1Q84(book1,book2)の紹介で私は『1Q84』は純愛小説だと表現したが、続編のbook3を読んで益々その意を強くした。もちろん純愛小説という枠には収まり切らないかも知れないが、井上陽水的に言えば自殺する若者の増加より、問題なのは傘がないこと≠ニ言い切る視点がどこかに存在しているのだろう。
さて、book1,book2は小説として程よい展開があったのだが、book3にはほとんど展開というものがない。あるとすれば、天吾の父親の病状悪化と、それに伴うNHK集金人の亡霊(生霊?)の影響で、息詰まる潜伏生活が延々と続くのみである。それでも面白く読ませてしまうのは春樹文学の魅力なのだろう。天吾と青豆の愛の行方と、彼らを執拗に追う牛河。そしてこれら周辺でうごめく独善的な暗殺組織と、宗教団体「さきがけ」。しかしbook1,book2の時より組織力はともにかなり弱体化していて、book3では個人の執念や愛の力が組織を圧倒し始めている。特に結末(これ以上続編が出なければだが)においては愛の勝利≠ニいうべき展開で、組織の壁を乗り越えた卵の喜びが表現されている。作者に何らかの心境の変化があったのだろうか。
小説から少し話が離れるかもしれないが―― 現代社会における一番の問題は個人と組織の関係≠セろう。それ以外の問題も換言すればここに集約できる。個人個人を守り育てるためには組織が必要だが、強い組織を作るためには個人の活動には制限・制約が必要となり、時には個人が組織に隷属したり犠牲を払うことにもなりかねない。しかし、それは嫌だといって個人が勝手な行動をとれば結束が弱まり、個人を守り育てるはずの組織に
実はこの閉塞状況を破るためには、組織と他組織との関係に個人が濃密に関わることが必須なのだが、こうした勇気ある行動は個人的にも組織的にも誤解を生みやすい。誤解の多くは