平成アーカイブス <研修会の記録>
以前 他サイトに掲載していた内容です
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講師: 山下宏明 先生
――それではひとつ、質疑応答に移りたいと思います。
――先ほど、最後のところで、【将軍・大名と法華頓写】のところで、この法華経を写経する時に、「戒文」が語られた、という話なのですが、何か違和感があります。と申しますのは、私たち浄土真宗では、法華経は全く用いない。浄土宗で考えても、法然上人の仰ったことを受け継いでいる、というスタンスですので、おそらく浄土宗でも法華経は用いられないのではないか、と思います。歴史的にも日蓮さんの法華宗と浄土宗は、あまりいい関係とはいえなかったように聞いています。そういう中で、法華経の写経をする時に、琵琶法師に「戒文」を語らせたというのは、宗教的な深い意味があってされたのではなく、宗教的行事に彩りを添えるくらいの意味なのではないか、と、そのように思います。
――確かに、いま加藤さんが仰った通りで、法華の宗旨の中には法然上人を良く言わないどころか、色々と、今でも悪口を言う人がいる。親鸞聖人については、当時はまだ有名ではなかったこともあって触れられていないのだろうと思いますけれど、法然上人については、かなり辛辣な批判が加えられたということは、聞いています。
私は浄土真宗で育っていますので、どこまでが浄土宗、どこからが浄土真宗ということは線引きが難しいのですが、確かに「覚一本」は、後からできたものですね。確実にこれは教学が入っている、と思います。後からどんどん広がって、「屋代本」に比べると、教学本のような印象を受けます。
もし浄土宗と浄土真宗の違いということがありましたら、この『平家物語』ではあまり関係ないのですが、一応勉強させていただいたところを述べますと、「称名念仏」ということは良いのですが、「九品往生」は浄土真宗では仮の教えとしてあまり用いないですね。九品往生は自力の根が残っている、と。
信心については、もちろん法然上人も「信心」ということを仰ってみえ、お念仏を称えるときに信心が大事、ということは上人も仰ってみえるんですけど、信心が如来回向の心、如来からいただく信心だ、というところに親鸞聖人が教学を純化していかれたところがあると聞かせていただいております。
また、法然上人が捨てられた、というか捨てられたと印象づけられる菩提心、無上菩提心を、親鸞聖人は「如来回向の菩提心」と理解され積極的に肯定されてみえるようです。しかし、おそらく法然上人の生きてみえた時代というのは、こういう戦乱の世の中であって、目の前に明日死ぬ、殺される、死刑が執行される、という方を目の前にして、すぐ相手と同化する。法然上人の大きな慈悲の心といいいますか、そういうものが何か体現されていて、そこに皆心酔されたんだなあ、ということがまず第一にあります。
『選択本願念仏集』は、後ほど沢山の新旧仏教界からかなり批判を受けるわけですけど、それは、文字に対して法然上人はあまり重きに置いていなくて、対面して、相手の今の状況に対して述べる。ここで物凄く力が発揮されていた、ということが、私の中では一番印象に残っています。
しかし「さあ、じゃあテキストとして出してほしい」と言われて書かれた『選択本願念仏集』というのは、文字にしてしまうと誤解が生じる。一般の僧侶が読んだら「何だこりゃ?」と、「菩提心が否定されているじゃないか!」と。様々な方面で批判が出るんですけど、おそらく法然上人は一人ひとりに語りかけているんじゃないでしょうか。
というのも、法然上人に実際に会った人で批判する人はいないんです。法然上人を批判する人というのは、対面していない人です。『選択本願念仏集』の言葉だけ見て批判する。これを読むと、確かに批判を受ける内容だと分かりますけれども、出会いの中で語られているんでしょう。
今から死刑になるような人が聞いて、ものすごく喜ばれるということは、最初出会われた時、上人はすごく泣かれる。重衡さんを目の前にして涙を流されるわけですね。ここがおそらく法然上人のキャラクターといいますか、一番の特徴はではないか。本当は琵琶法師はここを語りたかったんじゃないでしょうか。そんな気が私はします。テキストになってしまうと教学が出てきますけれど、もしかしたら『平家物語』のこの場面では、法然上人が相手の立場になって涙を流されたことに尽きるんじゃないかな、というのが私の印象です。
いやあ、すごいですね。文字化した部分じゃなくて、そこで法然上人が泣かれたというところに法然らしさがある、というところはすごいですね。
実はこれは、文学批評の世界でも問題になっていて、私の立場とは、文字テキストにしたがって解釈するんです。それに対して兵藤
私の言った種を明かせば、『高僧伝』とか『往生伝』をずっと見たわけです。その中で、結局ここに来て『選択本願念仏集』を見て、あれ、と思ったわけです。ここで明らかに「選択」するという、まさに行動ですよね。
日本史の中で思想史を扱っている人々は、家永さんとは別に気がついていた。丁度その頃に私は、『平家物語』の「覚一本」と「屋代本」との比較、そこへもってきて私の場合は、『高僧伝』や『往生伝』から見ていって、その結果として出した。ただし、いま小笠原さんの仰ったことで、九品往生云々ということについては、「これは法然じゃない」と言われた。これは確かにそういうことでしょうか?
