『往生論註』巻上
この二句は荘厳量功徳成就と名づく。仏本この荘厳量功徳を起したまへる所以は、三界を見そなはすに陜小にして堕 敗城の阜なり ケイ 山の絶坎なり 陪 土を重ぬるなり。一にはいはく備なり ショ 渚のごときもの、ショ丘なり なり。あるいは宮観迫サクし、あるいは土田逼隘 陋なり す。あるいは志求するに路促まり、あるいは山河隔 塞なり ち障ふ。あるいは国界分部せり。かくのごとき等の種々の挙急の事あり。このゆゑに菩薩、この荘厳量功徳の願を興したまへり。「願はくはわが国土虚空のごとく広大にして無際ならん」と。「虚空のごとく」とは、いふこころは、来生のもの衆しといへども、なほなきがごとくならんとなり。「広大にして無際ならん」とは、上の「如虚空」の義を成ず。なんがゆゑぞ「如虚空」といふ。広大にして無際なるをもつてのゆゑなり。「成就」とは、いふこころは、十方衆生の往生するもの、もしはすでに生じ、もしはいまに生じ、もしはまさに生ぜん。無量無辺なりといへども畢竟じてつねに虚空のごとく、広大にして無際にして、つひに満つ時なからん。このゆゑに「究竟如虚空 広大無辺際」といへり。
問ひていはく、維摩のごときは、方丈に苞容して余りあり。なんぞかならず国界無貲なるをすなはち広大と称する。答へていはく、いふところの広大は、かならずしも畦 五十畝なり ュ 三十畝なり をもつて喩へとなすにあらず。ただ空のごとしといふ。またなんぞ方丈を累はさんや。また方丈の苞容するところは陜にありて広なり。覈 実なり に果報を論ずるに、あに広にありて広なるにしかんや。
- 聖典意訳
究竟して虚空の如く 広大にして辺際なし
この二句を、荘厳無量功徳成就と名づける。仏が因位の時に量功徳を荘厳しようという願を起こされたわけは、迷いの世界をみれば、まことに狭小で、城址などのこわれた所、けわしい谷、土の盛り上がった所、水際などがあり、あるいは建物が狭く立てこんで、土地がせまく、あるいは行こうとしても道がつまり、あるいは山河にへだてさえぎられ、あるいは国の堺が分かれている。このようないろいろな困難なことがある。
こういうわけで、法蔵菩薩は、この荘厳功徳の願をおこされて、わが国土は虚空のごとく、広大であってきわがないようにしたいと願われた。「虚空の如く」という意味は、生まれて来るものが多くても、あたかも、いないがごとくであるというのである。「広大にして辺際なし」とは、上の「虚空の如し」という意味を成立せしめるのである。
どうして「虚空の如し」というのか、広大であってきわがないからである。「成就」というのは、十方の衆生の往生するものは、あるいは過去に生まれたもの、あるいは今生まれたもの、これから後に生まれるものがはかることができないほどであっても、ついに、いつも虚空のごとく広大できわがなく、いつもまでも満ちる時がない。こういうわけで「究竟して虚空の如く 広大にして辺際なし」といわれたのである。問うていう。維摩居士の方丈の部屋のごときは、狭い室でありながら、沢山の高座をおさめてもなお余りがある。そうすれば浄土の国土が限りないということをもって、必ずしも広大ということができようか。
答えていう。今いうところの広大ということは、必ずしも畦(五十畝)、エン(三十畝)というような広さをもって譬喩えとしたのではない。ただ虚空のごとしといっただけである。またどうして維摩の方丈と同類であろうか。また維摩の方丈が多くのものをおさめるというのは、狭い所で広いということをいうのである。厳密に果報をいうならば、どうして本来の広い浄土で広大の働きがあるのと同じであろうか、同じではない。
究竟如虚空 広大無辺際
この二句は荘厳量功徳成就と名づく。仏本この荘厳量功徳を起したまへる所以は、三界を見そなはすに陜小にして堕 敗城の阜なり ケイ 山の絶坎なり 陪 土を重ぬるなり。一にはいはく備なり ショ 渚のごときもの、ショ丘なり なり。あるいは宮観迫サクし、あるいは土田逼隘 陋なり す。あるいは志求するに路促まり、あるいは山河隔 塞なり ち障ふ。あるいは国界分部せり。かくのごとき等の種々の挙急の事あり。
