還浄された御門徒様の学び跡


聞法ノート 第二集 27

五会法事讃 引文(第十七願のお心)

【浄土真宗の教え】
『五会法事讃』(『顕浄土真実教行証文類』 行文類二 大行釈 引文 35/行文類二 大行釈 両重因縁 72等)

 五会法事讃 (唐 法照)

この上ない真実のさとりは、まことに尊く、一如そのものであって衆生を導き利益するのである。しかしそれぞれ誓願が異なるから、釈尊は煩悩に汚れたこの世にお生まれになり、阿弥陀仏は浄土に出現されたのである。
出現されたところは別々であるがその利益には変るところがない。修めやすくさとりやすいのはまことに浄土の教えである。西方浄土はことにすぐれており、他に比べられるものがない。また百もの宝でできた蓮の花のひらいたなかにあらゆる人々を往生させてくださる。これが仏の名号のはたらきである。

また法照師は経によって偈をつくり讃嘆されている。
称讃浄土経により作った偈

《如来尊号甚分明 十方世界普流行 但有称名皆得往 観音勢至至自来迎弥陀本願特起殊……・称名即得罪消滅》

意訳(如来の尊い名号は極めてすぐれて明かであり、衆生はただその名号を称えて念仏するだけで往生する身に定まり、観音菩薩勢至菩薩は自らその人のもとに來たって、お守りくださる。阿弥陀仏の本願はことにすぐれており……・・御名を称えればただちに罪を除くことができる)

仏本行経により作った偈

《……・何者名之為正法 若個道理是真宗 ・・…正法能超出世間 持戒座禅名正法 念仏成仏是真宗 不取仏言名外道 …・・禅律如何是正法 念仏三昧是正法……・》

どのようなものを正しい法というのか。道理にかなっていればそれは真実の教えである。正法はまよいの世間を超越し離れることができる。持戒・座禅も正しい法というが、念仏し成仏する、これこそが真実の教えである。
仏の教えによらないものはこれを外道という。…・持戒座禅がどうして正しい法といえようか。念仏三昧こそが真実の教えである。…・・》

阿弥陀経により作った偈

《………・・念仏して西方浄土に往生することほど、すぐれたことはない。 浄土に至れば本願のはたらきにより自然にさとりを成就するのである。そしてまよいの世界に還り来たり衆生をさとりの世界に導くための橋となるであろう。……》

観無量寿経により作った偈

《………十悪や五逆の罪をつくるようなどうしようもなく愚かな人は、はかりしれない長い間迷いの世界に沈んでいる。しかし、信心を得てひとたび阿弥陀仏の名号を称えたなら、浄土に往生して、仏と同じさとりの身が得られる。》

 これらの引文のほか、唐代 慈愍和尚 ・ 新羅法相宗の僧憬興の述文讃 ・ 宗暁の楽邦文類 ・ 天台僧 慶文 ・ 律宗の元照そのほかの多くの僧の著作から阿弥陀仏の功徳を讃嘆する文を引き、名号を称えることの正法・正行なることを明かにされている。

 五会法事讃の「念仏成仏是真宗」の言は教行信証行文類(一八七頁)に引かれている。

「まことに知んぬ、徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなん。光明の悲母ましまさずは所生の縁乖きなん。能所の因縁和合すべしといへども、信心の業識にあらずは光明土に到ることなし。真実信の業識、これすなはち内因とす。光明名の父母、これすなはち外縁とす。内外の因縁和合して報土の真身を得証す。………念仏成仏これ真宗…・・」

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[釈勝榮/門徒推進委員]


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