平成アーカイブス 【仏教Q&A】
以前 他サイトでお答えしていた内容をここに再掲載します
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現代の仏教教団は宗旨・宗派を超えて、釈尊の教えを信ずるものどうしが、仏教の教えのひとつでもある「平和・友好」に向けて歩み出していると思います。
しかし、○○○会(掲載の場合は匿名でも構いません)は、言葉では「平和へ向けて」と言っているのですが、実際には他宗派を批判し、排他的行動を取ります。
それは他宗派に限らず、その組織が派生した母体教団までとも争う行動に出ていて、それにも関わらず「我々は平和への道・仏教の最先端をいっているのだ」と…。私はそれが本当に平和への行動なのかとても疑問に思います。
私の考えの平和とは、宗教・宗派・宗旨はそれぞれ生まれた地域・時代背景があり、それを理解した上で手をつないでいくという思いがあります。
○○○会の行動は本当に「平和への行動なのか」、そして「浄土真宗の考える平和への道」とはどういう考えなのかを聞かせてもらえるとうれしいです。
金沢恂『平和への祈り』より
○○○会に対して、個人的に思うところはありますが、当HPでは他宗旨の批判は余程の破壊的事態をおこさない限り控える方針ですので、「ぜひ平和へ向けての道を歩んで下さい」とエールを送るに留めさせていただきます。
さて、仏教の歴史を見ると、他の所謂<世界宗教>と比べれば「宗教戦争」のような積極的な戦争を起こしたことはほとんどありませんでした。これは「ドグマを廃する教え」という面と「仏教徒たちが自制していた」という面が報いられた結果と言えるでしょう。
また、<現代の仏教教団は宗旨・宗派を超えて、釈尊の教えを信ずるものどうしが、仏教の教えのひとつでもある「平和・友好」に向けて歩み出していると思います>とご指摘の通り、ことさら(いまさら?)各宗旨宗派間に波風を立てて論争を挑んだり、他宗の人を指差して愚弄することは、教団として行なっているところは無いようです。(ただし個人的な論争はネット上でも見受けられます)
しかし、「だから仏教は最も平和的な宗教だ」と胸を張って主張できるか、というと必ずしも肯定できません。その宗教が単に「積極的に戦争に関わらなかった」というだけなら無策と同じです。本当の「平和・友好」というものは、争う理由が無い時だけでなく、争う理由のある時に争いを止めることができてこそ適うものです。そうした積極的な平和・友好の活動が歴史的に成されてきたのか、という検証も必要でしょう。
さらに、「浄土真宗はどうか」と聞かれれば、全面的に「平和への道」を歩んだ訳ではありません。戦国時代には一揆や織田信長軍との全面的な戦争もありました。また近代には教団を挙げて侵略戦争に協力した時代もありました。
特に近代の戦争協力は教学のねじ曲げによって引き起こされたものですが、今ではとても読むに耐えない論がまかり通っていました。ただ、これが単なる歴史の偶然なのか、構造的な欠陥が生み出した結果なのか、真剣な検証が必要だろうと思います。
今ほど「平和」という語が重みを増し、宗教の役割が重要な時代はありません。宗教が人びとを反目させる元となるのか融和をむすぶ因となるのか、重要な岐路に立っていると言えましょう。その中で仏教が、浄土真宗が、何を述べ、どう行動してきたのかを以下に記し、返答とさせていただきます。
世界には多くの宗教が存在しますが、「仏教ほど平和を重視した教えはない」と言われます。実際、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の関係組織は、歴史的に多くの戦争に積極的に関わってきました。これらの宗教では当然殺人や侵略を禁じているのに、なぜこのような血みどろの争いを繰り返しているのか、不思議に思われるかも知れませんが、もし仏教にあってこれらの宗教にないことを挙げるとすると、「教条的ドグマから解放されている」ということかも知れません。
これは異説に対して寛容な態度として表れ、他宗教や文化も排除せず、異端審問や宗教戦争などはあまりありませんでした。
例えば、「真理」というものを論じる際にも――
[スッタニパータ]より
というように、哲学的断定を超えた視点から、乱されることのない平安を現実に確保するという、いわば実践哲学として出発したのでした。
釈尊の平和に向けた具体的な行動として思い出されるのは、瑠璃王のカピラ城攻撃による釈迦族滅亡の物語と、最晩年のマガダ国アジャータサットウ(阿闍世)王がヴァッジ族根絶の相談を受けた際の返答です。
