1:巻上 序分 証信序 六事成就 /2:巻上 序分 証信序 八相化儀
曹魏 天竺三蔵 康僧鎧訳
【一】 われ聞きたてまつりき、かくのごとく。ひととき、仏、王舎城耆闍崛山のうちに住したまひき。大比丘の衆、万二千人と倶なりき。一切は大聖にして、神通すでに達せり。その名をば、尊者了本際・尊者正願・尊者正語・尊者大号・尊者仁賢・尊者離垢・尊者名聞・尊者善実・尊者具足・尊者牛王・尊者優楼頻贏迦葉・尊者伽耶迦葉・尊者那提迦葉・尊者摩訶迦葉・尊者舎利弗・尊者大目ケン連・尊者劫賓那・尊者大住・尊者大浄志・尊者摩訶周那・尊者満願子・尊者離障・尊者流潅・尊者堅伏・尊者面王・尊者異乗・尊者仁性・尊者嘉楽・尊者善来・尊者羅云・尊者阿難といひき。みなこれらのごとき上首たるものなり。
また大乗のもろもろの菩薩と倶なりき。普賢菩薩・妙徳菩薩・慈氏菩薩(弥勒)等の、この賢劫のなかの一切の菩薩、また賢護等の十六正士、善思議菩薩・信慧菩薩・空無菩薩・神通華菩薩・光英菩薩・慧上菩薩・智幢菩薩・寂根菩薩・願慧菩薩・香象菩薩・宝英菩薩・中住菩薩・制行菩薩・解脱菩薩なり。
【二】 みな普賢大士の徳に遵へり。もろもろの菩薩の無量の行願を具し、一切功徳の法に安住す。十方に遊歩して権方便を行じ、仏法蔵に入りて彼岸を究竟し、無量の世界において等覚を成ずることを現じたまふ。兜率天に処して正法を弘宣し、かの天宮を捨てて神を母胎に降す。右脇より生じて七歩を行くことを現ず。光明は顕耀にして、あまねく十方を照らし、無量の仏土は、六種に震動す。声を挙げてみづから称ふ、「われまさに世において無上尊となるべし」と。釈・梵は奉侍し、天・人は帰仰す。算計・文芸・射御を示現して、博く道術を綜ひ、群籍を貫練したまふ。後園に遊びて武を講じ芸を試みる。宮中色味のあひだに処することを現じ、老・病・死を見て世の非常を悟る。国と財と位を棄てて山に入りて道を学す。服乗の白馬・宝冠・瓔珞、これを遣はして還さしむ。珍妙の衣を捨てて法服を着し、鬚髪を剃除し、樹下に端坐し、勤苦すること六年、行、所応のごとくまします。五濁の刹に現じて群生に随順す。塵垢ありと示して金流に沐浴す。天は樹の枝を按へて池より攀ぢ出づることを得しむ。霊禽は、翼従して道場に往詣す。吉祥、感徴して功祚を表章す。哀れんで施草を受けて仏樹の下に敷き、跏趺して坐す。大光明を奮つて、魔をしてこれを知らしむ。魔、官属を率ゐて、来りて逼め試みる。制するに智力をもつてして、みな降伏せしむ。微妙の法を得て最正覚を成る。釈・梵、祈勧して転法輪を請ず。〔成道せられし菩薩は〕仏の遊歩をもつてし、仏の吼をもつて吼す。法鼓を扣き、法螺を吹き、法剣を執り、法幢を建て、法雷を震ひ、法電を曜かし、法雨をソソぎ、法施を演ぶ。つねに法音をもつて、もろもろの世間を覚せしむ。光明、あまねく無量の仏土を照らし、一切世界、六種に震動す。総じて魔界を摂し、魔の宮殿を動ず。衆魔、慴怖して帰伏せざるはなし。邪網を掴裂し、諸見を消滅し、もろもろの塵労を散じ、もろもろの欲塹を壊る。法城を厳護して法門を開闡す。垢汚を洗濯して清白を顕明す。仏法を光融し、正化を宣流す。国に入りて分衛して、もろもろの豊膳を獲、功徳を貯へしめ、福田を示す。法を宣べんと欲して欣笑を現ず。もろもろの法薬をもつて三苦を救療し、道意無量の功徳を顕現す。菩薩に記を授け、等正覚を成らしむ。滅度を示現すれども、拯済すること極まりなし。諸漏を消除して、もろもろの徳本を植ゑ、功徳を具足せしむること、微妙にして量りがたし。諸仏の国に遊びてあまねく道教を現ず。その修行するところ、清浄にして穢なし。たとへば幻師のもろもろの異像を現じて、男となし、女となして、変ぜざるところなく、本学明了にして意の所為にあるがごとし。このもろもろの菩薩、またまたかくのごとし。一切の法を学して貫綜縷練す。所住安諦にして化を致さざることなし。