞くことが大切だ」と言われたので、家に帰って早速仏壇から仏様を出して見たら、パーマをかけておられたからです」。「アミダ様はまことそのものですから、目も鼻もありません。あれはお釈迦様のお姿です。お釈迦様はインド人ですから、天然パーマで、美容院へ行ったのではありません」。「それではなぜお釈迦様をアミダ様というのですか」。「これは大切な問題ですが、お釈迦様のさとりがアミダ様ということで、それを手で現しているのです。禅家のさとりはネハンであり、華厳や法華のさとりは久遠の釈迦ですから、その違いを結んでいる手の印で区別しているのです」と。
 華厳のさとりは理想の釈迦ですから、本尊の像は両手は掌を外に向け、五指はどちらも伸ばして、上下を指し、左に獅子の座に乗った文殊菩薩、右に白像の座に乗った普賢菩薩を、脇立ちとしてそ覚りを現しているのです。文殊は永遠の求道心に燃える童魂の万年青年を、普賢は雨にも随い風にも随い、一歩一歩を踏みしめて身に即けた、人生経験豊かな老人の徳を象徴しているのです。
 「大道」とはどんな道でしょう。それは新人からさらに仏人に進化して行く、誰もが通らねばならぬ天下の大道、「五十二段」の道のことです。この重要な五十二段の内容は後日に。「体解する」体でさとる、何とよい言葉でしょうか。こんなよい言葉が仏教には幾つもあります。詳しくは「身証体解」といって、この身で証明し、この肉体が知るのです。これは関取が体で覚えるのと同じ意味です。
 「無常意を発こす」、無上意とは無上菩提心のことですが、これは小乗や初期の大乗の菩提心は、生死を解脱し苦悩から自己を解放しようとする、個人的な解脱心だと貶し、その人をアラカンといって、大乗のさとりは人間の座を動かず、人間が心の眼を開いて、人間として真の人間を成就する道ですから、これは本当の菩提心であるといって、その人を菩薩といったのです。
 しかし親鸞はそれをよしとせず、さらに「浄土の大菩提心」を説いているのですが、悲しい哉、日本仏教は小乗も大乗も浄土も全て、その信心が解脱心に堕してしまっているのです。もっと歎かわしいことは、さらに「後生菩提」といって、この世は滅びて行く僅かな人生、死後は永遠の世界とか、滅びないものは形のない世界といって、この現に今生きている自分を忘れて、形のない涅槃や真如を求めていることです。道元も「一大事は今日只今これなり」と警策をならしているのに。人間であるという足元を忘れて。