瑠璃王は太子時代に遊学した際受けた差別的な罵倒を根に持ち、カピラ城を攻略しに行くのですが、釈尊は軍の行く手を遮るように座してこれを諌めます。釈尊の人徳はインド中に知れ渡っていましたので、王も軍を引き返さざるを得なくなります。残念ながら、最後は度重なる行軍により釈迦族は滅亡してしまいますが、釈尊の行動から学ぶことは、政治権力からは自立していても政治に無関心ではなく、時として命がけの行動に出ることも仏教徒としての勤めとなる、ということでしょう。
また『大般涅槃経』の最初にも記されていますが、マガダ国アジャータサットウ(阿闍世)王がヴァッジ族を根絶する相談を釈尊にしに行くのですが、使者のヴァッサカーラ大臣に対し、釈尊は弟子のアーナンダに「衰亡を来さない七種の法」を守っているかどうか尋ね、「遵守している」という返答から、理路整然と戦争の無益であることを説き、中止を促します。
また後世、西暦13世紀になって、インドにイスラーム教が入ってくると、仏教徒はあえて抗争を避けたため、文物は破壊され、インドの地から仏教はほとんど消滅してしまいました。しかしそれまでの間インドで様々に展開した仏教の思想や行動は、論争の激化はあっても異端審問や宗教戦争を引き起こすことはほとんど無く、常に普遍的な視点と創造的な発展を目指す求道心が中心にあり、人類の思想史上特に高い評価が与えられていますが、今後も世界平和に向けた多くの視点をこの教えに見出すことが可能となるでしょう。
上記のように、仏教は「ドグマを廃する教え」という特徴がありますが、別面それは思想の豊穣を生み出し、仏教徒全体に共通する教えの中心軸を見出しにくい展開となりました。しかし仏教を整理統合し体系づけようと努力していた中国の僧侶たちにより、<中心の経典を一つ決め、他の経典を「それに従属したもの」として、段階的に整理した>(教相判釈)ことにより、そうした中心軸を見出してゆきます。
しかし、これが多数できることによって学派や宗旨・宗派ができ、歴史を経てそれぞれの教学が発展することにより、互いに違った観点が強調され、互いの基本的立場がほとんど重ならないほどになってしまいました。
このような各宗旨の思想的ずれは、[経典結集の歴史] にも書きましたが、経律論の編纂が千年以上の長期間にわたって繰り広げられてきたためで、そうである以上、現在の各教団が仏教の中心軸をひとつに決めて教学を展開させてゆくことは必然といえるでしょう。
早島鏡正著『大無量寿経の現代的意義』第四講 聞法住 より
こうした「仏教は念仏である」という視座は非常に重要で、これを外して仏教を学んでも単なる知識にしかなりません。
しかし、忘れてならないのは、自説を強調する余り他宗旨を非難してしまっては、前出の[スッタニパータ]に述べられているようなドグマに陥ります。「みずから確執をもたらす」ような言動は慎むべきでしょう。「真理は一つであって、第二のものは存在しない・・・」(884)という文言も、他の説を非難して自説に統一させる、ということではなく、無益な論争を激化させるような言動をとらないことが真理の道である訳です。
さらに言いますと、親鸞聖人の活躍した時代も含め、他宗旨の僧たちや旧勢力の仏教者たちが民衆の救済に消極的だった、という言い方は必ずしも当てはまらず、厳格な戒律を目指す修行僧の社会的活躍に目をそむけてはなりません。
渡辺照宏著『日本の仏教』日本の仏教を築いた人々 より
上記の忍性については、かつて中村元氏も涙を流しながらその業績を称えてみえた、と聞いています。ところが、当時<医王如来>とまで崇められた忍性に対して「国賊」と罵倒したある有名な僧侶がいました。耳を疑う事実ですが、他宗を批判する場合はよほど気をつけて行なわないと勉強不足の馬脚を現わし、後世に遺恨を残すことになりかねません。
宗教を語る場合、誰しも自宗旨に固執する傾向がありますが、それは内面の集中力としてのみ必要であって、他宗との交流の際は言動に慎みを持たねばならないでしょう。「仏教は念仏である」という表現も、これに執着して他宗を批判することがあってはなりません。
平和というのは多くの場合、<対立の解消>と<虐げられた者の救済>によって成り立っています。さらにその行動が自慢や宣伝のためでなく、自らの差別性の克服として行なわれていけば、それは大きく深い動きとなって平和を根づかす元になるでしょう。
逆にこうした行動を疎かにし、権力や財力のある者が更なる欲望を野放しに求めた場合、騒乱や戦争は身近になってしまいます。無視や無策は悪行と変わりありません。
ただ、親鸞聖人が人々に向い「御同朋、御同行」と呼びかけられ、蓮如上人が「御方々」と礼されて信心を勧める指導をされたことは、単に物質的な環境を整えることが救いなのではないということを注意されているので、このことは忘れてはならないでしょう。