無数の仏土にみなことごとくあまねく現ず。いまだかつて慢恣せず。衆生を愍傷す。かくのごときの法、一切具足せり。菩薩の経典、要妙を究暢し、名称あまねく至りて十方を導御す。無量の諸仏、ことごとくともに護念したまふ。仏の所住には、みなすでに住することを得たり。大聖の所立は、しかもみなすでに立す。如来の導化は、おのおのよく宣布して、もろもろの菩薩のために、しかも大師となる。甚深の禅・慧をもつて衆人を開導す。諸法の性を通り、衆生の相に達せり。あきらかに諸国を了りて諸仏を供養したてまつる。その身を化現すること、なほ電光のごとし。よく無畏の網を学して、あきらかに幻化の法を了す。魔網を壊裂し、もろもろの纏縛を解く。声聞・縁覚の地を超越して、空・無相・無願三昧を得たり。よく方便を立して三乗を顕示す。この中下において、しかも滅度を現ずれども、また所作なく、また所有なし。不起・不滅にして平等の法を得たり。無量の総持、百千の三昧を具足し成就す。諸根智慧、広普寂定にして、深く菩薩の法蔵に入り、仏華厳三昧を得て一切の経典を宣暢し演説す。深定門に住して、ことごとく現在の無量の諸仏を覩たてまつること、一念のあひだに周遍せざることなし。もろもろの劇難と、もろもろの閑と不閑とを済ひて、真実の際を分別し顕示す。もろもろの如来の弁才の智を得、もろもろの言音を入りて一切を開化す。世間のもろもろの所有の法に超過して、心つねにあきらかに度世の道に住す。一切の万物において、しかも随意自在なり。もろもろの庶類のために不請の友となる。群生を荷負してこれを重担とす。如来の甚深の法蔵を受持し、仏種性を護りて、つねに絶えざらしむ。大悲を興して衆生を愍れみ、慈弁を演べ、法眼を授く。三趣を杜ぎ、善門を開く。不請の法をもつてもろもろの黎庶に施すこと、純孝の子の父母を愛敬するがごとし。もろもろの衆生において視そなはすこと、自己のごとし。一切の善本みな彼岸に度す。ことごとく諸仏の無量の功徳を獲。智慧聖明なること不可思議なり。かくのごときらの菩薩大士、称計すべからず、一時に来会す。
仏説無量寿経 巻上曹魏の天竺三蔵康僧鎧訳す
【一】わたしが聞かせていただいたところは、次のようである。
あるとき、釈尊は王舎城の耆闍崛山においでになって、一万二千人のすぐれた弟子たちとご一緒であった。
みな神通力をそなえたすぐれた聖者たちで、そのおもなものの名を、了本際・正願・正語・大号・仁賢・離垢・名聞・善実・具足・牛王・優楼頻贏迦葉・伽耶伽葉・那提伽葉・摩訶伽葉・舎利弗・大目ケン連・劫賓那・大住・大浄志・摩訶周那・満願子・離障・流灌・堅伏・面王・異乗・仁性・嘉楽・善来・羅云・阿難といい、教団における中心的な人たちばかりであった。
また、大乗の菩薩たちともご一緒であった。 すなわち、普賢・文殊・弥勒など賢劫の時代のすべての菩薩と、さらに賢護などの十六名の菩薩、および、善思議・信慧・空無・神通華・光英・慧上・智憧・寂根・願慧・香象・宝英・中住・制行・解脱などの菩薩たちとである。【二】これらの菩薩たちは、みな普賢菩薩の尊い徳にしたがい、はかり知れない願と行をそなえて、すべての功徳を身に得ていた。 そしてさまざまな場所におもむいて、巧みな手だてで人々を導き、すべての仏の教えを知り、さとりの世界をきわめ尽し、はかり知れないほどの多くの世界で仏になる姿を示すのである。
まず、兜率天において正しい教えをひろめ、次に、その宮殿から降りてきて母の胎内にやどる。 やがて、右の脇から生れて七歩歩き、その身は光明に輝いて、ひろくすべての世界を照らし、数限りない仏の国土はさまざまに振動する。 そこで、菩薩自身が声高らかに、「わたしこそは、この世においてこの上なく尊いものとなるであろう」 と述べるのである。 梵天や帝釈天は菩薩にうやうやしく仕え、天人や人々はみな敬う。 そして菩薩は、算数・文芸・弓矢・乗馬などを学び、ひろく仙人の術をきわめ、また、数多くの書籍にも精通し、さらに、広場に出ては武芸の腕をみがき、宮中にあっては欲望の中に身をおく生活をするのである。
