平成アーカイブス  【仏教Q&A】

以前 他サイトでお答えしていた内容をここに再掲載します
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【仏教QandA】

火葬と土葬の違いについて儒教との関係

混交化の歴史と純粋化の歴史

質問:

 仏教のお葬式では火葬が行なわれるの常識ですが、東南アジア(?)の仏教徒のかたで火葬をせず土葬をするところがあると聞きました。 しかも、中国の儒教の影響だと聞きましたが仏教と儒教は関係はあるのでしょうか?

返答

◆ 仏教では火葬が主流

 仏教では火葬が一般的ですが、これは釈尊の葬儀にならったものです。『ブッダ最後の旅』に書きましたが、釈尊はあらかじめアーナンダに「世界を支配する帝王(転輪聖王)の葬法にならって扱うがよい」という指示を与えてみえました。
 このように釈尊が火葬を指示されたのは、インド古来の風習に習う、という一面はあるようです。しかし、教えの基本である「縁起思想」から身体をみると「五蘊仮和合」であるから遺体に執着しない、という面も否定できません。

 火葬の後、遺骨は八つの部族に分けられ、それぞれが仏舎利塔(ストゥーパ)をつくり、他に瓶塔、灰塔をつくって供養を営んだとされています。
 また、のちにアショーカ王が遺骨を掘り出し、八万四千のストゥーパに分け、国中に納めて安置した、という伝説が残っています。

 ところで、在家の人々を救済の目当てとしていた大乗仏教では、この仏舎利が新しい仏教運動で重要な役割を果たすことになります。なぜなら、ストゥーパはもっぱら在家信者が管理していまして、釈尊の遺徳を慕う人々の心の拠り所となっていたためです。ここに一般の民衆がこぞって集まり、出家者もそれに応えて大衆にふさわしい教えが説かれ、新たな教学が展開されたのでした。

 ちなみに浄土真宗では、『浄土真宗における墓の認識』に掲載しましたように、墓とは「子々孫々に至るまで故人を偲ぶよすがとする」のであり、「いよいよ聞法に勤み 本願を仰いで 報謝の日々を送」らせていただく機縁としています。

 ですからご先祖様方は、本当はお墓に眠ってみえるのではなく、お浄土に往生され、諸仏となって私たちを見守り励ましてくださってみえる、と頂くのです。ただ遺骨は現実にご先祖様を最後まで支え続けて頂いたものですから、なるべく大切に墓や本廟に納め、お礼を申させていただくのです。

◆ 儒教は土葬が主流

 釈尊と同じ時代に生きた孔子の教えは、儀礼を重んじた「儒教」となり、中国はもとより朝鮮や日本にも教えが伝わり多大な影響をもたらしました。
 その中で葬儀については、<人は死後魂と魄に分れ、魂は天に昇り魄は地に降る>とされ、また<死後脱け出た霊魂が再び戻って憑りつく場所が必要>と考えられたため、儒教の影響の強い人々からは火葬は嫌われ、土葬が中心となりました。

 実は仏教と儒教そして道教の思想は、中国において互いに影響を与え合って展開していましたので、受け入れた日本でも当然混交して伝わってしまいました。そのため後に「仏教以外の儀礼が影響している」と分っても、単純に切り離すことが困難になってしまいました。ちなみに年忌や位牌も儒教の儀礼が影響していて、特に位牌のしきたりは禅僧が日本に持ち込んで定着させたものでした。

 ただ日本は歴史的に仏教に重きが置かれ、廃仏毀釈の波も一時的なもので済みましたから、比較的仏教の儀礼形式が中心になっています。しかし朝鮮半島では儒学が奨励され、500年にわたって廃仏政策がとり続けられましたので、仏教徒であっても葬式儀礼は儒教の影響が顕著に現れています。

 そのため今も韓国では半円型の土葬による墓が偏在しているのですが、最近は土地の問題から政治的に火葬を勧める傾向にあります。そのため様々な企業が火葬先進国である日本からノウハウを学んで、火葬場や納骨堂施設を建設しようとしているようですが、宗教的な習慣を変えることは難しく、なかなか苦戦しているようです。

◆ 純粋に法を求める

 以上のように、同じ仏教徒といっても儒教の影響の強い地域では土葬が一般的になっていて、日本でもかつては土葬の習慣は広く見られました。また、現在の仏式葬儀の際にも純粋な仏教とはいえない習慣が多く紛れ込んでいるようです。
 これが単に表面的な影響だけなら問題はありません。しかし現実には、成仏された方を尊敬の眼差しで拝むのではなく、下手をすると<亡くなられて可哀相>と見下したり、<祟りをもたらすかも知れない>として怖れ、鎮めの儀式をするような誤解を生んでしまっています。大体「冥福を祈る」などという言い回しも、尊敬とは程遠い表現なのです。(葬式の挨拶について参照)

 実は歴史的に、日本で起こった様々な仏教改革運動というのは、こうした不純なものを削ぎ落とし、より純粋で力強い教えを再構築する運動でした。

かなしきかなや道俗の
良時・吉日えらばしめ
天神・地祇をあがめつつ
卜占祭祀つとめとす

親鸞聖人 著 『正像末和讃』悲歎述懐(101)

 こうした和讃を詠まれた聖人や、不純な荘厳を廃された蓮如上人の決断からは、間違った習俗に妥協せず仏教徒として純粋な法を求める姿勢を伺うことができます。

 ですから葬儀の際は、往生された方々を見下したり、壁を作って排除するような習俗は出来る限り避け、自ずと尊敬の気持ちが顕れる儀礼に戻していただきたいと願っています。


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