1Q84(book1,book2)
村上春樹 著/新潮社
【本・映画等の紹介、評論】
『1Q84』は純愛小説だと言ったら、筋違いと批判されるだろうか。
たとえばこうだ。
この小説に登場する宗教団体「さきがけ」はあきらかにオウム真理教を想定している。そのリーダーは小山のような大男であり、人の心を見抜いて超能力(らしきもの)を披露する。また「さきがけ」からの分派「あけぼの」は武装革命集団であり、銃撃戦で死者を出した末に組織が壊滅するが、この経過は連合赤軍による浅間山荘事件に似ている。1984年当時はカルト宗教が活発化し始めた頃であったが、村上春樹は過去『アンダーグラウンド』で地下鉄サリン事件の被害者を、『約束された場所で』で元オウム信者を取材しているわけで、この『1Q84』はまさに小規模王国の暗部と必然的破滅を核とした物語であり、純愛小説の範疇には絶対に入らない、と。
さらには、リトル・ピープルの声を聞く者(レシヴァ)は認識者(パシヴァ)によってその能力が発揮される≠ニいう宗教儀礼的構図や、失われるべき場所猫の町≠謔闍A還した主人公の変化、マザとドウタの関係、隠喩的世界から換喩的世界への移行、二つの月の意味、空気さなぎから王の分身が生まれる謎など、様々な深読みが可能な小説であることは確かだ。特にリトル・ピープルとは何か≠ニいう謎は読後も長く心に残る。
- また文中には印象的な言葉が多く出てくる。
- 「正しい歴史を奪うことは、人格の一部を奪うのと同じことなんだ。それは犯罪だ」(Book1,459頁)
- ジョージ・オーウェル著『1984年』を説明した後、上記のように断言する。
- 「やった方は適当な理屈をつけて行為を合理化できるし、忘れてもしまえる。見たくないものから目を背けることもできる。でもやられた方は忘れられない。目も背けられない」(Book1,525頁)
- 少女レイプや大量虐殺について、いわば卵の側に立って≠フコメントか。
- 「説明しなくてはそれがわからんというのは、つまり、どれだけ説明してもわからんということだ」(Book2,181〜182頁)
同義の文言が繰り返し出てくることから、この小説は説明不可能な、身体の芯で感じる小説≠ニいうことだろう。
しかしどれだけ重要な示唆があろうと、複雑怪奇に入り乱れた状況や経過があろうと、全てはストーリー展開上の面白さ以上の意味は私には感じられないのである。全てが曖昧で、個々の存在理由も謎のまま残され、総じてリアリティーがない。結局これらは、少女マンガにおける華々しい背景のようなものであり、攻殻機動隊的にいえば全てにゴーストがない°浮な脇役なのである。脇役たちはただ、少女を助けた勇気ある少年と、その勇気に命をもって応えた少女≠ニいう絶対的な関係を取り巻く影にすぎないのだ。
こうした構図は著者が意図したものかどうかは定かではないが、まさに純愛小説そのものではないか。たとえこの少年・少女が長じて不特定多数の異性と関係を結んだとしても、それぞれの性愛体験でどれほど深い快楽を得ようとも、ただ見つめあい強く手を握った≠ニいう幼い日の強烈な体験に比べれば無に等しいのである。今の自分がどうにもならない汚れちまった虚無に生きていればいるほど、この幼い日の経験は輝きを増す。
もちろん現実にはこうした経験はありえないものだ。しかしなおかつ、これは誰の心にも宿っている愛の純粋体験≠ナもある。現実にはないが、記憶として宿っている経験、この経験こそ人類を永遠に悩まし続け、同時に人生に彩りを加え続けるのである。
私論を言えば、リトル・ピープルとは魑魅魍魎のことなのではないか。いや、それ以外の登場人物も全て魑魅魍魎であるとすれば分かりやすい。主人公たちが出会う現実は本来的な意味で言えば自分自身に過ぎないのだが、彼等が日本人の一サンプルであるとすれば、1984年のパラレルワールド(小説中においてこの用語は否定されているが)において、多くの日本人は革命運動の挫折とカルト宗教の洗脳という魑魅魍魎に侵食され始めていたことになる。すると、確固たる信念を持たないまま選挙権を行使し政治家たちに罰を与える大衆≠ニ王を殺す民≠ヘ、合わせ鏡になった最もリアルな今≠ネのかも知れない。
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