やがて、老・病・死のありさまを見て世の無常をさとり、国や財宝や王位を捨てて、さとりへの道を学ぶために山に入る。 そこで乗ってきた白馬と身につけていた宝冠や胸飾りを御者に託して王宮に帰らせ、美しい服を脱ぎ捨てて修行者の身なりとなり、髪をそって樹の下に姿勢を正して座り、六年の間、他の修行者と同じように苦行に励む、五濁の世に生れ、人々にならって煩悩に汚れた姿を示し、清らかな流れに身をきよめるのである。 すると天人が樹の枝をさしのべて岸にあがらせる。 美しい鳥は左右に取りまいてさとりの場までつきしたがい、天の童子は菩薩がさとりを開くめでたい前兆を感じて草をささげる。 菩薩はその心を汲んで草を受け取り、菩提樹の下に敷き、その上に姿勢を正して座る。 そして体から大いなる光りを放つ。 それを見て、今まさに菩薩がさとりを開こうとすることを悪魔は知るのである。 悪魔は一族を率いてきて、そのさとりの完成をさまたげようとする。 しかし菩薩は智慧の力でみな打ち負かし、ついにすばらしい真理を得て、この上ないさとりを成しとげるのである。
そのとき梵天や帝釈天が現れて、すべてのもののために説法するように願うので、仏となったこの菩薩はあちらこちらに足を運び、説法を始める。 それはあたかも、太鼓をたたき、法螺貝を吹き、剣を執り、旗を立てて勇ましく進むように、また雷鳴がとどろき、稲妻が走り、雨が降りそそいで草木を潤すように、教えを説き、常に尊い声で世の人々の迷いの夢を覚すのである。
その光明は数限りない仏の国々をくまなく照らし、すべての世界はさまざまに振動する。 この光明は魔界にまで及び、魔王の宮殿をも揺り動かすのである。 そこで悪魔どもはみな恐れをなして、降伏してしたがわないものはない。 このようにして世間の誤った教えをひき裂き、悪い考えを除き去り、さまざまな煩悩を打ち払い、貪りの堀を取り壊すのである。 正しい法の城を固く守って広く人々に法の門を開き、煩悩の汚れを洗いきよめ、ひろく仏の教えを説き述べて、人々を正しいさとりの道へ導き入れるのである。 また、人里に入って食を乞い、さまざまな供養を受け、施しの相手となって人々に功徳を積ませ、教えを説くにあたっては笑みをたたえ、人々の悩みに応じてさまざまな教えの薬を与え、その苦しみを除く。 さらにさとりを求める心を起こさせてはかり知れない功徳を与え、菩薩には仏となることを約束してさとりを得させるのである。
菩薩は最後に世を去る姿を示すのであるが、その後も教えは人々を限りなく救うのである。 さまざまな煩悩を除き、多くの善根を与え、余すことなく功徳をそなえていることは実にすぐれており、はかり知ることができない。
菩薩はまた、多くの国々をめぐってまことの教えをひろめる。 それは清らかで少しも汚れがない。 幻を見せる術にたけたものが、男の姿や女の姿、その他さまざまな姿を思いのままに現すように、この菩薩たちも、すべての法に通じて尊い境地に達しているから、その教化は自由自在で、数限りない仏の国土に現れて、少しもおこたることなく、人々を哀れみいたわるのである。 このようにすべての手だてを菩薩は余すことなくそなえている。
また、仏の説かれた教えのかなみをきわめ尽しており、その名はすべての世界に至りとどいて人々を巧みに導く。 数限りない仏がたは、みなともにこの菩薩をお守りになる。 菩薩は仏のそなえておいでになる功徳をすべてそなえ、仏の清らかな行いをすべて行う。 仏と同じように、その導きはよく行きとどいて、他の菩薩たちのためにすぐれた師となり、奥深い禅定と智慧で人々を導く。 すべてのものの本質をきわめ、すべての人々のありさまを知り尽し、すべての世界のすがたを見とおしており、いたるところに身を現してさまざまな仏がたを供養するが、その速やかなことはちょうど稲妻のようである。
