平成アーカイブス <旧コラムや本・映画の感想など>
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硫黄島での戦闘を日米双方から見、それにまつわる人生ドラマを二部作で描く。『父親たちの星条旗』はアメリカ側からの視点である。
1945年、ヨーロッパでは既に連合国側の勝利が確定し、太平洋戦争もほぼ大勢は決していたように見られていた。しかし長期化する戦争にアメリカ国民はそろそろ嫌気がさし、戦費調達がままならなくなっていた。その上、硫黄島を巡る攻防は当初の予想を大きく外れ、米軍は苦戦を強いられることになる。数日で落ちると甘く見ていた米軍は、結局6821人の犠牲者を出すはめになったのだ。
この壮絶な戦闘の最中、摺鉢山の頂上に2つの星条旗が翻ったのだが、最初に立てた星条旗は実に下らない個人的な理由で外され、同じ場所に別の星条旗が立てられることになる。ジョー・ローゼンソルが写したこの二つ目の写真はやがてアメリカ中を熱狂させ、カメラに収まった6人は国民的英雄に祭り上げられた。軍部はこのうちの3人を招喚(後の3人は戦死)し、戦費調達のためアメリカ全土を巡回させる。
ジョン・“ドク”・ブラッドリーは、戦地で傷ついた多くの仲間を治療し、彼らの最期を看取ってきた衛生兵。戦時国債キャンペーン・ツアー中も、「衛生兵!」と助けを呼ぶ声が耳を離れない。
アメリカン・インディアンの血を継ぐアイラ・ヘイズは、仲間が戦い続けているのに自分たちだけが英雄視され、パーティーで豪華な料理を食べていることに耐え切れず酒に溺れるようになる。
伝令係のレイニー・ギャグノンは年若く、英雄にされた事を喜んで受け入れ、戦時国債キャンペーン・ツアーを積極的にこなしてゆく。しかしこの行動をヘイズから辛辣に批判され、2人は争いが絶えない。
こうした混乱に加え、写真に写った6人目の兵士の名前が入れ替わったままであることが彼らを悩ませた。今さら変更すれば国民は白けてしまい戦費が集まらない。軍部はこんな些細なことに頓着があろうはずはなく、明るい未来を約束した戦争≠喧伝してゆく。
余りにも現実とかけ離れた戦争のイメージ。3人の心は次第に病んでゆくが、こうした個人的感情をよそに行く先々で彼らは喝采を浴び、歓迎パーティーも次第に大々的になってゆく。摺鉢山に見立てた張りぼての山に星条旗を立てて登場するという、いかにもアメリカ的な演出に乗せられ、戦費調達の旅が続いてゆくのだ。
8月。戦争は終わり、3人は歴史の一こまとなり、個人的には忘れた存在となる。アイラ・ヘイズは以前と同様にインディアンとして白人から差別され、レイニーは就職に苦労するような境遇となってしまう。
やがて時代はめぐり、英雄最後の生き残りとなったドクは、最晩年、息子に硫黄島の真実を語ることになる。
戦争になったら一人ひとりの命は誰が守るのか。軍は私たちを守ってくれるのだろうか?
平時であれば相互扶助で成り立っているのがこの社会である。問題は多々あるが、一定の安全・安心が約束されている社会に今私たちは住んでいる。この当たり前≠ノ思っていることが、果たして戦時でも機能するのだろうか。
この疑問に対する答えの一つがこの映画にはある。
一人の兵士が誤って海に落ちた。しかし彼を助ける艦は一隻もない。大船団は任務を優先し、一兵士の命など無視して進むのだ。これが戦争。「米軍は決して兵士を見捨てない」という宣伝は幻想だった。まして前線に行けば、一兵士の命は捨石となる。やがて首を撃たれ、腹が裂けた兵士たちは必死に衛生兵を呼ぶことになるが、そこで助かる命は少ない。
こうした悲惨な体験を経た人たちの胸に芽生えるものは一体何だろう。それはおそらく二つの矛盾した思いなのではないだろうか。つまり、余りにも凄惨な記憶ゆえ決して忘れまい≠ニいう気持ちとできることなら忘れたい≠ニいう思い。英雄″ナ後の生き残りとなったドクも、 おそらく長年、できることなら忘れたい≠ニいう思いが強かったのだろう。息子のジェイムズにさえ語らなかったし、周囲もあえて聞き出すことはしなかった。なぜなら無理に聞くことは古傷に塩を塗るようなものだからだ。しかしドクの胸の内には決して忘れまい≠ニいう思いも消えてはいなかった。
彼の語る硫黄島での戦いと帰還兵の苦悩を通して、私たちは戦争というものの真実の一端を知ることができる。これは実に貴重なメッセージだ。
太平洋戦争から後も、人類は数多くの戦争を経験した。ベトナム戦争やイラク戦争を見れば戦争は英雄を生み出さなければ勝利できない≠ニいうことも知ってしまった。そしてこの英雄を生み出すシステムは、得てして軍部のご都合主義であり、あやふやで、嘘に満ちた創作が含まれることを私たちは学んだ。これは古今東西の英雄伝説にも言えることだろう。
平和を語るには、戦争の真実を知ることが必須であろう。人類全体の経験としてこの物語を胸に留めておきたい。
(参照:硫黄島からの手紙)