平成アーカイブス  <研修会の記録>

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【平成アーカイブ/研修会の記録】
平成14年度勉強会  

年間テーマ:『家庭・家族』

『家庭・家族』1−2

― 具体的な家族の悩み ―

7月11日勉強会2 [講師:西光義敞先生]

 核家族の方が互いに楽

(@_@): 話し合いの司会・進行も私がすることになっていましたが、決った形ですると、話し合いが頭の中だけで考えるような知的なものになってしまうんです。それより「うまく言葉で言えないけれどもこういう感じがする」とか、フィーリングのところで、言葉にならなかっても自由に話し合えるような雰囲気ができたほうが、モノも言いやすいし、沢山の人が話せるんではないかと思います。学生のゼミなんかを見てますと、昔の学生に比べると、極端に発言力が弱ってきてます。
 「どう考えているんや?」言うたら、昔の学生はすぐ発言しましたけれど、今の学生は、雰囲気が固い。表現力が乏しくなってきている。なんでそうなるかと言うたら、どうも<こういうのは苦手だな、できたら私は黙って座っていたい>と。で、「どうぞご自由に発言してください」と言われても、頭の中でまとめようとするんです。頭でどう言おうかなと考えても出ない。心が動いていても、うまくまとまらないから発言できない。そのうちに時間が経ってゆく。皆が考え込んでいるから雰囲気が固くなってしまう。だから、誰か司会をして、指示して発言させてゆくようにしたらいい、となってしまうのです。これを指示待ち症候群と言います。日本の社会全体が指示待ち症候群です。人から指示されないと動かない。ですから、ここでは言いたい人が、何か浮んだら、ぱっと自発的な発言をしてほしいですね。初めはぎこちなくても、だんだん積極的に意見が出るようになると思います。

(~o~): では私から言います。最初に「家族・家庭」とテーマを決めた時には、歴史的な背景をふまえてというよりも、ここには結婚してる人と独身の人がいまして、それぞれの中で、実際に問題があるのは家庭だな、と。特に結婚すると人間関係が狭められますので、よけいに家族を何とかせんと、自分の時間がぐちゃぐちゃになる、といいますか、<何で家族のために一日中けんかしとらなかんのだ>という状況が、まず私はあったんです。独身者は独身者で、それぞれの立場はあるでしょうけど、テーマを賛成したのは、そういう思いがありました。
 私は結婚して娘が二人いるんですが、とにかく一日中けんかしているんですよ。子どもを叱っているうちに、今度は母親がいらいらして、たまに夜中に家を出ていって、酒を飲んで帰ってくるという、こととかあるんです。で、私が心配して待っている、という状況があります。

(@_@): まさに核家族化の典型ですね。

(~o~): そうなんでしょうね。私は結婚当初は夫婦で住んでいて、その後、親と同居するようになったんです。そうすると、まさに昔ながらの家族の形態になるんですね。複合家族ですか。で、途中から絶対に上手くいかないのが分かりましたので、またアパートに住んでます。いっしょに住むというのは難しいですね。結婚して最初にアパートに住んだせいもありますが、<このままだと妻はパニックになるな>と思って、実際そうなる前に出たんですが、今は典型的核家族の4人になりました。もう複合家族は無理だな、と。これも女性が適応できればやれるでしょうが、できない人は多いだろうな、と思いました。やはり自己主張がありますから。
 で、出たら静かになるかというと、一緒に住んでいるときよりは楽になりましたが、今度は子どもたちとずっと顔を合わせていますから、いつもけんかのなだめ役ですよ。で、妻はそのうちパニックになっちゃう、という状態は変わらないです。
 それに、アドバイスする立場にある私が、下手にアドバイスして子どもの肩なんか持つと、妻は余計孤独感を深めてしまいます。そんなこんなで、家族のことを考えてみたいな、と思ってテーマに賛成しました。
 先生のお話を聞いて、先ほどは国の問題でしたが、確かにそれが暗に影響を与えているな、と思います。一人一人の生活とか、ものの考え方に影響を与えてますから、ひきずってるな、と思いますね。それぞれが自分の分をわきまえて生活していない私たちがいるな、ということを、お話を聞いて見えてきました。

(@_@): 伝統的な家庭も体験したけど、もう今は無理だということですね。昔のように分が与えられて、<分を守っていれば、しんどいかもしれないけど耐えていったら、やがて逆の立場になって権限を持つ時期がやってくる>ということが暗黙のうちに決っていたんですが、今はそれぞれが個性・自由尊重時代ですから、自己主張するから、昔の価値観とぶち当たる。年寄りと若い者が一緒に住むのは無理だろう、ということを体験なさったんですね。