教えを説くにあたり、何ものも恐れない智慧をそなえ、すべてのものは幻のようで、決して執着するべきでないとう道理をさとり、さとりの道をさまたげる悪魔の網をひき裂き、さまざまな煩悩を断ち切っている。 そして声聞や縁覚などの位を超えて、空・無相・無願三昧を得て、また人々を救う手だてを施して、声聞・縁覚・菩薩の三種の教えを説く。 声聞や縁覚を導くためにひとまず世を去る姿を示すのであるが、菩薩自身としては、すでに修めるべき行もなければ求めるべきさとりもなく、起こすべき善もなければ滅ぼすべき悪もなく、みな平等であるという智慧を得て、すべての教えを記憶する力と数限りない三昧と、すべてを知り尽す智慧を欠けることなくそなえている。 そこで説法のよりどころとなる禅定に入って、深く大乗の教えを知り、尊い華厳三昧を得て、すべての経典を説き述べるのである。
また、菩薩自身は深い禅定に入り、今おいでになる数限りない仏がたをまたたく間にすべて見たてまつることができる。 そして苦難に深く沈んでいるものも、仏道修行のできるものもできないものも、それらをみな救って、まことの道理を説き示す。 しかも如来の自由自在な弁舌の智慧を得ており、またあらゆる言葉に通じていて、どのようなものをも教え導くのである。 すでに世間の迷いを超え出て、その心は常にさとりの世界にあって、すべてのことがらについて自由自在である。 さまざまな人々のためにすすんで友となり、これらの人々の苦しみを背負い引き受け、導いていく。 さらに、如来の奥深い教えをすべて身にそなえ、人々の仏種性を常に絶やさないように守り、大いなる慈悲の心を起して人々を哀れみ、その慈愛に満ちた弁舌によって智慧の眼を授け、地獄や餓鬼や畜生への道を閉ざして人間や天人の世界への門を開く。 すすんで人々に尊い教えを説き与えることは、親孝行な子が父母を敬愛するようである。 まるで自分自身を見るように、さまざまな人々を見るのである。
菩薩たちは、このようなすべての善根によって人々をさとりの世界に至らせ、仏がたのはかり知れない功徳をみな人々に与えるのである。 その智慧の清く明らかなことは、とうてい思いはかることができない。
このようなすぐれた菩薩たちが数限りなく集まり、この経を説かれた集いに臨んだわけである。
【大無量寿経点睛】
我聞くかくの如し
経意
一と時、仏は王舎城の霊鷲山の中に住して、大比丘衆一万二千人と倶であった。一切は大聖で神通はすでに達していた。その名は尊者了本際、尊者正願……尊者阿難という。皆このような上首ばかりであった。また大乗の菩薩と倶であった。普賢菩薩、文殊菩薩、……このような菩薩が数えられぬほど一時に来会していた。
【古来の解釈】 これから『大経』の意を尋ねて行くのですが、この経が中国に翻訳されて二千年、誤まった解釈が染みついていてその根が深いので、序文だけでも先入観念の雑草を、鍬ではなく、ブルドーザーで根こそぎ起こして、この経本来の新鮮な命に触れて生きたいと思います。
この経を解釈した人は、インドでは唯だ一人、天親菩薩だけで、それも経の精神を説いているだけです。中国においてはこの経が翻訳されると、各宗の学者達が競って解釈を試みていますが、その中で唐の時代の法相宗の憬興(生まれは新羅、晩年国老となる)の『無量寿経述文讃』が、真宗の教科書になっています。
それには経の初めの我聞如是から一時来会までを「証信序」といっています。「証信序」とは、釈迦の説いたものを弟子の阿難が、後日口述した、その事が間違いでないことを証明する文だという意味です。