▼意訳(意訳聖典より)
究竟して虚空の如く 広大にして辺際なし
この二句を、荘厳無量功徳成就と名づける。仏が因位の時に量功徳を荘厳しようという願を起こされたわけは、迷いの世界をみれば、まことに狭小で、城址などのこわれた所、けわしい谷、土の盛り上がった所、水際などがあり、あるいは建物が狭く立てこんで、土地がせまく、あるいは行こうとしても道がつまり、あるいは山河にへだてさえぎられ、あるいは国の堺が分かれている。このようないろいろな困難なことがある。
前回の「荘厳清浄功徳成就」に続き、「荘厳量功徳成就」を学びます。
もう一度全体から見てみますと――
五念門の中の第四の「観察門」、
観察門は「器世間荘厳成就」と「衆生世間荘厳成就」がありますが前者の浄土の観察、
「器世間荘厳成就」の観察は「清浄」「量」「性」「形相」「種々事」「妙色」「触」「三種(水、地、虚空)」「雨」「光明」「妙声」「主」「眷属」「需用」「無諸難」「大義門」「一切諸求満足」の荘厳功徳成就を観察しますが、ここでは第二の「荘厳量功徳成就」を学ぶわけです。
ところでこの「荘厳量功徳成就」も、やはり「荘厳清浄功徳成就」の下地があって成立する功徳です。以前も述べましたが、「清浄」の功徳は荘厳のすべてにわたってはたらく「総相」の徳≠ナあり、浄土のみならず、如来および聖衆(菩薩や真実信心者)の徳も「荘厳・清浄」に尽きるわけです。
ただし清浄功徳が総相ならば後の功徳は付足しである≠ニ考えるのは乱暴です。なぜなら「清浄功徳」だけでは具体性が無いからです。もし看板や効能書きが立派なら内容も立派に違いない≠ニ考える人がいたら、その人はすぐにでも詐欺に引っ掛かってしまうでしょう。「清浄功徳」が、具体的にどのような環境や人物を生み出していくのか見届けるまでは、浄土の功徳を信受するわけにはいかないはずです。真実信心はいい加減なところで納得していては信受できません。いい加減に納得した信心は不純な不定聚・邪定聚に留まってしまいます。
<仏本この荘厳量功徳を起したまへる所以は>とは、阿弥陀仏が因位の時(正覚を得る以前の法蔵菩薩の時、つまり阿弥陀如来の初心)に浄土の量功徳を荘厳しようという願を起こされた、その理由を尋ねているのです。浄土は、現実を割り開いて迷いの世界と合わせ鏡のようになって報いた荘厳清浄世界ですから、迷いの世界をよく観察すれば自ずと浄土を観察できるのです。
すると――
<三界を見そなはすに陜小にして>(迷いの世界をみれば、まことに狭小で)
<堕 敗城の阜なり ケイ 山の絶坎なり>(城址などのこわれた所、けわしい谷)
<陪 土を重ぬるなり。一にはいはく備なり ショ 渚のごときもの、ショ丘なり なり>(土の盛り上がった所、、水際などがあり)
<あるいは宮観迫サクし>(あるいは建物が狭く立てこんで)
<あるいは土田逼隘 陋なり す>(土地がせまく)
<あるいは志求するに路促まり>(あるいは行こうとしても道がつまり)
<あるいは山河隔 塞なり ち障ふ>(あるいは山河にへだてさえぎられ)
<あるいは国界分部せり>(あるいは国の堺が分かれている)
<かくのごとき等の種々の挙急の事あり>(このようないろいろな困難なことがある)
というように、環境の悪さの中でも活動範囲の狭小な面を指摘します。
おそらくこれを読まれた方の多くは――
<城址などのこわれた所>なんてロマンチックだし、<けわしい谷、土の盛り上がった所、水際など>があるからこそ良い景色なのだし、<建物が狭く立てこんで、土地がせまく、あるいは行こうとしても道がつまり>なんて絵になるではないか。まして<あるいは山河にへだてさえぎられ>という状態のどこが悪いのか。山河は自然が造りだしたものなのにその悪口を言うのか、 等と疑問を持たれることでしょう。
しかし最後の<あるいは国の堺が分かれている>というところを読めば、確かに国境で人々は隔てられ悲劇も起こる≠ニ多少は納得できることでしょうし、経典や天親菩薩や曇鸞大師が全体として何を言わんとしてみえるのかも解るはずです。