(~o~): それが、若い方だけじゃなくて、こちらが「出てく」と言った時は親は反対はしましたが、いざ出ていくと「楽になった」というのですから、親も大変だったかな、と。ただ、角を突き合わせたのではなくて、お互いが気を使って気を使って、ストレスがたまって、それで爆発寸前だったから出ました。

(@_@): ま、それぞれが気楽になったわけですね。

(~o~): まあ、私はそろそろ青年会の年齢は過ぎたかな。独身者や、新婚さんの話も聞きたいですね。

 「少子」と「高齢化」という問題は別

(゚-゚): 私はいちおう新婚でして、大学の教員をしていまして、子どもは・・・4月に結婚したばかりですので。

(@_@): ほやほやね。

(゚-゚): やっとこさ所帯をもったところで・・・まあ、「所帯を持つ」という言い方も古いか知れませんが、私も社会科学畑の研究をしていますので、小難しく考えてしまうわけですが、先生のお話を私なりに理解したのは、一つには複合家族と核家族の間のジレンマ。先生はもうプロフェッショナルでいらっしゃるので「理想像のアメリカ的モデルである核家族そのものも維持できなくなっている」と先走っておっしゃったんですが、私の現実感覚ではそうではなくて、意外と複合家族と核家族の間の揺れ動きというのが大きいんじゃないでしょうか。
 過疎地は過疎が進み、都市部には人口集中が進むということを指摘されたわけですが、それがどこから来るのかというと、膨張している都市というのは、過疎地域から流れ込んできた訳ですから、そういった新しく膨張してきた核家族というのは、厳密にはいまだに複合家族をひきずったままで核家族をつくろうとしている、という部分がかなり大きいのではないでしょうか。
 出生率にしても、例えば東京では1.0かも知れませんが、全く新しく開けた土地では2に近かったり、出生率の地域的格差があるように思います。その一方で、これから新しく核家族を築いていこうとする人たちの間では、複合家族の感覚をひきずったまま核家族になっちゃった、という現実があります。そこで、これまでアメリカ的モデルとして核家族を築いてきた人から見ると、まだ、いまだに複合家族を背負い込んだまま核家族を作ろうとしている人たちというのは、かなり奇異な存在として映っているように思います。地域社会とかいう問題も含めて、軋轢[あつれき]も生じている訳ですが、それが一点挙げられると思います。
 もう一つは、先生は「少子高齢化社会」というキーワードが挙げられたのですが、「少子」という問題と「高齢化」という問題は、実はある程度切り離して考えた方がいいのではないか、という気がします。というのも、子どもが少ないというのは、育児に手間がかかるということもあるでしょうが、教育費にお金がかかりすぎる、という問題が一番大きいのではないかと思います。
 これももう少し掘り下げていくと、富の源泉というものが、土地から知識へとシフトしてきた、と。そのために、知識が富の源泉になっていくためには、基本的に教育にお金をかけざるを得ない。そうすると子どもをいっぱい産むよりは少なく産んだ方が負担が楽になる、ということで少子となっている。そこで問題なのは、少ない子どもで高齢者を支えていくという場合、少子で生産性を上げた方が得なんじゃないか、という議論に経営学的には考えられるわけです。
 ですから、少子という問題と高齢化という問題はある程度切り離して、じゃあ少子と高齢化をどう両立させていくか、というふうに考えていったほうがいい、という気はします。私の専門領域から勝手に言ってるだけなんですが。

(@_@): 専門といいますと?

(゚-゚): 私は経営学でして、龍谷大学の経営学研究科を出ました。ですから龍谷でも深草からは遠いところに居りました。

(~o~): ちょっと難しいところがあったけど、少子にした方が効率がいいわけですか?

(゚-゚): 少子にした方が社会の構造が田畑を耕すことで糧を得るんじゃなくて、もっと頭を使うことで糧を得るように移行しているんだから、子どもは少なくなって当然で、少ない子どもの生産性を上げた方がお得なんじゃないか、と経営学では考えるんです。

(~o~): でも、知識を持った子が沢山いた方がいいんじゃない?

(゚-゚): 社会の枠組みが田畑耕すことから、頭を使うことに移ってきているんで、必然的に教育費がかかる。そうすると必然的に子どもは少ない方がいい。じゃあ、それで高齢者を支えるんだったら、少ない子どもの生産性を上げていく。

(~o~): そこまで考えて少子化になっているんでしょうか。結果としてそうなるかも知れないけど。何故少子化なのか、というのは、それぞれ事情があるから・・・それが何だろうと思って。

(*_*): 今は少子化の問題で、プロセスも大事かも知れませんが、私的に言いますと、なってしまった現段階の少子高齢化社会で、核家族のスタイルが成立している。そういう中で、私たちがどのようにしていくべきなのか。皆さんの体験もありましたが、その問題をどのように受け止めていくのか、ていうのが大事なんではないか、と。