この解釈が誤りであることを論破する。第一まことの信心というものは、外から証明する必要のないもので、自分の命となった信を説きさえすれば、聞く人の魂の琴線に触れて直ちに聞く人の命となるものです。第二に、この「我聞く」とは阿難のことといっているが、この文章は又聞きの、二番煎じのものではない。活き活きした新鮮な格調の高い命の迸[ほとばし]りである。またこの経は阿難の口述であるというが、その席にいた自分の名を尊者と敬称で名告る例を私は聞いたことがない。
またこの席に集まった弟子は一万二千人おったと、経に説いているが、釈迦の弟子は皆集めても千二百五十人です。それも「一切は大聖にして、神通すでに達せり」とあるが、そこに列挙している弟子の中には、阿難のようにまだ悟っていない者も、それどころか「六群の比丘」と汚名を着せられた、頭はよくても人間が賢くない者、気が短くて友とけんかをする者、物欲が深く心の穢い者、手癖が悪く人の物を盗む者、色気が強く女に手を出す者、怠けて修行を怠る者など、度々釈迦から叱られた、六人の連中もいます。
またこの経は「霊鷲山」で説かれたとありますが、現地へ行った人は暁烏先生だけではなく皆、霊鷲山は一万二千人はおろか三十人が座れる所が一番広く、あとは五人か十人しか座れる所はないといっています。伝説には霊鷲山は説法した場所ではなく、釈迦が静かに念仏せられた所とあります。指摘すればまだ幾らもありますが、これで従来の解釈が誤りであることが、理解して頂けたと思いますから、これから経文に入ります。
【我聞くかくの如く】は、経文の外に独立している言葉で、「一時、仏」からがこの経の本文です。昔から経は如是から始まるといわれているように、他の経は全て「如是我聞」ですが、この経だけが「我聞如是」です。その違いを今までの学者は皆訳者の好みによるといっているのを、金子先生はこの経は「聞く」ことを主としているので、殊更に我聞を初めにしたという。しかし私はこの経の著者は、この経は誰から聞いたのでもない。私の独自のさとりであると、「我」がこの経の全てであることが言いたかったのだと思います。
それでは何故「我聞く」といったのか。これは誰から聞いたのでもない。「わが魂の底深く名告り続けるみ仏の」声なき久遠の声、言葉以前の言葉、幾万の祖先から受け継いだ血の叫びを聞いたのです。この経の全てはこの「我」の内に開けた光景を説き明かしたものに外なりません。
【一時】は、暦や時計の日時ではない。中国の曇鸞も聖徳太子も、「函蓋相称の一時」という。名工の造った茶入れのように、函[はこ]と蓋[ふた]が寸分の隙もなくぴったり合うように、説こうとする師の一心と、聞こうとする弟子の一心の波長がぴったり合った、説聴一如、感応道交の一時です。もう一つ言えば、常住真実の法が今現に生きている人間の全身全霊に受け取られた「自覚の一念」、「永遠の今」の実証です。
【仏】とは、名は誰とも書いてないが、釈迦であることはすぐ解る。しかし歴史上のシッタルタのことではない。「我」と名告るこの経の著者の信仰眼に応現した、理想の釈迦です。
【王舎城の霊鷲山】は、鷲の峰と親しまれている、王舎城の町外れにある小高い丘です。この山は狭くて大衆を集めて説法できる所ではない。ここは釈迦が独り静かに念仏三昧に入った所です。ここで説かれたということは、この経が相手があって説いたのではない。『華厳経』と同じように、釈迦のさとりを開顕することを現している。故佐伯定胤が法隆寺の管長であった時、「わしの一代で眼に留った弟子が二人いる。一人は藤井、一人は臼杵」といわれた。その臼杵祖山が「経の王舎城ギシャクッ山とは、弥陀願王の王舎城ギシャクッ山である」と言い放っている。親鸞のいう大寂静弥陀三昧の無言の説法です。ここに「山中に住す」といって、『観無量寿経』では「在って」という。在はやがてその場を離れて、王宮へ移動するから、「住」はその場を動かぬ三昧を表すからです。
