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【十界モニター】

民族の誇りと釈迦族の滅亡

― 「誇り」と「驕り」は表裏一体 ―

自分自身との対話が希薄な人々

 誇りを持つことの意味

 最近書店を回ってみると、日本人であることに誇りを持て℃ョの本が山積みになっている。内容は、戦前の人々の功績を賛美する内容や、戦争は欧米の植民地支配に抵抗する戦いだった%凵Xという論調で、以前の自虐的歴史観を覆す内容になっている。

 一般的には、民族や国家に誇りを持つことは、その民族や国家の繁栄につながる、と考えられている。実際、ここに誇りを持つことができれば気分が良い。自分も偉大な人間になったような気分にもなれる。

 しかし、都合が悪いことを無視して民族や国家を正当化することは、決して自分たちのためになるものではない。どんな小さな欠点であっても、見逃してしまえば[ほころ]びが拡大し傷が大きくなる可能性があるからだ。むしろ自らの問題点を見出して解決することこそ民族や国家が豊かになる道だ≠ニ考えるほうが道理に適っている。
 他を責めるのは容易い。しかし自らと自国の歴史の問題に敏感であらねば、どんな大国であっても亡びの道を歩むことになる。しかも長所と欠点は表裏一体。長所を誇れば欠点がむき出しになってしまう。

 また、たとえ自国や同民族に偉大な先人たちが居たとしても、自分自身が偉大な人間であることとは直接のつながりはない。自分の足元が[おろそ]かなことを、ヒーローを求めて絶賛することで解決しようとしても意味はないのだ。
 ところがこうした意味のないことを人々は競って行い、ヒーローに自分を重ね合わせ、勘違いの快感で満足を得ようとする。特に自分自身の姿を見失っている人ほどこの傾向は強い。しかしこれは全くの錯覚である。そしてこうした錯覚は、得てして大きな悲劇を生む要因となるので気をつけねばならない。

 嘘の価値観に騙されない

 歴史上多くの戦争は、ヒーローの偉大な′績として語られてきた。しかし実際の戦争は弱肉強食の修羅場であり、とても賛美されるべき内容ではない。ところがこうした都合の悪いことはいつしか忘れ去られ、勝利者の偉大さばかりが賛美される。自らの生き方に手応えを見出せない人間程、こうした賛美にだまされて同調しがちだ。

 かつて『地獄の黙示録』を撮ったフランシス・コッポラ監督は、その映画の完全版に以下のメッセージを寄せている。

戦争とは、人々が傷つけられ、拷問にかけられ、不具者にさせられ、そして殺される事だ――それを文明はウソで塗り固め、一つのモラルとして提示する。それが、私には恐い。そして、それが戦争の可能性を“永久”にしている事に震えを感じるのだ。

 彼の映画は当時「難解」と言われたが、今から見れば意図するメッセージは明確である。自分たちの側にヒーローを作り出し、そのモラルを賛美し、嘘の価値観を信じた挙句、自らを破滅に追いやってゆく。映画はこうした愚を余すところ無く表現している。

 以上のようなことから、学ぶべきは二つある。一つは、自分や自分たちに都合の悪い事柄でも見抜くべき勇気を持つこと。二つ目は、他人の功績を自分の功績と勘違いしないことである。

 カピラ城滅亡の経緯

 ここに一つ自分たちにとって都合の悪い事実≠フ経緯を書く。それはカピラ城滅亡の経緯である。なぜ今このことを取り上げるのか、私たちの現状とどう関係があるのか、それは読み進めていけば解っていただけると思う。