○心の依り処(6) 法帰依

 三帰依の第二は「自ら法に帰依したてまつる。当に願わくは衆生と共に、深く経蔵に入りて、智慧海の如くならん」である。海のような智慧が生まれる法とは、どんな法であろうか。
 まず問題は智慧とはどんなものが見える心の眼であろうか。
 「慧」は戒と定と慧の三学といって、原始仏教の目的とされたものである。「慧」は無我とか空といわれて、我なしとさとる智慧、また形あるものは因縁によって出来た仮のもので、それ自体は空なものとさとる智慧、また大乗仏教では色も形もない真如法性をさとる智慧で、空智と呼ばれる直観のことである。
 「智」は部派仏教辺りから使われて、慧に対して形あるものが見える智慧のこと。初期の仏教は形のないものを重んじていたから、慧を根本智といって、智を後得智とか方便智といっていた。しかし形あるものにも、悪業煩悩という迷いのものと、仏性とか六度の行とか仏や浄土などのさとりのものの、二つがある。涅槃とか真如法性という形のないものをさとりとする原始仏教や初期の大乗仏教は、皆迷いの世界の形を知るのを智といい、後期の特に華厳や浄土教では、迷いとさとりの両方を見る眼をいう。また智は「白は白、黒は黒と分別する」ものとか、あれかこれかという時、これだと決断するともいっている。また空智と行智と分析しているが、直観と実践智か、毛沢東のいう矛盾智と実践智か。記憶も智であろうか。(迷いの分別は識という。)
 また『大経』では経験による智慧を忍といって、特に信心は「菩薩の無生法忍」であると、四十八願の最後にも誓っている。「忍」は「無分別の分別の智」といっている。無分別は直観のこと、分別は思考推理のことで、これは碁打ちが「一目で二十手先が見える」とか、また熟練工の「勘」のことだろう。<中略>
 そういう智慧はどうして得られるか。「深く経蔵に入って」である。経蔵とは何か、どこにあるのか。常識では寺の境内にある、一切経とか大蔵経といわれる仏典を納めている書庫のことである。特殊な学者なら別だが、「衆生と共に」は深くも浅くも入れない。伝説では『華厳経』には大中小の三種があって、今の「六十華厳」も「八十華厳」も共に小さい方の翻訳であって、大のものは三千大千世界を粉みじんに砕いて、それを墨にして書いたほどの経であるという。それは生活環境そのものであろう。
 私が熊本に行ったとき、一人の老人が来て、「今 篭耳[かごみみ]の話をされましたが、私はこの話は何遍も聞きました。今まではまことわしのような右から聞けば左へ、左から聞けば右へ抜けてしまう篭耳は、いつも法の水に浸しておかねばならぬわいと、お寺参りを欠かしたことはありませんでした。ところが若い者へ世帯を渡したら、そういうわけにいきません。近い話がお寺へ参ればお賽銭もご法礼も要ります。そうたびたび息子に頼むこともできず、たまには畑も手伝ってやらねばなりません。そうお寺参りもできません。どうしたものでしょうか。」
「おじいさん、蓮如さんの仰るのは、朝から晩までお寺へ浸っておれということではありませんよ。信心という心の扉が開き心の耳が聞こえるようになれば、山に行けば山がご縁になり、畑へ行けば一鍬[くわ]一鍬がお育てになるということで、心の眼、心の耳を聞かせて貰えといわれるんですよ。」
「まことまこと」と喜んで帰られました。
経には、「空吹く風も仏の説法、川の流れもご説法、静かな山も仏のお姿、広い海も仏の心」と説いているから、天地万物全てが形のない経蔵ということであろう。
 ところが親鸞は、反対にこの身が法の蔵、宝の蔵といっている。私はこれは自分が梵鐘[ぼんしょう]で、見聞覚知は撞木[しゅもく]で、撞木が当れば自分自身が鳴ることだと思っている。
 私の長男の宗雄が六年生、長女の千依が四年生、貴世が一年生の時、松山での念仏講習会の雰囲気に触れさせておこうと、途中宇部のの常盤公園へ行った。千依が「うちはお父ちゃんと一緒に旅をするのは生まれて初めてよ」と、喜び一ぱいの声で言う。公園に入ってすぐ大きな池があり、大きな錦鯉が群れていた。千依が「お父ちゃんお父ちゃん、うちはこんなきれいな鯉を見るのは生まれて初めて」。岬を廻れば白鳥が十数羽。「お父ちゃんお父ちゃん、うちはこんなきれいな白鳥を見るのは生まれて初めて」。珍しいものを見るたびに「生まれて初めて、生まれて初めて」の連発。いよいよ出口が近づいて、サボテン畑にさしかかったら、「お父ちゃんお父ちゃん、蝉[せみ]の声を聞くのは生まれて初めて」と言う。側にいた宗雄が「蝉はうちの方でも鳴いているよ」。すかさず「ここで聞くのが生まれて初めて」と。これは命の感動だが、見るもの聞くもの全てが命に響く、命と命の交響楽。昔の妙好人[みょうこうにん]は「生々世々の初事」といっている。
 三木清は「瞬[まばた]きせざる眼をもって、己が魂を見つめる者は、一切のものが美しい色と光に輝くを見るであろう」と、成人は汚れているから、闇の媒介が必要であろうが、童心は純真で命が感動すれば、そのまま世界が感応道交して輝く。親鸞の魂の梵鐘に、山や川の撞木が当れば、親鸞そのものが浄土の響きを発する。信心はまさに「菩薩の無生法忍」である。

○心の依り処(7) 僧帰依

 第三の帰依は「自ら僧に帰依したてまつる。当に願わくは衆生と共に、大衆を統理して一切無碍ならん」です。仏と法とに帰依しても、僧には帰依したくないという人がいる。それは僧という意味が違っているのです。「僧」は梵語でサンガといって、僧伽[そうが]の字を当てていたのを僧と略したのです。サンガは仏道修行の集団のことで、四人以上が一組になった教団をいいます。それが今では一人でも僧というようになっています。昔兵隊は五人以上をいって、その長を伍長といっていた。それが後には一人でも兵隊さんといったのと同じ事情です。
 仏教では「善知識」を大切にします。今では教団の長とか、自分を仏法に導いた人のことをいっていますが、本来は「師なり友なり」といって、師がなければ眼が開けず、友がなければ法が身につかないといって、師と並べて仏道を学ぶのに友は欠くことのできぬ要素とされていました。<中略>師がなく法友だけではどんぐりの背比べで、進むべき方向も解らず、画期的な進歩がありません。しかし友がなく、議論を闘わし互いに意見を出し合って練り合うことがなければ、実力が身につきません。その良き師、良き友の僧団の一人に加わることです。
 僧に帰依して何をするのか。「大衆を統理して一切無碍になる」ことです。目的は仏道が進むためですが、僧団がばらばらで気が合わなかったら、僧団の値打ちがありませんから、「和合僧」といって何よりも大切なことは、全員が心融け合うことです。それで僧団を掻き乱す行為は五逆罪といって、僧侶としての極刑に挙げられています。「大衆を統理する」とは、個性の違った各々が、馴れ合いでなく和すること「和して同ぜず」で、今の政治家のように党利党略の為の三党連合は、似ても似つかぬ「同じて和せず」です。今日では夫婦でも和合ではなく、同じながら和していない組がほとんどですが、和になる道は?
 「大衆を統理する」とは、上から高飛車に出ることではない。高圧では「一切無碍」にはならぬ。昨今の国旗国歌の問題で証明できるでしょう。<中略>兄弟子は学識と徳が大衆を統理する条件であり、弟弟子は兄弟子を信頼し尊敬することが基本でしょう。それが第一の「大道を体解して無上意を発こさん」と、法帰依の「智慧海の如くならん」の道心です。
 「無碍」は華厳では円融無碍[えんゆうむげ]といって、事法界[じほっかい]、理法界[りほっかい]、理事無碍法界[りじむげほっかい]、事事無碍法界[じじむげほっかい]の四つの世界を説いています。「事法界」は、形のある生滅と人間の世界、「理法界」は形のない真如法性の世界、「理事無碍法界」は、性起縁起ともいって、色も形もない真如法性が、色を現し形をとって現れたこの世のことですが、単に山川草木の自然界だけではなく、親鸞が「如来廻向の信心」といい、才市同行が「才市が仏になるんじゃない。アミダの方からわしになる」といい、蓮如さんが「機法一体、仏凡一体」といっている、法と人、人と衆生が、仏か人か、人か仏か無碍となることです。「事事無碍法界」は、形をとった現実の物と物、人と人とが無碍になることです。この事事無碍を説くのは『華厳経』と『大経』や『観経』などの大乗仏教の後期のものだけで、それも経典だけで、既成教団では禅宗も真宗も、その外はもちろん仏と自分との無碍は説いていますが、私とあなた、人と人との無碍を説く仏教はありません。禅宗は個人的出家仏教ですから無理もないが、在家仏教を名告る真宗ですから、夫と妻、嫁と姑、近所同士、教団同士、国と国が手をつないで、相和合して行く道を説かねばならぬのに、かけ声だけで、その具体的道が説かれていません。それを説く法は唯『大経』だけです。