(゚-゚): 複合家族と核家族のジレンマ、という形で攻めていった方が分かりやすいかも知れない。

(@_@): これ、そのいい足りなかったのかな。核家族のモデルでは当然、戦後の民主主義日本社会につながることを期待していたのに、出生率が下がってしまった。それは、なぜ減るのか、ということについては、教育費がかかりすぎる、という問題もある。それも大きな問題でしょうね。何も子育てに苦労しなくて経済的にも大丈夫なら、自分の子どもを産み育てて当然だと、そういう人間として自然なニーズを閉ざさせないようにするのも、一つの議論として成り立ちますね。

(゚-゚): 政策について議論するなら、「教育費かかり過ぎるんだったら、オーストラリアみたいにすればいいじゃん」という話にもなって、オーストラリアというところは、教育費はただなんですね。どういう仕組みになっているかというと、子どもが大学などを出てから教育費を自分で払う、国に返すという仕組みになっているんです。だから政策という面ならオーストラリアのモデルもあるし、クエートのモデルもあるし、色々なモデルを見ながら政策批判をしていけばいい、という気はします。

(@_@): そうですね。他の国ではどうやっているんだろう、と外国を見てみたら、また外国も西洋社会と一口で言えないように、イギリスはイギリス、ドイツはドイツ、北欧は北欧、アメリカも州によって違う。これで、というのは無いから、参考にしながら作っていかなしゃあない。

 一人で悩んだ挙句

(・_・): 僕の家族は・・・僕は独身ですが、家庭環境は、父と母と、3人兄弟のうち私が長男です。今は一人離れて暮らししています。父親は住職で、一人で寺務をしています。

(@_@): 寺はそうした特殊な事情がありますね。父親が元気に寺のことをして下さってるから、子どもは離れて仕事をする、ということですね。

(・_・): そうです。

(@_@): 寺の規模によっては、子どもに「手伝ってくれ」といってさせる檀家数の多い寺もあるけど、小さな寺だから二人おってもしゃあない、というんで若いのを自由に出させてくれる、と。ただ、そういう先で結婚して、妻は「あなたと結婚したのであって、寺のことは知らない」という人もいます。

(^。^): 私は今、親父と二人暮らしです。実はおふくろは病気で亡くなったんですが、父の兄弟と折り合いがうまくいかなくて、ノイローゼぎみになって、それで病院で亡くなったんです。東京の方から嫁いだんで、知り合いがいなくて、一人っきりになって、相談できず、一人で悩んで病気になって亡くなりました。
 法事とかになると親父の兄弟は近くに固まっているんで、わーっと寄ってくるんですが、おふくろ自体もおとなしい方で、何もものを言わない方だから、色んなことを陰で言われて、それで悩んでました。お婆さんとも仲が悪くて、普通は嫁の方が出て行くんですけど、お婆さんの方が自分から出ていってしまいました。
 結婚当初は東京に居て、私が産まれた頃からお婆さんが来てて、その頃から仲が悪かったようです。仲が悪いと「人間こんなもんだ」と思ってしまって、悪い印象が中々抜けない。その上親父の兄弟たちと付き合うのも嫌で、法事なんかがあると、ヒステリー起こして八つ当たりしてたので、私はいいイメージはなかったんです。でも亡くなって振り返ってみると、「こういうことがあったから、おふくろも可哀相だな」とうふうに、最近は思えるようになりました。

(@_@): どのくらい前に亡くなられたの?

(^。^): 8年くらい前になります。

(@_@): 実家の育ちと、結婚してからの環境が違いすぎたのですね。

(^。^): 全く違いました。おふくろはお嬢さん育ちで、両親とも早くから亡くなってますので、親戚のところで働いていたんですが、うまくいかなかったようです。

(@_@): 個人個人の生活史というものがあるんですね。それをひきずっているんですね。安定した近代社会では、似たり寄ったりで、共有できるけれど、皆が個性的で、自己主張が強い者どうし一軒の中に住まんならんと、親子にしても、親類にしても大変ですね。家はどちらにあるんですか?

(^。^): 三重県の桑名です。

(@_@): 東京と三重で、遠いからうまくいかなかった、という訳でもないし、これも一面的にいえないですね。

 「母性愛」にすら疑問が呈せられる時代

(+_+): 結婚した女性が子どもを産みたがらない、という話がありましたが、出生率が下がってきた、と。これはどこに原因があるか、というと、経済的な問題もあるんですけど、簡単に言ってしまえば、面倒くさい、という面もあるんですよ。子どもを育てることよりも女性は自分の人生を充実させたい、という気持ちがどんどん強くなってきて、子どもに関わるより、仕事や自分の人生にエネルギーを注ぎたいということで、出生率が下がっている。どんどん子どもが減っている、という一面がると思います。

(@_@): 奥さんは?