つまり、自然環境や社会環境や国境の問題によって、人的・物的な交流が偏狭なものに閉じ、心の隔たりが生み出されている現実を問題とするのです。閉じた環境では一般的に閉じた世界観しか生みません。閉じた世界観ではお山の大将≠ナ満足し、我執法執の壁を打ち破る努力が廃れてしまいます。これが三界の迷いの相でしょう。
現在の日本では国際交流も進み、こうした問題はあまり意識されていませんが、過去においては大問題だったでしょう。また現在でも国や地域によっては、孤立した環境に取り残された人々は大勢います。狭小な国家や組織や環境に閉じ込められ、狭小な価値観を押し付けられていれば、その地域に住んでいる人々は狭小な世界観しか持てません。もちろん今の日本においても、心の壁を開く経験の浅い人は、大勢の人々の中にいながら孤立した存在になってしまっているかも知れません。情報量が増えることが「荘厳量功徳成就」では無いのです。理性は依りどころとはなりません。莫大な情報の海に溺れてしまえば、生きる依りどころを見出せず、かえって自己実現の意欲を失ってしまいます。真心をもって人に接し、新たな物事や環境を受け入れていく姿勢そのものが回向された生きる依りどころ≠ニなるのです。
このように、山河や狭い路地や国境があること自体に善悪を言うのではなく、そういう環境によって問題が生じるような三界(参照:{観察門 器世間「荘厳清浄功徳成就」#三界の道に勝過せり})の迷いの有様を映し出す世界があること、そしてそれが浄土の量功徳を観察することにつながっていくことを言うのです。浄土は、全ての人々が希望に応じて人々と交流し、皆共に睦みあう環境を生み出そうとはたらき続けます。なぜなら浄土は、現実の悲惨さの中から生み出された人間本来の願いが永劫の時をかけて報いて成就した世界であり、この浄土が迷いの世界の一々を映すのです。
このゆゑに菩薩、この荘厳量功徳の願を興したまへり。「願はくはわが国土虚空のごとく広大にして無際ならん」と。「虚空のごとく」とは、いふこころは、来生のもの衆しといへども、なほなきがごとくならんとなり。「広大にして無際ならん」とは、上の「如虚空」の義を成ず。なんがゆゑぞ「如虚空」といふ。広大にして無際なるをもつてのゆゑなり。「成就」とは、いふこころは、十方衆生の往生するもの、もしはすでに生じ、もしはいまに生じ、もしはまさに生ぜん。無量無辺なりといへども畢竟じてつねに虚空のごとく、広大にして無際にして、つひに満つ時なからん。このゆゑに「究竟如虚空 広大無辺際」といへり。
▼意訳(意訳聖典より)
こういうわけで、法蔵菩薩は、この荘厳功徳の願をおこされて、わが国土は虚空のごとく、広大であってきわがないようにしたいと願われた。「虚空の如く」という意味は、生まれて来るものが多くても、あたかも、いないがごとくであるというのである。「広大にして辺際なし」とは、上の「虚空の如し」という意味を成立せしめるのである。
どうして「虚空の如し」というのか、広大であってきわがないからである。「成就」というのは、十方の衆生の往生するものは、あるいは過去に生まれたもの、あるいは今生まれたもの、これから後に生まれるものがはかることができないほどであっても、ついに、いつも虚空のごとく広大できわがなく、いつもまでも満ちる時がない。こういうわけで「究竟して虚空の如く 広大にして辺際なし」といわれたのである。
前述のように、迷いの世界が狭小ゆえに悲惨である有様を浄土は映し出した訳ですが、清浄たらしめんとする浄土の基本のはたらき「荘厳清浄功徳成就」が浄土を荘厳してゆきます。これが器世間(浄土)の「荘厳量功徳成就」です。
具体的には解義分を読めば一目瞭然です。
『往生論註』61(巻下 解義分 観察体相章 器世間)
▼意訳(意訳聖典より)
荘厳量功徳成就とは、偈に「究竟して虚空の如く 広大にして辺際なし」と言える故なり。