――法然上人の場合はちょっと分りませんが、親鸞聖人にはありません。浄土真宗においては、九品往生というのは自力の往生で仮の往生です。浄土宗はどうなっていましたか・・・(↓資料参照)
それから、加藤さんが、法華経の頓写、頓写というのは素早く写経することだろうと思いますが。実際どのくらいの人が頓写をしていますか?
――浄土真宗では、頓写はやりません。
天台なんかではやるのでしょうか。
――やっていると思います。
徳川将軍とか大名とかの法要に、頓写を宗教儀礼としてやったことは事実です。特に徳川の場合は、江戸城に盲人が出入りしています。江戸時代初期の頃、徳川将軍としてやっている宗派は天台宗です。それと浄土宗ですね。浄土真宗ではないと思います。その頃、琵琶法師たちが徳川将軍と接点があったことは事実です。その時に徳川将軍が琵琶法師たちに何を、つまり徳川将軍が平家琵琶を聞くのは一体何が目的であったのか。
これは大変な問題でして、実は徳川将軍は源氏将軍を称しています。源家康ですね。これは事実としてはそうじゃないと思います、三河の松平家ですから。それが家康が出てくる室町末期頃に徳川は「源」を称しています。
これは私の推察ですけれど――足利は「源」です、北条は源ではありません。北条は絶対に将軍にならない。つまり私の仮説ですけれど、「将軍は源氏」という意識が非常に強いのではないか。それなのに、源氏を名乗っている徳川が平家琵琶を聞くのは一体なぜだったのでしょうか。何なんだろう。非常に難しいところです。つまり敵ですからね。
皆さんどう思われますか。いわゆる鎮魂なのか。この問題でかなり議論をしました。
『平家物語』には浄土宗的な傾向がやはりあると思うと思うのですが、いかがでしょうか。「戒文」の印象は?
――率直な感想ですが、「覚一本」の方が後になってできたんだろう、と。時代的にはどうか分かりませんが。
一時期「覚一本の方が新しい」ということが定説になっていました。しかし最近は「前か後ろかということは問題にならない」ということで、「違いは一体何なのか」ということが国文学の研究の動機になっています。
しかし今仰ったように、僕自身は、まさか「覚一本」から「屋代本」に進むということは無いと思っています。以前「教学的すぎる」と言われた時に考えたのですが、浄土宗の中で西山派という、つまり法然の後、天台宗的な修行をとりこんだ現象があった、ということを耳学問で聞いたんです。ですからそういう点でも、浄土宗の実態を考えた場合に、すべて『選択本願念仏集』的に解釈できるかどうか、ということになると、これは問題になってくる、と思ったんです。教学のことは一切分かりませんが、『平家物語』の中にある琵琶法師の語るところにしたがって考えたいのです。あるいは、加藤さんのご指摘があったような不自然なところがあるのかも知れませんけれど。
――学問的なことではないのですが、浄土真宗が中世以降なぜ広がったのか、ということを考えることがあります。
昔は娯楽的なものはあまり無かった。そういう中で浄土真宗は、田舎に行くと特にそうなんですが、法事の時、お経は坊さんだけが読むものでではなく、皆でやるわけです。そういう行為自体がきっと楽しいものじゃなかったのか、と。
教えを聞くということも、娯楽といっては何ですが、一つの普段の生活とは違うイベントだったのではないか、という思いがありまして、そういう中で琵琶法師が、最初から琵琶法師を目指した人はいなくて、何らかの理由で目が見えなくなって、その上で琵琶法師という道を選んでいく場合が多いと思うのですが、琵琶法師というのはエンタテナー、娯楽を皆に提供するんだろう、と。
そういう娯楽を提供していく中で、法を楽しむというような部分でそういう教えを織り込んでいくと、変な話ですが「受けがいい」と。そういうふうに変化していったのではないでしょうか。
仰る通りだと思います。節談説教というものがあったり、硬い話では、一般の人には布教にならないですね。
『平家物語』というのは、ずっと長い時代語りついでいるんです。だからその間に宗教的な背景がどんどん変わってきている。それでも全体にながれるものは変わらない。
また、「祇園精舎の鐘の声」の「祇園精舎はどこだ?」という問題があります。本当はインドの精舎ですが、実際の京都の人たちには「祇園精舎の鐘の声」と聞いて、果たしてインドを思い浮かべたでしょうか。やはり祇園じゃないですか。事実それは資料なんかで確かめられます。驚いたことに、八坂神社が祇園精舎を祇園寺だと言っていらっしゃる。とにかく、『平家物語』は、書斎に閉じこもってじっと読むものじゃないですね。人々の声の中で読み、考えましょう。