(+_+): 私はまだ独身です。世間一般の問題ですが。

(@_@): そうすると、あなたにとっては伴侶を選ぶ時の問題になってきますね。

(+_+): そうです。例えば女性と話をする時に、結婚について聞いてみると、結婚したがらない人が多いんです。結婚話が出ると男から逃げるみたいなんです。自分はもっとやりたいことが沢山あるから、結婚したくない、と言うんです。

(@_@): その問題は大きいですね。昔は24才から25才になったら、「あんたそろそろ・・・」と言われて、本人もその気になっていました。でも、大学出て勤めると、給料も一緒くらいだしね。やりがいがあったら、「なぜ私はこの仕事止めないかんの」と、男性と対等になっているのに、結婚したら壊されてしまう。まして子どもを産んで育てるなんて嫌だ、と。そうなると、子どもは産みたがらないですね。
 それからマタニティーブルーというのもあります。子どもを産まんならん、子どもが宿った、というそのことだけで悩む。普通は母性愛というものがあって、女性はおなかに赤ちゃんが入ったら母性愛が出るものですが、その母性愛というものにすら疑問が呈せられてる時代なんですね。「そんな本能なんて無い」って。「それは歴史的に作り上げられたものだ」と。だから今おっしゃるように、若い女性は結婚したがらない。独身でけっこう楽しんでいる。これが出生率を下げる大きな要因になってる、ということですね。
 そういう意味では男性にとっては、女性と結婚して子どもを産んでもらう、ということを暗黙に期待しているのに、それにすら乗ってこない若い女性がだんだん増えている、というのは、とてもやりにくい、ということになりますね。

 宗教家として悩みをサポートしたい

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(*_*): 私が友だちから受けた問題ですが、女性の方なんですが、子どもの頃に虐待を受けておられたんですね。20代後半になって、「結婚はしたい」と、でも「自分が子どもを産んだ時に、子どもにどのように愛情表現をしたらよいか分からない」と。自分は子どもの頃に虐待を受けてきたから、親からは愛情表現としてはそういう行為しか受けていない、だから、自分が虐待するかも知れないので恐い」というんですね。ただ、私としては、結婚に悲観的になってほしくない、ということがありますので、幼児虐待やDV、ドメスティックバイオレンスが問題になっていますけど、暴力的な問題というのは核家族という中で、もちろん複合家族でもあるのかも知れませんが、数字的に見ますと、虐待を受けておられた方はフラッシュバック現象というのでしょうか、小さい頃にされたことをそのまま大人になって繰り返される、という問題があると、そういうことをサポートしてあげるのが、一緒になられた夫や妻、お爺ちゃんお婆ちゃん、ご近所さんやったりとか、そういうつながりが解決に結びつくんではないか、と。そういう話をさせていただきました。
 その女性はストーカー問題もからんでまして、実はストーカーしてる男もそういう家庭環境で育って、愛情の表現の仕方が苦手なんです。
 それで、複合家族も核家族も、それぞれ良し悪しであろうと、そういうことも考えてみたいですね。

(@_@): 昔は考えられなかったような、子どもの身で虐待を受けたという、その心の傷を引きずりながら歳をとっていくんですね。だから結婚適齢期になっても、その傷が癒えてないもんですから、もし結婚した場合に自分も同じようなことを子どもにやってしまうんじゃないか、と。そうすると恐くて結婚する気にならない。こういう意味で結婚をしぶっているんですね。でも、この人は結婚前ですから、まだ方法はありそうですね。結婚してしまって子どもを虐待して、冷静に見ると鬼としか思えないようなことをやって子どもを殺す、苛める。こんなことが常にテレビでも新聞でも週刊誌としても出てきてます。

(*_*): その中で、少しでも楽になることを考えたときに、やはり私は実家が寺ですし、僧侶の身ですから、僧侶として宗教的に考える自分と、一人間として考えている自分と、二つあるわけなんですが、話させていただいた問題というのは、そこだけではなくって、月忌参り先で聞くことも無きにしもあらずですから、実は虐待死の事件はお檀家さんの近所だったんですが、教化活動の中でも出て来ると思います。

(@_@): 予防的に皆が支えてあげるということを、例えば複合家族的な、お爺ちゃんお婆ちゃんたち家族がサポートする、あるいは地域にそういう問題があった場合、やはり宗教家としてそういう心配や憂いを予防したり、癒しの場を与える、とか、そういうようなことも、これからの課題ですから、具体的にこれからの勉強会で話してみたいですね。

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平成14年度 名古屋西別院仏青勉強会 年間テーマ:『家庭・家族』


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