これがどうして不思議であるかというと、かの浄土の人が、もし意に宮殿・楼閣を、もしは一由旬、もしは百由旬・千由旬でも、その数が千軒・万軒であっても造ろうと思えば、心の望むところに随って成就する。人おのおのがこの通りにできる。また十方世界の衆生で往生を願う者は、過去・現在・未来にわたって生まれ、そのしばらくの間に往生する人の数も到底かぞえることができない。しかも彼の世界はいつも虚空のようで、せまった相がない。また、かの国の衆生はこのような無量の徳を成就している浄土にいて、その志願も広大であることは、また虚空のように限りあることがない。かの国土の無量が、よくそこに往生する衆生の心のはたらきの無量を成就する。どうして思いはかることができようか。
特に<かの国土の量、よく衆生の心行の量を成ず>(かの国土の無量が、よくそこに往生する衆生の心のはたらきの無量を成就する)とは至言で、浄土の開かれた環境の徳が、浄土往生を願う衆生の心を大きく開くことを言うのです。
つまり、私の生活している現実は、自分自身が三界に固執し、覚りを開いていない状態なので狭小な環境≠ノ閉じているのですが、その悲惨さを自覚せしめるはたらきに出遇い清浄のはたらきを成就した浄土≠ノ生まれようと願う瞬間に、偏狭に閉じた世界はそのまま一切に開かれた世界となる、しかも身を動かさずに浄土往生が即かなう(即得往生)のです。これは具体的に言えば、狭小な環境を打ち破ってゆこうとする力が浄土から振り向けられる(回向)ことを言います。狭小な環境のままで良い≠ニいう個人的な心の変化で満足するものではありません。また私は既に無量の環境に生きている≠ニ胸を張ってふんぞり返ってもいられないのです。どこまでいっても今の自らの狭小な環境≠ニいう問題点を見据えていなければなりません。狭小な環境≠見据えさせていただいたことこそ無量の浄土の徳として拝むのです。
これが次に出てくる<維摩居士の方丈の部屋>との比較です。
問ひていはく、維摩のごときは、方丈に苞容して余りあり。なんぞかならず国界無貲なるをすなはち広大と称する。答へていはく、いふところの広大は、かならずしも畦 五十畝なり ュ 三十畝なり をもつて喩へとなすにあらず。ただ空のごとしといふ。またなんぞ方丈を累はさんや。また方丈の苞容するところは陜にありて広なり。覈 実なり に果報を論ずるに、あに広にありて広なるにしかんや。
▼意訳(意訳聖典)
問うていう。維摩居士の方丈の部屋のごときは、狭い室でありながら、沢山の高座をおさめてもなお余りがある。そうすれば浄土の国土が限りないということをもって、必ずしも広大ということができようか。
答えていう。今いうところの広大ということは、必ずしも畦(五十畝)、エン(三十畝)というような広さをもって譬喩えとしたのではない。ただ虚空のごとしといっただけである。またどうして維摩の方丈と同類であろうか。また維摩の方丈が多くのものをおさめるというのは、狭い所で広いということをいうのである。厳密に果報をいうならば、どうして本来の広い浄土で広大の働きがあるのと同じであろうか、同じではない。
ここまでくるともう説明は不要かと思われますが、曇鸞大師は浄土の「広大無辺際」という徳のことを、維摩居士の方丈の部屋との比較においてさらに明らかにしていきます。
<維摩のごときは、方丈に苞容して余りあり>(維摩居士の方丈の部屋のごときは、狭い室でありながら、沢山の高座をおさめてもなお余りがある)とは、維摩居士という在家仏教者(在家の菩薩)の居室は一丈四方(一丈は約3mだから四畳半ほどの広さ)でありながら、沢山の高座(椅子)を収めてもなお余裕があった、ということを譬えています。
せっかくですから、維摩居士の話をしましょう――
維摩居士は、在家仏教者でありながら、大勢の出家僧たちを迎えて法論を交わし、ことごとく彼らの未熟さを喝破していった聖者です。また彼は、世俗の利益は受けるが利益に執着せず、天下国家を語り、世法を整えて衆生を救い、淫欲の場に入っては淫欲の過失を説き、酒の場においては酒の過失を説く。長者の中にあっては長者として敬われ、王族の中にあっても敬われ、庶民の中においても敬われ、そして相手に縁ある法を自在に説くのです。維摩居士は、モデルとなる人物は居たかも知れませんが、大乗仏教の優位性を説く象徴的存在として理解した方が良いでしょう。
