平成アーカイブス <旧コラムや本・映画の感想など>
以前 他サイトに掲載していた内容です
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アメリカ側から見た『父親たちの星条旗』に続いて製作された硫黄島での戦闘を題材とした作品。この『硫黄島からの手紙』は日本側から見た視点で描かれている。
昭和20年2月19日、日本本土攻撃をにらんで米軍が硫黄島に上陸を開始。兵力の差から見て5日で占領できると思われたこの戦いは実に36日にも及び、米軍の日本侵攻を遅らせる効果をもたらした。
これほどの長期戦になった要因は栗林忠道中尉の戦略にあり、日本軍が常套手段としていた水際作戦を廃し、島中に30kmにおよぶトンネルを掘るという、いわば巨大地下ネットワーク攻撃で多勢に無勢を克服しようとする作戦だった。
玉砕を避けて長期戦に持ち込むこの秘策は、兵士にとっては過酷な労働と戦闘時間が引き延ばされることを意味する。おそらく死より辛い生き地獄≠セったろう。しかし栗林中尉の意図は明確で、ひとえに米軍の日本本土侵攻を遅らせるためであり、それはとりもなおさず、政治的な決着を期待しての引き伸ばし作戦だったに違いない。
彼の最後の切なる願いは大本営に聞き届けられたと言えるだろうか。
この後の戦争の経緯を知る者としては実に切なく胸が引き裂かれる思いだ。
ちなみに、栗林中尉がとったこのトンネル作戦は、ベトナム戦争においても米軍は苦しめられることとなる。そして後にこの対策として、バンカーバスター等の劣化ウラン弾の使用につながってしまった。この悪循環にも心が痛まざるを得ない。
この『硫黄島からの手紙』という物語を通して、私たちは何を学ぶのだろう。
例えば――
かつての日本軍人は本当は心優しく、家族や日本を守るために、あえて凄惨な場所でも最後まで戦い抜いた
という英雄伝説だろうか。
栗林中尉のような創造的な人間も、戦争になれば硫黄島のような絶望的な戦闘に押し込められる。戦争さえなければ、彼は平和な日本で、世界で、大活躍していたのに。全て戦争が悪いのだ
という反戦の誓いだろうか。
彼らが命がけで戦い、守ろうとした日本に、今私たちは住んでいる。激戦の地で亡くなられた方々のことを決して忘れてはいけない
という供養の念だろうか。
上質な作品はみなそうだが、『硫黄島からの手紙』は人によって年齢によって、様々な受け取り方ができる広がり≠持っている。特定の感情を湧かせようと狙った箇所は少なく、実に冷静に戦闘の経緯を追っている。この点は監督のクリント・イーストウッドの幅の広さが出た作品といえよう。
ならばこそ以下に、私の個人的な印象を述べることも可能であろう。総合的な見解は他サイトに譲るとして、気になって仕方が無い箇所のみを述べてみる。
それは、伊藤中尉のような頑迷な軍人たちが当時は幅を利かせていて、本人のみならず部下たちに玉砕を強制したことである。自分勝手な誇りと信念が周りを不幸にしたのみならず、帰還兵に深いトラウマを負わせ、平時においても暴力を家庭に持ち込んでゆく元凶となった。
このことは明治時代に既に問題となっていて、敵を叩く力で家族を叩く≠ニいう帰還兵の暴力行動を解決するため、政府は当時の名だたる宗教者たちから意見を聞いたそうである。しかし第二次世界大戦時には、もう家庭問題の解決など政府は眼中になかった。私の家族は国に命を捧げました。あなたの家族も国に命を捧げなさい≠ニいう強制力が国全体を覆っていたのだろう。
この象徴が、召集令状を渡す儀式に表れている。細々とパン屋を営む西郷夫妻に突然届いた召集令状。その際、使者からは「おめでとうございます」と冷酷な言葉が吐かれる。本来なら「兵役お引き受け下さい。お辛いでしょうが……」とでも慰めるべきところなのに、まるで戦争に行くことを国民全員が待ち望んでいるかのような、惨く歪んだ前提に立ったもの言いである。
これでは家族を守る戦争≠ニいうより、家族を犠牲にしてもやり遂げる戦争≠ナあろう。人々が本音でささやく守るもの≠ニ、大声で叫ばざるを得ないやり遂げる戦争≠フ距離は果てしなく遠い。この遠さが現在まで尾を引いていて、諸問題に深く影を落としていることに気付かねばならない。
例えば、虐待といじめの問題である。
虐待とは体罰のことではない。本音が虐げられることを虐待と呼ぶのだ。これは「いじめ」も同じだ。他人の本音を踏みにじることが「いじめ」なのだ。
戦争で死にたくない≠ニか、玉砕を強制されるなんて嫌だ≠ニいう本音は誰の胸にもある。人はみな家族の安穏と自己実現を願って生活しているのだ。だからこそ、自分の本音が封印されれば、人は容易に他人の本音を踏みにじる方向に走ってしまう。こうした業の連鎖は、転じる智慧と努力を経なければ、先輩から後輩へ、親から子へと受け継がれてしまう。当時の、上から下へと向かう本音を封印させる強制力≠ヘ、今の日本を覆う虐待やいじめの問題とも重なる部分が多いのではないだろうか。
硫黄の臭気が立ち込める灼熱の島、食べ物も飲み水も満足にない過酷な状況で、栗林の指揮のもと、掘り進められる地下要塞。島中に張りめぐらせたこのトンネルこそ、米軍を迎え撃つ栗林の秘策だったのだ。
1945年2月19日、ついにアメリカ軍が上陸を開始する。その圧倒的な兵力の前に5日で終わるだろうと言われた硫黄島の戦いは、36日間にもおよぶ歴史的な激戦となった。死こそ名誉とされる戦争の真っ只中にあって、栗林中将は兵士たちに「死ぬな」と命じた。最後の最後まで生き延びて、本土にいる家族のために、一日でも長くこの島を守り抜け、と。
栗林の奇策に反発し、軍人らしく玉砕を貫こうとする伊藤中尉(中村獅童)、憲兵隊のエリートから一転、過酷な戦地へと送り込まれた清水(加藤亮)、戦場にあってなお国際人であり続けたバロン西、まだ見ぬ我が子を胸に抱くため、どんなことをしても生きて帰ると妻に誓った西郷、そして彼らを率いた栗林もまた、軍人である前に、家族思いの夫であり、子煩悩な父であった。
61年ぶりに届く彼らからの手紙。そのひとりひとりの素顔から、硫黄島の心が明かされていく――。