○心の依り処(8) 南無阿弥陀仏

 心の依り処も終着駅に着きました。釈迦の人間誕生の産ぶ声「天上天下唯我独尊」の自覚に始まって、人生の謎に挑戦して来た仏教の歴史は、『涅槃経』によって「自灯明、法灯明」と、生きる自分の主体性と自分の依り処の法をさとり、さらに『華厳経』は依り処の法を「仏法僧」の三宝に分析し、終に『大無量寿経』は三宝を一体とする「無量寿」を発見し、その無量寿を命としている自分の主体である「南無」をも自覚して、南無阿弥陀仏という覚りを開いたのです。
 南無阿弥陀仏という言葉は、私たち日本人の血の中には深く刻みこまれているのですが、その正体を知ろうとした人は居なかったのでしょうか。これは浄土宗の開祖法然が「学問をして念のこころをさとりて申す念仏にもあらず、ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往生するぞと思いとりて申す外には、別の仔細候わず」といい、『歎異抄』に「唯だ念仏して弥陀に助けられ参らすべしと、よき人の仰せをこうむりて、信ずるより外に別の仔細なきなり」といっているのを真受けにして、親鸞の「唯だ称えては助からず、いわれを聞き開け」という教えに耳を傾けなかったからです。南無阿弥陀仏のいわれを説いているのは、唯だ一つ『大無量寿経』があるだけです。
 断っておきますが、悪い先入観があると、正しいことが素直に受け取れませんから、今までの認識不足による誤った信を指摘しながら、真実の信を明らかにしたいと思っています。
 今日までの念仏の信は、その底に『歎異抄』の思想が染みついていて、親鸞の教えが正しく受け取れていません。それは親鸞の眼は「如来廻向の仏智」ですから、人生の矛盾が見えていますが、抄にはそれがない。また「南無」の信は親鸞では「浄土の菩提心」といわれる主体的な「信心」ですが、抄では他者としての仏の救いを仰ぐ「信仰」です。その宗教は親鸞では願いの中に成就が自証される(未完成の完成)「願生浄土教」ですが、抄では死後に生まれて行くという「往生浄土教」です。その仏も空の彼方から呼んでいるという、正体不明の仏ですが、親鸞では現に私になっている如来とか、法蔵菩薩というこの世の仏で、信心の智慧が開けば、誰にでも見えます。したがって親鸞には即得往生住不退転とか、煩悩即菩提とか生死即涅槃などの矛盾的言葉が至る所に出ていますが、抄には一切ありません。
 真宗では、「仏の名を聞いて信心歓喜する」といいますが、事実はどういうことでしょう。たとえば常次郎という人がいても、何の感動も起こらぬでしょう。実は常次郎は、私が一番好きな、私の祖父です。祖父は私が七つの時死にましたが、何遍も会うており、色んな人から祖父のことを聞いていますから、常次郎という名を聞けば頭でしっているだけではない。全身の血が湧いて、「おじいさん、見ておって下さい。私も島田の子です」と奮い立ちます。それは祖父そのものが私の命となっているからです。南無阿弥陀仏のいわれを聞いて、私たちが名を聞けばそれに感動するように育っていることが大切です。

島田幸昭著『八葉通信』第2号〜9号 人生講座 より



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