アトム誕生の物語を原作者の意図にそった形で映画化。心優しい科学の子、という明るい面の裏にある悲劇を描きだしている。
ロボット……それはほぼ2種の目的で作られる。労働力補充のため、そして生命創造の野望を叶えるためだ。
労働力補充ということでは実現されてすでに久しい。製造業における単純労働はもちろん、状況に応じた動きも可能となり、近い将来は各種雑事を引き受けるロボットも登場することだろう。
もうひとつの目的、生命創造の野望についてだが、実はこれはロボットに限った話ではない。絵画にしろ彫刻にしろ人形にしろ、人間はいつの時代も、自分たちの分身を編み出そうともがいてきたのだ。それは非常に魅力的なことであり、同時にとても危険視されることであった。宗教によっては、人間を描いたり刻むことすら罪とする思想もあるが、これは生命創造の野望につながる行為だからだろう。
そういう意味では、ロボットは生命創造の野望を叶える最先端の技術であり、最も危険視される存在でもある。欧米で二足歩行ロボットの研究開発が遅れているのは、そうした思想的・宗教的背景があることはよく知られる事実だ。
映画ATOM(原題はASTRO BOY)はまさにこの生命創造の問題に焦点を当てて製作されたといえよう。アトムは元々、死んだ息子を蘇らせる目的で天馬博士が制作したロボット。手塚治虫氏は、本来はその存在の矛盾と人間の業を描きたかったということだから、映画は原作者の意図を汲んだ作品になったと言える。
もちろん、お茶の水博士の鼻が少し迫力に欠けることや、ゾグがどこぞのアニメキャラに似ていたり、全体的な質感が少しのっぺりしすぎている等、漫画やテレビ版アトムに馴れ親しんだ人たちには多少の違和感があるだろうが、全くの新作として見れば上々の出来。アトムの顔もテレビ版より少し大人びているが、CGアニメの場合はこれくらいの方が見やすい。
ちなみに、アトムの原型は映画「メトロポリス」に登場する人造人間マリアである、というのが私の推測(参照:{METRPPOLIS})。いずれにしろ映画の出来栄えには大いに拍手を送りたい。
ストーリー (パンフレットより引用)ロボットが全ての世話をしてくれる、夢のような空中都市メトロシティ。科学省長官テンマ博士(声・役所広司/ニコラス・ケイジ)の息子トビー(声・上戸彩/フレディ・ハイモア)は、父親に似て頭がよく、学校の成績は常にトップ。ある日、父の研究を見るため科学省に行き、ロボット兵器、ピースキーパーの実験施設へと潜り込んだ。しかし、実験中の事故に巻き込まれ不運にも命を落としてしまう。悲しみに打ちひしがれたテンマ博士は、トビーを取り戻そうと、最新型ロボットとして息子を蘇らせた。
姿はそっくりで、記憶もトビーのまま。人工頭脳には、トビーのDNAから採取した記憶もアップロードした。さらにロボットには、テンマ博士の仲間であるお茶の水博士が開発した、ブルーコア≠ニいう究極の未来型エネルビーが搭載された。
しかし、目を覚ましたトビーは、元の息子とはどこか違っていた。やはりロボット、息子ではないという思いが日に日に強まり、テンマ博士はついにトビーを追い出してしまう。トビーは、自分の居場所を求めて初めて地上へとやってきた。そこは、メトロシティのいらなくなったロボットが捨てられる、荒廃した場所だった。さまようトビーはやがて人間の子どもたちと出会う。彼らは親もなく、毎日ガラクタを拾って生活していた。自分がロボットであることを言えず、メトロシティからやってきた人間として、自らをアトム≠ニ名乗り、彼らと暮らすようになる。アトムは、新しい仲間ができたことで、笑顔を取り戻していく。
そのころ、地上との戦争を企んでいたストーン大統領は、ブルーコア≠手に入れ最新兵器にしようと、軍を総動員しアトムの捜索を開始する。……