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前回の『エピソード1』から、さらに進化したCGによって自在に表現される高速立体バトル。共和国対分離派の複雑な抗争劇とラブロマンスが入り乱れ、旧三部作への道筋が次第に明らかになっていく――ということで、「これはシリーズ中最高傑作」と言いたいところだが、どこか物足りなさが残るのは何故だろう。
スター・ウォーズ シリーズは、監督も言っているように「現代の神話」を目指して製作されている。おそらく当初の計画はほぼ達成されたといって良いだろう。旧三部作は既に伝説と化している。そしてその伝説につながる共和国時代の壮大な物語は、それを想像し得る映像テクニックを駆使して表現されてゆく。
エピソード2では、前作から10年を経た世界が描かれる。今回の悪役筆頭は(パルパティーンを除けば)ドゥーク伯爵だが、彼はジェダイ騎士から離脱した「失われた20人」の1人で、そのフォースは師ヨーダに肉迫している。
彼は、腐敗堕落した共和国からの独立を訴え、減税や貿易障壁の撤廃等をうたい文句に、市場優先の資本主義を呼びかける。これに呼応した通商連合や企業同盟・銀行グループ等は分離派を形成し、やがて何千もの星系が共和国から離脱を表明する。そして密かにバトル・ドロイド兵を大量に生産し、きたるべき戦争に備えていた。
共和国では、この事態に対処するため、強力な共和国軍の創設を求める動きが出ていたが、パドメ・アミダラ元老院議員(エピソード1ではナブーの女王)はこの案件に反対で、危険を押してコルサント(共和国首都)に赴く。しかし度重なる暗殺の危険からナブーに身を潜めることになり、その警護にアナキン・スカイウォーカーが伴う。
アナキンとパドメは前作でもその兆候があったように互いに惹かれるものがあり、次第に愛の感情が盛り上がっていく。しかしその結びつきは、お互いの将来を棒に振ることにつながるもので、共和国に対しても重大な過失となるため、必至に感情にブレーキをかけるパドメの姿があった。
やがて二人はアナキンの故郷タトゥーインを訪れると、母親のシミが1ヶ月前にタスケン・レイダーに襲われ連れ去られたことを知る。救出に向ったアナキンだが、やっと会えた母にはかすかに愛を告げる力しか残されていなかった。母の死を看取ったアナキンは、怒りからタスケン・レイダーの村を襲う。そして自らは「人々が死ぬことさえ止めてみせる」と、万能の人間になることを誓う。
一方、オビ=ワン・ケノービ(アナキンの師)はジェダイ評議会から暗殺計画の首謀者を探る指示を受け、情報が抹殺されていたカミーノ星へ向う。そこでは「共和国の依頼」ということで120万人のクローン兵を製造中だった。もちろん正式な依頼など行なっていない。そこでクローンの遺伝子提供者ジャンゴ・フェットに会うと、<アミダラ暗殺未遂事件に関わった者>との疑いが濃厚になった。
やがて危険を察知したジャンゴは、息子(同一の遺伝子を持つクローン)のボバと逃走を図る。オビ=ワンは彼らの後を追ってジオノースに到着するが、そこはまさに分離主義勢力の拠点だった。
詳細を共和国に報告する途中、オビ=ワンは捕えられてしまう。事態を知ったアナキンとアミダラは師の救出に向うが、彼らも捕えられてしまう。元老院ではあのジャー・ジャー・ビンクスが、パドメの意向を無視してパルパティーン最高議長に軍隊創設の緊急権限を与えてしまった。
公開処刑が行なわれるスタジアムには、パドメの死を待ち焦がれる通商連合総督ヌート・ガンレイの姿があった。やがて3頭の巨大なモンスターが引き出され、3人に襲いかかろうとするが・・・
エピソード2によってよりはっきりしたのはシリーズ全体のテーマで、師弟や親子間の信頼と反目、善悪のオセロ的転換と微妙な揺らぎが繰り返し奏でられている。
ところで、旧シリーズにおいては、帝国のモデルは明らかにナチス等の全体主義であったが、今回のいわゆる闇黒面はどこにモデルを置いているのだろうか。分離派も共和国も、それぞれの言い分において必然性があり、現代社会とも複雑に重なる。つまり、様々に存在する思想や政治モデルがからみあっていながら、闇黒面の設定がまだ闇のままなのである。
例えば、共和国は一応「民主主義」を建前としていたが、分離派の脅威に対抗するため一時的に議長に大権を与え、共和国軍の創設を許す。パルパティーン議長が後の皇帝になることは分かっているので、これは結果として闇黒面の勝利であろう。
1000年間もの長きにわたって共和国に軍隊が無かったことの方が不思議(日本も?)だが、それほどまでにジェダイへの信頼が大きかったということになる。この時点の共和国のモデルはどこであろう。民主主義への信頼という点を見るとモデルはアメリカや近代西欧諸国ということになる。また、議長に大権を与えたことは、いわば大統領の元で一丸となって戦った近年の出来事を思い出す。
一方分離派は、資本主義の徹底と貿易障壁の撤廃等を目指していて、よく言えばグローバリズム、悪く言えば完全な弱肉強食を主張する。ここにドゥーク伯爵がからんで戦争を仕掛けてくるのだが、現実においても、市場原理を称え、グローバリズムを押し進めながら、敵対する制度を持つ国に対し、裏にまわり表に出て叩いてきたのもまたアメリカである。
そうすると、共和国と分離派の戦いは、いわばアメリカ的なシステムの内部抗争ということになる。内部といっても、政党や地域別に対立するものではなく、その奥にもっと根源的な闇が口を開けている、という構図である。
対立を口実にのさばっている闇。映画ではダーク・シディアスが闇の象徴だが、彼は最後に「万事予定通り進んでいる」と言うのだ。つまりエピソード1も2も、ともに闇黒面のシナリオだということで、やはりTの最後のあっけない結末は自滅のシナリオということか。すると現代社会もその闇黒の支配下にあることを示唆しているのだろうか。それとも、権力者はどんな事態になっても「予定通り」「問題なし]と言う癖があるということか。
小さいことだが、色々気づいた点があるから、ここに列挙してみる。