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何も遮るものの無い地平を自由と呼ぶのなら、私は自由など望まない。行く手を遮る壁こそが創造力の源泉なのだ。[muhouin]
今やCG(コンピューター・グラフィックス)は、テレビや映画の世界のみならず、あらゆるメディアに浸透し身の回りに溢れている。コンピューターの性能がアップするにしたがい表現力も増し、バーチャル(仮想)世界とリアル(現実)世界の混同さえ起きる時代だ。
SF作家のレイ・ブラッドベリはかつて『火星年代記』の中で、「かれらは、われわれが百年も前にストップすべきだった所で、ちゃんとストップしました」と、火星人の文明を賛美する人物(スペンダー)を登場させ、地球文明の無制限・無秩序な進歩を批判している。スペンダーは先の台詞を言った直後に殺されるが、結局彼の推測どおり火星は破壊と堕落の道をたどってしまう。現代文明の一側面を告発した小説といって良いだろう。
ところで、現在のCGの使われ方を見ていると、スペンダーの吐いた台詞が重くのしかかってくることがある。あまりにリアルに表現できるため何か大事なものが失われつつあるのではないか、あまりに自由に使用できるためむしろ人間の創造力を削る方向に向かっているのではないか、と思われるのだ。
そんな折、『スキージャンプ・ペア』の存在を知った。真島理一郎の造り出すCGを中心としたバーチャル競技だ。スキージャンプをペア(スキー板1組を2人で使用)で飛び、その飛距離と飛型点を競うが、ソロ以上に飛型点が重視され、芸術性・創造性も強く要求される。2006年2月に開催されるトリノ・オリンピッグ(類似競技会に注意)から正式種目となる競技で、FIJワールドカップの他に、エキシビジョンジャンプや新技飛行テストも行われている。
こうした一定の歴史とルールを想定し、数秒の飛型の面白さにのみこだわったスキージャンプ・ペアは、おそらくスペンダーも泣いて喜ぶミニマム芸術。とことん自由を制限した中での爆発的創造は、束縛の格闘技「カポエラ」にも通じる。
映像の出来としては芸術性が追求されている訳ではないし、技術的にも手抜きな面もあるが、これは製作側の意図するところだろう。これ以上CGを作り込んでしまうと、あの生きの良い軽快感は表現できない。ストップすべきだった所で、ちゃんとストップしたCGといえる。
今回の映画は、<スキージャンプ・ペアの誕生と歴史を追いながら、それに人生を捧げた人々の挑戦と苦悩の日々を描く感動のヒューマン・ドキュメンタリー>とオフィシャルから紹介されているが、ランデブー理論が実証され、トリノ・オリンピッグ正式種目となってゆく様子がドキュメンタリータッチで描かれていて感動的(?)。甥っ子の洋平君の姿を目にした時は涙が止まらなかった。
また、船木和喜・荻原次晴・八木弘和といった面々が大真面目で出演しているのも面白いし、特にアントニオ猪木は「元気があれば二人で飛べる!」と破壊的キャラクターぶりを発揮し、物語が進むにつれ中心的役割まで果たしてゆく。
なお、『スキージャンプ・ペア』はオフィシャルDVDが3枚発売(「1」,「2」,「8」の3枚で、3〜7は空DVD-R)されているが、映画とDVDの両方とも見る予定の人は、なるべく事前情報は仕入れず、映画の方から見ると良いだろう。
ただし、チョコレートの食べすぎには気をつけて。