昭和から平成にかけた一時期、「バブル」と呼ばれる未曾有の好景気が日本を席巻していた。この美酒が頂点に達した平成2年3月、大蔵省は不動産融資の総量規制を発表する。これは地価の異常な高騰を抑え土地が手に入りやすくなる≠ニいうメリットだけを喧伝した規制だった。
当時の国民やマスコミはこの規制をほぼもろ手を挙げて歓迎したが、現実には日本の経済基盤を一気に崩壊させる結果となり、底なしの平成大不況を引き起こしてしまう。その後遺症は長く続き、映画公開当時も国の借金は800兆円あり、金利は毎日900億円ずつ膨らみ破綻寸前状態が続いていた。
この現状を根本から変えるべく財務省官僚の下川路功が立ち上がった。タイムマシン開発者の田中真理子を1990年(平成2年)に送り込み、総量規制の発表を阻止する計画だった。ところが彼女はバブル時代の東京で行方不明となってしまう。そのため一旦は計画の中止が計られたが、真理子の娘 田中真弓を過去に送り込むことに決定。当初は拒否していた彼女も自らの借金問題解決のためしぶしぶ受諾する。
真弓は無事1990年3月の東京にたどり着く。さっそく大蔵省金融局長の芹沢良道に会いに行くが、まともに取り合ってくれない。しかし芹沢の机の上には2007年度版の金融機関紙が置いてあった。母の真里子がここに来たことは間違いない。すると芹沢は一体何を隠しているのか。
その後真弓は若き下川路功を見つけるが、当時の下川路は日本が不況に陥る話は信じないし、そもそもタイムマシンに乗って未来からやってきた§bを信じるはずもない。しかし下心のある下川路は真弓の話に乗り、浮かれ騒ぐバブル時代の日本を満喫しつつ突破口を模索する。
果たして彼らは母を助けだすことはできるのか。そして日本のバブル崩壊を阻止することは可能なのか。
今から見れば馬鹿馬鹿しい時代≠ネのだと思う。金が溢れる中ではろくな人間は育たない。肥料多くして根腐る、というべき果報負け状態か。経済の専門家に聞くと1985年9月のプラザ合意があのバブルを生んだ≠ニか裏にアメリカの逆襲計画があった≠ニいうが、何の備えも長期計画もない日本の政治システムがあのような悲劇的事態を生んだのだろう。
銀行の過剰融資の問題もあるが、これは{マルサの女2}に詳しい。俺たちが汗水たらして働いて預けた金をこんな
日本のバブル崩壊は、今では最悪の対応策≠ニして経済の歴史に名を刻み、各国ともこのハード・ランディングの愚行を反面教師として学んでいる。現実は映画のようにリセットできるものではないのだ。800兆円の借金は今も私たちの肩に圧し掛かったまま、それでも日本はまだ破綻せず、プチ・バブルを享受する人たちまでいる。私に言わせれば、こうした現実の方が映画よりお気楽なストーリーに思えるが、経済の専門家でない私には理解できない。借金も財産のうち≠ネのだろうか、自国民への債務だから全く問題ない≠ニ言われても不安は残る。
ところでこの映画で表現されたバブル時代の世相だが、どうも表現が貧弱で17年前に戻った≠ニいう感激がない。売れてない頃の飯島直子がいても、飯島愛がお立ち台で踊っていても、ラモスがドーハの悲劇を知らなくても、新人の八木亜希子がいても、そして真弓(広末涼子)がポケベルを知らなくても、苦笑いまでが関の山。計画は壮大ながら、映像としてはバック・トゥー・ザ・フューチャーには遠く及ばないのだ。
人々の様子も、ワンレン、ボディコンや眉の太さも再現されているが、どうも即席感を免れない。これは店の側が客を選ぶ≠ニいう高飛車な態度が描けていないせいもあるが(真弓のあの服では入店できなかっただろう)、バブル景気の本当の問題点が見抜けていない点にあるのではないか。これはおそらく、現在の日本が本物の景気回復を果たしていないせいだからだろう。
すると、本物のバブルへGOは将来に望みを託すしかなさそうだ。そして次回こそは、バブルから華麗な脱却を果たしてみようではないか。