【大比丘衆万二千人】とは、「比丘」は法を乞い、食を乞うといって、欲を離れてひとえに聞法を命とする人のことです。「大比丘」は大聖のことで、釈迦と同格です。それで「一切は大聖にして神通すでに達せり」という。しかし「その名は尊者了本際、尊者正願」と三十一人の名を挙げていますが、それらは皆釈迦の弟子で、実際はまだ悟っていないものもいます。これは眼に見える事実でないことは明らかです。それにしてもこの一万二千という数はどこから引っ張って来たのでしょうか。
【数字の謎】 私の青春時代には、女子は十五になると、「三五の齢[よわい]」といって、頬が桃色に色づいて髪を桃割れに結い、娘盛りになると「鬼も十八、番茶も出花」といっていた。母の若い頃は「年は二八か二九からず」(何と綺麗な娘さんか、歳は十六だろうか、いやもっと行っているだろう。しかしまだ十八にはなってはいまい)。<中略> 話が脱線しましたが、昔は数を約数で表す習慣があった。仏教でも四十八願を「六八弘願」とか、『観無量寿経』には「無量寿仏の身相と光明(姿と徳)」を数字で表している。たとえば「仏身の高さは六十万億ナユタ恒河沙由洵、仏の眼は四大海水の如し」。これを昔の学者は、背丈に比べて眼が小さ過ぎるといっているが、これは「三界はわが有なり。一切衆生は皆吾が子なり」ということを数字で象徴しているのです。初めの六は六道(迷いの世界)を、十万億は一切衆生を。その全てを抱きとった仏の身ということです。十万億は全人類の頭数で、『大経』や『アミダ経』では諸仏の数ですが、これは衆生の一人一人に宿った仏の数です。『観経』では、比丘は実数の千二百五十人ですが、菩薩は3万2千です。これは菩薩の徳を表しているのでしょう。文殊や普賢はこれから仏になろうとする往相の菩薩ではなく、仏が仏の行をする還相の菩薩であることを示していると思われる。三万二千は四と八の倍数です。四は仏の四徳、八は八正道を象徴しています。こう見て来ると『大経』の一万二千は、三と四の倍数で、三は三毒の煩悩、四は涅槃の四徳を象徴して、煩悩即菩提とか、不断煩悩得涅槃で、ここに集まった大比丘衆は皆、煩悩のあるままで涅槃の悟りを開いた大アラカンであることをいっているのでしょう。一万二千人の中には未来世の私たちもその中に加えてあるようです。
因みに尊者の順序は入門の次第です。
【大乗の菩薩】が雲の如くに集まったといって、その名と徳と、釈迦一代記と菩薩の行を説いている。これらの菩薩は、どこかから来たのではない。この会座の光景は肉眼で見える光景ではなく、全て著者のさとりの世界を説いているのです。『華厳経』の釈迦がさとりを開いた時、「奇なる哉、我開眼すれは、山川草木皆仏となり、一切衆生には悉く仏性が有った」といっている。これをさらに深めさらに分析して、具体的に説いているのです。華厳では「仏性」を法と見ているのを、ここでは擬人化して菩提心で現し、その菩提心の徳を聞法心と求道心に分析し、その聞法心を比丘とし、求道心を菩薩と象徴しているのです。こは一人の菩提心の徳の二面です。聞法心は求道者の態度であり、求道心はその精神です。
【菩薩の名と徳】 ここに挙げている菩薩は、龍樹や天親のような人のことではなく、菩提心の徳を名で現しているのです。その中に出家と在家の二種があるという。出家の菩薩とは、宗教家とか哲学者とか布教師などの専門家のこと、在家の菩薩とは、政治家、教育者、医師、芸術家、職人、農家、その他直接社会生活に関わっている人のことでしょう。
菩薩の徳を説く所に「法蔵得仏華厳三昧」という語が出ていますが、これが経典誌学から見ても、この経が『華厳経』を踏まえて説かれていることが解ります。釈迦の誕生とか仏や浄土の見方に、華厳の延長線上にあることが現われています。
