次に日中の休息をとるため、ヴェーサーリー郊外のチャーパーラ霊樹のもとに赴きます。ここで釈尊は、ヴェーサーリーについて、また世界についての感嘆の言葉を述べられたと記されています。
実は『法顕本』の『大般涅槃経』はここから始まっていて、二章までの教えの数々(例えばヴァッジ人への教説)は以後の出来事の中に挿入される形で編纂されています。ただし法顕本には「自灯明法灯明」の諭しは出てきません。このため『法顕本』の方が最初期にできて、後に他の教説が追加されたという説もあります。
「アーナンダよ、ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹は楽しい。ゴータマカ霊樹は楽しい。サッタンバカ霊樹は楽しい。バフプッタ霊樹は楽しい。サーランダダ霊樹は楽しい。チャーパーラ霊樹は楽しい」(パーリ本、失譯本、梵本、チベット本)
「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ」(梵本)
続いて釈尊は、アーナンダに遠回しの暗示をかけます。
アーナンダよ。いかなる人であろうとも、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、(軛を結びつけられた)車のように修し、家の礎のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、みごとになしとげた人は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長いあいだでも留まることができるであろう。
「四神足」とは、すぐれた精神統一(三昧・定)を得ようと願い(欲神足)、努力し(勤神足)、心を専注し(心神足)、思惟観察する(観神足)することです。これらを習熟するとで諸願が自由自在に成就されるので、もしここでアーナンダが懇願すれば寿命を延ばすことが出来る、と言っているのです。
ここで問題となってくるのは、どの位寿命を延ばすことが可能なのか、ということです。我々の常識からすれば「病は気から」という程度で、四神足を修している釈尊だから、ほんの数年くらいは延ばすことが出来るのだろう、程度に思われますが、解釈によっては「一劫の間、あるいはそれ以上」と読み取れます。
『劫』というのは、サンスクリットのカルパ[kalpa]、パーリ語のカッパ[kappa]の音写で、非常に永い時間をいいます。これはこの世界(宇宙)の年齢、永遠無限の時間を一単位にしていて、たとえば「四十里(一由旬=異説もあるが約14.4km)四方の石山を長寿の人が百年に一度ずつ細軟の衣をもって払拭して、この石山を尽くしても、なおこの劫は尽きない」と『大智度論』等にも出てきます。
ただ、仏身論ならいざ知らず、方便(肉体)の身で劫の単位を持ち出すのは相応しくなく、この点ブッダゴーサ(=セイロン上座部教義の大成者・西暦5世紀前半)は「寿命よりも少し長く、あるいは百歳よりも以上に」という解釈をしています。
釈尊は何度もアーナンダに明示しますが、洞察することができず、留寿行(寿命を永劫に延ばす行)の懇願をしませんでした。経典には「かれの心が悪魔にとりつかれていたからである」と述べられています。
◆ 悪魔との対話
アーナンダが近くにある一本の樹の根もとに坐ると、まもなく悪魔が来て釈尊に――
今や世尊の清浄行は成就され、(修行者は解脱し、在家信者は正しい実践をなし)、栄え、ひろがり、多くの人々に知られ、ゆきわたり、すなわち人々のために説き明されています。今こそ世尊はニルヴァーナにお入り下さい。幸いな方はニルヴァーナにお入り下さい。今こそ世尊がお亡くなりになるべき時です。
と、入滅をすすめます。
アーナンダの懇請が無かったことで、釈尊は次のように言われます。
悪しき者よ。汝は心あせるな。久しからずして修行完成者のニルヴァーナが起るであろう。いまから三ヵ月過ぎて後に修行完成者は亡くなるであろう。このように三ヵ月後の入滅を言い渡し、留寿行を放棄されます。
この時、「大地震が起った。人々を驚怖させ、身の毛をよだたせ、神々の天鼓は破裂した(雷鳴が轟いた)」のですが、アーナンダはこの地震の起る原因について、また条件についてたずねます。
釈尊は地震が起る8つの原因・条件について説かれます。
続いてまた釈尊は、『八つの集い』について、述べられます――
アーナンダよ。ここに八つの集いがある。その八つとは何であるか? 王族の集い、バラモンの集い、資産者の集い、修行者の集い、四天王に属する衆の集い、三十三天の神々の集い、悪魔の集い、梵天の衆の集いである。
アーナンダよ。私は幾百という王族の集いに近づいて、そこでわたしが、かつて共に集まって坐し、かつて共に語り、かつて議論に耽ったことを、ありありと想い出す。その場合わたしの(皮膚の)色は、かれらの(皮膚の)色に似ていた。わたしの声は、かれらの声に似ていた。わたしは『法に関する講話』によってかれらを教え、諭し、励まし、喜ばせた。ところが、話をしているわたしを、かれらは知らなかった。――『この話をしているこの人は誰であるか? 神か? 人か?』といって。わたしは『法に関する講話』によってかれらを教え、諭し、励まし、喜ばせて、すがたを隠した。ところが姿を隠したわたしのことをかれらは知らなかった。――『すがたを隠した者は誰であるか? 神か? 人か?』といって。
バラモンの集い、資産者の集い、修行者の集い、四天王に属する衆の集い、三十三天の神々の集い、悪魔の集い、梵天の衆の集いについても、王族の集いと同様なことが起ったと述べられます。