薦田治子さんという、若手の音楽学者がいますが、彼女が名古屋で祇園精舎の解説をやったんです。彼女いわく、祇園精舎の鐘は、玻璃(ガラス)の鐘だから、チンチンと鳴りますね。平家の場合、このチンチンという音で理解できるでししょうか? やはり「ゴーン」ですよね。と薦田さんは仰った。『平家物語』を聞いている人のイメージはゴーンですよね。
物語の情景は物語を聞いている人の判断に委ねられている。琵琶法師は聞き手を想像して語っていた。その意味で、全くお寺の説教と同じあり方ではないでしょうか。物語が語る物語の仏教とですね。これがわたくしの申したいことです。
――法然上人は比叡山や奈良の僧から弾圧を受けて、時の勢力からも弾圧を受けているんですけれど、この重衡が法然上人に会った時期というのは、どういった時期に当たるものでしょうか。
非常に難しい問題ですね。例えば行長は法然と会わないんです。むしろ源信流の考え方だったろうと思います。『平家物語』の古い形態は分からないのです。ですから極端なことを言えば、今日ご覧いただきました『平家物語』は明らかに琵琶法師の語る平家物語であって、本来の物語とはずれているかも知れません。実際の法然が会ったとしても、こういった話をしたかどうか分からないのです。琵琶法師が自分の思いを重ねていったんじゃないでしょうか。
ですから、「平家物語の」仏教、ですね。琵琶法師と聞いている人との対話があるじゃないですか。「覚一本」と「屋代本」は、聞き手が一番違う、ということじゃないでしょうか。
――ちょっと感想といいますか、『平家物語』とは別の話みたいですが、今日11月9日は衆議院議員選挙の日です。これから日本という国がどうなるか決める日です。
『平家物語』の時代とは状況は違うんですけど、私は生まれてずっと平和が当たり前の国で過ごしてきました。こういう「いくさ物語」は物語だけの、架空のといいますか、過去の物語として読んできました。が、おそらく戦争に関わっていた時代は、この『平家物語』の中にある価値観は、マイケル・ワトソンでしたか、責任の取り方云々という話がありましたけど、まさに戦争に関わるときは、物語を読んで、それに自分を照らし合わせて行動した、ということも考えられます。
今『平家物語』がブーム、ということになりますと、やはり実際、今の日本の現状にも影響を与える可能性があるんだろうな、と思うんです。それで、ずっと平和な中で育った私と、ちょっと昔の方たちは実際に戦争を体験されてみえますので、感想が違うかも知れない。感覚的に戦争ということに関して、上から爆弾が落ちてきたという経験の無い私たちが読んだ時と、実際に戦争を経験された方々の読み方とちょと違うかな、ということがあります。
そこで、この『平家物語』は、現実に影響を与えていい物語なのかどうなのか。これは単純に善悪では言えないのでしょうけど、この『平家物語』がこれからの日本に影響を与えるとしたら大丈夫なのかどうか。「この部分はちょっと問題だよ」とか、むしろ「ここは教訓になるよ」とか、そういう問題点があればちょっと聞かせていただきたいと思います。
これは仰る通りです。現代の問題をそのまま『平家物語』に持ち込めるかどうかは分かりませんが、『平家物語』の時代の実感は当然あるわけです。
歴史というのは、色々な事件をどう読むか、これが歴史。「ヒストリー」という言葉は「物語」ということでもあるんですね。歴史というのは、事件を通して一つの物語を作り上げる、ということですが、そういうことは一つ知っておかねばならないと思います。これが現代にどう影響するかを考えるべき、というのは仰る通りだと思います。おそらく仏教の世界でもそういうことをお感じになられているんじゃないかと思うんですけれど、非常に手厳しいご意見でした。
こういう勉強の場は、また設けていただけたらと思います。今日は非常に刺激になりました。
以上
一には問端 にいふがごとく、『[ 双巻 』(大経)の三[ 輩 と『[ 観経 』の九[ 品 とは[ 開合 の異ならば、これをもつて知るべし、九品のなかにみな念仏あるべし。[
<中略>
二には『観経』の意 、初め広く[ 定散 の行を説きて、あまねく[ 衆機 に[ 逗 ず。 後には定散二善を廃して、念仏一行に帰す。 いはゆる「[ 汝好持是語 」等の文これなり。[ 『選択本願念仏集』 三輩章 輩品開合【4】
仏、阿難に告げたまはく、「なんぢ、よくこの語を
持 て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の[ 名 を持てとなり」と。[ 『仏説観無量寿経』 流通分【32】