『維摩経』では、維摩居士が病気になったことを知った世尊が舎利弗に見舞いに行かせようとしますが、以前の因縁で「とても見舞うことができません」と辞退します。かつて舎利弗は、自身の出家主義的で消極的な修行を維摩に完膚無きまでに批判されたからです。目連や阿難陀といった名だたる弟子たち、弥勒菩薩、持世菩薩らも同様で、部派仏教的な彼らの修行を大乗仏教の立場に立った維摩が徹底的に批判したのです。
最後に文殊が指名されます。彼も少し腰が引けていましたが、大勢の菩薩や仏弟子や天人や人間たちに伴われて維摩居士の元に赴きます。
維摩居士の教えを皆で聞いている間、皆の坐る座席が無いので、縁ある須弥燈王仏は即座に高さと広さが8万4千由旬(1由旬は10数km)もある獅子座を3万2千個も送ってきました。すると一丈四方の部屋はそれに応じて広くなり、全ての獅子座を入れても部屋は余裕があった、しかも市や国など周囲には全く何の変化も起こさなかった、といいます。
このことについて維摩は、「須弥山のように高く広いものを芥子の中に入れても、それによって何ら増減はおこらない」と説き、また時間に関しても、一劫を七日間にし、七日間を一劫にしながら増減をおこさないと、皆に菩薩の不可思議の解脱≠説きます。
これは、芥子粒のような小さな世界と、須弥山のような大きな世界は、常識で考えれば規模に隔絶があっても法においては同じであること。また時間についても、法においては七日と一劫が同じ内容となり得ることをいいます。つまり、宇宙全体の問題も、眼の前の一つの出来事において全て現れるのであり、永劫の問題も、この一時の出来事において全て現れる、という菩薩の覚りの本質を述べているのです。
このことをふまえて曇鸞大師は、<維摩のごときは、方丈に苞容して余りあり>(維摩居士の方丈の部屋のごときは、狭い室でありながら、沢山の高座をおさめてもなお余りがある)と例を出し、<なんぞかならず国界無貲なるをすなはち広大と称する>(そうすれば浄土の国土が限りないということをもって、必ずしも広大ということができようか)と、浄土の開かれた環境の徳について疑問を投げかけます。『維摩経』は有名な経典ですから、「荘厳量功徳成就」と聞けば誰しも方丈の室を思い起こすわけです。
自ら投げかけた疑問に対して曇鸞大師は浄土は虚空のごとし≠ニ述べ、限定された広さを言うのではないこと、また狭い所で広い≠ニいう方丈と本来的に広いからこそ広い≠ニいう浄土の違いを述べて解答とします。
具体的に言えば、狭い部屋に居ても広大な心を持って広い世界を覚る≠ニいうことと、実際に広い世界に出て広い世界を覚る≠ニいう違いでしょう。
「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」といいます。狭い部屋にいても覚ることができる人はごく僅かで、余程の修行と堅固な道心が必要でしょう。維摩居士にしても、多くの人々との交流がある訳です。
また、浄土は一切衆生を覚りに導く願いを宿していますから、個人的な才能や頑張りに責任を置かず、実際に人に遇い、集い、交流を深めていけば、自ずと自分自身の狭小な殻を破き、心を開いていくことができる≠ニ勧めるのです。これが<かの国土の量、よく衆生の心行の量を成ず>(かの国土の無量が、よくそこに往生する衆生の心のはたらきの無量を成就する)ということで、確かにこれなら全ての人々の心を開くことができるでしょう。方丈の狭い部屋にいては、多くの衆生は心を開くことはできません。自然環境や社会環境の広大さが、一切衆生の心を実際に広大にしてゆくのです。
実は、これを裏付けるような話が日本にあります。それは鴨長明の書いた『方丈記』です。
