Dear Doctor
現代人は誰しも社会的な立場≠ニいう殻を被り、違和感を感じながらもその役を演じて生きている。もしこの殻が堅固であれば中身の人間性まで問われることはない。ところが現実の殻はせいぜいオブラート程度のものであり、誰かに厳しく問い詰められれば「私にはその役を果たす資格はない」と頭を下げるしかないだろう。
そういう意味では、医師という役は社会的な立場としてはかなりハードルが高い。映画「ディア・ドクター」に出てくる研修医の相馬啓介(瑛太)は僻地医療の現場を目の当たりにし、医者の役割を事務的にしかとらえていなかった自分の考えを恥じ、村人たちから親しまれいる伊野治(笑福亭鶴瓶)を尊敬する。しかしこの伊野こそ最も深い闇を抱えた存在だったのだ。
ある日、伊野が村から失踪する。彼の正体が明かになってくると村人たちは手のひらを返すように悪口を言う。誰しも脆弱な自分の殻を守るために必死なのだろう。その中で最も手厳しいのは波多野行成(松重豊)で、巡査部長という立場もあるが、オブラートに包まれていた僻地の実情を身も蓋もない言い方でえぐり取ってゆく。また曽根登喜男(笹野高史)は村長としてやり繰りを愚癡り、鳥飼かづ子(八千草薫)も周囲への気兼ねから最後まで真実を語れずにいる。
ところで、この映画を観る人の多くは西川監督の前作「ゆれる」の緊迫感あふれる重いテーマが念頭にあったのではないだろうか。比較すると、今作品は少々あっけらかんとしていて、肩透かしをくったような明るさがある。しかし看護師の大竹朱美(余貴美子)との関係や、医師の鳥飼りつ子(井川遥)とのやり取りは深読みが可能で、観終わってから幾度も台詞の意味を尋ねなおすことになる。どこかしっくりしないまま長く余韻が味わえるというのも名作の条件なのだろう。