 釈尊が悟りを得て後、初めてコーサラ国の舎衛城を教化せられた頃、この国の王 パセーナディ王は釈尊の近親から皇后を迎えれば、弟子等にも信頼せられ、誉れ高い釈迦族と縁を結べる≠ニ考え、カピラ城に使者を送った。しかし釈迦族の人々はコーサラ国は大国だが、系図の正しくないパセーナディ王に姫を嫁がせることはできない≠ニし、一族の長老マハーナーマが侍女に生ませた娘を偽って王に嫁がせた。
 やがて王妃に王子が生まれ毘瑠璃太子と名づけられた。太子が8歳になったとき、祖父のマハーナーマのもとへ射術を学びに行ったが、ある日「下婢の子」と罵られ、事情を知った太子は釈迦族への憎しみを深くしカピラ城の殲滅を誓った。
 パセーナディ王は晩年、仏教に深く帰依し法塔を立てて供養したが、釈尊に正しい信心を申し述べている間、毘瑠璃太子に王位を奪われ、やがて病死する。
 王位を得た毘瑠璃王は、将軍テーガ・カーラヤナとともにカピラ城を攻めようとした。釈尊は三度に渡ってこれを諫めたが、四度目には宿縁の止め難いことを知られ、世の無常を観じて精舎に留まられた。
 カピラ城内に入った毘瑠璃王は、まず釈迦族を捕らえて老若男女の別なく生き埋めにして殺した。この後、祖父のマハーナーマの犠牲により一旦は城民の生命を助けた毘瑠璃王だったが、五百人の釈迦族の女たちが悉く王の手から身を護ったため、王は怒って女たちの手足を縛り深い穴に投げ入れて殺した。
 毘瑠璃王とその軍は七日後、河辺で嵐に遭い全滅。王宮も雷に焼かれた。王を失ったコーサラ国はやがてマガダ国アジャセ王の領土となった。

 このようにカピラ城は滅亡し釈迦族の繁栄は終わった。この余りにも痛ましい経緯から私たちは何が学び取れるだろう。また何か自分自身の問題点を見出すことはできないだろうか。

 絶頂期の業が滅亡の原因に

 学び取る第一は、カピラ城滅亡は釈迦族の絶頂期の業が原因となっていることである。

 従来より釈迦族の王族たちは血統の良さを誇っていた。伝説では、釈尊は『太陽氏族の一人』であり、『イクシュヴァーク王(甘蔗王[かんしょおう])の後裔[まつえい]』であるとされている。さらに後代の経典では『実に修行者ゴータマは、母の系統に関しても父の系統に関しても生まれ正しく、血統が純粋であり、七世の祖父まで遡るも、これより外れず、血統に関しては他から非難されることがない』と家系の良さを強調している。
 その上おそらく当時、釈尊の成道によって釈迦族はさらに誉れ高い血統である≠ニ驕り高ぶっていたのだろう。この驕りによって、パセーナディ王を系図が正しくない王≠ニ差別し、姫を嫁がせることを拒否したのだ。
 実はパセーナディ王も、自らは「イクシュヴァーク王の子孫である」として系譜をあげている。しかし、おそらく皆からの信頼を集めることは困難だったのだろう。そこで誉れ高い釈迦族と縁を結ぼう≠ニ考えたのは、当時としてはごく常識的な施策だったと思われる。しかし結果的にこの試みは釈迦族・コーサラ国双方の滅亡を招くことになる。

 さらに、毘瑠璃太子が「下婢の子」と罵られたのは、釈尊の落慶の御供養を持って御堂に集まっていた人々によってである。結果的に、この時の罵倒が双方の滅亡を招くことになる。そしてこの宿業は、釈尊といえども覆すことはできなかったのだ。
釈尊の成道を祝って集う人々≠ニだけ見れば、寺院落慶の御供養は麗しい集まりだ。しかし人々の意識の底に何があったのか。ここを問うて法による解決を見なければ、私にとっては、かの成道の意味は無いと言えよう。
 釈尊の成道を自分の功績と勘違いし、驕り高ぶる釈迦族の姿は、ヒーローを求め、勘違いの快感で満足を得ようとする者達共通の悪い癖であり、「民族の誇り」が「驕り高ぶり」の面を表出させた悪しき例であろう。自分自身との対話が希薄な人々は、このような宿業の欠点をむき出しにしがちとなる。

 ゆえに、今私がここにおいて為すべきは、彼らと同様の悪癖が、今の自分や教団や国家や世界全体に見出せはしないだろうか≠ニ問うことだろう。そして解決の糸口を探るためには、長所とされるものの裏面を見つめることが必須となってくる。

[Shinsui]

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