「方丈」は庫裏(僧侶の生活空間)を指し、僧侶を「方丈さん」と呼ぶ慣わしのある宗旨もあるのですが、『方丈記』は先の『維摩経』をふまえて付けられた名であることが知られています。
鴨長明 著『方丈記』12 より
【現代語訳】(安良岡康作 訳/講談社学術文庫 より)
静かな夜明けのときに、上に述べて来た道理を考え続けながら、自分から、わが心にたずねて言うことには、「出家・遁世して、山林の中に入りこむのは、心をととのえて、仏道を修行しようとするためである。それなのに、お前は、風采は、聖のようであって、その心は、煩悩に深く汚されている。お前の住む家は、そのまま浄名居士の住んでいた方丈の室の跡を不当にまねしているけれども、保持しているところは、少しも、あの愚鈍で悟りを開いた周梨槃特 の修行にさえ達していないのだ。もしかすると、この状態は、前世のさまざまな原因による、貧賤という結果がこの自分をして煩悩を起こさせるのか。もしかしてまた、迷った心が高じて、わが修行を狂わせているのか」と。そうたずねたとき、わが心は、全然、答えようとしない。そこで、やっとのこと、修行のかたわら、もの言う働きを臨時に借り用いて、身の入らない、南無阿弥陀仏ととなえる念仏を二三度申しただけで、終わりにしてしまった。
「浄名居士」は維摩居士のことで、鴨長明は維摩居士の真似をして何とかその徳にあずかろうとしていたのでしょうが、<心は濁りに染めり>(心は、煩悩に深く汚されている)し、<周梨槃特が行ひにだに及ばず>(周梨槃特の修行にさえ達していない)、しかも<不請の阿弥陀仏、両三遍申して、止みぬ>(身の入らない、南無阿弥陀仏ととなえる念仏を二三度申しただけで、終わりにしてしまった)ということですから、彼の心象風景は実に寂しい限りです。
もし彼がこの『往生論註』の「かの国土の量、よく衆生の心行の量を成ず」を読み解いていれば、このような絶望的な文末にはならなかったでしょう。浄土の無量の徳に目覚めて念仏すれば、広い世界に出て広大な覚りを開くことができたはずだからです。狭い環境が彼の心行の量を狭めてしまっていたのです。このことの気づきもありません。
以前私は「諸行無常」の問題についても鴨長明の文を批判しましたが(参照:{Q.48 「諸行無常」は人生の空しさを表しているのですか? 「#無常こそ常住」})、こうした寂しい無常観≠ヘ、日本仏教界全体にはびこる重大な欠点として指弾しなくてはならないでしょう。
人間は生活している風土的・社会的環境から多大な影響を受けます。ですから、ひとり一人の人生を成就するためには、個人個人の努力を促すだけでなく、環境ごと浄めてゆくことが必要なのです。戦争しか知らない子どもや、学問の機会を奪われた子、狭小な情報に洗脳された子、奴隷的肉体労働で身を削っていく子どもや、親から愛情を注がれなかった子の将来を考えれば、環境を浄め、広い世界を体験させてあげることがどれだけ大事か解るでしょう。清浄で広大な環境を創造することが具体的な浄土の荘厳なのです。
そしてこの「荘厳量功徳成就」の具体的な経緯を言えば――
今の私の心のはたらきの狭小を知ることから始まり、
次に私の心のはたらきの狭小は、環境の狭小によることを知り、迷いの世界(三界)を厭い離れようと願い、
環境の狭小を知らしめた浄土の「究竟して虚空の如く 広大にして辺際なし」という環境の徳(土徳)を知り、
その環境の徳のはたらきにより私が浄土往生を願い、
願うことによって即、浄土の無量無辺を成就した功徳が回向され、自らの心の狭小を打ち破り、世界中の衆生と集おうと心を開き、あらゆる交流を生かして心のはたらきの無量を成就してゆこうとするのです。
さらには、今の自分は既に心のはたらきの無量を成就している≠ニ生悟りするのではなく、どこまでいってもまだまだ、わが心は狭小である≠ニ懺悔し、幾度も楽しく浄土の「荘厳量功徳成就」を味わい続けてゆくことが如来の真意なのです。
観察門 器世間「荘厳量功徳成就」(漢文)
『往生論註』巻上
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