【釈迦の一代記】 聴衆の菩薩の記事に釈迦の一代記が説かれています。昔の学者は翻訳の誤りであろうといっていますが、「人間の一生に人類の歴史を繰り返す」。生命の誕生から水中生活の三十七億年、陸に上がって爬虫類から人間まで三億年、それを胎内十ヶ月から成人するまでに、一人ひとりがそれを繰り返す。精神の進化も同じように、法蔵菩薩が歩いた道を釈迦だけでなく、私たち一人ひとりが通らなければならぬことでしょう。
釈迦一代の事件を、大きく分けて八相と数えており、その捉え方も区々[まちまち]です。私は(一)在天、(二)托胎、(三)誕生、(四)修学、(五)結婚、(六)出家、(七)修行、(八)開眼、(九)形成、(十)入滅と見ています。しかしこれは生から死までの常識の眼ではなく、さとりの眼で見た一生です。(一)在天。前生でトソツ天で修行していた。「仏拝めば祖[おや]拝め」で、今の自分があることの歴史的血の自覚。(二)托胎。父の精子と母の卵子の結合によって自分が生まれた。天地も感動する大事件。(三)誕生。無事に誕生して七歩歩いて「自ら声を挙げて称す、我れ無上尊とならん」。おぎゃあの産ぶ声に、わしの一生に人生の謎を解くぞという逞しい響。(四)修学。人生を知り自分を知って、自分を完成するために、先祖の築いた文化の遺産を学修する人生大学入門。(五)結婚。人間自覚と社会的誕生。人生の醍醐味は結婚の完成。(六)出家。自分は何のために生まれて来たのか。自分を問い人生を問う。問題意識の誕生。(七)修行。自分の主体性の確立と正しい人生観を身に即ける。(八)開眼。歴史を命とし世界を身体とする行為的世界への誕生。(九)形成。自分と自分の国と歴史的世界の形成行。(十)入滅。生まれてよかった。思い残すことは何一つない。完全に涅槃する永遠の死につくこと。
【菩薩の行】 聞法といい求道というが畢竟何のためか。一般仏教では涅槃とか、色も形もない法性真如をさとることといい、浄土教系統では死後お不思議という仏になるといっているが、真実の仏教といわれる『華厳経』や『大経』では全く眼の着け所が違う。そこに生きている人間が自分を完成することである。それを「浄仏国土、成就衆生」という。仏とは梵語で自覚と覚行と訳す。自覚とはわしは人間であったと眼がさめること。眼が開けると自分は未完成であることが解り、人間らしい人間になりたいという願いが発こる。これを覚行というのです。それを菩薩行といい、ここには「諸仏の国に遊んで菩薩の行を修し、諸仏を供養して衆生を開化する」と説いている。これは釈迦のように家庭を捨てて、山に入って樹下石上に座ることではない。日常の人間関係、社会環境の中において、人間として自分を育てることです。「諸仏の国に遊ぶ」とは、どこかの国のことではない。遇う人毎に相手の世界を学ぶことです。諸仏とは相手を人格として尊敬することです。ともすると私たちはあが子をペット視したり、相手を道具扱いしがちです。それを誡めているのです。「菩薩の行」とは、広大無辺な諸善万行のことではありません。「わが子を育てると思うなよ。子を育てることによって親が育つ」。その自分と相手が共に育つこと。その方法を「諸仏を供養し、衆生を開化する」というのです。「供養」とは恭敬供養といって、自分は謙[へりくだ]り、相手を尊敬して、相手から学ぶことです。「供養」は本来は自分が持っていては物の値打ちが小さいから、尊い人に差出して、そのものを公けに使うとか、その物の値打ちを高めて貰うことですが、物でなく相手の親切を快く受け取ることも、また一番大きな供養は相手が一生懸けて造り出したり、発明したものを、承け継いで行くこと。相手の人生経験を聞かせて頂き、自分の生きる指針とすることをいっています。相手を育てることは、俗にいう教育ママでなく、相手の良さを見つけてそれを喜んで讃めることです。<中略> 相手の欠点を直そうとして、それを言えば大きなふくれ面をし、相手の長所を讃めれば必ず笑顔になります。ある人が「相手に言うことを聞いて貰いたければ、先ず自分が先に相手の言うことを聞くことです。相手は素直ですから、自分の言うことを聞いてくれます。これは絶対間違いないことです」といっていました。