ここでは、釈尊は教えを修行者だけに話されたのではなく、様々な集いの場で説法をされたことをうかがわせます。また釈尊は相手の色や声、つまり相手の理解に合わせて、また悩みに応じて説法された、それによって人々を「教え、諭し、励まし、喜ばせた」のですが、その教えを自分たちの理解の範囲内でとらえていて、釈尊の本当の姿を知らなかった。またこれから姿を隠す、つまり完全なニルヴァーナに入るが、本当の釈尊を誰も知らなかった、ということでしょう。
この言葉は、以後に大量の経典が編纂されることを予見させ、また中国においての教相判釈、つまり――
さらに続いて釈尊は『八つの支配して打ち克つ境地(勝処)』について述べられ、あらゆる物質的なものにも、あらゆる物質ならざるものにも「それらに打ち克って、われは知り、われは見る」と、このような想いをなすよう指導します。
また『八つの解脱』についても、様々な念相作用がさとりの境地を得るのに積極的に関わっていく様子が述べられます。
その後、悪魔とのいきさつをアーナンダに話します。
悪魔が釈尊をニルヴァーナへ誘うのは、「ウルヴェーラーにおいて、ネーランジャラー河の岸べで、始めてさとりを開いて、アジャパーラというバニヤンの樹のもとに住していた」時で、その際は「わがこの清浄行が栄え、盛んとなり、ひろがり、多くの人々に奉ぜられ、ついに神々および人々の住む限りのところで、広く説かれて諸方面にひろがらない間は、わたしは亡くなりはしないであろう」と述べた。しかし今日悪魔がまた近づきニルヴァーナに誘った、と先ほどの経緯を話し、留寿行の放棄と三ヵ月後の入滅をアーナンダに言い渡します。
アーナンダは驚き、釈尊に懇願します――
尊い方よ。尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください。幸いな方は寿命のある限りこの世に留まってください。――多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々をあわれむために、神々と人間との利益のために、幸福のために
アーナンダは三度懇請しますが、釈尊は「いまは修行完成者に懇請すべき時ではない」と願いを退けます。そして「これはお前の過失である」と、以前からあらわに明示したが懇請が無かったことを述べられます。
アーナンダよ。もしもお前が修行完成者に懇請したならば、修行完成者はお前の二度にわたる(懇請の)ことばを退けたかもしれないが、しかし三度まで言ったならばそれを承認したであろう。それだから、アーナンダよ、これはお前の罪である。これはお前の過失である
そして、一度口にした道理をみずから変更して留寿行を行うことは出来ないと述べられ、また、「愛しく気に入っているすべての人々とも、やがては、生別し、死別し、(死後には生存の場所を)異にするに至る」と、あらかじめ告げておいたことを問いかけます。
次に『大きな林』にある重閣講堂におもむかれ、ヴェーサーリーの近くに住するすべての修行僧たちを講堂に集めるようアーナンダに告げ、やがて集まってきた修行僧たちに(三十七道品の)法の実践を勧めます――
その『法』とは何であるか? それはすなわち、四つの念ずることがら(四念処)と四つの努力(四正勤)と四つの不思議な霊力(四神足)と五つの勢力(五根)と五つの力(五力)と七つのさとりのことがら(七覚支)と八種よりなるすぐれた道(八正道)とである。修行僧達よ。これらの法を、わたしは知って説いたが、お前たちは、それを良くたもって、実践し、実修し、盛んにしなさい。それは清浄な行いが長くつづき、久しく存続するように、ということをめざすのであって、そのことは、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々を憐れむために、神々と人々との利益・幸福になるためである
ここで三十七道品について簡単に説明しますと――
四つの念ずることがら(四念処・四念住・四念処観)四種の観想法。
四つの努力(四正勤・四精勤)。
四つの不思議な霊力(四神足)四つの自在力を得る根拠。
五つの勢力(五根)解脱に至らしめる五つの力。能力。
五つの力(五力)さとりに至らしめる五つの力。はたらき。
七つのさとりのことがら(七覚支・七菩提分)。心の状態に応じて、存在を観察する上での注意・方法。
八種よりなるすぐれた道(八正道・八聖道)。正しい生活態度。
続いて涅槃経は以下のように続きます――
そこで尊師は修行僧たちに告げられた、「さあ、修行僧たちよ。わたしはいまお前たちに告げよう、――もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠けることなく修行を完成なさい。久しからずして修行完成者は亡くなるだろう。これから三ヵ月過ぎたのちに、修行完成者は亡くなるだろう」と。 尊師、幸いな人、師はこのように説かれた。このように説いたあとで、さらに次のように言われた。――「わが齢は熟した。
わが餘命はいくばくもない。
汝らを捨てて、わたしは行くであろう。
私は自己に帰依することをした。
修行僧らよ、汝らは精励にして正しく気をつけ、
よく戒しめをたもってあれ。
思惟によって良く心を統一し、
おのが心をまもれよ。
この法と律とに精励するであろう者は、
生の流転をすてて、苦しみの終末をもたらすであろう」と。
この教えにあるように、自分が亡くなられた後の教団は「法と律とに精励する」ことで成り立たせていくよう説かれています。特に初期の教団の基盤は戒律にあり、他の宗教、もしくは集団、組織が、生まれや職業によって住み分け(差別)が行われていたのに反し、仏教教団は、「戒律を守る」という共通項で成り立っていました。
仏教も教団が大きくなり、国を支える地盤にまで拡大すると、戒律より教えが中心になりますが、当時は教えをまとめる作業は手付かずの状態でした。