また宗教弾圧に対して、「主上臣下法に背き義に違し、忿りをなし怨を結ぶ。これによりて真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、みだりがはしく死罪に坐す」と厳しく批判もされた態度も印象的ですが、聖人は常にその批判に自己を加えてみえます。如来の誓願の尊さを一切衆生とともに味わい、皆に目標を持って人生を成就していく歩みを促される以上、誰であっても見放さない如来の慈悲を、わが悲しみの中で受け止めてみえる訳です。
このように、浄土真宗の各教団や信徒たちがそれぞれの教学理解を深めることは必須ですが、それは自らの言動が大きく変革され、全人類・一切衆生とともに歩む道、として見出されなくては、全く机上の空論になってしまいます。これは教えを説く側も気をつけないといけないでしょう。
仏教は抽象論で終ることをよしとしません。
法身の如来が人々の苦悩に慈悲と智慧のはたらきを現わし、法蔵菩薩の誓願を成就するという形で阿弥陀如来となられた因果を現わすのも、現に社会や私共にびこる濁悪に具体的に法の報いを施すためであります。
抽象的に平和を論じるだけなら法性法身で済むのですが、具体的な争いを浄じるには方便法身として形を得、長い苦難の歴史を真心で貫き通す真実報身(阿弥陀仏)が登場しなければ、私共の生活に方向性が与えられません。
そして現実に如来の心を我が心として応え歩む人間が居なければ、世界に平和は訪れないのです。
「浄土真宗も仏教も平和を尊ぶ教えです」といくら自慢しても、実際の争いごとに仏教徒や真宗門徒が無関心で暴力的な時流に妥協すれば、結局それは戦争に加担することと何ら変りなく、他人を加害者と決めつけて達観するような態度では、仏教は骨抜きになってしまいます。
このようなことをくどくどしく述べるのは、浄土真宗には、どうしても拭いきれない過去がある、という事実があるからです。
それは、近代日本における教団の戦争協力と、それに伴う教学のねじ曲げの問題です。それについて――
「あの時はしかたなかった」「あなただったらどうする」という言葉は、いやというほど聞かされてきました。私は、そのたびにゆううつになったものです。問題は、そういうことではありません。あの時はしかたなかったのではなくて、あの時、あの方法(時代、世俗への迎合)としかとれなかった、ということが、どうしてなのか、ということについて問われなければならないのです。そして、それ以後、どのような方法をとってきたか、ということも重ねて。
現代と浄土真宗という問題を考えるということは、かならずしも現代社会に、どのように浄土真宗を浸透させるか、ということではないでしょう。ギリギリのところでは、現代という枠組みの中で、真宗念仏者としての私が、いかなる生き方を発揮することができるか、ということでなければならないように思うのです。言葉をかえていえば、真宗者のひとりとして、いかに「自立」してゆくか、ということになるでしょう。世俗のあらゆるものを絶対化せず、人間も、国家も、道徳も、仏の真実(念仏)のまえには、それ自身、絶対化しえないという自明の論理が私の立脚点になる時、現実をとりまくさまざまな問題の問題性、根っこがみえてくるといえましょう。親鸞聖人は「心を弘誓の仏地に樹[た]て」(化身土巻)といわれました。
『御同朋の社会をめざして 第4集』より
というように、反省するということは厳しい検証を必要とし、時流に迎合したその事実を、私たちの<世俗権力や権威からの自立>に向けて歩む学びとすべきでしょう。先に述べましたが、これは<単なる歴史の偶然なのか、構造的な欠陥が生み出した結果なのか>が問われるのです。
更に、今後平和について考えるひとつのキーワードは「一向一揆」の評価にあると思います。戦国時代における様々な一向一揆については歴史的な評価は定まっておらず、教団の中でも意見が分かれるところですが、「虐げられた人々を救うためのやむなき反乱」という美辞は避け、結果として多くの悲劇を生んだ<暴力に暴力で対抗>という図式はやはり取るべきでなかった、と考えるべきでしょう。
「愛山護法」についても、「愛山」と「護法」のどちらが大事なのかを問うべきでしょう。信徒も僧侶も、法の相続者となるべきで、財の相続者に執着してはならないはずです。
同時に江戸時代のように現実の変革を放棄してしまうような教学も結果として差別を容認することにつながり、時代の縁に触れれば近代の戦時教学まで生み出してしまったこともあり、これは考え直さなければなりません。
私たちは、時代に流され体制になびきやすい性質を持っています。この事実から出発すれば、まだ平和を平和的な手段で確保できる状態の時にこそ、その確保に懸命になるべきでしょう。現在の世界は既にそうした状態にはなく、暴力の嵐が吹き荒れていますが、まだこの暴力の連鎖を停める方策は残っているはずです。様々な歴史の失敗に学び、暴力から暴力に流転する生き方はもう変えなければならなりません。