経典は、序文・正宗分・流通分の三分科より成ることは既に述べた。序文は更に、証信序・発起序とに分けられる。証信序とはその経典の内容が誤りなきことを証明して未来の衆生に信を起こさしむる序文をいう。かかる序文は一般経典に殆んどすべてに通ずるものであるから、これを通序とも称する。発起序とはそれぞれの経典が起筆される因縁・動機を示す序文である。これはその経典に限って、特殊の事情を述べたものであるから通序に対して別序ともいわれる。
大経の序文は「我聞如是」より「願楽欲聞」に到る部分であって、この中、初めより「一時来会」までは証信序であり、以下は発起序である。
証信序において普通六つのことを説くを常とする。これを六事成就と呼ぶ。六事とは聞・信・時・主・処・衆で、これを今経に配当して見ると次のごとくである。
1、聞成就――「我聞」の二字で大経の会座に連なりし阿難が、仏入滅の後、経典編纂の時自らの聞きし処を誦出するに当たり、自己が仏の説法を聞いたことを告白するを示す。
2、信成就――「如是」の二字で仏より聞いた内容は「かくの如くであった」と述べて、これより述べることは、阿難が仏より聞いたことを毫も相違なきことを述べて、信を生ぜしむるをいう。
3、時成就――「一時」の二字である時という意味である。大経の説かれた時を指す。
4、主成就――「仏」の一字で大経の説法は釈尊によることを示す。
5、処成就――「住王舎城耆闍崛山中」で大経の説法を聞いた場所を表す。
6、衆成就――「与大比丘衆」より「一時来会までを指し、大経は阿難一人が聞いたものではなく、数多の人々と共に聞いたことを述べるものである。
以上、六事成就は相依って経説が誤りなきことを証明し、未来世の衆生をして、信を起こさしむるものである。
わたしは、このように聞きました。あるとき仏は、王舎城の東北にある耆闍崛という山にいました。王舎城はマガダ国の首都です。耆闍崛山はグリドラクータというサンスクリット語を音写したもので、原語は「鷲の峰」という意味です。その辺りに鷲がいたとも、あるいは頂きが鷲の形をしているからだともいわれています。
そこには、修行僧の仲間が一万二千人いました。これらのすぐれた聖者たちは、みな神通力を得ていました。
次に、この経典では、そこに集まったすぐれた仏弟子の名前をあげていきますが、ここではそのいちいちの名前は省きます。
こういう方々は上首(指導者)であった、すぐれた人たちであった、というのです。
それからまた、大乗仏教のもろもろの求道者たちもそこにいました。そこで菩薩の名前がずっと出ています。普賢菩薩、これは慈悲の実践者です。それから妙徳菩薩、これは文殊菩薩、智慧をつかさどる菩薩です。それから慈氏菩薩。この菩薩は、もとのことばでマイトレーヤといって弥勒菩薩のことです。人々が現在住んでいるこの長い時期に世に現れるこれらの千人の仏たちのほかに、また菩薩の名前がたくさんあげられているのですが、これらの人々はみな普賢大士つまり普賢菩薩の徳にしたがって、もろもろの菩薩の無量の行願を身にそなえていて、一切のすぐれた特徴を自分で実践していました。「行」は実際の行いです。それから「願」というのは、修養を完成し、人々を救いたいという願いです。
それらの菩薩は、やがて仏となる人々ですから、結局、釈尊と同じような経歴をたどります。
ですから、十方に歩いて行き、経巡って、衆生を教化し救うための手だてを行います。そして仏の教えの蔵に入って、さとりにいたりつき、体得します。そして数多くの世界において完全なさとりを実現する、そういう経緯を示すというのです。
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